第七十二話
サラが家に戻ると、そこは魔境と化していた。
桁外れの神格を有する存在が三柱と、魔王級戦力が四柱ほどが、グラナリアを含めて全員で論を戦わせているのだ。
「鞘を神器化する以上、補助に徹するべきだ。攻性能力を付与するのは邪道だろう」
「だが、鞘から極太の光線が出たら度肝を抜ける。面白ビックリ兵器にできるぞ」
「ビックリ兵器はともかく、それは単体運用だけで実用域に達してしまうわ。それでは作成思想に合わない。小技を組み合わせないと」
「そんなことより酒は無いのか!?」
最後のは論外だが、普通に頭が痛くなってくる。
建設的な意見も出ているが、それを全てぶっ壊す勢いで浪漫鞘を作ろうとしている者がいるので、話が進まないのだ。
「……まずは各々方が最終的な形を考えてから、それらを出し合ってみたらよろしいのではないですか?」
物怖じすることなく、サラは全員が話している中に斬りこんで入っていく。
注目が集まるが、気にすることなどない。何せ、作るのを提案したのが自分だ。自分の物に口を出すことに何か感じる必要はない。
「ふむ。なるほど、一理ある。明日までに全員考えてこい。サラ、捻出できる素材を表にして書き出せるか?」
「問題ありません。白紙の記録書はありますか? わたくしが自由に出来る範囲の素材を、そこに写します」
そう言うと、サラの座った席に記録書がどこからか出てくる。誰がやったかは分からない。というか、多分、全員出来るから、考えても無駄だ。
サラは記録書に手を置き、記録専用の魔術を起動する。ルンなどは意識せずとも使える魔術だが、こんな戦闘からかけ離れた魔術はなかなかサラには難しい。まぁ、精度にこそ真骨頂を持つサラの魔力操作能力なら、軽く意識すれば問題なく使える程度に過ぎないが。
「どうぞ。後は複製するなり、なんなりしてください」
「どれ、見せてもらおう」
いち早く、白髪で巨躯の老人がサラの手から記録書を奪い取る。
老体には似つかわしくない俊敏な動き。目を爛々と輝かせている辺りがとても怖い。
「ほう、ふむ。なかなか……ほほう、東方の神鎮鉄や真鉄、緋緋色金を延べ棒単位で使えるか。む? 亜空結晶もあるのか!? ふはは、これは楽しくなってきた」
老人は笑いながら記録書を蛇神へと投げ渡す。複製しろ、と言外に言っているのだろう。蛇神も特に反発することなく、一切の動作なく記録書を増やしていく。虚空から徐々に記録書が出現する光景など、なかなか見られるものではないだろう。
見た感じでは創造魔法なのか、それとも別の何かなのかは分からない。サラも創造魔法だけは間近で見たことがある。ミストが使用するのを見学したことがあるのだ。
だが、ミストの創造魔法は完成物がドン、と出てくるのに対し、これは徐々に空間から滲み出てくる感じなのだ。
創造魔法などという再現不可能な代物を扱える者などそうそういないので、比較検証はしたことがないし、わざわざここの面子に頼む事でもないので、胸の内に疑問は留めておく。
「さて、君がサラか。ああ、なるほど。確かにあの馬鹿の血脈を感じるね。しかし、俺もまた押し付けることになるとはね。――いや、それは侮辱か。なら、言う台詞が違う。
ありがとう。それ以外、俺には君に何か言うことは出来ない」
黒尽くめの青年がそう言って、サラに何か本を渡す。
神代言語と古代共通語で暗号化された、サラがぱっと解読した感じでは神代から現在までの細密な魔術研究書だ。今ではもう完全に途絶えている魔術なども記載されているが――これを読める人間など存在し得るのだろうか? 代々の日記を読む関係でサラならなんとか解読できるが、下手したらブリジットでさえ読めないのではないだろうか。
「それを逆さにして読み始めると、古の魔術集団『終末の使徒』が蓄えていた禁秘呪法の知識を得られるだろう。古代禁呪の中でも特に秘され意図的に抹消された秘術の数々、それらが役立てば幸いだ」
言い、青年は煙のように消え失せる。超高速で術式構成から発動まで行われた超長距離空間転移だ。サラの目にすら何が起こったのかを理解できないほどの超速度。シャティリアの魔術行使すらも見切るサラで把握できないということは人智を遥かに超えた力量の持ち主と言うことだ。
「ルーベンスめ。一万年経ってもまだ罪悪感に囚われたままか。サラ、奴が魔術師の最終到達地点の一つ、己を神の座にまで引き上げた怪物、『焔の暴風』ウェルソルト・ルーベンス・アルソニスだ。
アレも色々と複雑なものを抱えている。あまり悪く思わないでやってくれ」
蛇神の声を聞きながら、サラは呆然とルーベンスを見送る。
アレが人間。ならば、あの超絶の魔術行使は純粋極まる技術の産物だということだ。面白い。魔術師とは、極め尽くせばあの域に達することが出来るということだ。
魔力の総量自体はサラよりも少ないが、魔力量の少なさを技量で補って余りあるほどの常軌を逸した技術の持ち主。恐らく、真っ向から戦ったとしても、平然とサラを圧倒するだろう。
「悪く思うだなんて、そんなことはしません。ただ、いつか戦ってみたかったですね。叶いそうにはないことですが」
徹頭徹尾戦闘関連の事しか頭にないサラにとって、そういう感傷は存在しない。基本的に相手を悪く思うということがないのだ。相手が人間――神族だろうと魔族だろうとなんだろうと、サラにとっては庇護対象に過ぎない。敵対するなら容赦なく抹殺するが、それでも苦痛を与えたりはせず、慈悲と警告をもって即死させるだけだ。
相手が魔人等の強者なら、それこそ戦闘の事しか考えていない。どこに優れた場所があるか、それは見て盗めるか、それぐらいしか考えていない。
つまるところ、サラの全てが戦闘の為に存在するのだ。
生きる全てが戦うことにつながる――否、戦いの合間に日常があるようなものか。それをよしとする精神性は、他者からは悲劇に見えるだろうか、それとも喜劇に見えるだろうか。
「ルーベンスも帰ったみたいだし、私も帰って案を練って来るわ。じゃあね、サラちゃん」
そう言って、なんともくたびれたローブを来た妙齢の美女が姿を消す。彼女も強い。魔術師型にしか見えないが、振る舞いの何かが違う。
ローブがゆったりとしているために体の線が分からないが、尋常ではない鍛え方をされている。
また、サラの知る種族のどれとも違う。あの混ざり合った気配は、よほど高位の神族と古い精霊の間ぐらいだろうか?
「今帰ったのが『探究者』セシル・D・ラフェス。言っておくが、アレは魔術師であって魔術師でないぞ。言うなればお前に近いか。あらゆる戦闘法に極め、その上で魔術を選んだ存在だ。
機会があったら実際に戦ってみるのも面白かったかもしれんが……」
蛇神はそこで切り、サラを見る。
『存在』という概念を統べる蛇神にのみ分かること。サラは、既にこの世界との接続がほぼ切断されている。
サラの持つ常軌を逸した能力とセイファート一族と言う楔がサラをこの世界に留まらせているだけだ。それも遠くないうちに途切れるだろう。
迷宮攻略を行う分には――最後まで到達するだけなら問題はないだろう。
だが。
そこで終わりだ。
サラがあの中にいる存在を打倒し得たとしても、それで終わり。
サラ・セイファートという少女はこの世界から完全に放逐され、二度と戻ってくることは叶わないだろう。
誰が何をしようと、その未来だけは変えられない。
「少女よ。面白い機会をくれたことを感謝しよう。明日を覚悟して待つがいい」
蛇神が考え込んでいる間に、巨躯の老人が立ち上がり、姿を消す。
無限にも思えるほどの魔力を有する、凄まじい神格を有していた。恐らくは、彼が。
「アーカムめ、場を引っ掻き回すだけで消えおったか。サラ、あのクソジジイの言うことなど気にする必要はないぞ。なにせ自分のやりたいことが全てと言うクソジジイだからな」
『魔導神』アーカム。なるほど、名に相応しい圧倒的な力だ。
あと二年でいいから早く、ここにいる者達と出会いたかった、とサラは思う。そうすればもっと高い場所にサラは行けただろうから。
「アーカムが行ったか。なら、俺様も消えるとしよう。サラと言ったな、酒ぐらい嗜んでおけ。飲みすぎるのは害悪だが、適量なら人生を華やがせるぞ。まぁ、ガキに言っても仕方のないことか」
「……あの、厨房の床下の奥に三百年物の古酒がありますよ。師がこの家の術式に連動させて最良の熟成を行えるようにしたまま亡くなってしまったので、放置されていますけれど……」
「それを早く言え」
ヒャッハー、と叫びながら、自信に満ち溢れた表情の貴公子が厨房に消えていく。意外にも丁寧な性格なのか、それとも酒に余計な衝撃を与えたくないのか、ちまちまと床板を引っぺがして地下の酒蔵へと入っていった。
それにしても、桁が違う存在だ。
目の前の蛇神や先ほどのアーカムと比較しても、間違いなく一段上にいる。あのギルフィーと比べてさえ、互角かそれ以上。
なんという化け物なのだ。
「あれが現時点でこの世界最強にして無敵の存在、『覇刃帝』エンリル・アーガトラムだ。お前の持つ神器の一つ、『世界剣・百式』はアレが無限に持つ世界剣のうちの一本だな。
あれと戦おうなどとは思うなよ。自ら無限の世界を創造し、その全てを剣の形で引き連れる神だ。近い土俵に立たなければ、アレが戦意を四肢に満たしただけで消し飛ばされるぞ」
「…………残念です」
サラは本当に残念そうに肩を落とす。せっかくなので戦いたかった。そして、どれほどの差があるかを知りたかったのだ。
そんなサラに同情の視線を送るのは、あの中では最弱の部類に入ってしまうゼイヘムトとユーフェミアだ。魔王級といっても、それより上の化け物に囲まれてしまえば大した事はないらしい。
上には上が居過ぎではないだろうか。
「さて、サラよ。邪魔な連中も消えたし、本来の用事を果たそう。私に問うことはあるか?」
蛇神が大仰な身振りでサラへと話す。
サラは少し悩んだ末、ゆっくりと口を開いた。
「少し、気になっていたことがあります。あの迷宮にいる管理者やいくらかの魔人に、少々の違和感がありました。魔族や神族なのに、何か違うのです。
そして、蛇神さん、貴方やアーカムさん、エンリルさんにもその違和感を覚えます。今までは分かりませんでしたが、一つの答えに達しました。
貴方達は、この世界の存在ではありませんね?」
サラの言葉に、蛇神は口端を持ち上げる。
そして、正解だ、と笑った。
「つまり、そこから導き出される答えとはなんだ? 今は我々の事は置いておく。すぐ近場の迷宮の事だけでいい」
「――あの迷宮は、異世界からの侵略者を閉じ込めておくための牢獄であり、この世界の者にそれを倒させるための修練場。違いますか?」
「見事。迷宮のことを訊かれれば答えようと思っていたが、自力で答えを出すとは見事の一言だ。まぁ、あそこだけだがな、あんなに馬鹿みたいに強い連中ばかりなのは。
常人が挑めばどう足掻いても少数だとマンティコアで詰み、多数で行ってもまず抜けず、頑張って倒してもシェイドが蹂躙し、レギオンが百年ばかし不倒の壁として立ちふさがり、第三層のポセイドンが更に百年封鎖し続け、第四層まで行けずに最下層の侵略神が目覚める。
他のところはこの世界で生まれて暴れた連中だからな、ここほどじゃないんだ。この意味、分かるな?」
そこまで言われれば充分だ。
サラの疑問など、つまるところたった一つ。このガイラルの迷宮に眠る災厄さえ粉砕すればいいのか、それだけだ。
「分かりました。ありがとうございます。これで、わたくしの憂いは消えました」
静かな微笑で、サラは蛇神に相対する。
死ぬ覚悟を決めた者特有の、奇妙な余裕と自信のある表情。それでいて自暴自棄になっているのではない。
自分が勝てば後につなぐことが出来る。死んだとしても、敵を殺すことさえ出来ればいい。そう、どうせ世界から放逐されるのだから、命を懸けることになど何のためらいもないのだ。
まだ疑問があったとしても、そんなものどうでもいいと断じることが出来る精神性。狂気にありながら正気であり続けることが出来る狂人。
そんなサラに、ゼイヘムトが声を掛けた。
「さて、話が終わったなら、こちらの用事だ。蛇神、余の力を一時的にでいいから、全盛時まで戻せるか?」
「ほう? やる気か。それぐらいなら問題ないな。サラを回復させることも、特に造作ない。存分にやれ」
「ならばいい。サラ、貴様の望みを一つ叶えよう。今の貴様ならば資格はある。余と戦い、貴様の一族が最強であると証明するがいい」
それはサラへ行う、ゼイヘムトの最後の稽古ということだろう。
サラにとっては一族の悲願の一つ。ならば、断る理由もない。
「お願いします。真の魔王に、わたくしの力がどこまで通用するのかを試してみたいですから」
強くなったという自信はある。だが、サラにとっても目の前の魔王は底知れない存在だ。
衰えた力でさえセイファート一族のほぼ全員の力で以ってしても相打ちに持ち込むのが精一杯だった。その全盛期の力とはどれほどのものなのか。
体が震える。恐怖ではない。武者震いだ。
ついに、この『森羅の魔王』の全力と戦える位置にまで来た。勝てるかどうかは別として、高みまでたどり着いた歓喜に体が勝手に震えるのだ。
あとはもう、勝つだけだ。