第六話
迷宮内を探索する最中、時折サラはぱちんと指を弾く。
別に気取った構えで弾くわけではない。イーリスの手を引いているのとは逆の、右手の指を歩いている最中に弾くだけだ。
なぜそんなことをしているのか、理由は簡単だ。サラの索敵範囲に引っ掛かった後方にいる魔物に攻撃魔術を叩き込み、その死体をリバース・スペースに回収しているのである。別に前のアラン達に気付かれても構わないのだが、わざわざ教えて危機感を抱かせることもないだろうという気遣いだ。目視や直感だけに頼らざるを得ない彼らに、無駄な緊張を強いるのは心苦しい。一応、気付いてなさそうな側面後方の魔物も始末し、回収してある。
実は指を弾く必要はないのだが、合図のようなものがあった方が魔術を発動させるのに便利なのだ。なので、手間もかからないこの方法を使っている。
魔術を発動はさせているが、はるか遠距離での発動のためサラが使っているとはばれないだろう。常識として魔術は術者の近くからでしか発動できないと思われているからだ。実際には遠距離でもキチンと術式を編みさえすれば発動可能なのだが。
それにしても意外と魔物が襲ってこない。サラが常時使っている魔術は索敵術のみで、魔物を遠ざける魔術など一切使っていない。彼らに戦ってもらった方が経験を積めていいからだ。もしかしたら、どこかの部隊がある程度近くで大立ち回りを演じているのかもしれない。
とはいえ、襲ってこないだけで近くに魔物の反応はある。ただ襲うための準備を整えきれていないのだろうか。そういえば頭上から落ちてくるカタツムリのような魔物は、樹上から落ちてくる形以外の遭遇はなかった。案外必勝の手管以外では襲ってこないのかもしれない。
実際には違うのかも知れないが、考慮には値することだ。索敵の精度を高めることで、少し調べてみよう。
頷き、サラは行使中の魔術の索敵深度を上げる。長時間行使するには向かないが、今回は六時間程度のためサラの魔力保有量なら全く問題はない。
と、そのとき、サラの感知範囲に魔物の群れが侵入した。
数は七。大きさはロバほどもあるか。間違いなく一つの意志で統率された群れだ。つまり、魔術師協会での円卓会議でも話に上がったオオカミっぽい魔物、作戦部がガイラルウルフと命名した魔物だ。
危険度は極めて高い。高速で恐ろしく小回りの利く機動力と鉄製の鎧さえ容易く噛み砕く顎の力を備え、爪を振るえば鋼鉄の盾さえ抉り取る。それだけでも脅威だが、群れでの連携を仕掛けてくるのだから始末に負えない。
サラ個人なら一切問題はない。索敵は完了しているのでどこにいるのかまで分かっている。なので、先制して遠距離から範囲攻撃の連打を叩き込めばことは足りる。
だが、今回は手助けは最小限にと言い含められている。それにこの相手に対処しきれなければ、どうせ遠くない未来に死ぬ。
そのため、サラは何も言うことなく彼らのお手並みを拝見することに決めた。ただ、サラやイーリスを優先的に狙ってくるようならば即座に手を打つが。
静かに戦意を高め、イーリスの手を強めに握ることで注意を促す。
距離はあと二百ヤードほど。ガイラルウルフの速度ならば、この迷宮の灌木の中を通っても十秒とかかるまい。
と、サラが厳しい表情になった時だった。
ピク、とカザネの耳が動く。そして、携えていた短弓を抜いて矢を番え、鋭い声を上げる。
「来る。前からっ!」
その声に反応し、即座に全員が陣を組む。前衛にアランとコレット、中衛にカザネ、後衛にミラとルナ。迷宮の石畳はそこそこ幅があり、三人程度なら並んでも充分に戦えるほどの余裕がある。だからか、魔物も石畳の道を通ることが多い。が、何事にも例外はある。それがこのガイラルウルフだ。
サラは目を細め、障壁魔術の用意を始める。アラン達が無防備に側面からの攻撃を受けた時の保険だ。
ガイラルウルフも待ち構えられているのが分かっているのだろう、群れを幾つかに分けたようだ。流石に知能が高い。
しかし、カザネの目と耳はそれを捕捉していた。前方から真っ直ぐに駆けてくる二頭のガイラルウルフに矢を射かけつつ、声を上げる。
「側面から来る! 防護術を!」
「っ!? 弾け、全てを。衝転壁!」
ルナが慌てつつも賞賛すべき速度で魔術を発動させ、両側の石畳と木々の境目のに不可視の障壁を展開する。どこから来るのか分からなかったからか、かなりの範囲を覆う巨大なものだ。魔力の消耗は相当だろう。
それに遅れて、鈍い音が連続して響く。ガイラルウルフが力を反転して弾き返す力を与えられた障壁にぶつかったのだ。予想もしていなかった壁への衝突と、自分達の強靭な足腰から繰り出される体当たりをそのまま返された衝撃は大きいだろう。しばらくは困惑と痛みで動くこともできないはず。
続き、コレットが極小の術式を展開し、同時に突撃する。人間を上回る身体能力を持つガイラルウルフに対しての接近戦は危険だが、しかしコレットには必勝の手管を有していた。
「烈光!」
言葉と共に、爆発的な光が発生して網膜を灼く。
発動前に出されていた合図で目を閉じたアラン達とその程度の光など苦にしないサラ、ついでにサラが咄嗟に目をふさいでいたイーリスは無事だが、真正面から強烈極まる光を浴びた二頭のガイラルウルフは甲高い悲鳴を上げて悶絶してしまう。
戦闘において致命的な隙を晒した二頭にトドメを刺し、コレットは猛烈な速度で迫り来る一際大きなガイラルウルフを迎え撃つ体勢を取った。
だが、どんなに身構えても人間を遥かに超える重量と敏捷性を備えた巨狼を、盾も持たぬコレットが受け止められるはずもない。そも、細身で体重の軽いコレットに攻撃を受け止めるなどという真似が出来るわけがない。
コレットはただの囮。本命は別にある。
それを知るのはコレット達だけだ。襲い来るガイラルウルフがそんなものを知っているわけがない。
唸り声を上げてコレットに飛び掛かるガイラルウルフ。極めて巧妙に地を這うような軌道でコレットを襲う。上に跳んでも躱し切れず、左右では爪に切り裂かれてしまうだろう。
ただし、コレットの位置まで到達出来ればの話だが。
必中にして必殺の攻撃は、しかし一瞬でコレットの脇を駆け抜けたアランによって阻まれる。瞬間的に限界を超えた強化を施し、ガイラルウルフの体を大上段からの一振りで両断したのだ。
そのことに、ちょっとばかり驚くサラ。あまり強そうには見えなかったが、よくもまあこんな真似が出来るもんだと感心する。
が、すぐにサラは横へと目を移す。ようやく立ち直ったらしい側面から攻撃を仕掛けてきたガイラルウルフが、魔術の壁を迂回し始めたのだ。
オオカミのはずなのに軽快に木を駆け上って壁を跳び越えようとするもの、大きく回って壁の前後から襲い来ようとするものとこの状況でもまだ諦めていないようだ。
前衛が前に突出している状況だが、彼女らに焦りはない。上から襲い来る個体をカザネが撃ち落とし、ミラが影の刃で前に回りこもうとしていた二頭を切り分かつ。
見事な手並だ。この年齢にしては驚異的というべきだろう。なるほど、未来の幹部候補とは名ばかりではないらしい。
笑い、サラは囀るように口を開く。
「風裂刃」
彼ら五人が唯一討ち漏らした一頭、後ろから回り込んできた個体を風の刃が微塵に引き裂く。どんな制御をしたのか、素材として重要な頭部と脚部には傷一つ付けていない。
見もせずに行った超絶の技巧だが、それを見ていた者は誰もいない。というか、自分達のなした初めての戦果に酔いしれているのか、ほとんど無防備な状態だ。
牙や爪の回収にも時間がいるため、サラは周囲三十ヤードほどに魔物を寄せ付けない結界を張る。協会でも高い危険度を持つと判断された魔物を撃退したのだから、少しくらいはご褒美として手伝っても構わないだろう。
「イーリスちゃん、わたくしはこのオオカミの牙とかを剥ぎ取っていますので、その間にこの周りの植物で何か良さそうなものを取ってきていただけますか?」
「うん。わたしが選んでいいの?」
「ええ。その方がいい結果になると思います」
そう言って、サラはイーリスに袋を渡す。適当に持ってきた革の袋で、そこそこ大きなものだ。植物にはサラよりもイーリスの方が詳しいため、機会があればイーリスに採取してもらうために用意したのである。
自分の周囲の植物から何かを聞くことでかなり迅速かつ的確な採取を行うイーリスを見て、サラも気合を入れ直す。
魔物から牙などの素材を剥ぎ取るために持ってきたナイフを取り出し、ガイラルウルフの死骸に近づく。かなり生臭いが、問題はない。牙を折るのではなく、鼻先から顎自体を切り出す。頑強な骨は並のナイフでは傷さえつかないが、魔術で切れ味を高めたナイフのため問題なく切断できる。
一息に牙を顎ごと切り取ったら、次は爪だ。これは剥ぎ取るのが面倒なので魔術で処理をする。必要な部分を保護し、後は丸ごと焼却すれば一丁上がりだ。
ボッと音を立てて一瞬だけ燃え上がり、すぐに灰と化したガイラルウルフの死骸から爪を取る。そして、拾い上げた爪から灰と煤を叩き落としたサラは、一番近くにいたルナに近づいていった。
「これも貴方がたの戦果です。どうぞ」
「あ、ありがとう。でも、いいの? こっちの取り分になっちゃうけど」
「わたくしはどれだけ採って帰っても固定の金額しかもらえませんので」
爪と牙をルナに押し付けたサラは、軽く周囲の様子を確認する。
この辺りにはサラの結界があるために魔物は近付いてこないが、どうも森がざわめいている気がしたのだ。
遠く、感知範囲外で何かが起きている。そんな気がしてならなかった。
時間になったので迷宮から出ると、大半の部隊が神妙な顔をして何事かを話し合っていた。
何やら深刻な事態が起きているのかもしれない。
すっとサラの目が細められたとき、迷宮から出てきたサラ達に気付いた数人が近付いてきた。
「お、そっちは無事だったのか」
「何があったんだ?」
「魔物だ。資料にはなかった、恐ろしく強い魔物が出てきたらしい。部隊が一つ壊滅して、一人しか生き残れんかったみたいだ。襲われたのは一つの部隊だけだったみたいだが、念のため調査隊を出すそうだ。次の探索はその結果待ちだとさ」
「他は大丈夫だったのか?」
「襲われたのはその一組だけみたいだ。資料の地図に描かれてなかった範囲に足を踏み入れたのが不運だったな」
近付いてきた誰かと親しげに話すアラン。
その彼らのやり取りを聞いて、サラは歯噛みする。もう少し入り口近辺からつながる周辺を念入りに調べておくべきだった、と。所詮は個人でしかなったサラがあの短い時間でこの広大な面積を誇る階層の三分の一を踏破し、調査出来たのは賞賛に値することだ。だが、やはり個人は個人。たった一人で全体を網羅するにはあまりにも時間が掛かりすぎる。
仕方のないことだが、まだ幼いと言えるサラに割り切ることは出来ず、重苦しい息を吐き出すことしかできない。
「すみません、わたくしは用事が出来ましたので少し抜けます」
「あ、はい。多分、今日明日は宿にいると思うから、用があったら来てね」
「ええ、用がありましたら。では、行きます。イーリスちゃんも来てください」
ほんの少し親しくなったルナに断り、サラは目的地を目指す。身を焦がす悔恨を理性で抑え込み、即席の天幕を張っている迷宮攻略本部へと赴いた。
用事は一つ。許可を得ることだ。
「すみません、今回の魔物の件で――」
「しかしだな、全部あの子に任せるわけにもいくまい?」
「それでも、サラちゃんが我々の最大戦力であることは動かしようのない事実。今は不安要素を取り除くことに努めるのが我らの仕事だろう」
「だからと言って危険だと分かっていることを年端もいかぬ少女に任せきりにすることをどう考える!? あの子は強いがそれでも不覚を取ることはありえるだろうに」
「任せきりにするなどとは言っていない。一時的な措置だ。広域の索敵術式を使い続け、かつ弱点を探せるほどに豊富な攻撃の種類を保有するのは現時点で彼女しかいない。分かるか、現時点では、だ。迷宮の構造を調査し、錬金部が有効な武具を開発すればいずれは他の部隊で対処できるようになる。それまでの一時凌ぎなのだ。
情けないが、それ以上の手段を我々は持たないことを自覚しろ。なんなら、貴様が挑んで餌になってくるか!?」
天幕に足を踏み入れたサラが見たのは、殴り合い寸前の話し合いを行う二人の男性の姿だった。
どちらも言っていることは正論のため、誰も口を挟めない。効率を重視して負担を優秀な一人に負わせるか、効率を捨ててでも全員が等しく負担を背負うか。
中での話し合いがどうあれ、サラの答えは出ていた。
「すみません。今回の魔物の件で、わたくしに出撃の許可を頂きたいのですが」
静かな声音。しかし、その言葉に込められた強さに天幕の中が静まり返る。
魔力を用いたわけではない。大声を出したわけでもない。語気を強めたわけでも、甲高い声を出したりしたわけでもない。
それは言うなれば意志の強さ。激情に駆られるでもなく、義務感からでもなく、自分の意志で自分のやるべきことを選び取ったが故の強さ。
サラのそんな言葉に圧倒されていた人々が、数秒を経てようやく動き出す。目的は一つ、サラに今回の件の情報を提供することだ。
「……すまん。奴らの持ち帰った地図を渡す。赤い点が打ってあるところが遭遇地点だ。件の魔物は周囲の木々に負けないほどの体高の、二足歩行の爬虫類型らしい。移動速度はあまり速くないようだが、攻撃は異常に速かったと言っていた。今の段階ではこれ以上の情報はない」
「それだけの情報があれば充分です。とりあえず試料としてその魔物の死骸を持ち帰ります。そうですね、一時間もあれば戻ってこられるでしょう」
「では、正式に許可と依頼をサラ・セイファートに出す。本当に、すまない」
「頭を下げないでください。これがわたくしの仕事ですから」
ただただ申し訳なさそうにする人々に、サラは微笑を残す。
そして。
「イーリスちゃん、ここでお留守番しててくださいね。みなさん、この子を少しの間お願いします」
イーリスの髪を撫でたサラは、風のように天幕から姿を消した。
誰も、何も言えぬままに。