第七十話
サラが迷宮の外に出ると、そこは地獄だった。
瞬時に頭を切り替えたサラは、『砕くもの』をしまって双剣を取り出した。神器ではないが、神話の時代の業物だ。この程度の魔物を相手するには充分すぎる。
魔物が何千何万いるのか分からないほどに多い。問題は、その魔物の海の中に人が混じって戦っていることだ。誰もいないのならば問答無用の広範囲魔術で粉砕出来るものを、人がいるせいで無差別な魔術は使えない。
仕方なく、サラはちまちまとした弱い魔術を超連続発動させる。やられそうな人や怪我をしてしまっている人を援護するために、一度に数百の魔術で殲滅していく。本来ならもう一桁上の数を行使できるが、精密性を重視するならこの程度しか無理だ。
「退路を開きます! 戦える方は、非戦闘員を庇いながら街へ下がってください!」
強い語気と魔物すら震わせる声量で全員に伝えると同時、サラは街へと近付こうとしていた魔物や一定範囲より街側にいた魔物を一掃する。
背後に逃げ道がある、それを理解した瞬間、非戦闘員は競うようにして街の方へと逃げ出した。
ありがたい。
魔物がその背中に襲い掛かろうとするが、それらを全て魔術で叩き落とす。この程度の――下級から中級の魔術ならいくらでも使える。他の人を守る都合上、自分の周囲には魔術を使えないが仕方ない。
何せ、サラのいる最前線には一線級の冒険者が幾らか存在するため、無闇な魔術行使は彼らの邪魔をしてしまう。
とはいえ、素の戦闘能力だけでもサラは常軌を逸する。片手の一振りで頑強な甲殻を持つ洞窟トカゲを両断し、同時に逆側でガイラルウルフの首を飛ばす。恐ろしいほどの効率で魔物を狩っていくのだ。
そんなサラだが、前線にいる者達の動きに胸中で賞賛を送る。この急場で周囲と声を掛けあい、即席の部隊を作り上げて一定範囲以上に魔物が溢れださないよう連携を取っている。
覚醒者が主に魔物を刈り取る役を担い、普通の冒険者は牽制や補助に徹することで継戦力を上げ、魔術師陣が離れたところの魔物を討ち、盾持ちが魔術師を守る。
見事だ。
サラは頷きつつ、一つの気配を感じ取る。
索敵範囲外だが、分かる。サラへと向けられている強烈な殺意。
隙が出来るのを狙っているのだろうか? どこから来るかは分からないし、いつ来るかも分からない。これは危険な状態だ。
魔物を狩りつつ、サラは考える。
わざと隙を作ることは可能だ。だが、そこに食いついてこなければ意味がない。つまり、小さな隙では意味がない。サラにとって致命的ともいえる巨大な隙を作らなければ釣れないだろう。
――その大きすぎる隙を作って、なお次の瞬間に襲い来るだろう必殺必至の攻撃をしのぐ。無理難題の類だ。
とはいえ、今のままではじり貧だ。現状で何とか魔物を抑えきれてはいるが、しばらくすれば決壊する。ここは決断が必要な場面だ。
サラは超加速された思考の中で、答えをだす。躊躇っている場合ではない。覚悟を、決める。
「皆さん! 大技を使います! わたくしより街側へ移動してください!」
大声を上げ、サラは街側へ移動しつつ、防波堤代わりの冒険者達を抜けた魔物を全て一気に排除した。
サラの声を聞いた冒険者達は頷き合って速やかに後方へと移動していく。その時にもしっかりと魔物の足止めをしている辺り、一線級と言っていいだろう。
三十秒としないうちに冒険者達の退避が完了する。それと同時に、サラは僅かに回復していた魔力を双剣に注ぎ込む。
サラにとっての僅かとは、人類にとっては驚異的な量だ。人智を超えた魔力量を誇るサラが剣を媒介として放つ、セイファート秘伝魔術。その威力は、もう地上で放っていい威力では、ない。
「滅・双断閃」
地平線の彼方まで届く双の剣閃が全てを切り裂く。
あらゆる攻撃で傷つくことのなかったはずの迷宮地上部すら四つに分かつ×字型の斬撃は、地上に湧き出ていた全ての魔物を滅殺する。もし当たらなかったとしても、空間すら切断する威力が周辺空間にねじれをもたらし、それが元に戻ろうとする力で全てを爆砕する。
そして。
サラは同時に生存に必要なギリギリの量の魔力と氣を残し、全てを肩に這わせる『偽神・円環蛇』に叩き込んでいた。
完全に全てが枯渇。死んでいないのがおかしい状況。そして怪我人が多いため、すぐにフロウが駆けつけることは不可能。この状況でサラが死ねば、その時点で蘇生魔法でさえ復活させられないだろう。
そう、最高の、餌だ。
サラが大技を放とうとしたのを見て取ったディルは、自身の最高速度で考えを巡らせた。
この状況で隙を見せるというのは、つまり何か策があるということだ。
対して、ディルの持つ札は僅か一枚。たった一枚。切りどころを間違えるわけにはいかない。
だが。
これまで情報収集をしてきたが、サラを倒す方法は一つしかない。あらゆる謀略を力でねじ伏せることを可能とするため、どんな手を打っても最終的には力で勝たなければいけないのだ。
ならば。ならば。ならば。
撃つしか、ない。
時間を掛ければ街や迷宮から最精鋭が援護に来る。全てを使うであろう、この一瞬に、賭けるしか、ない。
「行け、『一なる神矢』。あの小娘を、粉砕しろ!!」
ディルは手にした神器を解放する。
『大地の地脈珠』の制限を取り払い、魔王級一柱の全魔力と同等以上の魔力を注ぎ込んだそれは桁外れの威力となる。
魔力を単純に注ぎ込んだ分だけ強く、速くなるその神器は、凄まじい速度でサラへ向かって飛翔する。
それを遮ることのできる存在は、もう地上にはなく――
ぴくり、と『偽神・円環蛇』が反応する。
膨大な魔力を与えられた神器は、飛来する脅威に対して敏感に、かつ的確な判断を下す。
創造者に与えられた擬似知能は脅威の飛来する方向などから、どの角度からどの位置に攻撃が加えられるのかを逆算し、速度や魔力等から威力を算出する。
その威力を現在与えられている魔力で抑える方法を検索――発見。実行に移す。
『万物の覇王』蛇神と『魔導神』アーカムの手によって創られた神器『偽神・円環蛇』はそこまでの行程をまばたき一回にかかる億分の一ほどもの時間で終える。放たれた猛速の『一なる神矢』でさえ一歩分も進んでいないほどだ。
演算を終えた『偽神・円環蛇』は自らを不可視の粒子に変え、サラを襲う脅威が通るであろう予測軌道上に自身を移動させた。誤差を含め、サラから数十歩分程度の距離を取り、準備を終える。
それに僅かに遅れ、雷光すら超える速度の矢が飛来する。
圧倒的速度の矢を防ぐ方法は人界には存在しない。サラが完全に万全の状態で迎え撃って、ようやく、と言ったところか。ゼイヘムトならば何か手はあるかもしれないが、彼の魔王は今は人界にいない。サラも消耗し尽くしている。
だが、『偽神・円環蛇』は。
神々の手によって創られた、神々が持つ神器すら、ある一点においてだけなら超える神器だ。そう、こと形状変化においてこの神器を超える存在は無い。
形は言うに及ばず、質量、体積、強度、色、相変化、粒子状態、果ては魔力化すらもこなす。擬似知能には生物的本能が存在しないため、生物を摸することは出来ないが、しかし担い手が操るのならばそれすらも可能だ。
そう。
たとえば無時間で――矢が予測範囲に入った瞬間にあらかじめ予定していた形に変形することなど造作もない。
飛来した矢を丸ごと取り込み、何もなかった空間に巨大な銀の柱が屹立する。神化銀よりやや弱い程度の強度の、みっちりと中の詰まった一抱えほどもある巨大な柱だ。『一なる神矢』がただの飛翔物であるのなら、これを砕くことは出来ない。
そう、ただ飛んで、敵を砕くだけの物なら、の話だ。
神器は、それらの想定を根こそぎ砕く。『一なる神矢』は自らに蓄積された膨大な魔力を放出し、拘束する柱を内部から爆散させた。
もうサラまでの間に遮る物はなく――
――形状変化に置いて究極の神器が、この程度で終わるはずも、またない。
そもそも砕かれること自体が『偽神・円環蛇』にとっては機能の一部だ。生物的な意思の存在しない擬似知能は動揺などなく、取り込んだ瞬間、矢に込められた魔力の予測以上の巨大さから次の手を打っていた。
簡単なことだ。止めるたびに魔力を消費してくれるなら、完全に停止するまで何度でも止めればいい。
速度すら関係ない無時間連続変形を可能とする『偽神・円環蛇』にとっては、その程度苦にもならない。
砕かれた瞬間、即座に再び巨大な柱が屹立する。そう、それは敵にとっては絶望と言っていいだろう。形状変化が速いだけで、変形によっては担い手以外の生物に干渉することが出来ないなどの数多くの制約が存在するが、こと無生物で飛翔物相手の防御能力は絶大だ。相手によっては紙切れ一枚分の強度すら発揮させてもらえないが。
都合八回目砕かれた時点で、矢は完全に静止する。
それを見るより先に、サラは敵の位置を把握した。
ほぼ完全枯渇状態でくずおれようとしていたが、しかしサラは無理やり自分の体を支え、大地を蹴る。
敵がいる。命を狙ってきている。
それを、たかだか枯渇程度で逃がすわけにはいかない。
サラの速度は強化などのない状態でさえ人類を超越する。
加え、一呼吸ごとに残存魔力の一割を回復するうえ、セイファートの末裔にして最高傑作たるサラは溢れ出る闘志から肉体を満たすことで僅かながらも氣をも再燃させていく。
一秒ごとに肉体を、魂を燃やすような所業。常人ならば苦痛のあまりのた打ち回ることすら、失神することすらも出来ない地獄を味わうだろう。サラも苦痛を感じながら、しかしそれを受け入れた上で無視する。この程度、いつもの事だ。
一歩ごとに加速していくサラを止める者はない。
はるか遠くの山頂でディルは舌打ちして、迫るサラを見る。
直接戦闘では勝ち目がない。ディル自身の戦闘能力は低いのだ。
それに、今は一秒でも時間を稼ぐことで人類側の戦力を少しでも削ぐことが肝要だ。
即座に判断を下し、ディルは山を下りながら森林部を縫うように移動を始める。
死の鬼ごっこの幕開けだ。
帝国に突如出現した巨大な塔、そのふもとは今、厳冬の冷気に包まれていた。
いくつも聳え立つ歪な氷の彫像は全て塔からあふれ出てきた魔物だ。そう、現出した魔物は全て凍結し、氷結し死に絶えている。
動く影はただ一つ、この氷の世界を作り出した存在だけだ。
『氷結の姫騎士』リアラ・ハイグラン・フォン・トスカニタ。十五年前に滅びた亡国の貴族の娘だ。
白皙の美貌を持つ透き通るような青の髪の女騎士は、全てを凍てつかせる中でただ平然と立ち尽くす。
強力な氷の属性を生まれながらに持つ彼女が、人生の中でそれを磨き抜いてきた結果がこれだ。リアラは存在するだけで周囲を氷の世界に書き換えてしまう。ただ自然と漏れ出す魔力が全てを凍結させるのだ。
酸素すら液化させるほどの冷気が渦巻く空間では、リアラを除くあらゆる生物は生存できない。今も魔物が現れては氷の彫像を増やしていく。
この力が故に、彼女は普段は白妙の塔の特別室に篭っていることしか出来ない。気晴らしに動こうにも、準備をしない限りはサラやブリジット、『雷帝』セヴァル、『炎竜王』グイズなどの限られた数人以外は近寄ることさえ出来ないため、日がな一日訓練しているか、特殊処理を施された本を読むことぐらいしか出来ないのだ。
だが、その戦闘能力は圧倒的だ。有象無象は近付くことすら出来ず、また意識的に凍結領域を使えば、半径一マイル程度なら効果を落とさずに拡大できる。この能力ゆえに、彼女は国が滅びた時も歩いて国外へと脱出出来たのだ。事実、魔術師協会に拾われるまで、彼女は無敵を誇っていた。
幼少時から触れるもの全てを凍結させるため、人のぬくもりを知らずに育った彼女へ手を差し伸べたのは、サラの父親だ。サラが生まれて間もなかったこともあってか、当時『氷の魔女』と呼ばれて恐れられていた少女を引き入れることに躊躇いはなかった。
魔術師協会に入り、初めて他人と触れ合った彼女が何を思ったのか。それはリアラのみが知ることだ。
「――そんな寒そうな格好で、どこへ?」
不意に振り返り、リアラは笑う。
彼女の視線の先にいるのは、上級の魔人。恐らくはこの塔の第一層か二層辺りの管理者か。
オオカミに人の形を取らせたようなその魔人と相対しながらも、リアラに気負いはない。
当然だ。リアラはこれよりも強い存在を知っているのだ。
サラの父親の偉大な背中を。血反吐を吐き尽くしながらも前へと進み、今回も一度死にながら、しかし何一つ愚痴をこぼすことなく死地へと赴くサラを。
この程度に負けるほど、弱くはいられない。
「キサマを、コロス」
地の底から響くような重低音で、魔人が言う。
なるほど、簡潔でいい。戦いに前置きなどいらないのだ。殺す、殺される、ただそれだけで充分すぎる。
「では、踊りの相手を仕ろうか。何、退屈などはさせない」
絶対零度の剣を抜き放ち、リアラは優雅に構える。お座敷剣術などではない。サラやグイズなどに叩き潰されながらも必死で磨き抜いてきた殺人剣だ。その冴えは、剣一本に絞ってきた者にさえ、劣らない。
人狼が咆哮を上げるのを合図に、死の舞踏が始まり、そして――
凄まじい振動が鉱石型の上級魔人を粉砕する。
苦悶の声すら上げることなく灰燼と帰した存在を一瞥すらせず、『激震』アーサー・ライオットはフン、と鼻息を吐く。
全身を筋肉の鎧で覆った禿頭の老人は、洞窟の前に陣取って魔物の死骸で山を作る。
風・地・水の複合属性波紋を操る彼にとって、魔物など物の数ではない。七十年に及ぶ修練の年月は彼に桁外れの継戦能力を与えている。最小限の力で最大の効果を発揮し続けるため、その強さが長時間変わらないという恐怖がある。
未だ続々と湧き出てくる魔物は、地上に現れた瞬間に超振動を叩き込まれ、内臓や脳を液状化させられて死ぬ。頑強な甲殻や鱗、体毛などを纏っていても意味はない。鍛えようのない内部を破壊する、凶悪な魔術だ。
「ケッ、群れるだけの雑魚なんざ、俺の敵じゃねぇってのによ」
悪態をつき、アーサーは嘆息する。
あと何年これだけの力を維持できるやら。
既に衰えの兆候は出始めているし、世代交代の時期は近い。問題はそんな衰え始めているアーサーすら超えられないような連中ばかりだということだが。
サラには目を掛けてきたし期待していたが……どうせもういなくなる人物の事を考えても仕方は無いか。
「はぁ、せめて俺がくたばる前に次が出てきてくれると嬉しいんだがなぁ」
言いながらも、魔術行使を止めることはない。
『激震』その名に違わぬ老兵は、一切の情け容赦なく敵を殲滅する。
地を魔物が覆い尽くす。
それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
魔物が魔物を喰らい、貪っているのだ。一般人から見たら地獄のふたが開いたかと思う光景だろう。
だが、実際には魔物達は二つの陣営に分かれて争っている。冒険者や騎士などが見ればすぐにわかるだろう。
片方は無尽蔵に迷宮から沸く魔物達、もう片方はたった一人の魔術師が続々と召喚し続けている魔物だ。
これが高位精霊たる『揺籃』ジングラン・ガイアネン・ジーグドンが四百年かけて基礎理論を築き上げ、神代の魔術すら応用して編み出した無限召喚魔術だ。ぶっちゃけて言うと、レギオンの魔物増殖の劣化版である。
迷宮内の魔物が地上の魔物より強いのは周知のことだ。それがたくさんいるのなら、とても恐怖だろう。
そういうときは逆に考えればいいのだ。敵がたくさんいるなら、もっとこっちが多ければいい。敵が強くて多いなら、もっともっともっと多ければいい。
そう、ジングランは迷宮の魔物の千倍の数を用意し、問答無用で押しつぶし続けている。
この数を突破できるのはごく一部の強い者だけだ。そう、なんか近付いてきている上級らしき魔人ぐらいか。
「貴様ァ、どうやってこんな大量の――」
「うるさいな。こんな大群同士のぶつかり合いをさせられる実験はなかなか出来ないんだ。黙って死ね」
吼える魔人の全身に円錐状の何かが無数に突き刺さる。召喚魔術――ではない。元々、敵が近付いて来たら発動するようにしておいた魔術による罠だ。この頭のおかしい大群の中で、念入りに隠蔽された罠を感知するのは極めて難しいだろう。
ついでにいうと、この罠の中にも召喚術式がぶち込まれている。
「派手に死んどけ」
如何に上級の魔人といえど、不意打ちで全身の内部に魔物を召喚されてはひとたまりもない。内部から爆散させられ、魔人は死亡した。
「ふん、さ、実験の続きだ」
言って、ジングランは召喚と魔物の操作に移る。
まだまだ、やりたいことはたくさんあるのだから。
遥か高き天で、幾度も交錯しながら二つの影が戦闘を行う。
出現した空中島を中心とし、湧き出る魔物を縫って行われる空中戦。
下の大地にいる者にとってはとても迷惑な戦闘だ。何せ、交錯の途中途中で凄まじい量の魔物が死に、地へと落ちていくのだから。
交錯する片方の影は赤々とした炎を纏った不死鳥だ。『翔天』フォー・エ・ネクスと呼ばれる彼は、恐るべき速度と身に纏う浄化の炎で魔物を包み、魂のみを焼き尽くす。
強いとか弱いとかではなく、そう言う系統の防御手段のない存在に対しては絶対的な能力と言えるだろう。何せ、抵抗することすら出来ないのだから。
もう片方の影は黒い翼を持つ神族とも魔族とも取れない魔人。ほぼ無傷のフォーと比べ、全身に傷を負い、肩で息をしている辺り決着も近そうだ。
まぁ、フォーは傷が付いていないのではなく、傷がつく端から治っているだけだが。
「ぐ、何故、こんなに……!?」
「我らが衰えるだけだと思っていた己らの不明を嘆け!」
咆哮し、フォーは纏っていた浄火を解放する。種族的に強大な魔力と、三百年に渡る蓄積は万年眠っていた上級魔人を上回る。
それまでは抵抗できていた魔人も、急に勢いを増した炎に完全対応は難しい。必死で防壁を組むが、それがフォーの目的だった。
「さらば。貴様は強かったぞ」
燃え盛る炎の羽根が一枚、魔人に突き刺さる。
それは超圧縮された浄火。防壁など最早関係ない。肉体ごと昇華させることで、問答無用で天へと還す。
最後に魔人が残した安らかな笑みはなんだったのか。
その意味を考える暇もなく、フォーは今なお湧き出でる魔物の掃討に移るのだった。
世界が燃える。燃える。燃える。
紅蓮の炎で世界が舐め、全ての生命は燃え尽き果てる。
上級魔人など目ではない。圧倒的超高温は生半可な防御を全て無効とする。
ああ、そうとも。
あのときの屈辱を忘れはしない。セヴァルと共に誓ったのだ。次、魔王が現れたのならば、我らの手で討とうと。
『炎竜王』グイズ・アル・リーボルトは燃え盛る炎熱で全ての存在を焼き尽くす。十年前のあのとき、力にすらもなれなかった自分達を呪いながら。
自分達が十年前まで慢心していなかったら。永き生に胡坐をかき、そこらの人間より強いという程度で甘えていなかったら。
きっと彼らを、セイファートの一族を全滅させてしまうことはなかったのだ。
そんな後悔の念が、自責の念がグイズをここまで押し上げる。
燃えるような真紅の鱗持つ竜頭の高位精霊は、今もまた歯を食いしばって敵を滅ぼす。
分かっているのだ。セイファートは手の届く範囲に、自身以外の英雄の存在を許さない。今回の迷宮攻略がサラに任されたのはそれが大きな理由だ。全方位対応のサラと違い、セヴァルやグイズでは対応力が劣ることも否めない。
「英雄、か。おとぎ話の英雄、その末路は……」
そう、それがセイファートが英雄を一手に引き受ける理由だ。
だから、彼らは決して他者にその位置を渡さない。後の世の為に、そんな犠牲は他者に許さない。
今回とて、そういうことだろう。先のない一族の末裔だ、既に指導者の立場にいるグイズやセヴァルが死ぬよりは、サラが死んだ方が多くを導ける。
ああ、なんて。
「クソッタレな世界だ。オレは、またあの人たちへの恩を返せないのか……!!」
グイズの怒りに慟哭に呼応し、世界がより赤く朱く紅く染まる。
圧倒的超絶火力は最早魔物に一瞬の生すら許さない。
戦場から響く声は、竜の咆哮か、それとも慟哭の嘆きか。
それは、彼にしか、分からない。
共和国に出現した巨大な大樹の周辺に雷が降り注ぐ。
大樹自体には一度も直撃しない。その周囲全てに、まるで雨のように降り注ぎ続ける。
天候魔術。この場所の天候を雷に書き換えた結果だ。
しかも雷自体には魔力は何も宿っていない。ただの雷だ。そのため、魔力の消費自体は皆無に等しい。一度天候を書き換えてしまえば、維持にすら魔力を必要としないのだ。
圧倒的、そう言っていいだろう。他の者が少なからず魔力を使うのに、『雷帝』セヴァル・ジンガストは魔物の掃討に魔力も肉体も使わないのだ。
ならば、残るのは管理者のみ。
その管理者も、グイズと同等の力を持つセヴァルの敵ではない。
「ば、バカな。その動き、それは、最上、級――」
「フンッ」
哀れな魔人に何も言わせず、セヴァルはその頭を打ち砕く。
グイズが火力を向上させたのならば、セヴァルは己の身体能力を限界を超えて強化してきた。
一瞬でいいのなら、命と引き換えていいのなら、セヴァルは雷速での行動を可能とする。また、事前の準備を行えるのなら常時音速機動ぐらい、平然と行える。
どれもこれも、全ては『次』を見越してきたからだ。『前』を悔やみ続けてきたからだ。
敵の圧倒的な強大さに動けなかったかつての自分を殺してやりたい。過去に戻れるのなら、あののぼせあがった若造に拳を億も叩き付けてやりたい。そうでもしなければ、あの彼らに申し訳が立たない。
絶対に勝てないと知りながら、それでも笑って死んでいったセイファート一族。そのなかには当時のセヴァルとそう変わらない能力の者もいた。だが、誰一人として臆することなく、かの魔王ゼイヘムトに向かっていったのだ。
あの圧倒的な魔力にすくみ上り、動けなくなってしまった自分とは違う。
だから。
セヴァルは十年で全てを鍛え直した。たとえ魔王が相手でも、一矢は報ることが出来るように。
グイズと共に血反吐を吐きつくし、同じ過ちを犯さぬように。
――しかし、結果は同じだ。また、またセイファートに全てを任せることになってしまった。
何が『雷帝』だ。何が十二使徒だ。
たかだか十五の少女に全てを託さねばならぬ、そんな自分達に何の価値がある!?
「ゥオオオオオオオオオオ!!」
セヴァルの慟哭が雷鳴の中で響き続ける。
その男の涙を止められるものは、誰もいない。