第四十七話
学園ではなく、診療所の休憩室で。
イーリス達三人はのんべんだらりと会話をしていた。
明後日に控える迷宮実習の準備を終えた帰り道だ。少しぐらい休憩していこう、と言うことで寄らせてもらったのである。
残念ながらフロウは不在だったが、顔見知りの看護師さんに通してもらったのだ。
「そういえば、二人はどうして冒険者を目指したの?」
帰り道の途中で買った焼き菓子をかじりながら、イーリスが思いついたように言う。
こういう話はあまりしてこなかったので、少し気になったのだ。イーリス自身はサラに追いつくために学園へ通っているため、他の人が目指す動機には興味がある。
唐突なことだったため、しばしジンとクレールの動きが止まる。
が、ジンはすぐに肩を竦めて苦笑した。
「俺はアレだ。両親が傭兵でな、俺も傭兵を目指してたんだけど、三年ぐらい前に両方死んじまってさぁ。んで、所属してた傭兵団と一緒に戦地を回ってたところを迷宮の話を聞いて、第二陣か第三陣あたりとして突っ込んだんだよ。
いやー、死ぬかと思ったわ。俺以外、ほとんどみんな死んじまったし。生き残れたのも、団のみんなに助けてもらったからだしさ。
ま、そんなわけで、団のみんなの仇討ちってわけじゃないけどさ。とりあえずここで名を上げて、みんなの死が無駄じゃなかった、ってそう思いたいわけだ。
つまり、名声目当てだな、俺は。いつか俺自身で傭兵団を作り上げて、前の団の名前を継ごうとも思ってる。そんな感じだ」
さらっと言ったが、凄絶な人生を送っているようだ。傭兵と言う職業柄、生き死にが常に隣にあるようなものだろうが、この歳でそこまで達せてしまっているのはなかなかすごい。
また、一度本気で地獄を見ているのに、懲りずに迷宮へ挑戦できるというのは相当な肝っ玉の持ち主だと言えるか。もしくは、自分の生死すら気にしないほどに壊れてしまっているのか。――よほど悲壮な覚悟でも決めているのか。
どれにしろ、あまり幸せな未来は待っていないだろう。こういう手合いはいつか必ず、道半ばで死ぬ。誰かに拾い上げられない限りは。
へー、と感心しているイーリスとは逆に、クレールは顔色を翳らせる。根本的に人生経験が不足しているイーリスと違い、クレールはある程度は世界を知っている。
当然ながら、傭兵と言う稼業がどれほどに過酷なのかも。
ちょっと誤魔化す気だったクレールだが、流石にこの流れでごまかしは出来ない。
軽くため息をつき、クレールは口を開いた。
「ボクは呪いを解く術を探してここに来た。様々や薬草や鉱石、魔術の触媒のあるこの迷宮なら、きっと解ける術がある、そう信じて」
性別反転の呪い。即座に何か不都合が生じるわけではないが、しかし当人としては出来る限り早くどうにかしたい問題だ。
ただ、未だに一切の成果が上がっていないことがクレールを焦らせる要因でもある。
そんなクレールの内心を知ってか知らずか、イーリスは軽く首を傾げながら口を開いた。
「じゃあ、お姉ちゃんに聞いてみる? 一番進んでる人の一人だし、魔術にもすっごく詳しいんだけど……」
「サラ先生かぁ。あんまり広くは知られたくない類のものだからなぁ」
「お姉ちゃん、口固いよ?」
「ダメでもともと、か。聞くだけ聞いてみようかな」
渋々、といった感じにクレールは頷く。
と、ジンは首を捻った。
「呪いって、どういうのなんだ? たまに聞くけど、よく分からん。継続型の魔術のことか?」
「……んー、ボクには説明できないな。イーリスは?」
「わかんない。すごく特殊な魔術の形態らしいんだけど……」
もっともな質問に、誰も答えられず全員で首を捻る。
そして、分からないことは聞けばいいという結論に達するまで、十数分の時を要するのだった。
「呪いの解き方のついでに、呪術に関する講義を聞きに来た、と。わたくしは構いませんが、他の方に頼む場合は最低でも前日から連絡を取っておくようにしてください。
用事があって、家にいなかったらどうするのですか。相手の迷惑も考えるようにしてください」
お茶などを淹れながら、サラは軽く三人に説教をする。
イーリス達がちょっとうなだれたのを見てから、サラはコホンと咳払いした。
「でも、わたくしのところに来たのは慧眼でした。フロウさんを筆頭とした研究型の魔術師のところへ行っていたら、クレールさんはよくて実験台、悪ければバラされてましたよ。まぁ、フロウさんがわたくしとの共通の知り合いをどうにかするとは思えませんが」
主に戦闘能力の差的な意味で。サラならフロウを殺すのは容易いので、もしそんなことがばれたら問答無用で滅されるだろう。最近は神葬真理という神殺し特化の神器が強化されたことだし、フロウがどう足掻こうともサラを倒すことは不可能だ。
戦闘能力が低い分、立ち回りの上手いフロウがそんな馬鹿な真似をすることは考えられないが――まぁ、念のためである。
「それで、どういうことを聞きたいのですか? わたくし、自慢ではないですが、呪いには詳しいですよ」
「えーっと、それが何を聞いていいのかすら分からん状態なんですわ」
軽く肩を竦めつつ、ジンが答える。
実際、三人の知識では呪いがなんなのか一切の答えが出なかったのだ。
それに対し、サラは一つ頷いた。
「分かりました。では、呪い、呪術がどういうものかから説明します。
細かいことを除いて簡潔に言うと、代償を払って行う、超長期間継続型の儀式魔術です。実は、呪いといっても相手にいい影響を与える術も含まれたりするのですよ」
「へー、呪いっていうと、こうおどろおどろしい感じだと思ってた」
「多くのものはそうですね。大体の呪術はそういう負の力を相手に与えます。いわゆる不幸にする、という系統ですね。こちらは効果が分かりやすく、また代償とするものも結構研究されてきているため、広く知られています。
生物を生贄に捧げる、寿命を代償にするなど、おどろおどろしい印象を与えるほうですね。逆に正の力を与えるもの、こちらはおまじない、とでも呼ばれることが多いでしょうか。
おまじないにも種類は色々ありますが、どれもいわゆる呪いと比べて効果はささやかです。――知られているものは。ですが、魔術師の大家などが秘匿するものには凄まじい効果を持つ術が少なくありません。
まぁ、効果の大きさに比例して、代償とするものも大きくなるのですけれどね」
言って、サラは幾つか例を思い出す。
セイファートの一族にある秘術のいくつかはこういう呪術だ。強力極まるが実質的には何の効果もない呪いを自分達に掛けることで他者からの呪いを防いだり、非常に弱いおまじないを多種組み合わせることで相乗させて効果を極大化するものなどがある。
わりと洒落にならない効果を生むので軽々しく教えることは出来ないが、まあ存在ぐらいは教えたのでいいだろう。
「で、こういう類の術は大体、解くための手段を用意しておくことが多いです。解呪で最も有名なのは王子様の口づけ、とかでしょうか。実はアレ、意外と理にかなっているのです」
「……え? おとぎ話でよくあるアレって、効果あるんですか?」
肩を竦めて言うサラに、クレールが食いつく。
意外な反応に僅かに驚きを返し、サラは苦笑した。
「王子様、つまり高貴な血筋の持ち主は大きな魔力を持っていることが多いです。おとぎ話の王子様のような人格者なら、その魔力はかなり清浄なものになるでしょう。清浄な魔力で穢れを押し流す、解呪法としてはまっとうな部類に入りますね。
わたくしも似たようなことは出来ます。口づけでなく、普通に手から浄化能力のある魔力を出すだけですが。生半可な呪いならこれで解呪できますが――クレールさん、貴方のは無理ですね」
「やっぱり、無理ですか……」
「少なくとも、わたくしには不可能ですね。その呪いは、間違いなく術者が死んでいます。術者が死亡している呪いは恐ろしく強固になる傾向があります。恐らく、わたくしを含めた人間では解けませんね。
フロウさんは専門が違いますし、わたくしの知り合いで解ける可能性を持つとしたらゼイヘムトさん――『森羅の魔王』ぐらいでしょうか。魂に干渉する呪いはかなり深い理解を必要としますし、なかなか難しいものです」
言って、サラはお茶を飲む。
多少口を湿らせておかなければ、こういう長話は難しい。
と、クレールが驚いたような顔をしているのが目に入った。
「どうされました? 驚くようなことでも、わたくしが言ったでしょうか?」
「ボク、自分の呪いに関して、何か言いました? それとも、イーリスから聞いていたとか」
「いいえ、聞いていませんよ。セイファートの一族は呪術に関しては世界でも頂点に立てるほどに研究していましたので、理解しようとして見れば、大抵の呪いなら看破できます。
詳細は分かりませんが、魂に干渉することで肉体を変質させる系統の呪いですね。極めて珍しいです。解呪法として考えられるのは、魂そのものに干渉して呪いごと元に戻す、または変質を継続させている力の供給を切断する、ですね。
術者が生きているのなら先に言った方法で呪いを破壊してしまえばよかったのですが、現状でそれをやると魂ごと消し飛ばすぐらいの出力を要しますので……無理ですね」
よくもまぁこんなにすらすら言えるものだ、と感心できるぐらいに滑らかにサラが説明する。
実際のところ、魔術師などこんなものだ。研究の成果などを発表する場を求めてはいるが、かといって大々的に行うわけにもいかないので隙あらば説明したがる。サラも、そういう性質がないとは言えない。
一気に説明され、理解するだけで精一杯のジンと、最早理解を放棄したイーリスは放置して、クレールが何かを言おうとした時だった。
いきなりサラの目が細められ、家全体の魔力が活性化され、空間に金色の粒子が混じり始めた。
「――逃げてください。これは、一体」
鋭い口調でサラは三人に言い、ついでにイーリスの肩にいるオリオールに目をやる。
『もしものときは、お願いします。最上級の魔人――ゼイヘムトさん級の化け物が二柱、この家に近付いて……いえ、来ました』
念話を飛ばすと同時に、サラは神器、『砕くもの』を抜き放つ。
勝ち目はない。だが、時間ぐらいは稼いでみせる、そう決意して。
サラは玄関に移動し、初手を取るために準備をし、そして。
コンコン、と扉がノックされた。
「失礼だが、この家にサラ・セイファートなる人物が――」
声が聞こえると同時、サラは玄関の扉ごと戦鎚で声の主を殴りつけた。
硬質な音が響く。
弾かれた。予測されていたわけではない。常時展開しているただの障壁に、いともたやすく受け止められてしまったのだ。
「……良い筋だ。が、まだ弱いな。それではまだ届かない。ところで、『砕くもの』を持っているということは、君がサラ・セイファートでよかったかな?」
落ち着いた女性の声。
不意打ちを受けたというのに、そんな些細なことを気にしていないかのようだ。
間違いない。内包する魔力的にはゼイヘムトと同格だが、この女性は戦闘能力では上を行く。
苦虫を噛み潰したような顔をしながら距離を取り、サラは頷きを返す。
「ええ、そうですが、貴女方は?」
触れえざる美貌を持つ純白の翼の騎士は、微笑しながらサラに向き直った。
「『神の騎士』シャティリア。君の祖先に少し世話になり、また世話をした者だ。一万年ほど下に降りる機会がなかったが、まだ子孫が生きていると聞いてね。顔を見に来たわけだが――なかなか優秀なようで安心した」
上級の魔人なら即死か戦闘不能まで追い込める打撃を意識すらせずに弾いておきながら、シャティリアはうんうんと頷く。
格が違う。恐らく、これが戦闘特化の最上位陣なのだろう。
まだ足元にも及ばない。だが、いずれ追いついて見せる。それしか、もうサラには道はないのだから。
「……ほら、力をひけらかしてるからこうやって敵視されるんでしょう、もう。初めまして。私は『左に侍る者』ユーフェミアです。
今度から戦闘系の加護を与えるために上から派遣されてきたの。とりあえず、現状での最重要人物と言うことで、貴方に挨拶に来ました。
私達が実際に迷宮に潜ることは許可されていないけれど、攻略するうえで協力し合う関係になります。よろしくね?」
シャティリアで隠れて見えなかった、小柄で柔和な女性がサラに一つ会釈をする。
つられてサラも会釈を返し、あ、と声を出してから慌てて頭を下げた。
「いきなり攻撃してしまい、申し訳ありませんでした。えっと」
「気にしなくていいんですよ。こっちの馬鹿が威圧しすぎなんだもの」
くすくすと笑いながら、ユーフェミアは軽くシャティリアの頭をはたく。と、凄まじい炸裂音が響き、シャティリアの頭がずれた。軽いのは見た目だけで、どうやら半端じゃない威力の魔術を同時に炸裂させたようだ。
痛そうに頭をさすったあと、シャティリアは表情を正して向き直った。
「ところで、フロウがこの街にいると聞いたが、どこにいるか分かるか? 古い馴染みにも挨拶をしようと思っているんだが」
「フロウさんは……今、魔術師協会に呼び出されています。今日中には帰ってくるはずですよ」
「ふむ、魔術師協会とやらは、どの方向のなんという街にあるんだ?」
「向こうにある、トゥローサという街ですが」
「ありがとう。ユーフィ、私は奴と会ってくる。話はお前が詰めておいてくれ」
え? という声を出す暇もなく、シャティリアの姿はその場から掻き消えていた。空間転移の類ではない。純粋な速度と、周囲への影響を全て排する技術の複合だ。
ぽかんとそれを眺めることしか出来なかったサラに、苦笑を浮かべたユーフェミアが声を掛ける。
「……とりあえず、中に入れてもらっていいかしら? あの馬鹿にはあとでよ~く言い聞かせておきますから」
頷くことしか出来ず、サラは案内しながらふと思った。
三人を逃がす必要、なかったなぁ、と。