第33話 (ヴォルフ)
「誰か呼んでこなくちゃ」
立ち上がろうとするユーリィを、木片が刺さったままの右腕でグッと押さえつけた。
「しばらくこうしていてくれ」
「なんで?」
「ちょっと疲れたから」
「そう……」
ユーリィに怪我がなくて良かったとヴォルフはつくづく思った。もう二度と役目だなんて言わせない。愛が受け入れられなくても、これだけは譲れなかった。たとえ手足がもぎ取られようとも、彼を痛みや苦しみから護れたという満足感で、全身の痛みも忘れることが出来る。そう考えれば、ユーリィの暴走も悪くはないなとふと思った。
「ヴォルフ、ごめん」
「これくらい平気だ。でも毎度おなじみのパターンはどうにかして欲しいな」
「だって来るとは思わなかったし……」
その声は消え入るように小さかった。
「俺は君を護るって言っただろ?」
「護るのはジェイドじゃないの?」
「彼を守るのは仕事、君を護るのは願望」
「何が違うんだよ?」
「願望は誰にも止められない、たとえ君でもね」
美しい金の髪に唇を寄せる。もう二度と出来ないと諦めていただけに、嬉しくて頬ずりまでしてしまった。
「そういえば思い出したよ、ユーリィ。聞きたいことがあったんだ」
「何?」
「金髪がどうのって言ってただろ? あれは何の話だ?」
「お前、今、僕の髪にキスしただろ」
「うん、した」
「そういうことをするのは、お前が金髪好きだからだろ?」
「はぁ?」
「ジェイドも、あの修道女も金髪だったし、僕に声をかけたのも金髪だったからだろ?」
思ってもみなかったことを言われ、ヴォルフは急に笑いがこみ上げてきた。
考えることが可愛すぎる。それを大真面目に信じているユーリィが堪らなく愛しかった。
「何で笑うんだよ」
「いや、ばれちゃったなって」
「ほら、やっぱりなぁ。おかしいと思ったんだよ、僕なんかに変な気を起こすのが。好かれる理由が分からなくてさ、色々考えたんだけどジェイドを見て分かったんだ」
「アイツも金髪だからか?」
「あ、もしかして、ジェイドにも抱き付くつもりか?」
首を巡らせたユーリィの瞳に、ヴォルフは少し不安げな色がある気がした。それを嫉妬だと思えばそう見えなくもないが、そうであって欲しいという願望がそう見せているだけなのかもしれない。もし彼が嫉妬してくれているのなら、今日までのことが報われるのにとヴォルフは思った。
「ジェイドにはしないよ」
「どうして?」
「俺は金髪だけじゃなくて、君の青い眼も好きなんだよ」
「眼の色も!?」
そう、初めて会った日からずっと、その青き瞳に恋をしているのだ。哀しく光っていたあの頃も、寂しそうに光る今も、心を捕らえて離さない。
何度も何度もその眼に恋をして、そして手に入らない悔しさに傷付けられる。それでも手に入れたくて、こうして俺は存在しているのだとヴォルフは心の中で呟いた。
「変な奴……」
「なぁ、ユーリィ。忘れたいかもしれないけど、もう一度、昨日のことを……」
謝らせてくれ。
そう言うつもりだった。
けれど白い粉塵から人影が現れたのを見て、ヴォルフはつい口をつぐんでしまった。
現れたのはロジュ。少し離れた場所で立ち止まり、彼は少し睨むような目付きで二人を見下ろした。
「遅いぞ、ロジュ。ヴォルフが来ちゃったじゃないか」
「申し訳ありません。あの術者を片付けるのに少々手間取りました」
「もう少しで、あの男に食われるところだった」
「このような危険は、たぶん今後とも起こりますよ、ユーリィ様」
「冗談でもそんなことを言うな」
嫌悪の表情を露わにして、ユーリィがロジュを睨み付けた。
「でしたら、あまり危険なことはなさらないように」
「分かったよ」
「特にグラハンス殿から、ぜひ身を守って下さい」
言い放ったエルフの言葉は、凍り付くほどに冷たかった。
「そ、そんなことロジュに言われなくても……」
動揺するユーリィを無視し、ロジュがヴォルフに鋭い視線を送ってくる。ヴォルフもまたエルフを睨み付け、瞬間的に空気が張り詰めた。
やがてロジュは一礼をすると、踵を返してその場から立ち去っていった。
ロジュの姿が見えなくなると、二人はホッと溜息をついた。特にヴォルフは、ロジュの最後の言葉に少なからず傷ついていた。
(アイツが常に監視していることを覚えておかなければ……)
この恋には、巨大な壁が立ちはだかっていることを肝に銘じた。
「そういえばさ」
「ん?」
「いつから僕はお前の物になったんだよ?」
「え?」
「さっき、“俺の物に手を出すな”って叫んでただろ?」
「俺の中では君はもう俺のも……」
「僕はお前の所有物じゃない!」
その言葉と同時に、ヴォルフは強烈な肘鉄を鳩尾に食らった。




