第18回
まだ十七時回ったぐらいだというのに、もう日は沈みかけ周囲は薄暗く、冬独特の空気の匂いがする。そんな状況で俺はチャリ小屋で相樹さんが来るのを待つ。
相樹さんが去る前に言い残した、話したいことは何だろうと考えながらポケットに手を突っ込む。すると、行った時と同じように、図書館の方から相樹さんが駆けて来る。
「お、お待たせしました……」
肩で息をしながら、相樹さんは両膝に手を付いて息を整える。
「いや、そんなに急がなくても良かったのに。俺は結構暇人だからさ、時間はたっぷりあるんだよ」
「いえ、お気にせず……」
息が整ったのか、相樹さんは歩きながら話しましょうと言ったので、マイフェラーリを押して相樹さんと並んで歩く。
わざわざこうやって二人きりで話すことだから、相当なもんだろう。一体何を話すつもりだろうか?
「先ほどの事ですけど……」
あ、そうか。さっきの演説を滅茶苦茶にして、半ば強制的に切り上げさせた事なんだな。選挙期間は限られている、それを邪魔されたんだ、軽く謝ったけど、それだけじゃ済まないよな。
「ごめん、マジで野次馬みたいな奴らがシャリ出て、限られた大事な時間を減らしちゃって……」
精一杯、謝罪の気持ちを込め頭を下げる。
「い、いえ、そういう事じゃなくって、あ、頭を上げてください……」
田中先生と同じぐらい慌てっぷりで、相樹さんは俺の肩を持ち上げるように軽く押す。
「あっ……」
そう呟くと、指先に静電気が走ったかのように相樹さんは手を引っ込める。
…どうやら、先ほどの事についての文句ではないようだな、それじゃぁ一体何なんだよ?
「え、えっと……少し話してもよろしいでしょうか?」
「うん」
これは本人から話を聞くしかないようだな。
「私、本当はこの選挙、出る気じゃなかったんですよ」
「それじゃぁなんで立候補なんか?」
普通、生徒会長になって、内申書にプラスになることを書きたいとか、学校生活を変えたいって人が立候補するもんじゃないか? まぁ、学校生活を変えたいってか、面白くしたいって言って訳の解らん愛好会を立ち上げた奴は、そういう立場に立ってまで学園生活を変えたいとは思っていないようだが。
「中学校で私、生徒会役員をやってたんです。それでこの学校に推薦入学で入ったんで……先生から、お前は、中学校の頃生徒会やっていたみたいだから、立候補者が一人しか居ない生徒会選挙に出てみないか? って言われて、最初は同じ書記とかそんなんだろうって、思ってましたけど、実際生徒会長って聞いて……」
「なし崩し的にそうなっちゃったんだね。やっぱ、生徒会長とか荷が重い?」
「はい、実際中学校の頃も、書記って言っても、会議の案が出たりしたのをホワイトボードに書いたり、記録したりするのが仕事だったんで、生徒会長みたいに話を進めたり、人前で話をするのはちょっと私じゃ無理じゃないかなって……」
まだ、選挙も行われていない時期に、此処までマイナス思考で考えてんな。いや、それもそうか。俺も同じ立場だったら、きっと、やりたくねーって、松木や早田に愚痴を漏らしてるだろうし。
「じゃー辞めちゃえばいいじゃん?」
「や、辞めるんですか!?」
俯き気味だった相樹さんが顔を上げ、俺を見つめる。
「そ、やりたくない事無理にやって、高校は生徒会やって、ずっと面白くなかったーって、卒業して友達とか、卒業後に出来た友達にそんな話するより、生徒会立候補を途中で投げて、やりたい事やって滅茶苦茶楽しかったー。って言えたほうが良いんじゃない?」
「そ、それは……」
何か思うところがあるのか、相樹さんは黙り込む。
「あ、あのっ!」
急に声を張り上げ、俺を見る。
「日之出さんは、今の部活って楽しいですか!?」
急に愛好会の事を振られ、少し戸惑う。
「あれは部活って言えないよ、ただ集まって、喋るだけだし。活動っぽい事だって決まってないしさ。いずれこの生徒会選挙が終われば、部活動の見直しで潰されそうだしね」
仮にも、生徒会長のポストに立候補している相樹さんにそんな事を言うのは躊躇われたが、包み隠さず全てを言った。
「でも、人数も集まってますし、そんな事を言っても、やはり、やることをやっているんで、人が集まってるんじゃないんですか?」
「あれは中留御が集めてきたんだしさ、友達同士の集まりだよ」
「それでも、楽しそうに笑ってます……」
そう言うと、相樹さんは俯き、また言葉が途切れる。
「まー、実際楽しいんだけど、いつまでもあのままって訳にはいかないだろうな、集まって話すだけなら誰にだって出来るしさ。やっぱ部室を使うんなら、それ相応の働きもしなきゃいけない、ってのはわかってるんだけどさ、何をすれば良いかが……ね」
「私は、そうやって笑って毎日を過ごしてるって事が羨ましいです」
「羨ましい?」
「はい、私昔から人付き合いが苦手で、周りから『硬い』って結構言われるんですよ。ほら、私携帯持ってないですし、必要とも思わないもので、あまりクラスメイトとも話題合わなくて……」
一見友達多そうに見えるんだけどなぁ。
「じゃー愛好会に入ってみる? あとほんの一ヶ月ぐらいしか、あの会室で集まって、お馬鹿な話するって事無いけど」
「い、良いんですか!?」
「一応俺副会長だしよ、中留御だって、集まりのメンバー増えるんなら、大喜びだろうよ」
俺の答えに何やらホッとした表情を浮かべる相樹さん。
「でも、さっきから期限が限られている様に言っていますけど、学校側から、早く会室を空けろとか言われてるんですか?」
「いんにゃ、さっきも話したと思うけど、生徒会選挙が終わればさ、大抵の会長が、部活の部室とかの改善から入るらしいじゃん。それで、実績の無い、訳の解んない集まりである俺らは、悪くて集まり解散か、良くても会室取り上げにはなるだろうし」
自分で口にして思う。おおよそ半年、中留御の元で馬鹿騒ぎしてきた愛好会が無くなるかも知れないって、そう思うだけで何処か寂しい気持ちになる。
「わ、私が会長になったら、部活を潰すとか、部室を取り上げるとかしません!」
俺を慰めるためか、相樹さんは力強く宣言する。
「でも、相樹さん……会長はしたくないって……」
「日之出さんの話聞いてたら、なんか、自分のやりたい事をやってみたいって思うようになってきたんです! 私、生徒会長やって、それを通して、色んな部活の人や、同級生や先輩と笑いたい、触れ合いたいって思うんです、そんな、自分勝手な考えで会長をやるのは……駄目ですよね?」
もし、仮に相樹さんが生徒会長になって、そんな風に動いたら学校は……。
「いや、俺はその考えがあっても良いと思うよ? そんな学校寄りの生徒会長より、生徒寄りの会長の方が良いと思うし」
「でも……」
また相樹さんが黙り込む。
「やっぱり難しいよね」
慰めるような言葉を掛けつつも、俺はミナサンブのようなのが会長になるよりも、相樹さんが会長になった方が良いって考えていた。
「は、恥ずかしい話、私、皆三部さんみたいな選挙活動を手伝ってくれる人が居ないんです」
「えっ!?」
ちょっと待て、普通もうこの時期手伝ってくれる人が居るもんじゃないか!?
「先生からは、すぐ見つかるだろうって言われて、実際人に頼もうとしたんですけど、部活やアルバイトを邪魔しちゃ悪いですし、なかなか声を掛けられなくて、そうしているうちに選挙期間になってしまい、先生には申し訳なくてその事を言い出せなくって……」
相樹さんの肩が震える。もう少し、自分で言葉を言ってしまえば、涙が零れ落ちそうな彼女をどうやれば落ち着ける事が出来るかわからなくて、俺は一人、自転車の前輪を見つめ、無言で歩き出す。
「ッ!?」
不意に、今日の帰りがけ、田中先生が言っていた事を思い出す。
俺が相樹さんの選挙支援員になるって、言っていたよな、それで先生から褒められたって。と、なると、その話は教師の中ではある程度知られている事なんじゃないか? それなら……。
「あ、相樹さん……」
ビクリと身体を震わせ、相樹さんが顔を上げる。その表情は何処か寂しげで、この先、支援員をどうやれば良いのかって不安があるのがわかる気がする。
「あ、あのさ、俺今日担任の先生からこんな事言われたんだ」
掻い摘んで、幼馴染とかそういう単語は外し、相樹さんに田中先生から言われたことを伝える。
「えっ、じゃ、じゃぁ……あの時の会話、そんな風に勘違いされて見られていたんでしょうか!? す、すいません!」
何度も頭を下げる相樹さん。
「こ、こうなったら……俺手伝おうか?」
別に愛の告白をしているわけではないのに、声が上ずる。
「えっ……」
本日何度目になるか解らない、驚いた表情を浮かべて、相樹さんは俺を見つめる。
見つめられ、顔を反らしそうになるけど、俺はしっかりと相樹さんを見て、顔を反らさないようにした。
「い、良いんですか!? ほ、ホントに……?」
「あー、その、俺だけじゃ心細いってか、頼りないかも知れないから、中留御とか、愛好会のメンバーに手伝って貰う事になるだろうけど、それでもよければ……」
相樹さんは俺のブレザーの胸元を掴み、何度も頭を下げる。
「すいません、有難うございます、有難うございます……」
今にも泣きそうな相樹さんを落ち着かせる。
気が付けば、歩きながら通学路の三分の二を歩いて帰ってきた事に気が付く。
「あ、相樹さんはそういえば帰りの方向、こっちで良いの?」
本当に今更だが、そんな事を聞く。
「あ、私の家、東市ですから、こちらで良いですよ」
あれ、東市って……俺と同じ?
「もしかして相樹さんって東中?」
「え、そうですけど?」
うっそ、相樹さん東中の生徒だったの!?
「ご、ごめん、同じ中学なのに全然知らなくて……」
「同じクラスになった事無いんで解らなくても当然ですよ」
あ、それでクラスに訪ねて来た時も、俺の名前知っていたのか。
本当に仲の良い奴しか名前を覚えない自分が情けなくなってきた。相樹さんはクラスが別でも、同じ中学から東高に行った俺を覚えていたのに……。
「結構日之出さん、中学校じゃ有名でしたから……」
「お、俺そんな目立つような生徒じゃなかったのに?」
「こっちの話です」
相樹さんが腕につけた、可愛らしい女物の腕時計を眺め、少し顔を強張らせる。歩いて返ってきた所為か、時間がヤバイのだろう。
「時間ヤバイ?」
「え、はい……」
「えっと、家は何処の近く?」
「東中の坂を下ってわき道にそれた所辺りです」
頭の中でその地図を思い浮かべる。俺の家から少し遠いが、何とかなるだろう。周囲も暗いし、女の子一人で家に帰すのは抵抗あるし。
「じゃ、ハブ付いてるから、自転車の後ろ乗って、家まで送るよ」
自転車の二人乗り用の足載せの部分を自転車の後輪部分に付けている俺のマイフェラーリは最大二人まで乗せる事が出来るのだ!
いや、自転車の二人乗りは危ないんだが、女の子の一人歩きより十分マシだろ。
「え、あ……良いんですか?」
「大丈夫、これぐらい!」
そう力強く答えると、相樹さんが俺のマイフェラーリの後ろに乗った。いつも男を後ろに乗せている俺からしてみれば、相樹さんの体重なんか軽い軽い。
「じゃ、行きますか!」
そう言うと、俺はマイフェラーリを力一杯こぎ始めた。
この、俺の勝手な提案は、この後俺だけじゃなく、愛好会そのものを大きく変える発端となるのだった。