第14回
一日の学業の締めとも言える時間がやってきた。
掃除、帰りのHRが終了するのが十六時ジャスト。それから十八時近くまで行われるこの活動。
たった一時間半ほどの活動だが、塵も積もれば山となるというが、俺としては塵が積もればゴミにしか思えないのだが。
基本愛好会の会室の鍵は俺が持っていて、スペアキーは職員室の部室の鍵掛けに掛けてある。
何で俺が鍵を持っているかというと、一番暇そうだかららしい。
しまった、副会長だからと言った方が聞こえが良かったか。
実際会長は物凄い気分屋で伝言も何も無しに活動に出なかったりするし、春日さんも時々用事が入るようで、毎日あのお姿を拝見することができないというのは実に残念だ。
俺はというと、おおよそ九十五パーセントの確立で活動に出ている皆勤的な人物であったりする。
授業を全て終えた俺が欠伸をかみ殺して愛好会の会室の前に行くと、扉の近くに櫻 並木が壁に背を預けて誰かが来るのを待っていた。
俺の存在に気が付いた並木は軽く手を挙げる。
「お、ユーヒお疲れー。着たのはいいけどよ鍵が掛かっていて扉が開かねーんだわ、鍵何処にあるか知らない?」
二つ隣のクラスの並木。俺の所属するA組は担任の教師の話が長く、他のクラスは掃除終了後三分程度で終わりなのにこっちは十六時十分とかまで話が長引くときがある。
クソ、めんどくさい話を聞いてる最中にガヤガヤと騒いで廊下を歩いていった集団の一部はお前のクラスの連中か、許せん。
「早いな、並木。何分ぐらい待っていた?」
時計を確認すると十六時二十二分。
いつも愛好会のメンバーが揃うのは三十分を過ぎてから。友達と喋ってたりしてそんな時間になってたりする。今日も部活前の松木や早田と喋っていたからなぁ。
「かれこれ十五分程度? HR終わって速攻来たからな。なんだよその暇人を見るような目は」
並木は目を細める。そんな表情をされても暇人という称号からは逃げられんぞ。
俺は鞄の中にあるファスナー付きのポケットから会室の鍵を取り出して鍵を開ける。
「あら、意外。ユーヒ鍵持ってるんだ? もしかして会員みんな鍵もらえんの?」
「んな訳ねぇ」
ちょっと表情を輝かせた並木は俺の否定の言葉を聞いて肩を落とす。そんなに鍵が欲しいなら贈呈するぞ。
男二人で少しかび臭い会室に入りパイプ椅子に腰を下ろす。
「ふうー部活って何時から始まんの?」
「大体十六時半ぐらいだなー。何も中留御が言わないで十七時までに来なかったら解散って感じ」
並木は鞄の中から携帯を取り出し時間を確認する。
「あれ、そんな適当でいいの? 相談事とか受けるんだから……」
並木はあの紙に書かれた項目を信じてしまっているのか。
「此処に相談事が一杯来るならわざわざカウンセリングの先生必要ねーよ?」
東高校の保健室横には保健の教師兼カウンセラーの教師が居る。
ぶっちゃけあの先生がカウンセリング室で生徒と話し合っている姿は見たこと無いのだがな。目にする仕事の殆んどが消毒液を塗りたくっているような。
「まぁ、あの先生も保健教師その2ぐらいにしか見られてねーけどな」
並木も同じ事を思っていたらしく、二人で声を合わせて笑う。
「おつかれー」
そんな和気藹々としたムードを更に盛り上げてくれる偉大なお方の登場だ。
「あ、ちわーっす」
春日さんにぺこりと頭を下げる並木。
少し憎いぜ並木、お前の存在が。今までなら俺にとっては素晴らしく素敵な時間だったのに。
「ちゃんと来たんだ」
「そんな驚きを隠せない顔で見られても!?」
俺に救いの手を求める並木だが、生憎俺もお前に向けられる視線はそんな視線だけだぜ?
三人での雑談が始まるわけなんだが、話のネタが全て俺の関係ってどういうこと? ねぇ、春日さん。
「そうそう、でねーユーヒ君と松木君たちが休み時間に国語の教科書の作者の写真に落書きを始めて、そこで終わると思ったんだけど……」
春日さんが思い出し笑いをやりながら、本日の一番悲惨な事件を並木に説明しているその絵はなんだか微笑ましいぞ。
もうこれだけで、心の荒んだ軽犯罪に手を染め始めた子供達が皆まっとうな道へと戻ってきてくれそうだ。
「うわぁ、それあのカマキリに見つかったわけ? 運悪いよなぁ」
「カマキリってちょっとッ」
春日さんも思うところがあるのか、国語の教師の顔を思い浮かべて肩を震わせる。
確かにあの頬から顎のラインはカマキリっぽいよな。うん、明日松木たちにも話してやろう。
「で、ユーヒ、その超大作は今あるのか?」
「確か鞄の中に突っ込んだ記憶があるなぁ。ちょっと待て」
殆んどの教科書を机の中に入れっぱなしにする俺なんだけど、あまりにも今日の落書きが楽しかったため、松木と早田で連携して家でもやってこようって話になったから鞄に入れたよな?
鞄の奥底に下手なのか、それとも何か深い意味があるのか判断し辛い表紙の国語の教科書を引っ張り出す。
「サンキュ。どれどれ……」
並木は俺から教科書を貰い、ページを軽く流してゆく。
「確か今やってるとこと、その後の奴だったと思う」
開くページを覚えているのか、並木は問題のページを開く。
「ちょ、ユーヒ! これっ!」
ゲラゲラと腹を抱えて笑う並木と春日さん。俺も結構自信あるから鼻が高かったりするんだが。許せ、文学の偉人よ。アンタは此処にこうやって眠くなるような物を残しちまったんだ、しがない高校生のささやかな復讐と思って目を瞑ってくれ。
ちょうど良いタイミングで愛好会の扉が開け放たれる。
「あんた達!? 私を置いてきぼりで面白そうなことやらない! 廊下の奥まで笑い声聞こえていたわよ!」
息を少々切らして会室に乗り込んできた中留御。色々詮索するのは不憫だからそのままにしてやろう。
中留御は会室の中を一度見渡し瞬きを二度行った。
「あれ? 何かそんなにおかしいものある?」
あえて言うならお前の頭がおかしい。
「あー中留御さん、ユーヒ君の落書きが面白くて皆で笑ってたの」
流石春日さん。中留御にもちゃんと解りやすく説明するなんて。貴方の優しさは何人にも分け隔たり無く与えられるものなんですね。それを独り占めしたいと思う私は罰が当たりそうな気がするんですけど。
「ユーヒ……アンタ時々やることが小学生か中学生レベルの事やってるわよねぇ。迷路とか落書きとか」
物凄い呆れた顔で俺を見る中留御。お前だって考えることは俺と大して変わんないだろうが。それを胸中で収めておくか、吐き出すかの違いだけで。
「で、中留御。お前今日も遅かったな。何してたんだ?」
個人的なことは突っ込んで聞くべきではないが、まぁこいつの事だからしょうもない事をしていたに違いないからな。
「今日『も』ってなによ『も』って、いつも遅いような言い方して。まぁいいわ。今日遅れたのは理由があってね……あっれ?」
中留御がキョロキョロと会室外を見渡し、何か焦っている。
「で、その理由って?」
半目で中留御を見つめながら俺は足を組みなおす。中留御は焦って廊下をキョロキョロと見ているだけ。
「と、とりあえずちゃんとした理由があるの! 今は居ないけど!」
何を言っているんだ。理由があって、今居ない?ちょっと待て、まさか。
「ゆ、ユーヒ? 一気に顔色が悪くなったけどどうかしたか?」
並木が俺の顔を覗き込んで心配そうな表情を見せる。大丈夫、お前もすぐにわかるようになる。いや、わかるようになっちゃお仕舞いだが。
「ま、また誰か拉致ったのか……中留御」
「拉致とは言い方悪いわよ、任意同行してもらったのよ」
お前の任意同行は対象者の意思を絶対尊重しないだろ。俺、春日さん、並木みたく。
「ホント何処行ったのかしら……」
扉を閉めて、自分の特等席に座る。誰か知らんが逃げ出したのはナイス判断。だがある意味最悪な選択をしてしまったとも言うが。
それから二十分ほど会長から新入会員の心得なるものを聞かされた並木。一体この集まりは何をしようとしているのだろうか? 関係者である俺ですらわからない。多分春日さんも。わかっているとするならばそれこそ天の神様か中留御の頭の中だけだろうよ。
でもな、中留御。バベルの塔は神に近づくために人間が作った塔で、結局怒りを買っちまったんだぜ? この愛好会のせいで他の奴らや先生方から怒りを買わないようにしないとな。
熱心に並木に説明する中留御の横顔を眺め、俺は軽いため息をついた。
ちょっと人間は増えたが、いつもどおりの状態である。放課後占拠した会室に溜まって喋ってるだけの会合。そんな日常を壊すように会室の扉が開かれた。
「あ〜、中留御さん〜こんなところにいたんですかぁ〜探しましたよぅ」
こんなテンポの遅い喋り方を一回聞いてしまったら、次からは俯いててもその人物がわかる。
「何で夏目棗が居るんだよ?」
「春日さん、日暮朝日さん、こんにちわぁ〜」
俺と春日さんを見てぺこりと頭を下げる夏目なつめ。いや、そんなお約束的な挨拶はいいから。そしてなんか名前変わったか? いや、全く俺個人を呼ぶ名前ではないがな。
「あれ、日之出夕日じゃなくて、日暮朝日?」
「並木、気にするな。俺をそんな名前で呼ぶのはこいつしか居ない」
そんなやり取りをしていると中留御が身を乗り出した。いいから席立てよ。
「夏目ちゃん、遅かったじゃない。何処行ってたのよ?」
「あ、中留御さん〜それがですねぇ、窓の外に蝶が飛んでいて、それを追いかけたら中留御さんが居なくなってたんですよぅ〜」
夏目なつめ。それは中留御が居なくなったんじゃない、お前が居なくなったんだよ。というかお前の頭の中は年中お花畑なのか?
中留御も何やら苦笑い。にしても呼んだ理由は何なんだ?
「はーい、みんな紹介するわ。というか並木だけに。この度愛好会・会員第四号の夏目棗ちゃんね。クラスは私たちと一緒。ちゃんと仲良くするのよ」
なるほど、夏目も愛好会に入るんだな……これだけは言わなければなるまいな。
「ちょっと待てェい!? 何で夏目が入るんだよ! そもそもそんなに人間集めてマジで何をする気なんだよ?」
「こら一号、いきなりイジメ発言するんじゃないわよ?」
「わーん、日暮さん意地悪ですぅ〜」
うわ、うっぜぇ。夏目が入るのは別にどうだって良い事だけど、きっとこいつの相手は俺か並木に回される。これ絶対。
数分間ささやかな抵抗を試みたが、一番の権力者に敵うわけがない。俺の抵抗は鎮圧され、夏目なつめを迎え入れた愛好会は合計五人。何にもやってない筈なのに会員だけは他の愛好会と同じとかそれ以上。本当にいつかこの愛好会はつぶされるな。バベルの塔みたく。