第28話 (ジェイド)
麻袋から乱暴に投げ出されたジェイドは、横倒しに転がされた。冷たい床が頬に当たる。
ここで殺されるのだろうかと不安が募る。先ほど聞いた話では、まだ殺すつもりはないと言っていたが、いつかは殺す気でいることは間違いない。
「すぐ気持ちいいことをしてもらえるからな。それまで逃げようなんて考えるなよ」
麻袋の中で聞いた低い声の持ち主だ。強面で丸坊主のそいつは、口を歪ませてニヤリと笑った。もう一人の姿はない。荷馬車をどこかに置きに行っているのだろうか。
「それにしても、イワノフ家の御曹司がこんな哀れな姿とは笑えるよな。明日はあの狐男の下でよがると思うと……」
クククと気味悪く笑った男は、爪先でジェイドの足を蹴飛ばした。
「んーんーんー」
猿ぐつわでは何も喋れないが、反抗の意志だけは見せたかった。
「お前ら、大人しくしとけよ。馬鹿な真似をすると怪我するからな」
(お前ら……?)
男の言葉に疑問を持ちつつ、立ち去っていく姿を目で追いかける。扉が開け放たれた隣の部屋から光が漏れていて、ソファーの背が見えていた。男がそこまで移動すると、どっかり腰を下ろして酒瓶らしきものをラッパ飲みに煽っている。しばらくは戻ってこないようだ。
男が腰を落ち着けたことを確認し、ジェイドは自分のいる室内を見回した。
隣から差し込む光と、窓から射す月明かりだけでは全て見ることは出来ないが、どこかの屋敷だということが分かった。高い天井に小ぶりのシャンデリアが黒く光っている。
(どうしよう……)
幾ら頑張っても、両手両足の拘束は緩みそうもない。むしろ藻掻けば藻掻くだけ、きつく締まっていくようだ。
(ヴォルフさんに、どうにかして知らせなきゃ)
既に恐怖を感じる時間が過ぎ去ってしまったせいか、意外と冷静に状況を判断することが出来た。
その時、背後から誰かの囁き声が聞こえてきた。
「大丈夫かい?」
首を回してそちらを見ようとしたがどうにもならず、男に気付かれないように体ごと反転させた。
やや離れた暗闇に人影が見える。相手は椅子に座っているらしく、高い位置からジェイドを見下ろしていた。
「んーんー」
誰と尋ねた。相手はその意味が分かったらしく、「この屋敷の家主だ」と教えてくれた。
そうか、ここは屋敷なのか。
とは思ったものの、それだけでは何の手がかりにもならなかった。
「ルイ・フェヴァンという者だ」
その名前は聞いたことがある。殺された宿屋の夫婦と仲が良かったという豪商だ。
「んーうーんー」
「無理して喋らなくてもいい。あの男に聞こえると厄介だからね。さっき君のことをイワノフ家の御曹司と言っていたが、君はもしかしてユーリィ君か」
敵か味方か分からない相手なので、ジェイドは体を強張らせて相手を見つめた。
「あの男は完全に狂ってるな、まさかイワノフにまで手を出すとは……」
(あの男って、あの丸坊主のことかな?)
首を上げジェイドが隣の部屋を眺めたのが見えたのか、フェヴァンは「アイツではないよ」と教えてくれた。
「ダーンベルグだ」
(市長!?)
「あの男が歪んだ情欲を持っていることは何となく気付いていたが、まさか殺人まで犯すとは思わなかった。その上、この事件で街が賑わうのが嬉しいのか、懸賞金まで出したというじゃないか」
狐顔の市長を思い出したジェイドは、あの初対面での気持ち悪い印象が見間違いではなかったと知った。
「知り合いが殺されたと聞いて急いで戻ったのだが、どうやら標的にされてしまったようだ」
椅子に座るフェヴァンをじっと見る。どうやら彼は座っているのではなく、自分と同じように拘束され座らされているのだと気がついた。
「ダーンベルグにしてみれば一石二鳥だったのかもしれない。あの男はこの街の財政を食い物にして私物化しようとしているから、わたしが邪魔なんだろう。
今度、君の父上と大きな事業をする予定なんだ。ソフィニア近郊の流通を一元化して、諸外国との交易を増やそうと思ってね。こんなことがなければ、きっと君とは城で会えただろう。来月からあの城に滞在して、しばらくお父上と計画の打ち合わせをするはずだったから。
君には一度会っておきたかったんだよ。実はわたしも君と同じで庶子でね、君がきっと辛かっただろうことは分かる。今後、イワノフとの繋がりが深まるようなら、色々と相談にのってあげたいと思っていたのに、残念だ」
フェヴァンは小さなため息を漏らして、残念な気持ちを表現した。
「残念なのはもう一つある。わたしの大切な人がこの先どうなるのかが気がかりなんだよ。彼女が幸せに暮らせるならそれでいいのだが、両親と弟を殺され、わたしがもし君を殺した犯人に仕立て上げられたらと思うと……」
哀しみでフェヴァンが言葉を詰まらせたのかとジェイドは思った。しかしそうでなく、彼はジェイドの足がある方向、坊主がいる部屋とは反対側に注目しているようだ。
何事かとジェイドも曲げていた足を伸ばしてそちらを見る。
そこには扉があり、今まさに開かれようとしているところだった。




