第四十八話
白妙の塔の屋上で、ブリジットは頭を抱えてうずくまる。
最近、結構運が悪かったが、今回の件は洒落にならない。
弱冠十五歳でセイファートとして上り詰めてしまうというのは、今後の協会運営を考えるならかなり痛い。というか、今までのセイファート一族にこれほどの若さで第二段階に達したという記録はない。物凄くこまめに毎日日記をつけてきた一族のため、一万年を超える年月の記録が普通に残っているのだ。当然ながら古くなるにつれ読むことは困難になるが、セイファートの当主は全部読めるよう教育されるため、現代語訳が存在していたりもする。
一万年。短いなどとは口が裂けても言えない期間だ。現在、最も古くからある国でも千年を越さない。確か、国家として最長の記録は二千年だっただろうか。何百年も前になくなってしまったのだが、そういった国家の寿命と比べてでさえ数倍を誇る。
それほどの永い年月、サラほどの若さ幼さで達してしまった例はない。これはサラがすごいという意味ではない。
本来なら。本来ならば。どれほどの才能を抱えていても、どれほどの研鑽を積んでも、普通は自分で限界を超えないように調整するのだ。限界点前で力をため、力の成長が見込めなくなる二十代後半あたりで爆発させる。そうすることで、最終的な能力を引き上げ、自身が放逐される前に、死ぬ。
だが、サラはその選択を選ばなかった。現段階でさえ人間の上限を軽くぶっちぎっているのに、もっと上を目指そうとしているのだ。
何故かは理解できる。単純な話、上を目指さなければ勝てない相手が待っているからだ。
別に協会運営のことなど、ブリジットや今後の協会長が頭を痛めれば済むことなので問題はない。いっそ、ブリジット本人が十二使徒としてのサラの役目を背負うことも可能なのだから。
問題は、その限界をこえることを、恐らくサラは一瞬の躊躇もしなかったであろうことだ。自分が傷つくことなど一切考慮せず、自分の行く末などどうでもいいと断じ、自分の意志でセイファートを体現しようとしている。
ほぼ間違いなく、サラは理解しているのだろう。自分が一族の最後になると。一族の歩んできた永い年月に、自分で幕を引くことになると。
かつて冗談交じりに自分より強い男が好き、などと言っていたが、それは絶対にありえないと分かっていてのことだ。サラより強い人間など存在し得ないのだから。
ブリジットは深く嘆息し、塔の上からもっと上を見る。
と、壮年の男性が屋上に上がってきた。
もう余地のないほどに練磨され尽くした鋼の肉体を、厚手だが動き易いよう調整されたローブで覆っている。
半人半魔――親に上級の魔人を持つその男こそが、魔術師協会と王国を守る最大の防壁たる『雷帝』セヴァル・ジンガストだ。
既に六十後半の年齢だが、見た目ではまだ四十そこそこと言ったところか。魔人の血を引くだけあり、恐らく寿命は現行の人類を軽く上回るだろう。
能力の方向性ゆえに迷宮攻略には全く向かず、また魔術師協会を守るためにこの地に留まる十二使徒の一人である。
「ブリジット、黄昏ているな。サラ嬢の件は仕方のないことだったと思うのだが」
「セヴァル……サラちゃんの方向性を知ってれば、予測できたことだものね。むしろ、予想してなかったこっちの落ち度なのは分かってるわ」
そう、サラが無茶するのなんて、いつもの事なのだ。というか、セイファート一族が無茶し続けてきた一族なのだ。
予想してしかるべきだった。むしろ、予想できていなければいけなかった。
一族的に死すら厭わない者であると。自分の命すら捨て石に出来る連中であると。
見通しの甘さを思い知らされ、ブリジットはもう一度嘆息する。
「しかし、サラ嬢は完全にあの迷宮攻略のみを目指しているな。確か、迷宮に封じられている災厄とやらは最上級の魔人相当だと考えられているのだったか。
最低でもあの時のゼイヘムト級と考えるなら――サラ嬢の成長がどこまで行けるかで世界の命運が決まるな。今のゼイヘムトは暴れた時の半分ほど、全盛期から比べれば数分の一と聞いている。恐らく、力押しでは負けるだろう」
肩を竦め、セヴァルは苦笑する。
一度肉体を完膚なきまでに粉砕されたゼイヘムトがそんな早く全快するわけがないのだ。今回の世界樹登頂でさえ、相当な無理を重ねてのことである。
無理を押して戦闘を重ねているため、今どれほどに力が減衰しているかなど、考えるだに恐ろしい。
今のゼイヘムトが同格の存在と戦えば、ほぼ間違いなく敗北するだろう。魔王の位にあるため、それ以下の存在には必勝出来るが……迷宮最深部にいるのが魔王級でないなどとは誰も言っていないのだから。
二人して嘆息していると、また誰かが屋上へと上がってくる。
先に上がってきたのはフロウ。何とも言えない苦々しい表情で、頭を抱えている。
そして。
その後ろから、強烈な威圧感と共に重厚な白銀の鎧を着た女性が進み出てきた。
「お初にお目にかかる。私は『神の騎士』シャティリアだ。そちらが魔術師協会長『虹』のブリジット・フォンテーヌと『雷帝』セヴァル・ジンガストでよかったか?」
堂々とした名乗り。確固たる自負を備えた声。
別に何かされたわけではない。そう、ただ名乗られ、名を呼ばれただけだ。
それだけなのに、ブリジットはまるで頭を引っ掴まれて平伏させられるかのような感覚を覚えていた。
ゼイヘムトの本体を前にしたときにも感じられた、完全にして絶対的なまでの差。
そう、これがフロウさえ超える最高位の神族。
世界を総べる十二の神々の内の一柱だ。
「――、なんの、御用でここに?」
ブリジットは何とか声を絞り出す。
圧倒的すぎる力の差は、まるで空気を固化させたかのように重苦しく全身にまとわりつかせる。声を出せるだけ、立ったまま顔を見ることが出来るだけ、ブリジットは頑張っている方だろう。
力を一切抑えようともしないということが、これほどまでに恐ろしいとは。
そんなブリジットとセヴァルを見て、シャティリアは軽く首を傾げた。
「フロウ、私はそんなに威圧しているだろうか?」
「当然でしょ。どんだけ振りまいてると思ってるの」
「……? あのサラという少女は気にしてなかったのだが」
「あの子は精神防壁持ってるもの」
「ああ、そうか、持ってて当然だったな。失礼した。道理で歩く端から周囲の人間が倒れていくと思った」
フロウにジト目で見られ、シャティリアは納得したようにうなずいて力の放出を抑える。特に意味もなく無意識に威圧を振りまいていたらしい。
というか、サラを基準に考えてしまうあたり、かなり残念な頭のような気もしてくる。
「さて、ここに来た用事だったな。おっと、『雷帝』、やめておけ。お前の魔術では直撃したところで私には傷一つ付けられん。
天候魔術、それ自体は賞賛に値するが、それは少数を相手にするには向かん。そもそも、敵対しに来たわけではない。殺すつもりなら、初手でこの街ごと消し飛ばしている」
諭すように、途方もなく物騒なことを言うシャティリア。そういうことを可能とする人物が言っているだけあり、洒落にすらならない。
どうしようもないことは分かっているのだろう、セヴァルは胸中で舌打ちしてから戦意を収める。敵ではない相手に喧嘩を売って殺されるなど、笑い話にもならないのだから。
「まぁ、そんなことはどうでもいいか。こちらはフロウに会いに来たついでに、加護を与える連中の顔を見に来ただけなのだから。
塔の中を見せてもらったが、それなりの面構えをした者が多かったな。レジルもなかなかの組織を作ったものだ。これなら、私が直々に加護を与えるに値する」
「――初代協会長とは、お知り合いで?」
ブリジットの目が細められる。
滅多なことではあり得ない、ブリジットの戦闘態勢だ。
静かに、だが人類と言う枠を遥かに上回る絶大な魔力が渦巻く。それはサラの全力に届きかねないほどである。
光や闇、火、水と言った下位八属性よりも更に根源に近い、上位四属性の内の一つを修めるブリジットがそれだけの魔力を扱うのなら、それは神々とすら――
「虹の属性か。悪いが、それは私には通じんぞ? お前以上の熟練で、お前より遥かに強大な魔力を有していた者と腐るほど戦ってきたからな。
使い手なら知っているな? 上位四属性は相性の要素が強い。つまり――」
シャティリアの背後の空間が歪み、星々のきらめきが網膜を灼く。
それはつまり、上位四属性の一つ、『宇宙』をシャティリアが使えることを意味する。
「虹では、宇宙属性には勝てない。だが、やるなら相手になるぞ? 宇宙の強みはその速度と規模で、虹の強さは一点集中によるものだということを理解しているのならな」
暗に、シャティリアは言う。もし戦うのなら、この街全員を巻き込むことになるぞ、と。そして、何一切得る物なく滅びることになるぞ、と。
「それに、何を警戒しているのかは知らんが、私は奴とは知己。アレも以前は世界樹頂上の世界に住まっていた者なのだから。
なに、千の年月を重ねた奴がどう変わっているかを見るだけだ。どうせ、なにも変わっていないだろうがな」
「――あの方は、どうして」
「さてね。だが、一つだけ言っておこう。ああなっても、あそこまで壊れても、レジル・ミーサスは人間だ。万年の時を不変で通したが、それでも人間なのだ。百の年月を寝て過ごし、十の年月を起きて過ごす。それはかつても変わらなかった。
それで、案内はしてもらえるのか? 無理なら勝手に探すが」
背後に展開していた空間の歪みをシャティリアが消すと同時に、ブリジットも戦意を霧散させた。
勝ち目のあるなしではなく、戦う気概があることを見せることが目的だったのだ。絶対に勝てないと分かっている相手でも、一矢報いる手段を有していることを、見せることが。
大きく嘆息し、ブリジットは軽く手でセヴァルに合図を送る。大した意味はない。任務に戻れ、と指示しただけだ。
そして、もう一度深く嘆息して、ブリジットは口を開いた。
「いいわ。案内しましょう。あの方の眠る場所へ」
「というわけで、用意していただくものは神殿の類ですね。加護を与える場と、仲介する者、あとはそれらを運営する人員と言ったところかしら。
それらがあれば、とりあえずある程度の加護は与えられます。それ以上を望むなら、それ相応の諸々が必要になる、ってところかな。諸々の内容は信仰を捧げる神によって違うから、その辺りは後ね」
「分かりました。では、その、ラウドラント法国辺りがちょっかい出してきそうな内容なんですが、その辺りはどうしたらいいでしょうか?」
「んー、こっちのことに関してはそう詳しいわけじゃないから……でも、ラウドラント神、つまり、その法国とやらで信仰されてる神も降りてくると思います。信仰対象本人が何とか言えば、そういうのはなくなるのでは?」
テーブルを挟んで、サラとユーフェミアは会話をする。
正直なところ、サラとしてはこんな話をしたくないのだが、これほどの神格を有する存在とまともに会話できるのはサラやブリジットなどの極めて高い能力の持ち主ぐらいだ。下手に街へ近寄らせると、気絶者が山盛りで出かねない。
「これぐらいかな、お話は。それで、どう? 今どこまで迷宮は攻略してるの?」
「全体としては第九階層に行けるか否か、と言ったところです」
「ふぅん。こっちの想定より随分と早いんだね。ってことは、もうすぐ第十階層ですね。
……サラさん、一度、手合わせしますか? 第十階層に辿り着く前に、一度くらいは私達の領域を経験しておくべきだと思いますけど」
不意に、ユーフェミアはそんなことを言う。
サラとしては願ってもないことだが、不自然だ。何故、今、この時に?
「疑問に思うのは当然ですね。でも、その疑問が解消されてからでは、遅い。つまり、今の内に最上級の魔人の戦いというものを経験しておかなければ、第十階層で死ぬだけ。
だから常時超音速という理不尽を、その速度域で必須となることを教えてあげましょう」
ユーフェミアは笑う。
慈母のごとき優しげな表情なのに、何故かサラは手の震えを抑えることが出来なかった。