第六十二話
何もない荒野で、サラは鍛錬を行う。
両の手を前に差し出し、異なる属性の魔力をその前に浮かべている。
それほど珍しい訓練ではない。複数の属性を同時に扱うための練習としては、ごくありふれたものと言っていい。
ただし、その浮かべている魔力が宇宙と混沌という上位四属性でなければ、だが。
宇宙属性は単純な高速度大質量、または超高温や超低温といった完全に攻撃特化の、ある意味分かりやすい属性だ。扱うものが強大に過ぎるだけで、使い方自体は敵にぶつけるだけという簡単な運用を行う物ばかり。
が、混沌属性は違う。世界を構成する最初の要素である混沌は、あらゆる物理的魔術的作用に影響されない。また混沌は触れたものを同化して昇華する性質を持つため、何らかの防御法を持たない相手には必殺の力を持つ。
上位四属性はどれも概念的なもののため、理解して行使することが極めて難しい。特に混沌は術者本人にすら絶大な危険を及ぼすため、歴史上にすら神格存在以外に使い手が記録されていない。何せ、暴発させれば真っ先に死ぬのは術者だ。混沌属性に目覚めても、初めて使った瞬間に自分が死んでは記録されることすらない。
しかし、その分強力であることは確かだ。
混沌に対抗できるのは虹以外にはない。物質の大本である混沌と、魔力の大本である虹がぶつかると、よほどの差がない限りは虹が一方的に勝つのだ。つまり、混沌を練習するためには虹属性の使い手が近くにいるか、自分が使える必要がある。
ぶっちゃけた話、そんな条件を満たすことなど不可能と言っていいだろう。
だが。
サラはその条件を自力で満たす。
ごく弱い力しか発揮できない虹属性であったとしても、その魔力は千倍以上の差がある混沌を無へと還す。宇宙以外は未だ未熟なサラだが、全ての上位四属性を扱えるという狂気的な能力ゆえに、制御を可能としているのだ。
普段なら、たとえば火と水の属性の魔力を浮かべるのなら、サラは寝ながらでも十ぐらいなら余裕で制御できる。それに全神経を集中するのなら、今なら千や二千は軽いだろう。
そんなサラが今、滝のような汗を流しながら、たった二つぽっちの魔力球の制御に必死になっている。
数分ほど、魔力球を維持し続けていたサラだが、やがて限界を迎えたのかゆっくりと魔力球を消す。そして、どさっという音を立てて荒野へ仰向けに倒れ込んだ。
全身に凄まじい疲労感が満ちている。数分も休めば全快するが、それはつまりサラが数分間もの休息を必要とするということである。
百マイルを全速力で駆け抜けても汗一つ流さず、息も乱さなくなった今のサラがそれほどに疲労するという事実が、どれほどの物か分かるだろう。
「つかれ、ました……」
力ない声で、サラは呟く。
魔力はほとんど消費していない。なにせ、たいした事のない魔力球を維持していただけなのだから。
純粋に極度の集中を要されたことによる疲労が、肉体にも及んだということだ。下位八属性なら全属性を百ずつ浮かべても余裕だというのに、上位四属性となるとこのありさま。
単純な魔力精製難易度が高いということもあるが、周辺空間への影響が絶大で『微弱なまま維持する』ということが極めて難しいのだ。
宇宙属性の魔力はそこに存在するだけで空間を歪めてどことも知れない場所に繋がろうとするし、混沌属性は大気すら分解、同化、昇華して自らを強化しようとする。二つの異なる作用を抑え込むだけでも、サラは精一杯だ。これでは混沌、虹、宇宙、時を同時に扱えるようになるのはいつになるかも分からない。
――それでも、やる必要がある。
サラが目指すのは上位四属性の更に上。根源属性だ。
魔法の全てが属する、至高の属性。創造と終焉を司る、究極の属性である。
まだ遠いとはいえ、サラはそれが見えるところまで来ていた。
「見えているだけに、いつか届くだけに、じれったいです。あと、何歩で届くのでしょうか……」
贅沢な悩みだ。
一体何人が、そんな悩みを得ることが出来るだろうか。
そして、そこに近付いているがゆえに、サラは他の悩みも抱えている。
この世界で生きている間に辿り着けるのか、だ。
サラは自覚する。今の自分がどうしようもなく不安定な状態であると。年頃の他の少女のように精神的に不安定、というわけではない。存在そのものが不安定なのだ。
制限時間が迫ってきている。それを、どうしようもないほどに自覚させられてしまう。
いつ、自分が消えるか分からない恐怖。
明日か、明後日か、一カ月後か、それとも一年後か、はたまた一生来ないのか。
真っ向から向き合い続けるには、あまりにも大きな敵だ。サラが鋼より強靭な精神を持っているとはいえ、いつかは折れてしまうかもしれない。
だが、向き合わないわけにはいかないのだ。
セイファートの背負った宿命から、最後の一人であるサラが逃げるわけにはいかない。
祈ることはただ一つ。
最後の戦いまで、そのときが来ないこと。
それだけだ。
「……あと一回、維持の訓練をして――そういえば明日が短剣を取りに行く日でしたね。忘れないようにしませんと……」
一つ頷き、サラはゆっくりと起き上がる。
もう動ける。また訓練を行える。
深呼吸をし、サラは再び魔力球を出現させ、それを維持する訓練に戻った。
不安はある。恐怖もある。
けれど、その程度で歩みを止めるには、サラは強すぎるのだ。
ただひたすらに前へと進む。
それしかもう、サラには出来ないのだから。
学園の図書館で、ディルは本を読むふりをしながら思考を纏めていく。
サラの情報を集めてみたが、これといった弱点は見つからなかった。むしろ、サラがどれほどの化け物なのかを思い知らされる結果となった。
闘技大会上位入賞者達との試合以外にサラの戦闘を見たことはないが、アレでさえ洒落になっていない。詠唱なしの上、手加減に手加減を重ねて乱打された強力な魔術。
レギオンを倒しているなら、より強くなっているだろう。つまり、ディルが戦闘でサラを倒すことは不可能と言っていい。
だが、戦闘以外ならサラを殺せるかというと、それも難しい。呪いの類は試したが効果なし。第四層の魔物には死に際に猛毒の血液を空気中に撒き散らす危険な魔物が大量にいるが、サラは普通に生きて帰ってきているために毒も効果なしと見るのべきだろう。
なにせ、魔物の種類によって撒き散らす毒が変わるのだ。溶血毒、神経毒、皮膚に僅かでも付着すればそれを腐らせる毒など、多岐に渡る。にもかかわらず、サラは気にした様子もない。どんな生物だ。
試していないのは鉱物系の毒だが、そんなものどうやってサラにぶち込めばいいのか。毒槍や毒弓を作って遠距離攻撃をしたとしても、まず間違いなく察知されて終わる。
どういう精神をしているのか、いつ如何なるときも超広域の索敵魔術を使い続けているのだ。しかも、魔人を察知できる、古い術式の魔術も織り交ぜた複数の形式の物を、だ。
ディルが言うことでもないが、どれだけ敵が多いのだろうか。そして、そのたくさんいる敵は今どうなっているのやら。
どうでもいいことを考え、ディルは本の頁をめくる。読んでいるふりをしているので、たまには頁をめくらなくてはいけないのだ。
それにしても、真っ向から打ち破る以外の打倒方がほとんど見当たらない。超広域爆撃でもすればいけるか、と考えたこともあったが、よく考えるとそんなことやってもサラの防御を砕ける気はしない。
なら、とディルは考える。
周りの人間から攻めるのはどうだろうか。
たとえば親しい人物を拉致し、その命を助ける代わりにサラへ自殺しろと迫る。
いい発想だ、と思わないこともない。が、多分サラは人質ごと粉砕するか、ディルの認識できない速度で殺しにかかるだろう。
街一つを人質にとれば何とかなるかもしれないが、そういうことをすると今度は根本的に迷宮攻略をしてもらえなくなる。早すぎる攻略は遠慮願いたいディルだが、攻略が全くされないのも困るのだ。
また、多分そういうことを企むと後ろから刺されそうな気もしていた。
ある程度の準備をした時点で察知され、真っ向から撃破される気しかしない。
ディルも腹案を用意してはいるが、それは最後の手段だ。一度しか使えないし、使えば察知されて殺される。だから、使うまでに余裕がある内に色々とサラを倒す方法を探すことが肝要だ。
それにしても親しい人物を狙うというのは面白い発想ではないだろうか。
まだディルは疑われてはいても、敵認定はされていない。魔術師協会もそれとなく探りを入れてきているものの、ことを起こしているわけでもなく、あくまでも協力者としての立場を崩さないディルに過剰なことはしてこない。
つまり、まだ自由に動ける範疇内だ。
が、これも結構な問題が幾つもある。
サラの探査能力がどれほどに高いのかが問題だが、直接操りにかかるとすぐさま察知されるだろう。精神操作なども同様だ。サラやルンに気付かれないようにするには、魔術の類を使うわけにはいかない。
精々使えるのは言葉による思考誘導ぐらいか。
そういえば、とディルは本を閉じる。
この学園にいるイーリスという生徒はサラと懇意のようだった。一度話してみるのも悪くないだろう。思考を読むのも察知される危険があるが、永く生きているディルは相手の口調や表情などから感情を読み取るくらいなら朝飯前だ。
そうと決まれば早速――と行きたいところだが無理だ。
一応、教師として学園にいるディルが一生徒にいきなり接触することは出来ない。まずはイーリス回りの情報を集めるところから始めるべきだ。
成績が悪かったり、素行が悪いなどの絡みやすい点があればいいが、そうでなければなかなか難しい。
一つ頷き、ディルは図書室を後にする。
まずは前回の迷宮実習の成績を全員分借りて、イーリスの班がどれぐらいの位置にいたのかから調べるのがいいだろうか。四日後に二回目の迷宮実習が迫っているし、見ることは不自然ではないだろう。
軽く頷きながら、ディルは職員室を目指す。
先が見えないこと、その不安を誰にも悟らせないようにしながら。