第25話 (ユーリィ)
クロエはユーリィの横に腰を下ろすと、「何が聞きたいの?」と優しく尋ねてきた。
フェヴァンの件は既にクロエから聞いている。聞きたいのは、その男と市長の関係だった。ダーンベルグはフェヴァンという人物が悪徳商人だと言わんばかりの話を並べ立てていた。あれがわざとなら、何か裏にあるのかもしれないと思ったからだ。
しかしヴォルフに黙っていたことがバレるのが嫌で、ユーリィは口籠もった。すると代わりにヴォルフが尋ね始める。
「貴方のご家族とフェヴァン氏の交流について聞きたかったんですよ」
するとクロエは困惑した表情を浮かべながら、
「あら、それなら、もう坊やに話したわよ?」
「え?」
ヴォルフの鋭い視線を感じながら、ユーリィはテーブルの端を指で撫でた。
「本当か?」
「え、うん、まあ……」
「君はどうしていつも、俺に何も言ってくれないんだ?」
「言う機会がなかっただけだよ」
「機会の問題じゃなくて、気持ちの問題だろ?」
「違うよ、ヴォルフはすぐに怒るから」
「それは……」
途端、ヴォルフの顔に哀しみが浮かぶ。さっきのことを思い出したようだ。もう忘れたいし忘れて欲しいのに、まだ引きずっている彼にユーリィは困り果てた。
ヴォルフに乱暴されそうになった時、恐怖で体が硬直した。あれはたぶん、兄エディクに虐められた頃と同じ気持ちだ。忘れたい過去が蘇ってくるようで怖くて堪らない。だからヴォルフにももう二度とその話はして欲しくないのに。エディクのようにヴォルフを嫌いにはなりたくない。忘れて欲しいのに、どうして分かってくれないのだろうと、ユーリィは唇を噛みしめヴォルフを睨んだ。
「ちょっと、二人とも落ち着いて」
どうやら喧嘩と受け取ったらしいクロエが割って入った。
「聞きたいならもう一度話すから。両親と弟がフェヴァンさんのお屋敷を出た後に居なくなったのは本当よ」
「そうだったんですか」
気を取り直したのか、ヴォルフが穏やかな声で返事をした。
「でも、坊やが聞きたいのはそのことじゃないわよね? あ、坊やって呼ぶのもちょっと失礼ね。お二人ともお名前は?」
「俺はヴォルフ・グラハンス。こっちは……」
「ジェイド・スティールです」
ユーリィは慌ててヴォルフの言葉を遮った。
誘拐されているのがユーリィ・イワノフである以上、自分はジェイドにならなければならない。クロエを疑うわけではないが、信用できる相手だと確信がない限り、手の内は見せられない。
「そ、そう、ジェイドだ」
ヴォルフもそれを悟ったのか、曖昧な口調で合わせてくれた。
この場はそれで凌げるだろう。けれどジェイド本人が気付いてくれるかが気がかりだった。もしジェイドが敵に自分がユーリィ・イワノフではないと知らせてしまったら、もう手の施しようがないのだから。
「それで何を聞きたいの?」
「あ、うん。ええっと今日、というか昨日、僕達は市長と会ったんですけど……」
「ダーンベルグさん?」
「うん。その時、フェヴァンさんのことを話したら、なんかスゴく悪く言っていたので、もしかしたら二人は仲が良くないのかなぁって」
自分でも「気持ち悪っ!」と文句を言いたくなるほど幼い感じで話してみた。ついでにちょっと小首も傾げてみる。前に座るヴォルフが辛辣な視線を送ってきているが、完全に無視。僕はジェイドだ、僕はジェイドだと呪文のようにユーリィは心で唱えた。アイツを助けるためなんだから、それぐらい許してくれるだろう、と。
「フェヴァンさんが市長さんと何かあったとは聞いてないわ」
「そうなんだ」
「あ、でも……」
何かを思い出すように、クロエは眉を寄せた。
「でも?」
「一度、フェヴァンさんに言われたことがあるの。カミーユを ――弟のことだけど―― 屋敷には近づけさせないようにって。てっきり弟が嫌いなんだと思って怒ったら、“どこで誰かが見ているか分からないから”って言ってたわ。彼、何故か市長の家を睨んでいた気がするの」
その時、彼女はフェヴァン邸に居たことも分かり、言葉の端々から二人の関係も感じられた。ユーリィはクロエが人のものだと知って、ヴォルフがガッカリするのではないかと思ったが、どうやら彼は平気なようでサラッと受け流している。
(金髪だったら凹んでたかなぁ……)
今はそんなことを考えている場合ではないのは分かっているが、妙齢の女性の前でヴォルフがどんな気持ちになるのか妙に気になる。もしもヴォルフがそういう女性 ――しかも金髪の―― に出会ったらあんな乱暴を働こうなんて考えず、あっさりと消えてしまうだろうなと思うと、ユーリィはホッとするような、ちょっと寂しいような気分になっていた。
「どうした?」
変なことを考えて呆けていたらしく、ヴォルフが不思議そうな眼でこちらを見ている。ユーリィは慌てて首を振り、「何でもない」と答えてからクロエの方へと向き直った。
「カミーユさんって、もしかしてクロエさんに似てた?」
「わりと似てたかな。でもどうして?」
「きっとハンサムだったんだろうなって思っただけ。なるほど、そういうことか」
全てが繋がったとユーリィは確信した。
 




