第10話 (ユーリィ)
常宿に戻るまでの途中には、昨日ヴォルフ達と行った噴水公園がある。食べたくもない料理を無理やり腹に収めたので、その腹ごなしにユーリィは公園を散策した。
昔は整備されていただろう公園は、今は小汚くなっている。道には雑草が生え始め、花も野草化している。しかし通り過ぎる人々は、悲惨な事件が続いているというのに案外のんびりとした顔をしていた。
しばらく歩いた後、ユーリィは噴水近くに並ぶベンチの一つに腰を下ろした。木々の間から小鳥が一羽飛んでいく。ベンチの直ぐそばにある花壇には、雑草達が小さな花弁を付けていた。
(厄介なことになっちゃったな……)
こんな面倒なことになるとは思ってもみなかった。二、三日中には片が付く予定でいたのに。
食堂にいた彼女と直接会話を交わしたのは今日が初めてで、名前すら分からない。“親が死んで哀しい”と話していたのを聞いて、その寂しげな様子に少し惹かれただけだ。だから仲良くなろうなどとは考えもしなかった。
ユーリィがわざわざヴォルフを呼んだのは、自分はもう過去とは決別したのだと見せつけたかったからだ。ついでに彼が抱く自分への邪な感情も消し去ろうと、綺麗な女性に興味を持った姿を見せつけるつもりだった。あんな綺麗な女性なら、ヴォルフも諦めるだろうと思ったのは、今考えれば浅はかだった。
案の定、ヴォルフはあまり信じてくれていない。その上、出会って早々キスを許してしまった。すっかり慣れてしまった行為に嫌悪感が薄くなっている気がする。それだけでも最悪なのに、自分に重大な問題があることにも気づいてしまった。
(そういえば、女の子と話したことがないや……)
今までまともに会話をした女と言えば、乳母、義母(常に威圧されていたが)、母、召使い一人、年増の家庭教師、そして母親のキャラバンにいたエルフの少女たちだけ。そのエルフも見掛けは少女だが二倍近く年上だった。今日だってたまたま彼女から話しかけてくれたから良かったものの、そうじゃなかったら何も得られずにここに座っているに違いない。
改めて自分が今まで普通の人生を送ってきてないのだと実感する。十六年の間、身内以外で話した女性が殆どなく、それどころか親しく会話をした者すら十人以下というのは、きっと普通ではないのだ。
十歳まであの城を出たことがなかった。初めてソフィニアを訪れた時は、父親と一緒に馬車で通り過ぎただけだった。あの時は、この世の中にこれほど人がいるのかと驚いたものだ。
ジプシーの実母がソフィニアで妻子のいる父と出会って身分違いの恋に落ち、やがて身籠もった。けれど生まれ落ちたその日に、ユーリィは跡継ぎとして父の元へと連れ去られた。それはひとえに兄エディクは生まれながら病弱で、二十まで生きられないと言われたからだ。跡継ぎとして連れてこられたものの、五歳まで塔に幽閉され、義母と兄に執拗なイジメを受け続け、この世に存在することすら罪だと感じていた。
しかし最近、ようやく生きている実感を持つことが出来た。暗い過去から解き放たれた喜びも感じることもできる。しかし心のどこかに、それだけでは物足りない訴えている自分がいた。
もう少し人と交流した方がいいのだろうか。けれどこんな自分と交流したいと思う人間など、変人のヴォルフぐらいしかいないという諦めもある。やはり一人の方が気楽だと思い直す。
幽閉されていた頃に比べれば、世渡りも旨くなってきている。危険な事も沢山あったが、その都度うまく乗り越えてきた。けれど同じ年頃の人間とは話したことも無く、ましてや友達など一人もいなかった。たぶん一生自分には無縁なことなのだとユーリィは思っていた。
(それに、ジェイドには嫌われてるしなぁ)
優しく笑えとヴォルフは言うが、表情が乏しい自分がそんな微笑みを浮かべたら、何か企んでいるようにしか見えないじゃないか。
どうせ嫌われているんだからと言う諦めもあるし、好かれるはずがないという確信もある。こちらはこちらで気に入らないことが多々あるから、明るく会話をするなんて出来そうもない。せいぜい怒らせない程度に会話するだけだ。
(そういえばダーンベルグってどっかで聞いた名前だけど。しかもなんか嫌な感じがする名前だ。もしかしたら別のダーンベルグかな)
そんな名前の犯罪者がいるのかもしれない。
(ジェイドに聞いてみよう)
無難な会話が見つかって、ユーリィはちょっと楽しい気分でしばらく行き交う人々を眺めていた。
どれくらいそうしていただろうか。 突然、見ず知らずの男が声をかけてきた。
「ねえ、君、誰か待ってるのかい?」
(またか……)
どうも最近、この手のことが多くなってきた。前々回ヴォルフと別れてから徐々に増え、前回別れた時以後は、ほぼ毎日こうして声をかけられるのだ。
確かに他人との交流をしたいとは思っているが、こんな出会いはヴォルフだけで十分だ。ユーリィは男を睨め付けると、無言で立ち上がり歩き始める。背後で男が何かを叫んだようだが、耳に入れる気すらおきなかった。
(くそっ、何だって言うんだ。僕が誰かを待ってたら悪いのか?)
さっきまでの嬉しさが半減したことにガッカリしながら、ユーリィは公園を後にした。




