第30話 (ユーリィ)
真っ先にヴォルフへと駆け寄っていったのはジェイドだった。
「ヴォルフさん、大丈夫ですか?」
心配そうに見上げる彼を、ヴォルフは優しく見下ろす。
「君こそ大丈夫だったか?」
「ええ、平気です」
そう言いながら、彼は自分の手首をしきりに摩っている。
「怖い目に遭わせて悪かったな」
「きっとヴォルフさんが助けてくれるって思ってましたから」
「間に合って良かったよ」
ユーリィの横にいたクロエ達も、そんな彼らの方へと戻っていき、ヴォルフに感謝の言葉を述べている。フェヴァン氏はジェイドをユーリィ君と呼び、なにやら話しかけた。ジェイドはそれを否定することもなく、「ええ、そうですね」とだけ返事をした。
そんな四人の様子をユーリィは部屋の外で眺めていた。これ以上は自分が入ってはいけないような雰囲気に、足が動かなくなってしまったのだ。
ジェイドが無事で本当に良かった。これでヴォルフにこれ以上怒られずに済む。ジェイドが心配のあまりにあんな乱暴をしたのだから、万が一彼が殺されていたら、いったい何をされていたことか。
ジェイドの隣で嬉しそうに微笑むヴォルフを見て、安心した気分になったユーリィだが、胸の奥が何故か痛くなった。
自分の心が分からず唇を噛んで悩んだが、よく分からないのでそのまま放置して、次のことを考えた。
彼らにはもうこの事件ですることはない。ヴォルフやジェイドをこれ以上危険なことに巻き込むわけにはいかなかった。
しかし言い出しっぺの自分は、きっちり落とし前をつけに行こう。ダーンベルグには過去の因縁もある。借りは返しに行くべきだとユーリィは思った。
(イワノフとしての制裁はさせてもらうよ)
これが済んだら城に戻らなければならないかもしれない。だから一族のやり方をここで始めても別にかまわないだろう。
ふと背後に人の気配を感じて、ユーリィは振り返った。
暗闇に背の低い男が一人立っている。しかも事もあろうに、彼は今まさに手の中に火の塊を作り、それをユーリィ目がけて投げつけようとしている最中だった。
咄嗟のことに声が出ない。死ぬかも知れないなとふと思った。
火の玉が男の手から勢いよく発射された。
寸前に迫ったその瞬間、まるで壁があるかのようにその玉が目の前で歪み、そして粉砕していく様がはっきり見えた。
「貴方を護るのは彼ではなく、私の役目です」
隣にはいつの間にかロジュが立っていた。彼は囁くようにそう言うと、“チッ”と舌打ちをする男の方へと歩み寄る。男は再び火を放とうとしていたが、ロジュは右の掌を上にして、前へと差し出す。そこに現れた蜂のような虫が、次々と男へと飛び立った。
「うわぁぁあああ」
数十匹の蜂に襲われて、男は悲鳴を上げ室内から逃げていく。それを横目で見送って、ロジュはユーリィへと首を巡らせた。
「あの男は私が始末いたしましょう」
「役目は僕を護ることだけなんだろ?」
「グラハンス殿ばかりに良い格好はさせませんよ」
「そう。だったらあの術者が片付いたら、隣の屋敷に来てくれると嬉しいな」
「貴方が危険ならばそう致します」
軽く頭を下げて、ロジュは室外へと出て行った。その後ろ姿をユーリィは見つめる。いったいあのエルフが何を考えているのか、ユーリィにはさっぱり分からなかった。
(もっと色々話してくれるといいのに……)
いつもいつも頼ってばかりで申し訳ないと少しだけ思う。彼は役目だと言うが、危険な目にばかり遭う自分に、きっと心の中では呆れているんだろう。いつかはきちんとお礼を言おうと決意して振り返れば、そこにヴォルフが怖い顔で立っていた。
「今、叫び声が聞こえたが?」
「ああ、お前の言ってた魔法使いが来たよ」
「何だって!? そいつはどうした?」
「ロジュが反撃したら逃げていった」
「チッ」
何故かヴォルフは面白くなさそうな顔で舌打ちをした。
「今度からそういう時は俺を呼べ」
「あ、うん……」
憤然とした表情のまま、ヴォルフは皆のいる部屋の方へと歩いて行く。ユーリィにも聞こえるように大きな声で、「敵はもう一人いるので、早くここから出ましょう」と言うと、三人を伴ってユーリィの元へ戻ってきた。
「正面玄関から出よう」
「その方が近いですね、案内しましょう」
「お願いします」
フェヴァンとクロエに導かれ、男が逃げていったドアの向こうに、ヴォルフの姿が消えると同時に、ユーリィは裏口から抜け出そうと後退った。
横にいるジェイドがそれを見とがめる。何か言おうとした彼に、ユーリィは自分の口に指を立て、黙るように指示をした。
「落とし前をつけに行く」
後で探されるのも面倒なので、ユーリィは小声で事情を説明した。
「落とし前?」
ジェイドがおうむ返しに意味を尋ねる。
「後始末は言い出しっぺの責任だからね」
「一人で行くのか?」
「ヴォルフには絶対に来るなって言っておけよ。僕を護る役目はもう終わったんだってね。それと早く二人で街を出た方がいいぜ。仕事の謝礼金ならあとで送るから」
「で、でも怖くないのかよ?」
「怖い目になんて何度もあってきたけど、こんなの、怖いうちに入らない」
多少の強がりはあったが嘘ではない。精神的な苦痛を伴わないことなんて、多少危険でもちっとも怖くなかった。それにロジュがいるのだから、ヴォルフがすることはもうないはずだ。
ユーリィは片手を挙げてジェイドに別れを告げると、別の扉から抜け出した。
裏口から出て、一目散にダーンベルグの屋敷へとひた走る。夜はもう明け始めていた。二つの屋敷に仕切りはない。ダーンベルグ邸の方が高い位置にあるので、丘のような広い敷地が続いているだけだった。
足元の枯れかけた草を蹴る。
精神的な苦痛など何一つないのだから、一人でも大丈夫だと何度も自分に言い聞かせて……。
 




