第五話
ガイラルの迷宮が出現した場所のすぐそばにある小都市ティエに、その日から空前の好景気が訪れた。
数百名からなる魔術師協会の探索部隊がティエを拠点に定め、色々と買い物をしたり宿を取ったりしたからだ。また、どこからかそのことを嗅ぎつけてきた隊商がわらわらと押し寄せ、ティエやその城壁外で市を始めたのも原因の一つだろう。ついでに言うなら迷宮攻略をして名を上げようとしたが、王国の調査部隊の惨劇を目の当たりにして尻込みしていた傭兵や領地を持たない騎士も動き始めたことも無関係ではないだろう。
ただ、傭兵や騎士達はまだ様子見の段階だ。国の大部隊でさえ飲み込まれた迷宮に、魔術師協会がどれだけ立ち向かえるかお手並み拝見を決め込んでいる。
そういう意図を知ってか知らずか、魔術師協会の探索部隊は準備を終え、今まさに迷宮への挑戦を始めようとしていた。
「最後の確認だ。全隊、機械式の時計は持っているな? 正確に動いているな? 今から六時間後が探索の期限だ。それ以降は魔物が活性化する危険な時間になる。六時間をいっぱいに使う必要はない。ある程度の植物鉱物や魔物の爪、甲殻などが集まればいつ戻ってきてもらっても構わない。
今回優先するべきことは生き残ることだ。採取行動は生きてさえいれば再び行うことが出来る。それに、どうせ内部の資源についての知識など我々にはまだ蓄積されていないので、どれが希少でどれが希少でないのかなど分かるわけがない。なので、もし採取行動中に魔物に襲われたら即座に魔物への対応に移れ。我々はここに死にに来たわけではないのだからな。
――よし、では準備の出来た部隊から迷宮へ突入せよ。諸君らの健闘を期待する」
四十半ばほどの体格のいい男性が整列した部隊の前でそう言うと、半分以上の部隊が速やかに行動を開始する。残りは荷物の整理などに手間取っているのか、少しずつ出発していく。
そんな人々を見てから、最後列にいたサラは迷宮の地上部に目を移す。
どんな材質で出来ているのか分からない、巨大な構造物。人々を飲み込んでいく出入り口は巨人が入ることでも想定しているのか高さは三十フィートを優に超え、幅は五十ヤードもあるだろうか。その入り口の巨大さに違わず、迷宮の地上部自体もかなり大きい。見た感じでは城ほどもの面積がある巨人族の神殿というところか。
柱や壁、天井、床を構成するものは石と鉱物の中間のような材質で、その強度は人智を超える。調査隊壊滅後、顔に泥を塗られた王宮が迷宮自体を破壊しようと手を尽くしたが、どうやっても傷一つどころか煤一つさえつけることが出来なかったという。実際、サラもちょっと挑戦したが、圧水刃に代表される強力な物理的破壊力を持つ魔術でさえも傷一つ付けられなかった。
それにしても改めて見ると実に壮大な建造物だ。傷も付かないような素材をどうやって彫ったのかは分からないが緻密で繊細な彫刻がなされていたり、柱の配置も計算され尽くした美しさを見せている。巨大なだけではなく壮麗さをも持ち合わせているところが人を引き付けてやまないのだろうか。
などと考えていると、クイとサラの服の袖が引っ張られた。
「用意出来たみたいだよ」
「そうですか、ではわたくし達も出発ですね」
袖を掴むイーリスに笑いかけてから、サラは後ろを振り返る。
そこにいるのは五人組の部隊だ。魔術師協会でも珍しく部隊の半分以上が人族ではない。人族が二人に魔族、神族、猫系統の獣人族が一人ずつという構成だ。ついでに言うなら超がつくほどの美形揃いである。
それにしても少し前から知っている顔が見えるのは何かの縁だろうか。
「サラさん、これからお願いしますね」
「ええ、頑張りましょうか」
話しかけてきたのはコレットだ。コレット・マリエット。書類で確認して初めて知ったが随分といいところのお嬢様らしく、またそれとは関係なく魔術の才能もあり、協会でも将来を嘱望されているらしい。
というか、この五人は誰も彼もが協会としては未来の幹部候補であるようだ。男女比が一対四という逆紅一点の状態を見ながら、サラは内心でため息をつく。押し付けられた、と。
一般的にみると邪魔にしかならないイーリスも同行するとはいえ、サラがいるならどういう状況であっても生存することは間違いない。極力手を出さず、ヤバそうな時だけ手を貸せと言われているが、それはつまり尻拭いをしろということだ。重傷を負わせることなく成功体験を植え付けろ、と暗に言われているに等しい。
サラも一応はその思惑を持つ上層部の一員のため、その憂鬱さを表に出すことはない。優秀だというのなら協会の発展には欠かせないし、若いうちから色々な経験をさせるのは当然のことだからだ。
「んじゃ、行こうか。持ち帰った量でなんか給金が出るらしいし、一番を狙いたい」
「ええ。いいものをたくさん持ちかえれば、その分追加で報酬も出るそうだしね」
人族の少年剣士に、魔族の魔術師が賛同する。
それを見て、サラは「うん?」と眉根を寄せた。何故、魔族の少女は僅かに位置を移動した? 剣士の少年が立ち上がるまでは少年と荷物を挟んだ位置にいたのに、いつの間にか隣に立っている。ついでに不思議と言えば、何故他の美少女三人は悔しそうにしている?
黙考五秒、サラは一つの答えを見つけた。分かれば単純な話だ。つまり、この剣士君が非常にモテるのだろう。
分かれば問題はない。いちいち下らない恋の鞘当てに巻き込まれるのも面倒なので、早々に自分の立ち位置を決めてしまう。
「では、わたくしたちは最後尾にいますので、どう進むかなどはお任せします」
「一番後ろってことは、後ろからの魔物を引き受けてもらうことになるけど……大丈夫?」
「はい。同行させていただくわけですから、この程度は引き受けさせていただきます」
いつもの笑みも見せず、サラはあっさりと言う。この中でサラの実力を知るのはコレットだけのため、方々から心配そうな視線などを向けられるが、それをサラが気にすることはない。どうせいつものことだ。
まぁ、彼らも面倒な後方への警戒を外部からの人員がやってくれるなら文句はないのだろう。不安そうにしながらも、それ以上何か言うことはない。
「よし、じゃあしゅっぱーつ」
少年の号令とともに全員が歩き出した。
巨大な入り口をくぐり、その先で大口を開けている地下への階段を目指す。
サラにとっては前回の生き帰りを合わせて、三度目の内部の光景だ。静謐にして神聖不可侵。だだっ広い空間のど真ん中に、ただ下へと降りるための階段があるだけの場所。今は探索部隊司令部の魔術師が使った長時間維持できる光の魔術があるために明るいが、サラが最初に来た時は真っ暗で何も見えなかったものだ。
そんなことを思いつつ、サラはイーリスの手を引きながら歩く。
一番後ろだと、部隊の人員がよく見える。まだこの場所は魔物が出てこないと分かっているためか、気を抜いていることまでよく分かってしまう。
ガチガチに緊張しているよりはいいか、と軽く吐息し、サラは頭に叩き込んだ資料を思い返しながら彼らを観察する。
一番目を引く赤毛のつんつん頭の少年がこの部隊の隊長で、名をアラン・ドゥーセ。凛々しい面立ちの美少年で、確かに潜在する魔力はかなりの物だと言えるだろう。だが、今はまだその全ては発現していない。資料にはまだ未熟な体が無意識に自分の魔力に封をしているのだろうと書いてあった。それに結構周囲のことをよく見ているようで、今も躓きそうになった神官服の少女を抱き止めていた。モテるわけだ。背も年の割には高い。六フィートに届くか否かというところだろうか。
アランの少し後ろを歩くのがコレット。美形揃いの面々では一番地味だろうか。ただ、体の凹凸は彼女が一番だ。サラは今まで気にしたことはなかったが、思わず嫉妬してしまいそうなぐらいに大きな胸は目を引く。そのくせ腰は細いという。女のサラでも彼女の体型には目を見張るのだ。男ならもう飛びつきたくなりそうなものである。
転びそうになって抱き止められたのは神族の少女で、この部隊ではサラを除けば唯一の回復魔術の使い手であるルナ・クロードだ。この部隊では一番年若く、サラと同い年だという。優しげな面差しの少女で、まさに天使もかくやという美貌の持ち主だ。銀糸のような長い髪は結い上げられて、フードの中に隠されている。
先ほどみんなを出し抜いてアランの隣に立った魔族の魔術師はミラ・ランドバーグ。この王国出身ではなく、他国でその才能を見出されてやってきた英才だ。やや攻撃に偏ってはいるが強力な魔術の使い手らしい。勝気そうな顔立ちの美少女で、魔術師の標準装備であるローブではなく体の線を出すような挑発的なドレスを着ている。サラの見立てではこのドレスはかなり強力な魔道具のようだ。歩いていても全く足にまとわりつかないところを見ると、動きやすさも兼ねているのが分かる。
最後に、遥か異郷の地から来た獣人の少女で、カザネ・イガラシだ。一目見て動きやすそうだと分かる軽装で、防具らしい防具など胸に着けた革鎧と肘や膝を保護する革の防具ぐらいか。見た目通り、斥候技能に優れているらしい。この辺りでは珍しい黒髪黒目で、本人も大人しめの美少女なので結構人目を引く。
実に個性的な面々だ。出来れば日常では関わり合いになりたくない。
サラはそんなことを考えつつ、ゆっくりと術式を構成していく。術式とは魔術の設計図のようなもの。術式に間違いや欠損があれば魔術は十全に機能せず、時には暴発して術者のみならず周囲をも傷つけてしまう。それを避けるにはやはり基本だ。基本に忠実に、サラは術式を編み上げる。
行使する魔術は広域索敵魔術。それも長時間維持できる型のものだ。少々魔力の消費は大きいが、サラの魔力量ならば広めのリバース・スペースを展開していても充分まかなえる程度。戦闘にも支障は出ない。
「――天網」
階段を下りると同時に、サラは魔術を発動させる。瞬間的で強力かつ広範囲の発動。これに気付くことは熟練者でも難しいだろう。
索敵術式に掛かる魔物の反応は、懐かしいとでも言うべきだろうか。意識を集中すればどれがどの魔物かまで判別できるのは、前回の経験が生きているからだろうか。
何百段もある階段を下りているうちに閉じていた目を開ければ、地下とは思えない光景が眼前に広がった。
地上にも負けぬ太陽が迷宮全体を照らし、茂る木々の葉が多くの木陰を作る。
頑強な石畳が道を作り、その脇に背の高い木々が並び、木の下には灌木や草が生えている。植物は青々とした葉を広げており、どれも地上では見られない種類ばかりだ。
思わず感動しそうになる光景だが、美しいばかりではない。灌木が持つトゲには毒があり、また視界を遮る植物が魔物の姿を隠す。入り口周辺の魔物は既に先行した部隊が始末したのだろうか。周囲に魔物の反応はない。少々の血の臭いと死体を焼いたと思われる焦げの臭いが鼻をつくのは、まあ許容するべきことか。
前で何やら相談しているアラン達を放っておいて、サラはイーリスに目をやる。
ほぼ間違いなく、イーリスはこの迷宮で生まれ育ったはずだ。何か思うことはあるだろう。
そう思っていたが、イーリスは初めてこの光景を見たかのように目を輝かせてきょろきょろしていた。
「イーリスちゃん? ここ、貴女の故郷でしょう?」
「ううん。前のわたしはそうだったけど、今のわたしはお姉ちゃんの家で生まれたの」
「――名付け、のせいですか」
「分かんない。でも、わたしはお姉ちゃんのこと、好きだよ」
「そう、ですか。わたくしも、イーリスちゃんのことは好きですよ」
ただただ笑うイーリスに、サラは少しだけ救われていた。
数多くの命を奪い続けてきた、血で塗れた両の腕。その手が掬い取ったこの少女、イーリスは果たして幸運だと言えるのだろうか。あのまま魔物に食まれていた方が幸せだったのではないか、そんなことさえ頭をよぎることがある。
だが、イーリスは笑っていてくれる。それだけが、サラにとっての救いだった。
「おーい、進むからついて来てくれー」
アランの声に我に返り、サラはイーリスの手を引いて歩き出す。
戦闘では圧倒的な実力を誇るサラも、日常ではまだ隙があるようだった。