第六十七話
グラナリアをフロウに預けたサラは、再び第四層の攻略に戻っていた。
今度は前回とは違い、素材収集などが主だ。流石に即座に層の主に挑むには消耗が大きいし、少々嫌な力を感じるために万全の状態で挑みたい。
適当にリバース・スペースに素材になりそうなものを片端から叩き込み、行く手を遮ろうとした上級魔人を塵にし、サラは第十五階層の最深部で階段を睨みつける。
嫌な魔力が、階段の下から漂ってくる。
あらゆる力を可視化して把握できる今なら分かる。この下にいるのは、一個体ではない。
詳細は分からないが、間違いなく複数。だが、弱い力は感じられないため、ほぼ間違いなくこの次、第十六階層が第四層の管理者のいる階層だろう。
複数の大きな力が混じり合っているため、ここからではサラより強いか弱いかなどの判断はつかない。だが、やはり自分より上位の力の持ち主がいることを想定しておくべきだ。
となれば、恐らくこの先では複数の強者との同時または連戦となるだろうか。
現状、サラ以外に最上級魔人と戦える者がいないことを考えるに、少々覚悟が必要となる。そう、死ぬ覚悟だ。
出来る限り最善を尽くすが、それでも最上級の魔人複数を相手にするとなればまだ未熟なサラでは死の危険は大きい。みすみす死ぬ気はなくとも、それなりに覚悟しておかなければならない。
本来なら確実に仕留められるだけの力量を得てから挑むべきだが、サラにはもう時間が無い。
賭けになろうとも、自分の命を賭け金にして挑むほかないのだ。
サラは、下見に来れたことに安堵した。もし、そのまま覚悟なく挑んでいたら負けていたことは間違いない。
「さて、一度戻って体調を整えましょう。決戦は、明日」
そう言って、サラは夜空を切り裂いて飛んで行く。
単純に階層を移動するだけなら、一つの階層につき十秒そこそこで渡ってしまう。正規経路以外を通る存在を叩き落とす力が働いているにもかかわらず、サラは問答無用に真っ直ぐ飛んで行く。前回来た時のように大幅な強化などしていないが、それでも人智を超えた速さと能力だと言えるだろう。
地上への転移装置の場所まで僅か一分足らずで辿り着いたサラは、今日の収穫を反芻しつつ地上へと戻る。
既知の素材が主だが、第十四、十五階層で取れた素材はまだ知られていないものが多い。今から協会に持ち込むのは時間的に不適当なので、持ち込むのは明日以降になるだろう。
転移装置を起動すると、軽い浮遊感と共に瞬時に地上へと移動が終わる。この定点空間転移というのはかなり有用だ。魔術師協会がここの鉱石等から安定した空間転移を実現させようと頑張っているが、まだ大人数を一度に運ぶことは出来ない。
このあたりの問題点を解決出来たら、魔術が市井に広がるのに大きな一歩を踏み出せるだろうが……まだまだ遠い。
サラは軽く肩を竦め、自分の家へと足を向ける。流石に迷宮内と違って街は壊れたら元に戻らないし、急ぐ理由もないため、のんびりと歩いていく。ただし、のんびりと、というのはサラの基準でだ。
実際には一般人の全力疾走に匹敵する速さで、ごく普通に歩いていく。その光景をきちんと理解して見ることが出来る者がいたら、目を疑うだろう。
まぁ、深夜にそんな謎の行動をしている人物に声を掛ける者などいるわけもなく、つつがなくサラは自宅に辿り着いた。
と、家に明かりがついている。
珍しいことだ。イーリスが学園の寮に行って以降、サラが帰るときに家に明かりがついていたことなどない。
ルンかフロウでも遊びに来ているのだろうか?
サラはなんとなく浮いた気分で家の戸を開け、明かりのついている居間へと向かう。
「…………おかえりなさい」
「グラナリア、さん? どうしてここに……」
そこにいたのは、どうしようもなく落ち込んだ神族の少女だった。サラが脅かした時よりもずっと気分が沈んでいるようだ。
自分の家で際限なく落ち込まれるのは勘弁してほしいところだが、そもそもなぜここにいるのかが分からない。
サラの問いに、グラナリアはぽつぽつと話し始めた。
「今の人間って凄いですね。私が『魔導神』アーカム様に教わって、だいぶ頑張って覚えた色々を、もうほとんど解明しているんですもの……。私、要らない子なんですね……」
「まぁ、魔術師協会の錬金部の最精鋭、トリスメギストスの一族は千年の月日を錬金術に注いできた方々ですから。調薬部にも似たような一族がいますし、今までに発見された全てはよほど特殊な部類の物以外は大抵扱えてるようですね」
セイファートと同じ発想を持つ者はそれなりにいる、ということだ。向いている方向は違えど、一族そのもので一方向へ特化していくというのは、そこまで特異なことではない。
まぁ、発想が特別異常なことではないからと言って、実際にやってしまう連中は異常だ。千年も万年も一方向しか向いていない一族など、碌なものではないのだから。
ちなみに、サラを含めた魔術師協会に所属するそういう一族は、自分達が狂っていることを自覚している。それでも、狂気の淵にどっぷりと浸かっていることを自覚しながらも、決してその歩みを止めることはないのだ。
とはいえ、そんなことがグラナリアにとって慰めになるわけもない。
何か気を紛らわせるものを、と考えた時、サラの頭にふとよぎるものがあった。
「グラナリアさん、事務等の後方支援が得意と聞きましたが、よろしかったでしょうか?」
「……得意分野でも弱体化した今の神族にすら劣る私に何か……?」
「あまり大ごとにすることでもないので、お暇なら一つ手伝いを頼みたいのです」
あまりにも後ろ向きなグラナリアにちょっとイラッとしつつ、サラは表情を変えずに告げる。
この手の輩は放置しておくと際限なく沈み込んでいく。なら、目先を変えるために何かやることを振ってやればいい。
ちょうどいいところに、無茶振りともいえる難題を一つ抱えているところだ。サラは明日、強者との戦いを行うのだし、錘は一つでも少ない方がいい。
「ちょっと知り合いに武器を譲ろうと思うのですが、平凡なものではつまらないでしょう? そこで出来る限り実用性を保ったまま、しかし驚かせることの出来るよう色々細工をしようと思っているのです。
お手伝いして、いただけませんか?」
「面白そうですね……予算や使用する素材とかに制限とかします?」
「いえ。いっそ物だけは最高にしようと思っています。基本的には普通の武器、でも使いこなせば洒落にならないほど強力、というのが理想なのですが……」
「いいですね、考えてみます。迷宮のどれぐらいの深さの素材なら許可出ます? 表裏で色々あるので、色々考えるとより面白くなりますよ」
話に食いついてきたかと思うと、グラナリアは目を輝かせて幾つかの魔術を展開し始める。
見たことのない術式だ。明らかに攻撃用ではない。かと言って、防御や補助でもないようだ。
発動した魔術、それは現在のサラには無い発想のものだった。
それは発光する板状の、情報が書き込まれた何か。しかも、どうもグラナリアが使用すること以外は考えられていないようで、目まぐるしく板の情報が変化していく。
もしや、これ全てがグラナリアの知る錬金術や付与魔術、魔道具等の知識なのだろうか。だとすると、一抱えはありそうな板を十数枚も使ったうえ、表記されている文字は麦粒のように小さなものなのに、それでも載せきれない情報量とは……。
「武器の種類はどれがいいんです?」
「剣ですね。ですが、剣自体に特殊な能力というと芸が無いので、鞘に色々付与する方向だとどうでしょうか」
「了解。鞘、鞘……二日、いえ一日下さい。良さそうな効果を百まで絞って、表作っておきます。ふふ、腕が鳴る……!」
なんにせよ、元気が出たのなら良いことだ。
奇妙な声を上げて猛然と何かをし始めたグラナリアを置いて、サラは自室へと戻る。
そして、着ていた戦闘服を脱ぎ捨てて下着姿になると、魔術で体や髪の汚れを消し飛ばし、ベッドに頭から飛び込んだ。
既にサラは睡眠を必要としない体だが、しかし急速回復を行うなら睡眠を取るのが最も効率がいい。とは言っても、睡眠中だろうが索敵術式は常に使い続けるわけだが。
今の体調なら五時間ほどの睡眠で完全に回復できるだろう。回復した後は、もう敵と自分のどちらが強いかの比べあいだ。
数秒後、サラは寝息を立て始める。
この僅かな休息の時を、邪魔するものはなく――
同時刻、イーリスは自室で果てしない自問自答を繰り返していた。
憔悴しきった顔で、答えの出ない問いを自分にかけ続ける。
ディルの提案に乗るか、否か。
たった二択の選択肢が、どこまでもイーリスを苦しめる。
その根底にあるのは、サラへの憧れと、傷ついて欲しくないという思いだ。
戦うサラはカッコよく、綺麗だ。けれど、そんなサラが怪我をしたりするのが、イーリスはとても嫌だ。
イーリスは、気付いていない。
その思考の中心にあるのが、サラでなく自分であることに。
だから。
オリオールはそっと語りかけた。
『イーリスちゃん』
「な、に?」
僅か一声で分かるほどに疲弊している。だが、オリオールはイーリスへの言葉を止めるつもりはなかった。
きっと、このまま決断すると、どちらを選んだとしてもイーリスは後悔することになるだろう。それだけは、避けなければならない。
『なんで、サラちゃんは戦ってるんだろうねぇ?』
「え?」
『痛いのは辛いし、怖いよね? じゃあどうして、サラちゃんは戦うんだろうね。痛いのが、怖いのが好きな人なんて、そうはいないと思うの。
戦うのが好き、そう言う人はいるし、サラちゃんもその傾向はあるよ。でも、一度死んじゃってまで戦い続ける人は少ないよぉ?
じゃあ、なんで戦うんだろうねぇ? それを、よく考えて決めないと駄目だよ』
それだけ言い、オリオールは黙ってしまう。
当然のことだ。オリオールはイーリスの思考を誘導したいわけではない。ただ単に、サラの事も考えてほしいだけだ。
自分の事だけでなく、相手の事を深く考えて出す結論なら、きっと後悔はないだろうから。
厳しいと言わざるを得ない対応だが、しかしこういうことで妥協してもいいことなどない。
せっかく降ってわいた機会だ。イーリスの成長のため、利用しない手はない。
それに、とオリオールは胸中で付け加える。
サラなら、どういう結果になっても問題なく対応するだろう。ディルが何を考えているかは分からないが、今のサラはあらゆる思惑を粉砕できるだけの能力がある。
無条件にサラを信頼しているわけではないが、あの狂気的ともいえる全方位への対応具合からして、誰かが思いつくようなことに対処していないわけがないのだ。
一万年の蓄積というのは、それほどまでに重い。恐らくサラを無力化するなら、どういう方法を用いたとしても、結局は力で上回るほかない。
未だに悩んでいるイーリスにそっと寄り添いつつ、オリオールは静かに答えが出るのを待つ。
その日、イーリスの部屋から明かりが消えることはなく――