第六十八話
早朝、目にクマを作りながらブリジットは不機嫌そうに報告を受けていた。
色々とやることが重なり、魔術師協会長たるブリジットしか決済できない案件が幾つも回ってきている上、多少戻ってきているとはいえ協会の人員の多くが冒険者協会に出向している関係上、多くの仕事を背負っているので大して眠れていないのだ。
今日などはもう事務机に突っ伏して寝ていたところだ。書類仕事中に寝落ちたとも言う。顔面から書類に突っ込んだはずなのに、涎一つ書類には付けていないところは流石というべきか。
これで緊急性の低い報告なら、隣の自室で寝よう、とブリジットは決心していた。
「――帝国、法国、共和国、あとうちの国に南の小国の幾つかに本日悪いことが起きる、そう予知があったのね?」
「はい。短期的なことで、しかも良い悪いの二択の場合、彼らが占いを外したことがないのは記録からも明らかですので」
ふむ、とブリジットは髪を掻き上げた。
魔術師協会の有する占術班はかなり優秀だ。協会内に複数いる狂った一族のように血統ごと占術に特化しているわけではないが、わざわざ大陸を渡り歩いて占術の才能を持つ者達を選び抜き、また術式をかなり進化させている。
報告に来た者の言うように、短期的な予知でしかも二択条件ならば占術班発足以来外した記録が存在しない。
となると、悪いことの内容が問題だ。
どれぐらい悪いのか、規模は、範囲はいくらだ。
その予兆は何かなかったか。
ふむ、と頷き、ブリジットは口を開く。
「占いに出た南の小国、国名を挙げてもらえる?」
「えーっと、確か……」
報告に来た者は四つほど国名を挙げる。
それを聞いて、ブリジットは頭に衝撃が走るのを感じた。
それらは全て、迷宮と思われる巨大構造物を地下に宿している国々だ。法国、共和国、帝国も、そうだし、この国は言うに及ばない。
予感がする。迷宮がらみの事だ。
「分かったわ。魔術師協会協会長として命令を発します。戦闘系十二使徒をその上がった国々へと派遣するわ。
セヴァル、グイズ、リアラ、アーサー、フォー、ジングランを呼びなさい。場合によっては私が出撃することも考慮します」
「は、はい! では、皆様にその旨伝えてきます! ですが、セヴァル様も、ですか!?」
「そうよ。ここの守護の任を一時的に解くと伝えなさい」
はい、と返事して慌てて去っていく伝令を見送り、ブリジットは一つ嘆息する。せめて昨日分かっていればよかったのに、と。
だが、今は被害を少なくすることが先決だ。十二使徒なら、魔物の群れ程度ならどれだけの数が居ても関係ない。問題はそれ以上が来た時だが――その時はブリジット本人が動くほかないだろう。
日も高くなった頃、サラは第十六階層へと続く階段の前にいた。
消耗度が思いのほか高かったためか、少々寝過ごしてしまったのだ。それでも普通なら早起きに属する時間に起床し、しっかり朝の修練をして体調を確認し、食事までして昼前にこの場所へ来ている。
また、サラに気負いは見られない。
死地に来ているにもかかわらず、その足取りは常と変らない。
普段迷宮に潜るときとの違いを挙げるとするなら、出している神器の数だろうか。
いつもなら『砕くもの』のみを持ち歩くが、今日は『偽神・円環蛇』も腕に巻いている。複数相手が予想されるため、不測の事態に備えてある程度自律で動く神器を防御に回すのだ。完全に防げずとも、直撃さえ避けられるのなら、今のサラなら大抵の攻撃に対処できるのだから。
全身に超絶の強化を施したサラは、ゆっくりとしかししっかりとした足取りで階段を降りていく。
長い長い階段を抜けた先、そこはそれまでとあまり変わりのない、蒼空の中に石版が無数に浮いている空間が広がっていた。
見た目こそ変化はないが、実際には全く違う。
まず第一に魔物がいない。あの邪魔なだけの雑魚は存在すらしていない。
そして、第二に。
最上級魔人と思われる力が、三つ存在する。
三対一か、とサラは吐息した。
それぞれの力の大きさは恐らく魔王級よりは下だろう。だからと言って、手を抜ける相手かというと、間違いなく違う。
昨日出会ったグラナリアのような後方支援特化に近い魔人ならともかく、戦闘型の最上級魔人など位階の高低にかかわらず油断など出来ない。
とりあえず、サラは浮かぶ石版を伝いつつ、三つの気配を探る。
一つは強い。自分と同格かそれ以上。感じ取れる魔力などの質からも、真っ直ぐな強さがうかがえる。
残り二つも、それよりは弱くとも充分以上に強い。レギオン前後といったところか。
死の気配が後ろにひたひたと近付いてきているのが分かる。ここで尻込みして逃げるのが、最善だと頭の冷静な部分が告げる。
だが。
サラ・セイファートに、敵前から退くという選択肢は存在しない。
もとより自分より強い相手と戦うつもりで来たのだ。たかだかこの程度の障害を前にして退くことなどありえない。
広い階層の中ほどまで進んだ頃だろうか。不意に目の前へと剣を持った全身鎧の黒騎士が現れた。
強大な力を湛えた、鎧そのもの。開いている目の部分から察するに、中には誰も入っていない。鎧と剣を本体とする魔人か。
この黒騎士がサラと同格の魔人だ。
「レギオンを下せし者よ、よくぞ来た。我は大公の座を頂く最上級魔族『狂暴』アスモダイ。名を聞こう、小さなれど大なる者よ」
「『金色の颶風』サラ・セイファートと申します。本日の舞踏のお相手をつとめさせて頂きます」
「我ら三柱を捉えていながらも、平静を保つその心臓、気に入った。まずは我一人で相手しよう。我が仲間が勝手に手を出すやもしれんが――卑怯とは言うまいな?」
「当然です」
言うが早いか、サラは最速の一撃を黒騎士へと叩き込む。
雷光にすら近い速度の一撃。それを、黒騎士は大きく距離を取って躱して見せた。
初手が凌がれるのは当然ながら想定内。むしろ凌いでくれなければ困る。
すぐさまサラは追撃を掛けようとし、しかし黒騎士の動きを見て体を横に投げだす。
それにほんのわずか遅れ、サラのいた場所を見えない剣閃が切り裂いた。
攻撃を避けてからの斬り返しが凄まじく速い。この辺りは汎用性に優れる剣と、威力はあれど取り回しに難のある戦鎚との違いか。
とはいえ、対処できないほどではない。
分かる。このアスモダイという魔人は特化能力を持たず基礎能力の高さと自らの腕で戦う、純粋な戦士だ。
だからこそ、怖い。
レギオンのように特化能力に頼る型なら、様々な対処法を取れる。能力にもよるが、よほどの事でない限り死角があるか、真っ向から粉砕できるからだ。
だが、こういう武人は違う。死角があればそれをふさぎ、力には技で、技には力で対処してくる。力が拮抗しているなら、無理に押し通すのもなかなか難しい。
アスモダイの斬撃を弾き、距離を詰めながら、ニィ、と我知らずサラの口角が上がる。
相手一人でこれか。三体いるうちの一つでさえ、このありさまか。
これでこそ、戦い。これでこそ、死線。
氣を抜けば、一瞬の後には命が消えている。こうでなければ、戦いとは呼べない。
常人では視認することすら出来ない速度の斬撃を、サラは戦鎚の柄頭を使って捌く。鎚部分を体に密着させることで自分の重心と一体化させ、柄を頑丈なただの棒として使っているのだ。鎚部分よりは弱くとも、それでも超重量を容易く支えるその強度は常軌を逸している。
そして、何よりサラは知っている。
手加減に手加減を重ねてなお、今の自分をあっさりと殺せる存在を。
このアスモダイよりも更に上の剣の使い手と、ただの手合わせとはいえ交戦している。
何度、何十度、何百何千何万、彼女と戦うところを想像してきただろうか。何億回その想像での戦闘で斬られてきただろうか。
今のサラが想定している敵は自分よりはるか上を行き、あらゆる全てを切り裂く『神の騎士』と同格の存在だ。受け方を微かに間違えるだけで塵にされるだろう化け物だ。
常に自分よりも五段は上の存在を想定してきたサラにとって、アスモダイの攻撃はどれも『見える』ものに過ぎない。
近付かれるのを嫌ったアスモダイが距離を取ると同時に、サラは戦鎚を常の形に持ち替えて攻勢に出る。
先手を打って仕掛けてきた神速の袈裟切りを戦鎚の柄と鎚部分で巻き込んで捕らえると同時、サラは懐へ潜りこみ、密着状態から強烈な肘を叩き込む。
相手の鎧が幾ら硬くとも、威力を一点に極限まで集中させた一撃に耐えられはしない。明確に鎧の胴を砕いた手ごたえがサラに帰ってくる。
人間なら、まともな臓器を持つ生物なら間違いなく致命打。だが、相手は動く鎧。胴を砕かれた程度で死ぬようなことはありえない。
だから、サラはその肘に一つ属性を纏わせていた。
混沌属性。物質に対する超特効。生物相手なら――自分と言う存在を活用できる強者相手なら、術式を組まなければ大した効果は得られない。が、物質相手なら。意の通わぬ物質相手ならあらゆる要因を無視して、物質を構成する基盤たる混沌そのものへと昇華させることが可能だ。
サラは結果を確認する前に距離を取り、無詠唱で宇宙属性魔術を展開する。今の小手調べ段階で今対峙している敵の最大戦力を奪えるのなら、それが一番だ。
そう、そしてそんな甘いことが実現できるわけもない。
アスモダイは自身が混沌に蝕まれていることを悟るや否や、打たれた部位を瞬時に剣で切り抜く。他の部位に侵蝕が進む前に、自分から切り離したのだ。
そして、アスモダイが一瞬動けなくなったとき、サラが発動させようと収束していた魔力がいきなり霧散した。サラの堅牢な魔力支配すら突破する干渉力。生半可なものではない。
加えて、おまけとばかりに雨霰と致命的な魔術がサラへと降り注ぐ。一つ掠っただけでも甚大な被害を受けるであろう魔弾が、実に数万もサラを追尾する形で襲い来る。
普通ならば、この魔術だけで百万の軍勢を滅ぼせるだろう。相手がサラでさえなければ、地上の他の強者なら全てまとめて滅殺出来ただろう。
だが、しかし。
この程度で死ぬようでは、魔王級などと称されはしない。
サラは一瞬で虹色に輝く薄膜で自分を覆う。次の瞬間、魔弾全てがサラへと殺到するが、全て効果を発揮する前に完全に消失――否、サラに吸収されてしまう。
いかに強力な魔術であろうと、虹属性を貫通することはよほど特殊な術式を編まなければ不可能だ。問答無用で虹を貫けるのは、宇宙属性しかないのだから。
お返しとばかりに、サラは吸収した魔力を展開しようとし――その前に魔弾が飛んできた方向とは逆に向けて強力な砲撃を放った。
どこにいるかは既に把握している。直接的な攻撃ではなく、妨害を行ってくる敵は真っ先に倒すべき対象だ。
とはいえ、この程度の攻撃は消されるだろう。案の定、サラが探知した地点より手前で砲撃は霧散させられてしまった。
「チッ、なかなかやりますね」
「こちらのセリフだ。能力的に拮抗しているにもかかわらず、まさか一対一では勝ち目がないとは……」
アスモダイは苦々しげにサラを睨みつける。
サラもここで追撃を掛けたいところだが、今は大きな動きを見せるわけにはいかない。
まだ虹と混沌を同時に扱うほどの技量はないため、魔術攻撃と物理攻撃の双方を同時に捌くのは難しいからだ。
となれば、敵が動きを見せるのを待つほかない。
「悪いが、ここからは三対一だ。確実に、貴様を刈り取らせてもらうぞ」
アスモダイの言葉とどちらが早いか、天から三重構造で虹属性防護膜を突破する魔術が降り注ぎ、アスモダイ本人も突っ込んでくる。
魔術を迎撃しようにも魔力を霧散させられるし、状況は悪いと言っていい。
ただ、それでも、サラは笑う。
まだまだ、最悪には程遠い。
受けに回る、などという弱気な思考がダメなのだ。やはり、自分には前へ出る方が合っている。
サラは降り注ぐ魔弾の数々を意にも介さず前へ出る。なんにせよ、一番最初に倒すべきは一番強い奴だ。そうすれば、後に残るのは雑魚となる。
虹へ対抗できる代わりに弱化した魔弾への対処は全て『偽神・円環蛇』に任せ、サラは全精力をアスモダイ打倒へ回す。
打ち合わされる剣と戦鎚は激しさを増し、そして――
イーリスは目の下に大きなクマを作って、しかししっかりとした足取りで学園の図書室へと向かう。
いつもそこにいるディルに会うためだ。一晩考えに考え抜き、イーリスはやっとの思いで答えを出していた。
図書室に入ってきたイーリスを見て、ディルは微かに微笑む。色濃い疲労が見えるが、その分確固とした答えを出したことが見て分かる。
イーリスはディルの前に立ち、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
第一声が謝りの声。それは、つまり、たった一つの事を指す。
「後悔は、しないか?」
「はい。お姉ちゃんが何のために戦ってるのか、わたしには分からないけど。けど、きっと、どんなに傷ついても、それこそ死んじゃってもやらなきゃいけないことなんだって、そう、思ったんです」
答えを聞き、ディルは破顔した。目論見は破れたが、ある意味それでよかったのかもしれない。
恐らく、この答えを言うためだけに全ての力を振り絞ってここまで来たのだろう。イーリスはそのまま崩れ落ちるように図書室の床に倒れ込んでしまった。
まだ幼いのに徹夜で考えていたせいだ。一応、頭などを打たないよう肩に留まっていたオリオールが色々と手を打っていたので、心配はいらないだろう。
「今の名はオリオール、だったな。その子を大事にしてやれ。良い答えを出した」
『――何を言ってるの?』
「さあな。奥に寝台がある。使え。今日はどうせ休校だし、好きなだけ寝かせるといい」
『だから、何を――』
オリオールの言葉に、ディルは何も返すことなく、ただ顔を向ける。
そこにあるのは、ただ深い覚悟だけだ。そう、何よりも深い、覚悟。
「成否にかかわらず、私は死ぬ。少々ひどいことをしたが――最後に導くものとして、仕事が出来たことを喜ぼう。ちなみに、ここを探しても何もないぞ。私は敵に情報をくれてやるほど甘くはない」
それだけの言葉を残し、ディルは絶大な魔力を帯びた神器を持って姿を消す。感知能力はそれほど高くないオリオールでは、それを追うことすらできない。
とりあえず、オリオールはイーリスを移動型障壁で包み、図書室の奥に作られた司書室と言う名のディルの生活空間へと運ぶ。
最奥に備え付けられていた寝台は簡素ながらも清潔を保たれていたので、オリオールは特に気にすることなくイーリスをそこに寝かしつける。
さて、とオリオールは寝台の縁に体を下ろし、一息つく。
イーリスがちゃんと答えを出せてよかった。あの凄まじい魔力を持った神器は心配だが、サラなら何とかするだろう。何の根拠もないが、そう思えるだけの力がサラにはある。
後はもう、信じるだけだ。
イーリスが深い眠りに着いたので、付き合って徹夜したオリオールもまた眠りにつく。一応、出来る限り強固な障壁を寝台中心に展開して。
静かに寝息だけが部屋に響く。
それを聞くものは、誰もいない。