第四十一話
闘技場の中心。本来なら四つある舞台はいかなる方法を用いたのか、まとめられて一つの大きな舞台となっていた。
その舞台のど真ん中に、サラは悠然と立っている。
今日も満員に近い観客だが、彼らは不思議に思っているだろう。『最強の冒険者対武闘大会上位入賞者の部隊』という触れ込みなのに、舞台に立っているのは弱冠十五歳の少女なのだ。どう見ても強そうには見えない。
ただ、観客席にいる一部は息を呑む。
サラの力を、己の目で見たことのある者達だ。怪我などで動けないとき以外は、定期的にサラは守護者狩りをしているため、そのさまを目撃した者達ともいえるか。
自分達が不利な状況に陥った時、いきなりどこからか現れ、守護者を粉砕してそのままどこかへ行く。そんな噂や伝説みたいな存在が、多くの人々の前で戦うというのだ。
自分の技の肥やしにしようと一挙手一投足を目に焼き付けている者、何故か怯えている者、ちょっと憧れの目で見ている者などがいる。
そんな彼らとは逆に怒り心頭な表情をしているのは、この試合を望んだ者達だ。
まぁ、考えなくても分かることだ。最強の冒険者を叩きのめして自分達の強さを見せつけようとしたら、出てきたのはたった一人の小娘。しかも一人一人が戦うのではなく、全員の部隊がまとめて掛かってこい、などと言われているのだから。
幾らかの思惑が重なる中、サラが考えているのは一つ。どうやったら派手な魔術を使いつつ、誰一人として再起不能にしないか、である。想定より随分と弱いので、普通に効果の出る距離で魔術を使うと一撃で微塵に散ってしまうのだ。
仕方ないので、サラはぐるりと会場を見渡す。
ご丁寧に二十人ばかりの魔術師が位置取りして、観客席に被害が出ないように障壁を張ってくれている。魔道具や魔石を利用しているのだろう、かなり強力な障壁のようだ。ミスト老の配置した物なら、サラが多少暴れても壊れることはないだろう。
また、障壁は観客席を完全に覆っているようで、上からの衝撃にも耐えられそうだ。
これで作戦は決まった。後は始まるのを待つだけだ。
審判がサラと対戦相手の間に立ち、両者の合意を確認する。そして、物凄い速度で舞台から退避しつつ、半ば泣き顔で戦闘の開始を告げた。
「はじめッ!」
その言葉に、僅か一瞬遅れ。
サラが軽く指を弾く。
魔術行使の合図。威力を、精度を出来得る限り低下させるために詠唱も起動呪も破棄した、超簡略版だ。
そして。
上空で炸裂した大爆発が闘技場全体を揺らす。
圧倒的な魔力で行使される連続の爆発は、もし障壁がなければ多数の観客にも被害が出ていただろう。一点への威力では大した威力を持たない魔術だが、こと範囲においては上位に位置するからだ。見た目のド派手さでも上位だ。
開始から五秒後、サラがもういいだろうと判断して魔術を止めた時、既にサラ以外に舞台上で立っている者は存在しなかった。
誰も言葉が出ない。
来ている観客達の大半は前回の武闘大会を見に来た者ばかりだ。つまり、舞台上で倒れ伏し、呻いている者達の強さを知っている。
そんな彼らに文字通り何もさせず、初手で完全に撃沈したサラを見る彼らの目はいかなるものか。
自分の引き起こした大爆発のただなかにいて、なお煤一つ寄せ付けぬ姿は恐怖を超えて畏怖を与えるほどである。
風に髪が流されるままにしているサラは、まだこれが全力でないことを示すかのように当然だと言わんばかりの表情で審判の宣言を待つ。
舞台脇で頭を抱えて伏せていた審判は、三十秒ばかり震えていたが、ようやく終わったことに気付いたらしくおっかなびっくり舞台に上がってきてサラの勝利を宣言した。
「あの人、半端ないな」
「相手冒険者、ほんっとうに何もできなかったね。一歩も動けてないじゃないか」
観客席でイーリス達三人もその様を見ていたのだが、出てきた感想はたったそれだけだった。むしろ、それ以外の感想をどう抱けと言うのか。
サラの相手は中堅冒険者のため、わりと強いはずである。少なくとも学園生よりは遥かに。
が、結果はご覧の有様だ。学園生でも、大体似たような結果になるだろう。まぁ、実際には瞬間的な判断で障壁を張ったりして重傷を防いでいたりするが、学園生程度に見て取れるものではない。
ただ、不安は取り除けた。
噂が本当なら、こんなに早く戦いの場に出ることなど出来ないだろうからだ。
ほぼ完全な状態のサラを見て、イーリスはへなへなと腰を落とす。よかった、と。本当に良かった、と。
「しっかし、噂も当てになんないな。これからは協会とかで売ってる情報を重視するべきだな。後は信用ある騎士様たちの話とか」
「だね。信用ある筋からじゃないと、情報の錯綜が怖い。でも、噂が本当じゃなくてよかった」
実際にはサラはズタボロになって一回死んでいるが、彼らの視点ではそれは分からない。
だが、真実が常にいいものではない。サラの真実を知ればイーリスはしばらくダメになるだろう。厳しい者なら教えるかもしれないが、教えて状態がわるくなっては元も子もない。
静かに安堵の息を漏らすイーリスをそっとしておいて、クレールとジンはあーだこーだと話を続ける。
今はまだ、彼らに平和な時を。
そして。
迷宮第三階層で。
アラン達六人ともう一部隊が死闘を始めようとしていた。
「行くぞ。まずはこいつに勝たないと話にもならない」
対するは『動く山』。この迷宮で現時点で発見されている中では間違いなく最強の魔物。
単純に巨大極まる質量、サラすら足元にも及ばない超絶の魔力量、驚異の同時魔術行使を行う処理能力。一発一発が強力で何らかの防御手段がなければ一撃で殺されかねない。
勝つ方法はただ一つ。『動く山』という壁を超える力を持つことだけだ。
まずはアランが守護領域に踏み込む。全身を強化し、猛烈な速度で一直線に動く山へと近づいていく。
それを許すなら、『動く山』は関門として機能しないだろう。高速で動くアランに易々と狙いをつけ、数十に及ぶ驚異の魔術連打が放たれた。
普通ならこの時点で終わりだ。サラのように問答無用の強力な防壁を常に張り続けることが出来なければ、死ぬ。
そう、普通なら。
だが、アランは死の運命を独力で回避する。そう、文字通り回避したのだ。
いくつもの魔道具を併用して己の知覚速度を倍以上に引き伸ばし、己への追尾捕捉を誤魔化し、魔術を回避する修練を積み続けたために可能となった技術。絶対命中の追尾捕捉さえ誤魔化せるのなら、速度と射程の長さ以外は基本的に魔術とは弓などの遠距離攻撃の延長だ。つまり、術式を読み、狙いを看破できるのならば魔術は回避できる!
アランに攻撃魔術が集中する間に、もう一方の部隊と攻撃魔術担当のミラが動き出す。
守護領域内に入れば魔術の集中砲火を喰らい、入らなければ届かせることが出来ない。なら、攻撃を分散させつつ、こちらの攻撃役に専属の盾を付ければいいのだ。
ミラの盾役は騎士達との合流以降に部隊に入ったオオカミ系獣人の女騎士だ。この部隊は本当に女ばっかりである。ネコ系の獣人であるカザネとは対照的に白髪碧眼の、大人の女性である。
「ミラ、攻撃は気にしなくていい。全て受けきって見せる」
「ふん、当然よ。あんなでかいだけの亀、さっさと倒すんだから!」
言いながら、ミラと女騎士――フリーダは走り出す。
いくつもの魔術が二人を襲うが、全てフリーダが防ぎきる。散発的な攻撃なら熟練した盾騎士が防ぐのは容易い。それよりも問題は鬱陶しい地形変化だ。
サラや先行しているアランのように前衛としての能力が高ければある程度の変化でも問題なく進めるが、戦闘中は大して動くことのない純後衛のミラにとってはかなり厳しい。また、鎧や盾で重くなっているフリーダにもなかなか厳しい環境だ。
だが。
その程度でくじけていては、アランについていくことなど出来はしない。
「二人とも、お先!」
二人の脇をコレットが駆け抜けていく。
アランほどではないが体術を得意とする彼女は、弱い障壁を時間稼ぎに使いつつ魔術を回避し、相当な速さで駆け抜けていく。アランとほぼ揃いの装備をしているのも、魔術回避が出来る理由だ。
既に『動く山』に斬りかかっているアランに続き、コレットも剣に魔術を纏わせて『動く山』に取りついた。
質量には質量。地属性魔術で膨大な質量を剣に纏わせ、斬るのではなく思いっきり殴りつけた。
物凄い轟音と共に、『動く山』の甲羅の一部がへこむ。『恐なる劣竜』辺りなら吹き飛ばせる威力で殴っているのに、この程度で済んでいる辺りとんでもない。
が、まぁ殴られた方としてはたまらない。でかいから被害が小さく見えるだけであって、痛いものは痛いのだろう。
あんまり動かすことのない体を動かし、コレットに狙いを定め――逆側から高威力の魔術の連打を受けて身を固めた。
そして、数秒間一切動かない。
なんだ、これは。
だが、好機だ。
一瞬の判断でアランは師から受け継いだ魔術に、『覚醒』によって得た力を上乗せする。
『剣』の魔術特性。魔力で巨大で強力な斬撃を生む魔術だ。
この『動く山』は巨大で強力だが、しかし強度的にはそこまで高くはない。ならば、斬れる。
そう判断し、アランは『動く山』の首付近へと大斬撃を繰り出す。
全長数十ヤードにも及ぶ斬撃。それは確かに『動く山』の首筋に命中し、しかし断ち切る前に展開された障壁に妨害されて魔力剣が砕け散った。
「チィ!」
舌打ちし、アランは続いてくる攻撃魔術を避ける。
勝ち筋は見えた。何らかの魔術を当てれば、『動く山』は数秒とはいえ静止させられるのだ。
それが何かは不明だが、数撃っていればその内分かるだろう。どうせ長期戦だ。
だから、アランはあえて最も防御の固いところを狙う。自分に魔術を集中させれば、その分仲間の危険を減らせるからだ。
障壁と攻撃が集中するのを知りながらアランが『動く山』の頭部を狙う。
「ウォォオオオオオオッ!」
雄たけびをあげ、アランが動く山の目に斬りかかった時だった。
超長距離からの遠距離砲が『動く山』に直撃する。
強力極まる光の属性を帯びた、矢による一撃。カザネとルナの連携で可能となる切り札の一つだ。
通常の矢に時間を掛けて強大な魔術を上乗せした、単発ではアラン達の部隊で最強の一撃。『動く山』の甲羅が一部完全に破壊されているのが見て取れる。
激痛に『動く山』が咆哮を上げる。そこにルナの魔術連打が叩き込まれた。しかも、矢で空いた大穴へと。
穴の内部に突き刺さるのは炎、氷、雷、風の四種の魔術が一度に数十。時間を掛けて準備した魔術連打は、流石に相殺しきれずに傷口へと突き刺さる。
傷口で炸裂した魔術は穴を内側から広げていく。しかし、動きは止まらない。
そこに、コレットが再び地属性の魔術剣を叩き込んだ。
鈍い音と共に甲羅がへこみ、そして。
「止まったッ!」
再び『動く山』が静止する。
これで大体は分かった。つまり、変動するが弱点属性があるのだ。
そして、今度こそは逃さない。
アランは再び魔力剣による大斬撃を敢行する。自分のほぼ全魔力を込めた最大最強の一撃。それが先ほど、半ばまで断ち切った首の傷へと重なり――『動く山』の首を切断した。
そこに追撃とばかりに再び超長距離からの矢が飛来し、『動く山』の頭を吹き飛ばす。
そして、両側からの魔術の連打が『動く山』の体を揺らした。
並の生物ならここで終わりだ。
だが。
サラ・セイファートが真っ向からの勝負で十時間以上かけた相手がこの程度で終わるわけがない。
首の傷口が嫌な動きをし、『動く山』は自らの体を震わせる。
「駄目だ! 首に攻撃を――!」
気付いたアランが叫びながら自分も首に攻撃を仕掛けようとして。
間にあわず、目を見開いた。
『動く山』の首から、恐るべき速さで頭が再生する。
そして。
大地を揺るがすような咆哮が全員に襲い掛かった。
サラでさえ完全には抵抗しきれなかった、強力な神経干渉効果。
その威力を――アラン達は克服していた。
咆哮の姿勢を見た瞬間に用意していた特殊な魔術薬の丸薬を口に含み、咆哮と同時に噛み潰す。僅かな時間、聴覚を介する特殊攻撃の全てを妨害し、無効化する効果を持つ丸薬だ。迷宮内の植物を多種使う上、洒落にならないぐらいの値が張るが、しかしその効果は強力だ。
咆哮を無効化し、咆哮の瞬間だけは魔術が飛んでこないことを利用して、再びアランが首に斬りかかる。もう魔力剣は使えないが、しかし。
「なめるな!」
鍛え抜いた斬撃はまだ有効である。
首が再生するのには度肝を抜かれたが、しかし首がない間は攻撃が飛んでこない。なら、首を飛ばしつつ追撃を行うべきだ。
全霊を込めた大上段からの一撃が、『動く山』の首を大きく削る。そこに、逆側からの援護魔術が突き刺さり、爆圧と共に首が吹き飛ぶ。
あとはもう作業だ。
強力な攻撃を叩き込みつつ、首が生えてこないように斬り、焼き続ける。
数時間、首を落とした回数にして百を超えたあたりで、完全に『動く山』は静止し、その生命活動を停止させた。
桁外れの重労働を終え、完全に殺し切ったことを確信したころには二部隊全員が疲れ果て、まともに立つことも出来ない状態だった。
「……これを単騎で、しかも弱点とか考えずに真っ向から張り倒したサラさん、桁が違うわ」
「お疲れさまです、アラン」
どっかりと地面に座り込んだアランに、ルナが濡れた手拭いを渡す。今回の作戦ではルナとカザネの消耗は他と比べて、ないに等しい。何せ、敵の射程外から大火力を打ち続けただけなのだから。
だから、ではないだろうが、ルナはそのまま今回の作戦に参加した全員に濡れた手拭いを渡していく。ちなみにカザネは『動く山』の体に乗って、他の魔物が近付いてこないかを警戒中だ。
「アラーン、疲れちゃったぁ。おぶってってくれない?」
「流石に今回は勘弁してくれ、ミラ。冗談言える体力があるなら、自分で頼む。つーか、今回背負っていくならコレットだろ。死にそうな顔で青ざめてる」
ミラがアランにしなだれかかるが、アランはひらりと身をかわしてコレットを指す。
超絶の生命力と火力を誇る『動く山』の攻撃を真っ向から受けたり何とか躱していたのだ。ぶっちゃけた話、サラのやってた消耗戦を大分質を落として実行していたようなものである。その消耗度は文字通り桁が違う。
「あー、確かにこれは……何度か動きを止めてくれたし、今回は譲るべきね」
肩を竦め、ミラはコレットに近付いていく。かなり積極的にアランを狙っているミラだが、彼女は魔族で魔術師の癖に正々堂々を好む。別に魔族だから正々堂々は駄目、とは言わないが、魔術師的には駄目だ。普通の魔術師は敵の射程外から最大火力を初手でぶち込むのが仕事なのだから。
コレットを抱き起し、肩を貸してアランのところまで連れて行き、そのまま彼に向って押す。ほぼ体力を使い果たし、疲労困憊のコレットは抵抗すらできずにアランの胸の中に飛び込むことになった。
「……あ、あぅ」
「お疲れ。あんまり寝心地の良い枕じゃないが、休んで行ってくれ」
「――」
ぷしゅーと頭から蒸気を出して、コレットが沈む。まぁ、仕方のないことだ。
信賞必罰を地で行くミラは、これで満足とばかりに自分は最後まで守りきってくれたフリーダをねぎらいに行く。今回の防御でお気に入りの盾がダメになったそうなので、それを買い替えるか打ち直すかの相談に乗りに行くのだ。
人より前に出るにはまず他より能力を持つべし、という信念を持つミラは部隊の財布係も務めている。おかげで人脈は広くなったが、その分仕事が多くなってしまったが、やりがいはあるものだ。
何にせよ、これで第一層の裏階層へと進める。
そこで何が待つのか。最低でもこの『動く山』を倒した戦力以外の進入を禁ずるだけの何かがあるということだ。
期待と不安を等分に入り混じらせつつ、ミラはフリーダとの相談に入るのだった。