第六十三話
鍛冶屋で短剣を受け取り、サラは確認する。
見事、というほかないだろう。
元の錆びていた面影などない。打ち直され本来の鈍色を取り戻した短剣は、研ぎ澄まされた切っ先でサラの顔を映す。
守り刀として打ち直してもらったが、こうして見ると実用として耐えるものに出来上がっているのが分かる。取り出しやすい位置に配置しておけば、イーリス達程度の実力域では切り札として使えるだろう。
サラが期待していた魔術への親和性も失われていないし、紹介してくれた受付の女性には後で差し入れでもするべき出来栄えだ。
「どうよ。普段の手入れのしやすさを重点に置いたが、堅牢さも実現できた。刀身の素材からして、何も切らないなら年に一度研ぎ師に出すだけでも充分だし、人間や魔物を斬っても刀身が歪まない限りは洗って拭いときゃ問題ねえ。
あの量の水晶樹に見合うかは分からんが、嬢ちゃんの感想はどうだい?」
「素晴らしいです。理想的ですね。個人的にはもう少し色を付けても良いぐらいだと思いますが……」
「ハッハ、これぐらいの仕事でそんなに貰っちゃあ悪いぜ。あの量なら今だと大銀貨三百は下らねぇ。その仕事でも貰いすぎだと思ってるぐらいだ」
豪快に気分よさそうに笑う老人に、サラは苦笑を返す。なるほど、それほどの価値があったのなら、納得だ。あれぐらいなら毎日同じ量を取って来ることが出来るが、それをやると流石に市場破壊になるだろうか。
なんにせよ気分よく仕事を終えてくれたのならありがたい。
サラがお礼を言いながら頭を下げ、鍛冶屋を後にする。
次の目的地は学園――のまえに広場の噴水に行って、おみやげを灰猫に渡さなければ。
ここに来る途中で新鮮な魚と肉を買ってきたのだ。約束通り、子分の分も余裕を持って。
あまり人のいない広場で灰猫にそのおみやげを見せると、灰猫は「にぁ~」という気の抜けた鳴き声を出した。すると、すぐさまかなりたくさんの猫がやってきて、サラを取り囲んだ。
『コブンども、この人間がおみやげを持ってきてくれたにゃ。お礼を言ってから持ってくにゃ』
灰猫が地味に威厳のある声で猫たちに向かってそう言うと、集まった猫たちは口々ににゃあにゃあ鳴いてから好きなものをくわえて去っていく。
やたら統制が取れている猫たちだ。自分だけたくさん持っていく、ということはせずちゃんと遅く駆けつけた猫にも行き渡るようちゃんと加減して持って行っている。
満たされているからなのか、この灰猫がニラミを利かせているからかは不明だが、良いことだ。
「では、わたくしはこれで」
『にゃにゃ、また来ると良いにゃ』
尻尾を振って挨拶してくれる灰猫に小さく手を振り返してから、サラは次の目的地を目指す。
つまり、イーリスのいる学園だ。ちょうど今日は休日のはず。探査すればイーリスがどこにいるかぐらいは簡単に把握できるが、それをするのは少々無粋だろう。こういうのは探す過程にも意味があるのだ。
常に最適解ばかりでは、時間も潰れないし。
ゆっくりのんびり行くことを決意し、サラはゆっくりと歩き出――やっぱり差し入れには美味しい物を持って行こうと思い直し、早足で冒険者協会へと足を向けた。
段取りをちゃんと付けていないのでぐだぐだだが、何もない日ぐらいはこれでいいだろう。
どうせ、この休みが終われば、後はもう休むことなく進むだけなのだから。
差し入れを買った後、サラはゆっくり探すつもりだったが、市場でイーリス達とばったりと出くわした。
どうやらイーリス達は実習準備最後の買い出しに来ていたようだ。恐らくは日持ちしない食べ物でも用意しに来たのだろう。
パタパタと駆け寄ってくるイーリスに笑みを向け、サラは軽く会釈した。
「こんにちは。みなさんは迷宮実習の準備ですか?」
「はい。買い忘れの確認や、最後の情報収集をしています」
「そうですか、頑張ってくださいね」
クレールの言葉に返しながら、サラはさてどう渡したものかを考える。
別に大したものではないし、イーリスなら大事にしてね、と言えば大事にしてくれるだろう。だが、渡すきっかけと言うのは欲しい。
そんなことをサラが考えていると、真剣な顔をしたクレールが一歩前に進み出てきた。
「すみません、一つお願いがあります」
「なんでしょうか」
「第四層で採れる素材、その中にある霧を取ってきて欲しいんです」
言われた言葉を反芻し、サラは理解する。
自分が採取してきた目録の中に、それはあった。錬金術師たちが必死で考えて付けた名前は、『蒼穹の朝霧』だったか。第四層の水場近くでサラが採取した、非常に特殊な力を持つ霧だ。
そう、クレールが求めている、解呪の魔術薬を作ることのできる素材。
なるほど。真剣にもなるか。
サラは内心で頷き、自分も真剣にクレールと向き合った。
「その素材だけで、良いのですか? 貴方の求めている物を作れるのは、現状では魔術師協会でも最高の錬金術師達だけですよ」
「あ……」
クレールは呆気にとられたように、口を開く。そのことを想像もしていなかったのだろう。
だから、サラは言葉を重ねる。
「わたくしが依頼すれば魔術薬を作ってもらうことは簡単です。今の忙しい時期を抜けたら彼らも余裕が出来るでしょうから。ですが、一つだけ薬を渡すことに問題があります。
ただまぁ、立ち話もなんですし、フロウさんの診療所で座りながら話しましょうか。お茶菓子に良いモノを買いましたし、少々込み入った話ですし、人に聞かれるのも嫌でしょうから」
実際にはクレールが真剣な顔をしてきた時点でサラが情報遮断の結界を自分達の周囲に張っていたために、誰かに聞かれているということはありえないが、しかし無防備なのは確かだ。
自分の不覚に気付いたらしいクレールが恥じるように頬を染めるのを見た後、サラはイーリスとジンにも確認を取る。二人とも友人の大事な話を邪魔するような真似はしないようだ。
いいことだ、とサラは内心で安堵の息を漏らす。
この二人のような友人を作れているのなら、サラがいなくなってもイーリスは元気にやっていけるだろう。
自分がいなくなるのがそう遠くではないことを自覚するサラは、心残りがなくなっていることにとても安心していた。
そう、これで。
何のためらいもなく死地へと赴けるというものだ。
「では、行きましょう。色々と言っておかなければいけないこともありますから」
「……はい」
軽率だった自分を恥じているらしいクレールに笑いかけた後、サラは言うべきことを纏める。
肉体変化形の呪い、それをクレールは甘く見過ぎている。
それに――
歩きながら、サラは後ろの光景を知覚した。
既に人智を超えた能力を持つサラは、目を用いずとも魔術で視点を作ることで全周囲を視ることが出来る。その魔術で、話している三人の事をよく観察していく。
粗野ではあるが周囲をよく見ていて空気を読むジンと、落ち着いていて一歩引いた場所から全体を見ているクレール、そして三人の中心にいて均衡を取るイーリス。
三人の部隊としては理想的な配置だろう。少々実力不足が深刻だが、慎重に行動し、連携を重視しつつ強敵を避ければ問題ない。第一階層ならガイラルウルフにさえ出くわさなければ、『恐なる劣竜』に挑まなければ特に問題はないだろう。
逆に言うなら、それらを相手にするにはあまりにも力不足。ガイラルウルフも一頭ならばなんとかなるだろうが、最低でも三頭以上で群れを組むあの狼を撃破することは不可能と言っていいだろう。恐らく、逃げることも叶うまい。
どれほどに上手い連携を取れるとしても、これだけは現実だ。まぁ、実際にはオリオールという圧倒的な防衛能力を持つ盾役が一緒にいるため、苦戦はしても負けることはまずないだろうが。
とりあえず話すことがまとまった辺りで、フロウの診療所に着いた。第四層が発見されたばかりのためか、みなさん奮闘しているらしく診療所も大繁盛だ。金は薬代や人件費分しか取っていないので、ここが儲かることはありえないのだが。
何はともあれ、勝手知ったる場所だ。サラは正面を避けて裏口から入り、いつもの部屋へと入る。
きちんとついてきた三人を席に座らせ、サラは紅茶を入れる。食事には頓着しない性格のサラだが、一応お茶の入れ方ぐらいは文句を言われない程度には覚えていた。
四人分お茶を淹れ、茶菓子として買ってきた焼き菓子を勧め、三人――特にクレールに一息つかせる。
行き渡ったお茶が一杯なくなったころ、サラはようやく口を開いた。
「落ち着きましたか?」
「あ、はい。すみませんでした」
「いえいえ。では、薬を渡すうえでの問題点です。貴方の呪いは肉体そのものを変化させるもの。そして、貴方はその状態で何年間過ごしてきましたか?」
「え? 七年、ぐらいですけど」
返答を聞いて、サラは静かに答えを出す。
サラは現代においては並ぶ者なき呪術の知識大家だ。一族が集めてきた書を全て読めるようになった今、本当の意味で知識的には呪術の頂点にも立っている。
そのサラの知識が、一つの答えをはじき出した。
「……呪いを解く前に準備が必要ですね。フロウさんが暇ならよかったんですが、とりあえずこちらで条件に合いそうな方を用意しておきましょう」
「あの、何が」
「七年。その期間、クレールさんはその状態でいたわけです。つまり、体は今の状態で安定しています。なので、呪いを解くことで大幅に体が変化した場合、無策だとしばらく苦しむことになるでしょう。
フロウさんですとそういう治療方面は全面的に凄いので任せておけば安心でしたが、今日の盛況ぶりを見てしまいますと頼みづらいです。ですので、幾つか伝手を当たってみます」
「……すみません」
「気にしないでください。ですが、こうなると少々タダで渡すのはよくありませんね」
軽く唸るように、サラが言う。
そう、流石にこれだけお膳立てを整えるとなると、何かしら必要だ。
「――分かりました、どれだけお支払すれば」
「今度の迷宮実習で成績一位。それで結構です」
サラは、クレールの言葉を遮って要求を突き付ける。
この要求はそれほど大したものではない。サラが今から払うことになる代価とは比べ物にならないほどに、少ないと言っていいだろう。
だからこそ、重い。その気になれば手を届かせることが出来るだけに、それは重い。
重さに耐えかね、僅かにクレールが顔を顰めたときだった。
「ま、頑張ろうや。準備は整えてるし、今度こそ行ける。俺はそう信じてるぜ?」
ジンがクレールの背中を叩きながら、言う。
続き、イーリスもクレールの手を取った。
「うん、わたし達なら、大丈夫だよ」
笑顔。暗い空気を弾き飛ばすような、向日葵のような笑顔をイーリスはクレールに向ける。
一人ではない。そのことを思い出させる二人の行動で、クレールは落ち着いてサラを見返した。
いいことだ、とサラは思う。
一人では出来ないことでも、二人、三人でなら出来ることがある。
基本的に単体で完結しているサラには望めない、仲間という存在。ちゃんとそれの大切さを自覚しているなら、彼らは伸びるだろう。
あとは、釘を刺すだけだ。
「クレールさん。聞いておかないといけないことが、もう一つあります。よろしいですか?」
「え? はい、何でしょう」
「呪いが解けたら、どうしますか?」
それは思考の間隙を突く言葉。クレールにとっては残酷な問いだ。
呪いの詳細も、自身の事も隠さざるを得ないクレールが考えないようにしてきたこと。そして、今までは呪いを解く方法が見つからなかったために考えなくてもよかったことである。
だが、サラはそれを許さない。
クレールに掛けられている呪いを深部まで看破し、現在の状態をほぼ完全に理解しているサラは、これだけは問うて置かなければならないのだ。
すなわち、男から女に戻れたらどうするのか、ということを。
「貴方は呪いを解く手段を探して、学園に入ったのでしたね。では、呪いが解けたら、どうするおつもりでしたか?」
「それは……」
「宿題にしておきます。薬を渡す時までに、答えられるようにしておいてください。あ、それと一位になれたら、ジンさんやイーリスちゃんにも何か用意しておきますね」
サラはにこりと笑いかける。
暗に、用意しておくからお前らも覚悟しとけよ、という重圧をジンとイーリスにも掛ける。クレールに掛かる重圧よりは軽いが、それでも重みは重みだ。
とはいえ、これぐらいは軽く跳ね除けてもらわなければ困る。
彼らの行く末をサラは見ることがかなわないが、しかしどんな道を歩くにしろこの程度は重みにすら感じないぐらいの胆力が欲しいものだ。
ジンもイーリスも一瞬だけ動揺を見せたが、しかし確かに頷いた。きっと、これなら大丈夫だろう。
なら、心配することはない。自分のやることをやるだけだ。
「では、わたくしは準備に行きます。さて、腕が鳴りますね」
残される三人にとっては不吉な言葉を出しながら、サラは部屋を出ていく。
忘れていた短剣への付与魔術を含め、やることがたくさんできた。まずはジンに合いそうなそれなり程度の剣を探すことから始めなければ。
少々暗い楽しさを覚えたサラは、ちょっと本気で採算度外視し、あくまでも普通の武器に洒落にならない付与魔術を使ってみることを決意した。最上級魔人と同格のサラがそれをした場合、通常武器でどれほど性能を上げられるのかに興味が沸いたということもある。
さて、そうするなら剣本体ではなく、鞘や柄に工夫をするべきだろう。水晶樹はまだ数本残っているし、それで鞘だけ作ってもらうというのも一興か。
久々に戦闘以外の楽しみを前にし、サラはやるべきことを組み立てていく。
最後の休暇、それを最大限に楽しむために。