第四十二話
魔力を水とすると、氣は火だ。
拡散する性質を持つため器に入れて抑え込む魔力と、自身の生命力を無理やり発散させることで肉体を活性化させる氣。
両者は相反する性質を持つが、上手く組み合わせるならば凄まじい出力を引き出せる。
要はある種の火薬と同じだ。そのまま火を点けても燃えるだけだが、圧縮して点火すると猛烈な爆発を引き起こす。
常人ではその爆発を制御する技術を身に付ける前に死ぬが、しかし。
「非常に難しいですね。動くだけでも想像を絶するほどの負荷と、このわたくしの肉体を引き裂くほどの出力があります。きちんと戦闘に使えるようにするにはどれだけの研鑽が必要なのやら」
言いながら、サラは肉眼では捉えられないほどの速度で拳撃を連続する。
よほど鍛え抜いた者であったとしても肩などの筋肉や腱が根こそぎ断裂するほどの速度と連続性。軽く放っているように見えるが、もしもこれを受けたなら人間は爆散するだろう。その威力を連続して放てる時点で、もう人間と言う枠から外れていると言えるか。
恐るべきはセイファートの血か。
本来ならばこうして軽い演武をするところへたどり着くことでさえ、どんな天才でも数年かかる。何せ、自分の体の各所を爆発的な出力で動かすのだ。僅かにでも魔力と氣の配分を見誤れば、即座に肉体が爆散するという危険極まりない行為なのだから当然でもある。
だが、サラはまだ氣の習得をしてから三日と経っていない。まさに天災。天の災害と呼ぶべき化け物だと言っていい。
「分かります。わたくしの血が、肉体が、魂が、使い方を教えてくれます。体の動かし方が、魔力と氣の混ぜ方が、量が。
わたくしを構成する全ての要素がわたくしを導いてくれる。これが今までのセイファートが紡いできた歴史ですか。ただひたすらに強さを追い求めてきた、その果てが、これ」
サラは囀りながら己の動きを加速させる。
確かにまだ更に氣を操作する繊細な技術はない。だが、その代わりに十年以上に渡って研ぎ澄ませ続けてきた魔力操作の技術がある。
寝ても覚めても、食事の時だろうがなんだろうが、常に行ってきたことだ。魔力の精密操作において、サラの右に出る者はまずいない。いるとしても、桁外れの年月を生きる遥か上位の存在ぐらいだ。
究極に近い血統を持ち、常軌を逸した密度の修練を積み、偏執狂的と言っていいほどに自らも力を求めてきたサラだから至った領域。恐らく、魔力の操作技術だけならば、人間の枠では歴史上最高に近いだろう。
そう、それほどの技術を以ってすれば、安定しない氣の操作に魔力を合わせることなど難しいことではない。
安定しない、と分かっているのなら安定させられる手を考えればいいのだ。安定しない氣を大まかな量で操作し、その未熟を超絶の技術で補う。
やってみればなんということもない。ただ一手誤れば死ぬだけで、そんなものいつもと同じだ。
何せ、どんなこともやってみなければ分からないのだから。
「おととい教えて、もうここまで。サラ、隠れてどれだけやった?」
「常に、です。全ての動作を微細ながら魔導練氣術込みで行いました。流石に寝ているときまでは出来ませんでしたが。
おかげでお皿を何枚も割ってしまいました。やはり、慣れない真似をすると被害が大きいですね」
「前々から思っていたけれど、サラは大馬鹿? それは遠回りに見えて実は直線的な自殺と変わらない」
婉曲なことを言わず、率直にサラへの文句を言うルン。
確かに、下手すれば重傷を負うようなことを寝るとき以外常に行うなど狂気の沙汰だ。というか、今現在生存していることが最早奇跡。
とはいえ、そんな無茶を行うサラの気持ちも分かる。
この一か月間、何もできなかったということがサラを焦らせているのだ。
現状、魔人と戦って生存できているのはサラしかいない。中級の魔人なら部隊単位でなら何とかなる者もいるだろうが、もし上級以上の魔人が出てきた場合は他に誰も勝ち目がないのだ。
加えて、つい先日に『動く山』を打倒して、第一階層の裏階層への進入許可を得た部隊がいるという報告があった。
いつかはあると分かっていたが、誰もが予想していた時期よりもかなり早い。そう、少々早すぎる。
サラが突入した後、とかはどうでもいい。問題はその他の準備が整っていないことだ。
たとえば第二階層に出てくる、ほとんど普通の蝶と変わらない魔物である幻惑蝶がある程度の数いるだけでも普通の冒険者では終わる。鱗粉を吸うだけで幻覚、催眠作用のある幻惑蝶は強さ的には雑魚以下だが、それゆえにいることに気付けず、存在するだけで危険な魔物だ。
また、第七階層後半で確認された蝙蝠のような魔物は強制的に眠らせてくる怪音波を発したという報告もある。
これらを考えるに、出来れば裏階層への突入には毒、睡眠、麻痺、幻覚には最低限対抗できるようにしておく必要があるだろう。
なにせ、第二階層の表でさえ毒や幻惑を多用する魔物が多かったのだ。ルンのような超絶の探知範囲と探知深度、そして神話の時代の隠蔽術を突破できる能力がなければ、この段階では見つけられなかったような狂ってる場所に、まさか毒その他を持っている魔物がいないということはないだろう。
サラのように生身でも鉄壁以上の耐性を持っているならともかく、もしも行くなら魔道具でガチガチに固めておく必要がある。また、出来ることなら探知系魔術を常時使えるぐらいの魔力と技量があることが望ましい。
無茶に近いが、実際には可能だ。素材が限られるが、ある程度以上の量の魔力を蓄積できる魔道具は作り出せるからである。魔力を回復できる魔術薬は多用すると命を危ぶむおそれがあるし、下手に自分の魔力を減らすといざと言う時に動きにくいので最後の手段だ。
で、それらの準備はまだ出来ていない。というか、毒と幻覚は何とかなるが、他を常に何とかできる魔道具がなかなかないのだ。一応、ないことのないのだが、基本的に毒などへ完全抵抗を付与できる魔道具は神器かそれに準ずるため、誰も貸してくれない。貸してくれるわけがない。
なので、体力や魔力が回復し次第、ある程度の準備で行こうとするアラン達と、万全を期しようとする協会で喧々諤々の言い合いが起きている。そして、いつか協会は押し切られるだろう。それがいつになるかは不明だが、あと数日は猶予がある。
その猶予までにある程度は魔導練氣術を修めることで、サラが先行して情報を集める算段なのだ。
「何を今さらおっしゃるんですか。わたくし共が自殺行為以外をするわけないじゃないですか」
笑い、サラは動きをどんどん加速させ、何かを想定している動きへと変化していく。
鋭く、しなやかに。しかし、重く、固く。
それは見ているだけでは分からないだろう。サラが模倣する相手を見たことがなければ、死闘を繰り広げた経験がなければ、分からないだろう。
模するは『鎧獣騎』マンティコア・ジェヴォーダン。
サラが限界を超えて全身強化しても、なお上回ってきた相手だ。
マンティコアを超える存在をサラは知っているが、シェイドは技量自体が低すぎ、ゼイヘムトは単純に積み重ねた洞察と研鑽と素の能力が桁外れなだけで、参考にならないのだ。
だが、マンティコアは違う。
上へ、上へと臨み続けた武人としての気質。保有する魔力量に胡坐をかかず、磨き抜いてきたその技。
体型と骨格が根本的に違うためにそれそのものを使うことは出来ないが、しかし自分へとつながってきた技術へと合流させることは出来る。
それは、一つの完成形。
膨大な力を、爆発的な力を、流動させることで必要な個所を必要な分だけ強化し、力を上乗せさせていく。
全力での稼働ではない。まだそこまで達することは出来ていない。
しかし、その動きは。
連続して空気の壁を破壊し。
音の速さを、超越する。
「!」
ルンが目を見開いて絶句した。
炸裂音が連続する。
常軌を逸した強化が為されているためか、拳が破壊された様子はない。だが、拳が振るわれるたびに爆圧が周囲を揺らす。
まだ遠い。完成には遥か遠い。
それでも、この域にまで達する。呪刻を解放せず、自分の体の限界を超えず、先を残したままで。
魔導練氣術を使えるのは、現状では素手のみだ。巨大な相手、固い相手を敵に回す場合は不安が残る。今は。
あとどれぐらい掛ければ完成できるのかは分からない。何せ、強化の幅が大きすぎる。サラの強靭な肉体でさえ、今の強化で悲鳴を上げているほどだ。生きているうちに完成させられるのかすら、不明。
だが。
そんなことを考えるのは後だ。
今はただ、磨き続けるのみ。
「ハァァァァアアアアッ!」
一心不乱にサラは拳を、蹴りを放ち続ける。
時間にすれば、三十秒ほどだっただろうか。繰り出された拳と蹴りの数は百を優に超える。
ようやく立ち止まったサラは、大きく息を吐いた。
全身を激痛が襲う。耐えられないほどではないが、無視できる程度でもないが。
「痛みの引きが早いですね。魔力で回復を早めれば、これぐらいの出力までなら問題なく動けます」
「……化け物? あとは、音速超過の外部影響を魔術で抑え込めるようになるだけ。何か、掴めた?」
「はい。いずれ至る、わたくしの完成形、その一つが。いずれ、お父様を超えるその道筋が見えました」
言って、サラは笑う。
いつもの可憐な笑みではない。獰猛な、肉食獣を思わせる笑みで。
ルンはそれを見て、苦笑で応じる。
今は、ただそれしかできず――
最後の防衛機構を打ち破り、ゼイヘムトは世界樹の頂点へと出る。
ここまでにかかった時間は実時間で一か月、ゼイヘムトの主観時間で七百年強。一体どれほどの防衛機構が設置されていたのだろうか。とりあえずゼイヘムトは千を超えたあたりで数えるのをやめたため、正確な数は分からない。
何はともあれ、ようやくたどり着いた場所でゼイヘムトは周囲を見渡した。
果てしなく雑多な世界だ。
いわゆる天国とは程遠く、何を考えて作ればこうなるのか。と頭を抱えるほどに酷い。
しかも、世界樹のてっぺんに出たはずなのに、普通に地面が広がっている。恐らくは、というか間違いなく小規模な世界そのものを世界樹の上に創造したのだろう。しかも、複数の世界を。
どう酷いか具体的に言うと、非常に深くて広い森林が目の前に広がっているかと思えば、そのすぐ隣を溶岩が流れ、逆側は砂漠で、砂漠の中には巨大な湖と河がある。後ろを向けば海の中に巨大な岩山が生えており、その上に建物が建つ。
現在のゼイヘムトの周囲だけでこれだ。ちょっと遠くを見れば、砂漠の中に唐突に花畑があったり、森のど真ん中から水柱が上がっていたりと意味の分からない光景が目白押しだ。
本当に、何がどうしてこんなことになっているのやら。
「ふむ。防衛機構を突破した奴がいるから何事かと思ったら、『森羅の魔王』、貴様か」
不意にゼイヘムトの後ろから声がかけられる。
ゼイヘムトの感知能力にさえ引っかからない、超長距離からの転移。転移してきたことにも、声をかけられてなお存在が確認できないことさえも、それが何者かを示している。
振り向き、ゼイヘムトはそれに苦笑を向けた。
「『万物の覇王』。こういう場面に出てくるのは全方面対応のお前か」
そこにいたのは、男とも女ともつかない、触れえざる美貌の持ち主だった。
纏う服に縫い目などない。天衣無縫。それは魔道具や神器と言う区分を超える、神の力の結晶。日常的に着る服でさえ、各種補助魔術の極みが付与されているのだ。
やや濃い髪をしたその神――『万物の覇王』は人の悪い笑みを浮かべる。
「当然だろう? 他の連中が動くとでも思うのか? あの超絶自分勝手な連中が」
「お前も人の事は言えまい。知っているぞ、度々地上に降りてきて、ミズガルズオルムの繁殖を手助けしていることを」
「あれは私の趣味だし、仕方ないだろう。前にここで繁殖させていたら、『魔導神』にしこたま怒られたからな。それに、良いじゃないか、成体まで育てば守護神として地域を守ってくれるんだぞ」
「それまでに何百年かかって、どれだけ船が沈むと思ってるのだ?」
どうやらお互いに知り合い同士のようだ。
ただし、両者ともにさりげなく術式を変遷させて高度にもほどがある読み合いをしていることから、あまり仲は良さそうではないが。
「っと、悪いが、喧嘩をしに来たわけじゃあない。ここには頼みごとをしに来たんだ」
「ほう? わざわざこんなところに、何を頼みに来た? あの大迷宮のことなら、自分達で調べろよ」
「近いが、違う。こちらに引っ込んだ神格存在共のうち、まだ人間から信仰されたい連中を引き取りに来ただけだ」
ゼイヘムトの言葉に、『万物の覇王』は目を細める。
殺気立つのとは違う。面白がるような、真意を測るかのような目だ。
または、面白いことを考え付いた、そんな目だ。
「『加護』、か。なかなか良い手だ。貴様を協力者の位置に付けた人間どもはなかなかの運と慧眼持ちだな。
私の一存では決められんから、一日二日待て。脳まで筋肉で出来てる馬鹿どもを叩き伏せて、意見を通してくる。『魔導神』には話を通しておくから、そこの大図書館の資料閲覧も許可しよう。
ま、精々頑張ることだ」
それだけ言って、『万物の覇王』は姿を消す。
魔術ではない。一つの能力に特化することで、逆に万能に至った神の御業だ。
それを見送ったゼイヘムトは、自嘲するように息を吐き捨て、岩山の図書館へと足を向けた。
格の違い。久方ぶりに味わわされたそれは、なかなかの屈辱だ。分かっていても、闘志が燃え上がってくる。
「この余ですらも足元に辿り着けるか否かの化け物、か。クハッ、これだから、この世界は面白い」
口角が上がるのを止められず、ゼイヘムトは一人高笑いをしながら歩いていく。
漏れ出る瘴気が全てを犯し、冒し、侵し、朽ち果てさせるのを止めることさえせずに。