第七十九話
外界と変わらぬ広さの極めて広い平原の中、雲よりもなお遥か高く聳え立つ巨神。
それを何と称するべきか。
なるほど、神の分身体。相応しい威容と力を備えている。
装飾など一切ない。盛り上がる筋肉と天を衝く巨体、そして純粋に巨大な魔力。
小細工などいらない、とでも言わんばかりだ。
これがもし地上に出たら、さぞ大きな被害が出るだろう。恐らく戦えるのはゼイヘムトやシャティリア以上の者のみ。それ以外では為すすべなく蹴散らされるに違いない。
分かりやすくていい。つまり、これをサラが倒さなくてはいけないというだけの話だ。
うんうん、と頷き、サラは巨神へと挑みかかる。
手に持つ戦鎚に億倍の重量を刻み、巨神以上の質量を以って天から巨神の頭部へと振り下ろした。
「不遜――!」
サラの攻撃に合わせ、巨神が動く。巨体に似合わぬ俊敏さだ。だが、遅い。巨大すぎる肉体に対し、速度があまりにも足りない。
たとえ雷速で動いたとしても、サラの攻撃から全身を逃がすには遅すぎると言わざるを得ない。
頭部への直撃を避けたが、巨神は左肩へと超重量の戦鎚による一撃を叩き込まれる。
人智を超えた速度による、超絶大質量を有した一撃。それは轟音と共に巨神の左腕を抉り、千切り飛ばす。
巨神を守る百を超える障壁の全てを一撃で粉砕した上での威力。人間の大きさの存在が叩き出していい威力ではない。
苦鳴を上げる巨神へと、サラは一切の容赦なく追撃を掛ける。そのまま腕の千切れ飛んだ傷口へと戦鎚を叩き付けようとし――腕が急速再生する予兆を見て取り、その場から離脱した。
サラが離れた一瞬後、凄まじい勢いで腕が傷口から飛び出す。再生などという可愛らしい物ではない。速度などを自在にできる復元が近いか。サラの離脱が僅かでも遅れていたら飛び出す勢いで相当な打撃を受けていただろう。
巨体を生かした高耐久超火力型か。これは厳しい。レギオンの本体に似た型と言っていいか。
「頭を垂れよ!」
体の大きさに違わぬ大音声と共に凄まじい速度の拳がサラを襲う。巨体であるがゆえにその攻撃範囲も凄まじい。避けるのならば、恐らくは間に合うまい。
ああ、そうとも。避けるのならば。
サラが、こんな絶好の機会を逃すというのならば。
わざわざ的が向かってきてくれているという状況を逃す、そんな愚か者ならば挽き肉になっていただろう。
だが、サラはむしろ自ら前に出る。前に出ることで自ら死地を切り開くのだ。
目の前に迫る山のような拳。目視できるほどに強固な防壁を多重に纏うそれは、生半可なことでは抵抗すら出来ないだろう。
そもそも見た目の威圧感があまりにも絶望的。生半可な精神力では立ち向かうことさえ不可能。
ああ、それでも。
サラは、前に出て。
その拳に、戦鎚を叩き付ける。
何千ものガラスが同時に割れるような音を立てて防壁の全てが砕け散り、桁外れの体格差のある巨神の拳の動きが下へと逸らされ、拳そのものが消し飛ぶ。
ゾウとアリどころか山とアリに近い体格差がありながら、サラは巨神と真っ向から打ち合う。しかも、それで現状打ち勝っているというのだから恐ろしい。
傷口への追撃に危険があることを知ったサラは、一度高度を下げて足を薙ぎ払う。巨体であるがゆえにその巨重を支えなければならない脚部は、頑強であったとしてもひどく脆い。物理型であるため、サラの想定を超える超火力の魔術を行ってくることも考えられない。
ただし、それだけに直撃の威力は桁が違う。
サラであるがゆえに、拳の威圧や突きと引きの際に発生する竜巻の如き暴風を意にも介さないが、並の存在では対抗することさえ出来ないだろう。
これが雷の如き速さで動くというのだから、もうたまったものではない。
蹴りの一撃でも当たれば、肉体に掠ればサラは粉微塵と化すだろう。
しかし。
その程度の事が一体なんだというのだろうか?
雷光より早く、速く、迅く、サラは空を駆ける。それは視認さえ出来ない。残像さえ残らない。その程度の速度では、もうないのだ。光でサラがそこにいると認識するより速く、サラは別の場所へと移る。
尾を引く金色の光が無ければ、軌跡を追うことすら不可能だ。
まさに神速。雷と互角の速さでしか動けない巨神など、鈍重な亀に過ぎない。
鎧袖一触で蹴りあげてきた右足を吹き飛ばし、その勢いを保ったままで左足を消し飛ばす。
普通ならこれで体が総崩れになり、倒れるだけだ。そう、普通なら。
だが、巨神は即座に両足を復元し、まるで大きな島のような両掌でサラを叩き潰さんとする。サラの速度でも両方から逃げ切ることは難しく、片方に対処すればもう片方にやられるだろう。
上手い。だが、何も問題ない。
単に両方を同時に対処すればいいだけの話なのだから。
サラは即座に『神葬真理』を抜き放ち、宇宙と混沌属性を混合させて左手に向けて思いっきり投げつけ、自らは右手へと吶喊する。
混沌が触れる全てを力へ変え、宇宙がそれを推進力と為し、放たれた槍は亜光速で左前腕を完全に消滅させる。神格のない分身体とはいえ、純粋に物理的な威力ならば一切問題ない。
そして、サラ本人は右脇構えからの一撃で右手を迎え撃つ。
弾けるような音と主に巨神の右手が弾け飛び――中から岩塊と見紛うばかりの大量の骨片が飛び出し、サラに襲い掛かる。
肉体内部をこうも変えることが出来るのか。右手が砕かれることを織り込み済みで、むしろ消し飛ぶことを鍵としてこういう攻撃を仕掛けてくるとは。
笑みを作り、サラは猛然と襲い来る無数の骨片に手を向ける。
魔術を使っている暇などない。軽く魔力を変換し、自らの周囲に濃密な混沌を満たす。
物質への絶対。土塊から創られたにすぎぬ分身体の、その更に一部など問答無用で吸収できる。
周囲の混沌を虹で消し飛ばし、サラは雲より高みに在る巨神を睨み据えた。
「本気で行きます。死んでください」
そう言って、サラは身に宿す魔力を解放する。
絶大にして超高密度の魔力は金色の光としてサラの全身を覆い、そして。
上位四属性統括――最高位属性根源の無色の光がサラから放たれる。
「それは――」
巨神が何か言うより早く、速く、根源の光は巨神の肉体を塵どころか虚無へと還す。破壊と創造によるせめぎ合いは、巻き込まれたあらゆるものに存在を許しはしない。それがたとえ神だとしても、分身体程度なら完全に問答無用だ。
天を衝く巨体が完全に消滅しきるまで、一秒と掛からない。
その光景を見送り、サラは首を捻る。
弱い。
あの巨大な力からすると、あまりにも。
確かに相性差はある。物理型の、しかも神意なき分身体が相手ならば、混沌や根源がとても良く刺さる。なにせほぼ問答無用だ。まあ、混沌だとあの巨体に対処しきることは難しいが、それでも非常に効率的だと言える。
だが、おかしい。
確かに巨体であるがゆえに鈍重さを隠せていなかったが、それならそれでサラ相手にいくらでもやりようはあったはずだ。
魔力の渦を拳の周りに展開したり、障壁に攻撃能力を持たせたり、その他いろいろと方法はある。少なくともサラに僅かな傷もつけられないなどと言うことは無いはずだ。骨片に濃密な魔力を纏わせれば、混沌を抜くことも出来ただろう。
そういう頭が回らない、ということは無いはずだ。しかし、手を抜いていたわけでもない。
――いくつかの制限を課した上での全力、そんな感じだろうか?
違和感を覚えながらも、サラは進む。クイッと指を動かし、『神葬真理』を回収しておくことは忘れない。
敵は、まだいるのだから。
平原の中にポツンとある下へと続く階段を降りていく。
と、最後に開けたところに着いた。
何もない。
ちょっと先に目をやると、異常なまでに鎖でがんじがらめにされた扉が浮かんでいるだけだ。
触ろうとしても、手が通り抜けてしまい、触れない。
解析して見ると、これは半実体化しているだけの幻像のようだ。
鎖を壊すことも、何も不可能だろう。恐らく根源ですら触れられない。在るのに、無いため、破壊も想像も出来ないからだ。
裏もちゃんと攻略しないとダメとはこういうことか。
サラは頷き、地上への転移装置を起動させると、さっさと一度地上へと戻るのだった。
なるほど、この程度なら破りうるか。
魔王級というくくりのある分身体では、最早抗しえまい。
なれば少しでも情報を得るが肝要。
少々、裏の分身体を強くさせてもらうが、悪く思ってくれるなよ。
人の子よ、麗しき金色の少女よ。
我が名に、恐怖せよ。
迷宮裏第五層管理者の階層。
サラは、それを見据える。
表の管理者階層は何もない大平原に巨神が一人、という塩梅だったが、ここはまた違う。
第五層『愚神の宮殿』の名に相応しい、豪奢な大図書館だ。
ためしに本を手に取ってみると、ちゃんと何かが書かれている。
軽く目を通した限りでは、初級の魔術書といったところか。本棚を掛けられた板にも、魔術初級と書かれている。なるほど、棚ごとに置かれている本の種類が違うのか。
時間が許すなら、いつまででも読んでいたいところだが、しかし今は時間がない。
どうせ向こうもこちらの位置を分かっているだろう。
さっさと戦い、最後に備えるべきだ。
図書館中央の大きな道へと戻り、サラはゆっくりと歩いていく。敵の場所は大きく開けた広間のど真ん中だ。
堂々とど真ん中を通って歩いていくと、広間の中央にそれはいた。
細身で黒髪の美少女。サラ以外ならば、男性女性を問わず思わず息を呑むほどの美貌。
だが、そんなことはどうでもいい。
敵は、殺すのみ。
「こんにちわ。死んでください」
にこりと笑い、サラはいきなり戦鎚を叩き付けた。
面倒な話をするつもりはない。どうせ敵の分身体、色々な事は殺してから考えればいいのだ。
向こうもサラの問答無用さは分かっていたのか、一瞬で空間転移を発動させて離脱する。が、その程度でどうにかなるとでも思っているのか。
サラは僅かな空間の揺らぎも見逃さず、無数の攻撃魔術と共に再び通常空間へ復帰してきた少女を魔術ごと戦鎚でぶん殴った。
強固極まる防壁を超多重に展開されたため、衝撃を殺されきり、致命には至らなかった。だが、少女を思いっきり吹き飛ばすには事足りる。
「――これで、どう!?」
少女の姿が一瞬乱れ、イーリスの姿へと変わる。敵対存在の記憶領域から最も攻撃したくない存在を選び出し、完全自動で変身する超魔術だ。
だが、サラは一瞬の躊躇なく戦鎚を叩き込む。思いっきり少女は床や柱に叩き付けられながら何度も跳ねて飛んで行く。
再び障壁に阻まれたが、その接触の瞬間にサラは超強力な幻術を掛けられてしまう。
敵の事を『最も大事な存在』へと、認識の上から書き換える幻術。なるほど、サラ以外には効果的かもしれない。どうでもいいことだ。
サラに幻術など効かない。神の魔力で構成された幻術であろうと、世界を改変するほどの力であったとしても、サラには何一切の効果が無い。
それは最初からだ。生まれた時から、サラは一切合切全ての幻術を問答無用に完全無効化する。
そもそも、それが効果を為したとしても結果は変わらない。サラにとって大事だの大事でないだの、そんな些細なことはどうでもいい。自分一人にとって大切な存在と、他にたくさんいる人々、どちらが重要かと問われたらサラは即座に後者だと答える。それは確定だ。
相手がどんな姿だろうと、どういう事情を持っていようと、それが敵である限りサラの心に何の波風を立てることはない。関係あるのは強さだけだ。強い敵を、もっと自分を強くしてくれる敵を。ただ、それだけである。
戦術の失策を悟ったのか、少女は即座に体勢を立て直し、完全に攻撃へと移行する。
サラが根源――上位四属性の全てを扱えることは先刻の戦闘で承知だ。ならば、その全ての属性を抜ける手段でなければならない。
魔術を用いた純物理攻撃。空間を直接振動させることで、サラに超絶の打撃を加える。
生半可な存在では体内を液状化させられるほどの衝撃。鍛えようのない体内への浸透打撃はあらゆる生物に有効。
ならば、それを一切意に介さず大上段から戦鎚を振り下ろすサラは、なんだ?
避けられない。防げない。
あらゆる概念を粉砕する『砕くもの』の完全駆動による一撃は、どうすることもできない。
だから、少女は意を決して純粋魔力による砲撃を零距離からサラに叩き込む。手が触れている状態からの砲撃だ。防ぐ手段など、ない。
少女の最後の力を振り絞った攻撃でさえ、サラは何一切を気にせず、少女を完全に粉砕する。
防げない? 避けれない? ならば耐えきればいいだけの話だ。純魔力の砲撃、確かに強いだろう。虹属性の魔力吸収すら抜き、あらゆる防御障壁を無効化するそれは確かに強い。だが、根本的に内臓すら鍛え上げ、神域の耐久力を持つサラに通用する威力は無い。
単純に地力不足。それに尽きる。
服が吹き飛んでしまい、少々お腹が寒いが、サラはそれを気にすることなく先へと進む。
多少消耗してしまった。
今の状態で最後の戦いに赴くのは失礼だろう。
明日、万全の状態になってから、神へと挑むべきか。
頷き、サラは一応第六層へと足を向ける。
敵はあと一つ。
サラの世界からの放逐までも、あと数日である。
強い。
恐るべき強さだ。
これが今代の英雄か。
人間とは思えない強さ。
神々の加護もなく、よくぞここまで強くなったものだ。
だが、まだまだ甘い。
戦闘能力は高いとはいえ、所詮は個人。そして、どちらかというと自分を捨てて戦う型か。
ああ、なんとやりやすい相手か。
我こそが『神災厄禍』デミウルゴス。
全ての存在よ、我が名に恐怖せよ。絶望せよ。
それこそが滅びの第一歩である。