第七十五話
圧倒的ともいえる速度で、サラは迷宮の裏層を踏破していく。
あらゆる魔物の一切合切を問答無用に粉砕し、僅かにでも敵対の意志を見せた魔人を滅殺し、ただ突き進む。
純粋に桁外れの性能を誇るサラを止められるものは、裏層と言えども浅い場所には存在し得ない。爵位にすら達しない最上級魔人では単純なサラの一撃で完全に抹消させられてしまう。
雷光の速度で動くサラを認識できるのは最低でも侯爵以上――王、大公、公爵、侯爵と呼ばれる最上級魔人の中でも上位に属する存在でなければ不可能だ。そう、生半可な存在ではサラの前に立つことすら出来ないのである。
物理的に邪魔を排除し、全てを打ち砕いてサラは進んで行く。その最中にさえ未発見と思われる試料を回収することを忘れない辺りが、少々狂っている。
第三層まで一度も足を止めなかったサラだが、流石に裏第三層の管理者には足を止めた。
全てが水で包まれた裏第三層。表と違い、層を移動したらすぐに水中だ。しかも、どうやら上に行っても水しかない。
どうでもいいことだ。
サラは絶大な冷気を放出し、水の全てを凍結させたうえでその氷を消し飛ばしつつ次の層へと続く移動装置へと向かっていく。
なぜわざわざ相手の有利な場所で戦わなければならないのか。上が空いているなら水を全部蒸発させるのもおもしろそうだったが、残念ながら水しかない空間内ではそれは出来ない。
それにしても鬱陶しい層だ。などと考えながらサラが階層の中盤まで歩いた時だった。
突然、大きな音を立てて上下から巨大な牙がサラを襲う。
鋭利なそれは触れるもの全てを切り裂くだろう。――ただし、相手が怪物でさえなければ。
嘆息しながら、サラはその牙を素手で受け止める。桁外れの強化を施されたサラの全身は、金剛石すら容易く握りつぶせるほどの強度を誇る。神器として形成していない神化銀なら、粘土同然に扱えるだろう。
つまり――最上級とはいえ爵位に届かぬ魔神の牙など土塊同然だということだ。それが多少とがっていたところで、少しむず痒いだけだ。
牙をむしり取り、サラは全身から魔力を解放する。ただそれだけで終わりだ。
至近距離から絶大な魔力の放射を受けた魔人は周囲からの凍気と合わせ、全身を完全に粉々に砕かれた。抗おうとしたが、無駄だ。混沌を混入された魔力の放射は小細工の全てを貫通して肉体を破壊する。
単純に、生物としての格が違うのだ。
この魔人以外に、後三体ほどこの階層に上級の魔人がいるが何も問題はない。既に超遠距離からの精密魔術狙撃で殺し終わっている。存在の根幹から粉砕する混沌属性の狙撃魔術は上級程度では抗いようもないのだ。
何にせよここは時間のかかる場所だ。時間属性で氷を削り取ってやるのもいいが、迷宮に備わる復元能力がどう作用するかが分からない。削り取った端から水が復元されたら、少々面倒なことになるし。
仕方ないので目の前の氷を後ろへ転移させることを繰り返して歩く。ああ、本当に面倒だ。これなら水中を直接移動した方がよかったか? いや、それはそれで面倒だ。
胸中でそんなことを考えつつ、サラは都合二十分ほどで第三層を踏破する。人外と言っていいだろう。
かなりのんびりしたなぁ、と思いつつ、サラは第四層、蒼空広がる小世界を眺める。
強い力が二つ、この階層にいる。ようやくまともに戦えそうだ。
笑い、サラは全身の強化度合いを実戦段階まで引き上げる。
肉体強化の速度は数日前とは比べ物にさえならない。まばたきの時間すらなく、サラは最大値近くまで己を引き上げた。
既に敵は動き出している。明らかにサラを殺すための殺気に満ち溢れた行動。情状酌量の余地はない。
さぁ、殺そう。
軽く笑み、サラは手足同然の『砕くもの』を振るって敵へと突撃する。
敵は白い翼を持つ戦士だ。何の問題もない。
数マイルの距離を一秒でつぶし、サラは隕石の如き戦鎚の一撃を叩き込む。その振り出しから直撃までの間に遠方から数百枚の障壁が張られるが、そんなもの物の数にもならない。まとめて粉砕する――が、ほんの僅かな時間を稼ぎきられた。
敵は驚愕しつつも何とか反応し、僅か千分の一秒ほどの時間で戦鎚の射線内から逃れ、手の武器で隙のない突きを放ってくる。
正確無比で、一切のブレのない突きはあらゆるものを貫くだろう。ああ、強化されているとはいえ、サラも生身では耐えられるものではない。直撃を許せば胴体部分の半分は持って行かれるか。
直撃を許せば、だが。
ほんのわずかに戦鎚の柄を動かすことで、その突きをサラは難なく受け止める。僅かなずれも許されない、完璧な受け方。相手の動かし方、軌道すら完全に読み切った、桁外れの技術による防御。
白翼の戦士は驚愕の表情を深める。
それは致命的な隙だ。サラ相手にそんな動揺を見せてはいけない。
即座にサラはもう一歩踏み込み、戦士の胴体中心に恐るべき威力の拳を突き刺す。桁外れの練磨から生まれた超絶の拳打は、重量や概念を除くならば『砕くもの』と同等の破壊力を生む。――直接混沌を体内に叩き込める点を加味するなら、『砕くもの』による攻撃と互角と言っていいだろう。
むしろ、狂った連打を叩き込める点から見るなら上と言ってもいいだろう。
拳を突き出す動きを反対の拳の溜めとし、サラは白翼の戦士を肉片一つ、血液の一滴すらも残すことなく絶殺する。
次は、とサラは獲物を見定めた。
『砕くもの』を引っ掴み、サラは敵の元へと飛翔する。
雷光と同等のその速度は、敵に逃亡すら許さない。
白翼の魔術師の展開する魔術弾幕を全て見切って躱し、サラは大上段から戦鎚を振り下ろした。
純粋に圧倒的な質量と速度で放たれるそれは圧倒的な威力を以って、魂のカケラまでをも打ち砕き、消し飛ばす。
この階層に入ってから十秒で、サラは最上級魔人二柱の撃破を完了する。桁外れ、そう言ってもいい戦闘能力だ。
一手で最上級の魔人を粉砕できる。
――それは、神々の領域に手を掛けたということ。
自分がどこまで強くなっているかの自覚なく、サラは第四層を踏破していく。
一つの階層に一体ないし二体存在する最上級魔人全てを、サラはほぼ一撃で仕留めていく。
そして。
管理者の存在する階層で、サラはそれと相対する。
「――まさか、これほど早く踏破できる存在がいるとは……」
巨大。
蒼空に浮かぶ超巨大要塞。
山脈一つに匹敵する巨体が丸ごと宙に浮いているのだ。その圧迫感は大きい。
だが、サラにはそれが強敵には見えなかった。
確かに大きい。魔力も体に相応の量を持つだろう。
だからどうした? という話だ。
大きさは確かに脅威だろう。無数に突き出した砲門は圧倒的な火力を持つだろう。有機的な体表を見る限り、生半可な傷では容易に再生されるに違いない。
けれど、その程度が一体なんだというのだろうか。
正直、レギオンと何が違うのかがサラには分からなかった。
「大公『暴食公爵』ベヘモート、参る」
「サラ・セイファート。行きます」
蒼空を蹴り、サラは超密度の弾幕を縫ってベヘモートへと接近する。豆鉄砲をどれだけまかれたところで、サラに当たることはない。
何せ、サラの移動速度の方が弾幕の弾より速いのだ。ついでにいうと、サラが本気で展開した障壁を抜けるほどの威力もない。
弱い攻撃を障壁で蹴散らし、強い攻撃だけ避けてサラは巨体に突っ込み、そして。
サラの振るった戦鎚が直撃し、形容することすら不可能なほどの轟音をあげてベヘモートの巨体が半分ほど消し飛んだ。
常識の埒外の狂った破壊力。しかも、今回は混沌を纏わせるなどの小細工などをしていない。純粋に圧倒的な強化と『砕くもの』自体の性能による産物だ。
長くサラが使ってきた『砕くもの』は既にサラ自身の一部として機能する。サラの存在の階梯が上がった今、『砕くもの』もそのちからを大幅に増大させている。
もう、『砕くもの』は誰かの神器の複製品などではない。サラだけの為にこれ以上なく適合した神器としてそこにある。
ベヘモートが声にならない悲鳴を上げ、しかし戦意を喪失することなくサラへと攻撃の手を伸ばす。
様子見の弾幕などではない。砲門を用いた超連続の砲撃魔術による面制圧攻撃。回避を許さず、しかし纏う下位八属性混合による消滅の波動が防御や迎撃を許さない。
なるほど、強い。サラでなければ、ここで終わっていただろう。
そう、サラでさえ、なければ。
だが、上位四属性を極めてきたサラにそんなものは通用しない。展開する障壁を虹属性に変更することで消滅波すらも無効化し、消し飛ばす。ただ一直線に弾幕を突っ切り、そして。
「終わりです」
一度ベヘモートを無視して一気に上空まで上り切り、落下の加速すらも利用した特攻と共に大上段から戦鎚を叩き込む。
電光石火の一撃は、ベヘモートの肉体を大きく穿つ――否、残る肉体の大半を消し飛ばす。
最後に残ったのは、ほんの僅か一片の肉片のみ。
「なるほど、人間はここまで強くなっていたか。見事だ、若く小さき――されど大なる者よ」
「この状態でも生きていられるのですか……」
「元々がこの大きさなのだよ。我は、この世界で生まれ、徐々に大きくなって大公に上り詰めたのだ。まぁ、そのせいでここに眠る者に種を植え付けられて、このような場所の管理者にさせられたがね。
さて、死に逝くものに何か質問はないか? 我が生きたあかしを、一つでも残したい」
宙に浮く赤い肉片が、死の諦観を滲ませながらサラへと語りかける。
そう言われても、特に質問などないのがサラだ。
数秒頭を巡らせてから、ふとサラは疑問に思っていたことを口に出した。
「その、ここは三つの勢力がいると聞いていましたが、一つ――『神災厄禍』デミウルゴスの眷属しかいないように思えるのですけれど……」
「ふむ、こう考えるといい。デミウルゴスは異界の神だ。ゆえに、二つの側面がある。聞いているね? 魔の側面に従う者、神の側面に従う者。この二つがいる。我などは神の側面に従わされたものだな。
あと一つは……運がなかったな。我らに反抗していた者達だが……生憎、彼らには最上級がいなくてね。裏階層は表と違って、誰かが一度でも裏のどこかに入ってくれば、各々が封じられた階層内では自由に動けるのだ。
つまり、始末されたのだろう。上級や中級の魔人では、最上級には絶対にかなわない」
肉片は端から灰になりつつ、そう答える。
なるほど、では、仕方がない。もう生き残りはいないと見て行動すべきだろう。
「さて、時間だ。殺してくれてありがとう、我が最後にして最大の敵よ。貴公の未来に幸いのあらんことを、地獄の底で祈っていよう」
ただそれだけ言い残し、ベヘモートは完全に消滅する。
それを見送り、サラは次の層を目指す。
何も、感じることはない。何の感慨も覚えない。
ああ、そうとも。
――ただ、戦う理由が一つ増えただけだ。