第六十一話
第一階層を、サラは散歩する。
一応、戦闘服を身に纏い、家に転がっていた普通の剣を腰に佩いて、普通の冒険者の気分で階層を歩き回る。
ただし、広域の探査魔術は常時発動させておく。自分のためではなく、この程度のところで窮地に陥っている者を救うためだ。
現状のサラは第一層なら、どういう場所からどう襲われても相手に反応される前に殲滅することが出来る。サラの反応速度は既に人智を超えているため、第一階層に敵は存在しない。
鼻歌交じりで歩きながら、サラはたまに指を弾く。長距離からの遠距離狙撃。わざわざそこまで行くのが面倒だし、散歩気分が崩れるので自分が助けに行くことはしない。
もし、これで危なくなっても助けてもらえる、などと勘違いする者がいても気にはしない。そういう楽観的すぎる者が迷宮に入っているのなら、どうせ遠からず死ぬ。
とりあえずサラが目指すのはある程度の奥で、誰もいない場所だ。
第一階層全域の内、一番奥にある守護者の領域は誰も近寄ることはない。何せかなり強い冒険者以外では勝てないのに、一時期サラや最前線で戦う主力級冒険者が乱獲したため市場に『恐なる劣竜』の素材が溢れているからだ。ある程度以上の実力者の力試しにはこれ以上ないので、第二層に挑む前に一度戦うという冒険者が多かったためである。
危険なのに取れる素材の価値が暴落しているため、自然と『恐なる劣竜』に挑む者は数を減らした。奥地ともなれば面倒さもあいまって、今ではもう誰も来ない有様になってしまったのだ。
その場所までたどり着いたサラは、襲い掛かってくる『恐なる劣竜』の首を真正面から手刀で叩き落とし、藪の奥にある隠し広場へと足を進める。
そして、広場全域に防諜用結界を張り巡らせつつ、広場中央でサラは立ち止まった。
「――出てきてください。ここでなら、姿を見せても大丈夫なはずです」
サラの言葉に嘆息するような雰囲気が、サラの影から伝わる。
そこに誰かいるのだ。影の中に。
ぬるりと、影から何者かが出てくる。全身黒尽くめのキザったらしい外套を着た男だ。
「お久しぶりです、アルカードさん。今日が初めてですよ、貴方の隠蔽術に気付けたのは」
「……見事、と言っておくよ。我が影渡りを見破ったのは、ルンに続いて二人目だ。『闇夜の覇者』の二つ名も返上の時が来たかな?」
「ご冗談を。分かっていますよ、アレはまだ本気じゃないことぐらいは」
「全力でも今なら看破されそうだからやらないのだよ」
十二使徒『闇夜の覇者』アルカード・ツェペシュ。単純に誰が一番十二使徒で怖いか、とブリジットに問えばこの男だと返答が返ってくるだろう。
先祖返りを起こした吸血鬼で、上級の魔人。闇の派生属性たる影属性を完全に極めた暗殺者。
五百年の年月を魔術師協会と共にあり、影の最も濃い部分を背負ってきた本物の怪物である。サラが気付けたのも今が昼間であり、アルカードが本気で隠蔽していないから、という面が大きい。
確かにサラが探査に全力を注げばアルカードでも感知されるだろうが、一日中その状態を保つことなど出来はしない。そう、つまり、最上級魔人にすら匹敵するサラに対する、一種の切り札なのだ。
「この我が送り込まれた意味、分かるなかい」
「……処断、というわけですか」
「有体に言えばな。だが、今のお前を処断する理由は一切ない。少々長く生き過ぎたのお歴々が、自分達の手に余るほどにまで強くなったお前を警戒しているだけなのだよ。
だから、我が来た本当の理由は少し違うんだ」
遠回しに言いながら、アルカードは肩を竦める。
何が言いたいのか、サラはその裏を考え始めた。
婉曲な言い回しをするということは、ある程度言いにくいことがあるということだ。
なら、と、サラは一つの答えに思い当たった。目的は、逆か。
「処断は処断でも、お歴々を、ということですか?」
「さて。我の五分の一も生きていないとはいえ、人間にとって八十年という年月は長い。もしかしたら一斉に病気をするということもあるだろう。悲しい偶然にも、ね。流行り病なら人知れず屋敷一つ全滅することも、ないでもない。
どうせ今の魔術師協会も、もうすぐ形を変えることになるだろう。風通しは、良い方が楽ではないかい?」
さらっとアルカードは物騒なことを言う。
だが、影と影が繋がっていれば距離そのものが関係ないアルカードにとっては造作もないことだ。古の血を顕現させるアルカードは吸血鬼と言う種の持つ権能を十全に発揮できるし、現場検証にあたる者が全てグルなら真実など出てくるはずもない。
早晩、魔術師協会創設初期から協会の幹部にいたいくつかの家は滅亡することになるだろう。
その処置に、サラも思うところはあるが口にしない。自分に何か言ってくることなく初手で命を狙ってくる相手なら、悲しいことだが見捨てることを選択する。
「まぁ、その辺りをお前が気にする必要はないけどね。話には聞いてたし、見てはっきりした。大分無理をしてるな。上位四属性、どこまで行った?
我の知る限り、セイファートでも多重属性に達した者はいない。だが、お前は……」
「秘密です。とりあえず、手にした属性は一つではない、とだけ答えておきます。まだ、先は遠いですね」
微笑むサラに、アルカードは嘆息する。
上位四属性、そこに到達することは上を目指す魔術師にとっては一つの到達点だ。下位八属性全てを極めた者のみがどれか一つを手に出来るのだから。ちなみに一つの属性を極めることさえ、生半可なことではない。
ブリジットも極めた下位八属性全てを捨て、虹属性のみに特化することで協会長の地位につけるほどの能力を保っているほどだ。
そんな狂った属性を複数修めながら下位八属性を問題なく扱い続ける、その異常性をアルカードはよく理解していた。
「まぁいいか。とりあえず、しばらくは大人しくしていてくれな? 仕込みを終えるのに一週間は掛かるし、不眠不休の研究者どもを休ませてやる時間も欲しい。
お前、第三層、第四層で合計二百種を超える素材を持ってくるんじゃない。試料は充分にあるから色々試せるが、使える人手は減ってるから過労状態にあるんだよ」
「それについては、もうしわけありませんでした。一週間開ければよろしいのですか?」
「一応な。白妙の塔のリバース・スペースも、それぐらい時間を置けば少しは空くはずだからな」
設置型で地脈の魔力を使っているのに、サラが持ち込む膨大な量の素材が容量を埋め尽くしているらしい。サラ以外で持ち込む冒険者はもうほとんどいないのだが、大分埋まってしまったのか。もしかしたらボードがとても頑張って第三層の素材を一気に送り込んだのかもしれないが。
なんにせよ大容量の倉庫が埋まってしまっているなら、持ち込むわけにもいかないか。
サラは仕方なく納得して、嘆息しながら頷いた。
「さて、我はもう行こう。部下ばかりに面倒な仕事を押し付けるわけにもいかん」
「わたくしの監視は、もうよろしいので?」
「我が影に入れば、感知できるのはお前とルンだけだぞ。それに、こちらへ来たのは、お前を監視しているという事実が欲しいだけだ。
事実さえ作ってしまえば、もう誰にも邪魔はされん。魔術を広めることに異を唱えるような馬鹿どもに手加減をする気もないしな。
我々、魔術師協会の役目は魔術を広めて魔術師に対する偏見と誤解を解き、魔術師の地位を社会的に確立すること。人より一段上に行くのではなく溶け込むことなのに、それに異を唱えるなど言語道断。魔術師は超人ではなく、ただの人間なのだと、何故奴らは理解しないのか……」
深く嘆息し、アルカードは肩を竦める。魔術師協会の理念は創設当時から一切変わっていない。
魔術師協会はあらゆる種族を差別しない。種族ごとの得意分野に分けて伸ばす能力を誘導することはあれど、個々人の意思と才能を尊重して強制することはない。
ぶっちゃけて言うと、魔力を持たない者が門戸を叩いても平然と受け入れるだけの度量があるのだ。魔力が無いなら無いで出来ることは多い。魔術師以外から見た魔術師というものを指摘してくれるし、事務職はいくらいても足りない。また体を動かすのが得意なら、体術を徹底して伸ばす師をあてがうこともする。
魔術師協会とは言うものの、各世代に数人はそういう一般人がいるのだ。そして、彼らに支えられている面も、大きい。
だからこそ、魔術師のみを特別視する輩を許すわけにはいかないのだ。
「…………恐らく、わたくしやブリジットさんといった、一段階上がってしまった者がいるからでは? わたくしはともかく、ブリジットさんは研鑽の己の才で虹を修めるにまで到達したのですし。でも、確か……」
「知っているのかい? 三百年ほど前に体術のみで時に至った獣人がいる。時を止め、さかのぼる体術。彼は発見された遺跡に眠っていた、狂った神格存在と戦って相打ちになったのだったか。
セイファートが着くまで時間を稼ぎ続け、合流後に死と引き換えて神格存在を天へと還した。立派な男だったよ」
昨日のことのように言い、アルカードは軽く笑う。
彼が何を思っているのかは分からない。なにせ、サラの三十倍以上の年月を生きる吸血鬼だ。
長い年月血に染まって闇に生きてきた彼が何を思うのを推し量ること自体が、彼に対する侮辱だろう。
サラはただ次の言葉を待つ。
「だから、まずは膿を出して来よう。もうすぐ来る新しい時代に、我の役目が無いことを祈ってね」
「御武運を」
「祈る必要はない。なに、面倒なだけで楽な仕事だよ。それよりも、これが終わったら伝えておかなければならない話がある。お前が死ぬ前に、こちらも報いを受ける必要があるからね」
「……処断した、セイファート一族の話、ですか?」
「ああ。それがいるからこそ、お前を監視、処断しろと言ってくる者がいる。それらの話を、しておかねばならないんだ」
「分かりました。では、今回の事が済んだあと、お聞きしたいと思います」
サラは神妙に頷き、アルカードを見据える。
そうだ、この人物だけが一族外でセイファートを処断できる力を持っているのだ。
自分の一族の中に馬鹿なことを考える者が多くいたとは考えたくないが、しかし力を持てば余計なことを考える者がいるのも事実。
せめて、五百年間の中で馬鹿なことを考えた数が少ないことを祈るだけだ。
「では、また会おう。あまり、楽しくはない話だけどね」
最後にそう言って、アルカードは地面に溶けて消える。
恐るべきことに、『光が遮断されている状態』があればアルカードはそれを伝ってどこにでも行くことが出来るし、どこにでも隠れることが出来る。
今も下草の影でも伝ってどこかへ消えて行ったのだろう。完全密閉状態以外ならごくごく僅かな隙間があれば入ることができ、出ることの出来る彼を追う術はない。
しかも、速度と言う概念のない無時間移動。影の中に隠れられたら最後、今どこにいるのかは分かっても、動きを捉えることは出来ない。先読みすら出来ず攻撃を当てること自体が困難。倒そうとするなら自分の周囲を全て発行させることで、無理やりひきずりださなければいけない。
が、そんなことする前に背後から一突きされて終わるのが普通だろう。
一応、対処法を考えつつ、サラは結界を解いて街へ戻るために歩き出す。
一週間、何をして過ごしたらいいのかを、迷いながら。