第21回
とうとうこの日が来てしまった。俺が緊張しても意味が無いのだが、当の相樹さんの緊張は相当なものだろう。
後援会として俺達もこの生徒会選挙に参加し、相樹さんのアピールをする役割があるが、生徒会長になっての抱負などを話さなければならない相樹さんは落ち着き無く、先ほどから歩き回り何度も深呼吸をしている。
「やっぱり落ち着かない?」
「あ、夕日さん。はい……やっぱり落ち着きませんね」
少しでも緊張を解きほぐすために何かと声を掛けているのだが、逆にプレッシャーを与えているのではないのだろうかと一人、その行動に疑問を持つ俺。
「でも、もう少し自信出してもいいんじゃないかな?」
相樹さんはやる事はきちんとやってきた。朝早く校門に立って、マニフェストたるものを言ったり、放課後は運動部や文化部に売り込みに行ったりと行動していたし、彼女の性格の事だから夜遅くまで原稿の見直しなんかをやっていたのだと思う。
それだけ頑張っていたんだから、もう少し自信を持ってもいい筈なのだが。
「そうだ、何か飲み物でも買いに行こうか?」
「い、いえ……あまり喉も渇いていませんので……」
そう言うものの、声は少し掠れているが、本人が渇いてないの言うので余計な事はしないでおこう。
今更だが、今相樹さんと俺が居るのは体育館近くの会議室。流石に選挙会場である体育館でウロウロと歩き回ったり、喋ったりなど出来るはずない。選挙関係者である俺たちが此処に居るのはサボりではなく正式に教師たちの指示を受けたからである。
東高校の生徒選挙は体育館で、立候補者が教壇に立って演説するのだが、対候補者はその場に居てはならないというルールがあるらしい。恐らくこれは咳払いなどによる演説妨害がないようにと選挙管理委員が決めたルールなのだろう。相手の視線を気にすることなく演説できる事はいい事だろうが、逆に待機時の心労は大きくなる。相手が何を言って、どんな反応を受けているというのは本人にはわからない。
今日一日全ての授業が生徒会選挙で、この選挙で一番注目されている会長ポストの演説は午後から。つまり、後援会代表の俺と相樹さんは午後までずっとこの教室で待機していなければならない。
「にしても暇だなぁ。中留御とかはうらやましいって言っていたけど、流石にこうも暇だとね……」
「…は、はい……」
相樹さんの緊張を少しでも解きほぐそうと会話を振ってみるが、あまり盛り上がらない。それに相樹さんの返事はどこか力なく、話を聞いているのかすらあやしいものだ。
「そうですよね……ずっとこの部屋に居るのもひ……」
大きな音を立てて、相樹さんが地面に横たわる。
「あ、相樹さんッ!?」
慌てて駆け寄ると、相樹さんの顔色は悪く、辛そうに表情を歪める。咄嗟に周囲を見渡してみるものの、傍に教師など居るわけが無く、俺と相樹さんだけ。
一体どうしたんだってんだよ!
相樹さんを抱えて俺は保健室に直行する。俗にお姫様抱っこと呼ばれる抱え方で保健室に直行する。
無人となった二年の教室の前を通り、階段を駆け下りて、保健室へとたどり着く。これでいつもどおり教室に人が居たなら、間違いなく関心を引き、色んな人の注目を浴びただろう。本当に皆、体育館に居て目立たなくて本当に良かった。
「先生ッ!」
「保健室は静かにしなさい。大方、生徒会選挙での貧血だろう。って、椅子に座ってるからそれは無いか」
回転する椅子に座ったまま入り口の方へと身体を向ける保険医。ブラウスの上に白衣といった科学教師のような姿をしていて、このような場所と縁の無い俺はつい最近までこの女教師が保健医だとは知らなかった。
「まぁ、とりあえずその子をこっちで寝かせな」
保健室前の廊下には喫煙による肺への悪影響を訴えるポスターが貼られているにも関わらず、少し若い保健室の先生の胸ポケットには箱が入っていて、尚且つ口にはパイポが咥えられている。そんな意味の無い観察を行なっている俺を置き去りにして、ベットのカーテンを開けて相樹さんを寝かす準備を始める保健医。
「あら、この子生徒会長立候補の相樹ちゃんじゃないかい」
保険医が相樹さんのブレザーを脱がしていたので俺は急いで回れ右。その場の状況などを説明する。
「あぁーそうだねぇ、熱はないし、大方選挙のプレッシャーと寝不足だろうね。どうせ演説は午後からだから午前中、此処で休んでたら回復するよ」
「あぁ、そうですか。じゃぁ、後は……」
「ちょい待ち」
その場から立ち去ろうとする俺のYシャツの首元を掴まれ、みっともない声が漏れる。
「な、何をするんですか、一瞬綺麗なお花畑が見えたじゃないですか……」
「見ただけならまだまだ。実際にお花を摘み始めたらやばいけどね」
パイポを咥えたまま笑う保健医。口から漏れる吐息でパイポが上下に激しく揺れる。Yシャツの首元を直している俺を見据えて保険医は口を開く。
「あんたが目が覚めた時、傍に居なくてどうするね? 私はこれから一旦職員室に行くんだけど、あんたは此処に残ってその子の様子を見たり、此処にきた人の応対をやっておいて頂戴」
半分ぐらいは確かに納得できるが、残り半分はあまり納得できない。要するに職員室に休憩に行くんじゃなかろうか、この人は。
「なんだい、その目は。あぁ、濡れたガーゼとかそこら辺にあるから、寝込みを悪戯するのはかまわないが、ちゃんと後処理はするんだよ?」
「誰がそんなことしますか!?」
俺の疑心に満ちた視線は保健医にはそのように受け止められたらしく、大いに笑ってその場を後にする。
とりあえず俺の意思は全くもって聞き入れられてないな。どうしてこう、東高校の教師らは俺の意見を全く聞いてくれないんだろうか。
規則正しく時を刻む壁掛け時計の音を聞きながら、保健室内に張られている掲示物や、日ごろまじまじと見れない消毒用具などを眺めながら相樹さんが目を覚ますのを待つ。もし、このまま目が覚めないのであれば、十二時になったら起こしてみるか。
壁掛け時計の針は十一時四十分を指している。保健室に駆け込んだのが九時五十分ぐらい。一時間半ほど眠っている相樹さん。よくその間俺はこの何もない保健室内で時間を潰したな。
自分で自分を褒め称えながら眠っている相樹さんの顔を覗き見る。
こうして間近で相樹さんの寝顔を見ると、やはり連日あまり睡眠をとってなかったと言う事が窺える。目の下には目立たないものの、薄っすらとクマの後があるし、デコのあたりも少し肌荒れをしているようだ。
「うぅん……」
寝顔を見られるのを嫌がるように相樹さんが寝返りをした後、右手で目を擦る。
「気分はどう?」
「……」
まだ頭が眠りから覚めていないのか、虚ろな視線で俺を数秒眺めた後、慌てて周囲を見渡す相樹さん。そんな彼女の行動が可笑しくて声を出して笑いそうになる。
「ゆ、夕日さん!? こ、此処は!」
「保健室。急に相樹さん倒れちゃうからびっくりしたよ」
ひたすら俺に謝罪の言葉を並べる相樹さんをなだめながら、どれぐらい寝ていたのかという事を説明して落ち着かせる。
時計の針は十一時五十分を指していて、あと少しすれば体育館から腹を空かせた野獣どもが一斉に食堂を目指すだろう。そうなる前に食料でも確保しておこうか。
「ちょっと俺食堂でパン買ってくるけど、相樹さんはお弁当? それだったら買ったついでに教室から荷物持って来るけど?」
「今日はお昼は……」
食べないという意図を込めて相樹さんは首を振る。
「そ。じゃぁちょっと出てくるね」
俺は保健室を後にして食堂でパンを購入する。目の前に色々と並べられた菓子パンが目に留まる。
「あ、おばちゃん、これとこれも」
「そんなに食べるのかい? 八百円ね」
おばちゃんにお金を手渡し、俺はパンを両手に抱えて保健室に戻る。
「はい、相樹さん。パンはこれとこれでよかった? あと飲み物はお茶だけどいい?」
「ゆ、夕日さん……これは頂けませんよ……」
相樹さんは困ったような表情を浮かべ、目の前に並べられた三つのパンと、お茶に戸惑う。
「腹が減っては戦は出来ぬってね。それに俺こんなにパン食えないし、遠慮要らないから食べちゃってよ」
「す、すいません……御代は後日……」
「いいって、これぐらい」
どうも律儀な性格のようで、テレフォンカードの件もそうだし、あまり人に奢られるというのは好きじゃないらしい。
保健室での飲食は禁止されていそうだが、これぐらい大目に見てもらうことにして、相樹さんと食事を楽しむ。
昼休み、中留御らが押しかけて来るって思っていたのだが、中留御らは相樹さんが倒れた事を知らないのか、それとも気を利かせてくれたのか、訪ねてこなくそのまま午後の授業開始のチャイムが鳴り、周囲が静かになった。
相樹さんも準備があるだろうから、保健室を後にして、元の待機場所の会議室に戻る。
倒れた事で時間を無駄にした事を気にしているのか、出番が近くなった事で緊張が高まったのか、相樹さんは落ち着き無くまた歩き回る。
「今こんな事言うのも変だけどさ、相樹さん、そのさ……選挙の結果がどうであれ、これ全部終わったら愛好会に入らない?」
「え、いいんですか?」
「大歓迎だよ。流石に生徒会長ともなれば、そう毎日顔出すって事は無理だろうけど、時間の都合の出来た時にでも顔出してくれればさ。それに学校だけじゃなくって、日曜とかも集まって遊んだりするんだけど、その時に声掛けてもいいかな?」
俺自身、なんでこんな事を言い出したのか解らないが、少なくとも愛好会の活動を聞く相樹さんの表情は明るく、選挙のプレッシャーなどを一時忘れているようにも見えた。
「そうですね……選挙が終わったら、前向きに考えてみますね。そろそろ準備の時間です、夕日さんよろしくお願いします」
可愛らしく頭を下げ、相樹さんは前もって書いていた原稿をもう一度読み直す。
「相樹さん、頑張って。少なくとも俺は相樹さんがどれだけ頑張ってきたかを理解しているつもりだし、少しでもそれが皆に伝わるようにアピールするからさ、相樹さんもリラックスして、後悔のないように精一杯頑張ろうか」
「夕日さん……はいそうですねっ!」
元気よく、ガッツポーズをし、相樹さんと俺は会議室を出る。
体育館の扉を前にして、今更ながら震えがくる。今から体験した事のない舞台に俺たちは立つ。
『以上で終わります!』
厚い壁の向こうから聞こえるミナサンブの声。それに続くように拍手が巻き起こる。
ちらりと相樹さんの表情を覗き見るとやはり強張っている。
「相樹さん」
「は、はい!?」
緊張して頭の中が真っ白にならないか心配になるほど、相樹さんはあがっていた。
「帰り、帰りどっか食べに行こうか?」
「え? え?」
「じゃ、そういうことだから、何処に行きたいか考えておいてよ」
戸惑う相樹さんを置いてけぼりにして、俺は体育館の扉を開ける。
体育館の扉から壇上まではおおよそ十歩程度。ずらりと並んだ生徒達の視線の半分ぐらいを集める事になる演説。ガチガチに緊張した相樹さんの背中を叩き親指を立てる。相樹さんは一度頷いて堂々と、壇上に上る。俺もそれに習い、壇上に上る。
「えー生徒会長立候補の相樹 林さんです」
司会の選挙管理委員が持ち時間の事などの説明を始める。勿論、俺たちはあらかじめ持ち時間の事なんかも聞かされていたし、今更聞きなおす必要も無い。持ち時間終了三分前に終了が近い事を知らせるベルが一回。持ち時間終了の合図となるベルが三回鳴る。持ち時間さえオーバーしなければどうとでもなる。
今思えば、この司会、立候補者が変わるごとにこの説明をいちいちしていたのだろうか? となると、ぱっと見三割強ぐらいの人間が別の世界に旅立っている理由が頷ける。
しっかし、壇上の上って結構見通しいいのな。えっと、俺んとこのクラス、Aクラスはどこだろう? あっちが二年、一番奥が一年か。お、居た居た。
俺の視界に中留御や松木、早田などが映る。案外寝てそうだったんだが、皆起きてるな、Aクラスの奴ら。案外真面目な奴が多いんだろうか?
「と、言うわけで、後援会の日之出 夕日さん、生徒会長立候補の相樹さんのアピールをお願いします」
ちらりと背後の壁を見てみると、書道部が書いたのだろうか墨汁で大きく『日之出 夕日』と俺の名前が書かれてある。文字のサイズ、紙のサイズでは相樹さんに負けているが。そもそも、後援会の名前が生徒会長立候補者の名前より大きいなんて聞いた事無いが。
俺の持ち時間はおおよそ十分。この時間をフルに利用して相樹さんのアピールをせねば。何度も練習したんだ、その通りにすればきっと大丈夫。
「相樹 林さんは責任感が強く……」
手元に用意した発表原稿を読み進めていく。大丈夫、簡単な漢字にも自分で読み仮名振っておいたし、間違えることが無い。
最初は恥ずかしさで身体が暑かったのだが、開き直ったのか、慣れたのか解らないが、だんだん視線とかが気にならなくなってきて、ただひたすら原稿を読み進める。
「そういう訳で、この東高校の生徒会長には相樹 林さんが相応しいと思います」
原稿の最後を読み終えると、タイミングよくベルが鳴る。
……一回だけ!?
司会が鳴らしたベルは終了三分前のベル。
知らず知らずに読み上げるスピードが上がっていて、予想よりも遥かに早く演説が終わってしまった。
相樹さんをアピールする俺が七分で演説を終えてしまったなら、俺の演説を聞いた人間が相樹さんに持つイメージが悪くなってしまうんじゃないだろうか? アピールする事が少ないなんてその程度の人間だって思われるんじゃないんだろうか。最低でも持ち時間ギリギリまで喋っていたほうがいいんじゃないだろうか。
短い時間でそんなことを咄嗟に考え、俺は相樹さんの方を向くと相樹さんは俺に笑顔をくれた。相樹さんも俺の原稿の内容を知っているし、俺の演説が終わった事もわかっている。
相樹さんは良く頑張ったと笑顔をくれたんだろうが、それは俺にとってもっと頑張れっていう風に受け止めるぜ!
……原稿は無いけど、俺にできる事を最後までやってやれ!
「最後に、少しお話を。皆さんも知っているかと思いますが、私は相樹 林さんの後援会として此処に立っています」
今壇上に立っている俺が後援会でなければ、一体何なんだというツッコミを俺の話を聞いていた誰もが思ったであろう。
「私は後援会になる前まで、相樹さんとは顔見知り程度でした。中学校が一緒でも、同じクラスになったことも無かったし、相樹さんが中学校の頃生徒会をやっていたようですが、私は始業式などの時は寝ていましたし、全く記憶にもありませんでした」
俺の告白で少しざわめく会場内。かまわず俺は話を進める。
「なし崩し的に後援会になっちゃった訳ですが、私は後悔はありません。確かに選挙活動は大変でしたけど、それ以上に一緒に活動した愛好会、相樹さんらと活動の方が面白かったです。今こうして思う事は相樹さんの後援会になってよかった、そう思います。実際、活動の時にお邪魔した部活動の部員の方は、朝、相樹さんが選挙活動を行なっている時、何気なく声を掛けてくれましたね」
一呼吸おいて辺りを見渡し、大きく息を吸い込む。
「相樹さんには何処か心配な所もありますが、そういうところがあるから、何処か惹き付けられると思います。相樹さんが生徒会長なら、必ずこの東学校を変えてくれると俺は信じてます、相樹さん!」
俺が言葉を言い終わると、誰が率先して始めたのか解らないが、拍手の嵐が舞い起り、その拍手が止むと終了を知らせるベルが三回鳴った。
自分にできる事は終わった。
俺は静かに壇上の席に戻り、演説を始める相樹さんの背中を見つめていた。
もう少しでようやくおりかえしです。最近寒くて寒くて何にもする気にならない今日この頃。冬は嫌いです。今回もお付き合いただき、ありがとうございます。