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ガイラルの迷宮  作者: 光崎 総平
第四章 人の子よ、高みを知れ
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第四十話

 陶器のマグを受け皿に置くと、カチャリ、と硬質な音が鳴る。

 自分で淹れたお茶にどこか味気なさを感じながら、フロウは大きく息を吐いた。


「で、なんでサラちゃんがあんなことになってるの?」


 問われたルンはそっぽを向いて、サラの家庭菜園から引っこ抜いてきたニンジンをかじる。調理されていなくても、フロウは特に気にしないらしい。

 そのまま葉っぱまで食べ、ようやく満足したらしいルンは嫌そうに口を開く。


「体を鍛えるのを無理に断行しようとしてたから。どうやってかは、とりあえず不意打ちでぶん殴って、長期戦に持ち込んで張り倒した。やっぱり、体力が落ちている」


 そんなルンの言葉に、フロウは頭を抱える。

 体力が落ちている、とか言いきる相手を不意打ちするなよとか、一般人なら動くことすら出来ないような状態の相手を長期戦に持ち込むとか鬼畜かよとか、いろいろ言いたい。というか、よくもまあ不意打ち出来たものだ。いや、ルンの持つ精密距離の空間転移を使えば簡単かもしれないが。

 だが、まぁそんなことは今の状況からすれば些事だ。

 問題は、全裸のサラが結晶体の中にぶち込まれているということである。


「で、なんでひん剥いたの?」

「あの結晶体内部は極めて粘度の高い液体で満たされていて、その液体は高濃度の色付けされていない魔力を含んでいる。また、錬金術の秘奥である赤い石に近い成分であるため、生命力を活性化し、大幅に体力の回復を促進する。

そして、それは出来れば素肌から摂取することが望ましい。サラは吾のように服まで自分の一部というわけではないから、とりあえず効率を重視した。文句は言われなかったから、問題ないと思った」

「文句もクソも、気絶してたんでしょ、サラちゃん」

「……そうだった気もする。でも、大丈夫。些細なこと」

「嫁入り――いや、婿取り? 前のいたいけ……いや、ちょっと違うわね。ええい、とりあえず若い女の子をひん剥くのはやめなさいな」


 はぁ、と深く嘆息するフロウ。

 どいつもこいつも思考がカッ飛んでいるため、一苦労だ。というか、一か月は体を鍛えるなと言われたのに、平然と破るその精神に乾杯を送りたい。

 もう一度深く深くため息をついたフロウは、何気なしに結晶体の中のサラを見やる。

 裸のことを生まれたままの姿、などと言う者がいるが、それはサラには当てはまらない。

 いくつもの傷跡を残す肢体。服を着ていても露出してしまうところにはあまり傷は残っていないが、見えないところまでは気にしていないのか、かなり多くの痕が残ってしまっていた。

 とはいえ、傷跡程度で済んでいるのがサラの凄いところだろうか。傷跡の部分だけ肌の色が変わってしまっているが、痕が盛り上がったり変質したりということはない。ただ、生半可な数ではないのが、その戦歴の壮絶さを物語る。


「造形だけ見れば綺麗なものだけど、普通の男がこれ見たら引くわよねー。いくつか貫通してるような痕があるし、よくもまぁ傷跡だけで済んでるもんだわ」

「色々調べたら、どうも肉体を動かすのに不都合な変化が起こらないようになっているようだった。皮膚が変質して柔軟性が無くなるのを、何らかの手段で防いでいると思われる。

その手段は不明。あまりにも多くの呪法が重なり過ぎて、どれが何にどう作用しているのか全く分からない」

「あなたのその調査命なところには尊敬の念すら覚えるわ……」


 自分の額を軽くたたきつつ、フロウは再びため息をもらす。ルンと一緒にいるとため息が多くなってしまう。

 そのままちょっとフロウが頭を抱えていると、ルンは更に話を続ける。


「気になるのは、サラの体重。どう考えても重い」

「…………あのね、女性の体重をどうこう言うのは、同性でもダメでしょ」

「そんな一般論で言える段階を超えている。サラは同年代の同じぐらいの体格の者と比較して、割と大きめの胸と細めの体をしているが、どう考えても重すぎる。

人間の比重は水に近い。だから普通に考えれば同量の水と同じか少し重いか軽いぐらいのはず。けれど、サラの重量は比較して五割ほど重い。流石にこれは個人差では済まない」


 これは正確な測定の出来るルンだから出てきた答えだろう。

 が、その言葉にフロウは首を傾げる。


「そうなの? 私、前にサラちゃん抱えて飛んだけど、大して重くなかったような……」

「自分が第二階級神族という頭おかしい種族ということをたまには思い出すべき。全力で飛翔する時なんて、どうせ全能力を引き出しているはずだから人間一人分程度誤差の範囲に収まる。

フロウは自分が巨石を片手で持ち上げられる筋力を持っていることを忘れている」

「……そ、そこまで怪力じゃないわよ? 両手を使うわよ」

「両手でも持てる時点で人外の輩」


 言われ、フロウは愕然としながら膝を落とす。確かに、巨石を両手で持ち上げられる存在を人間と認めるのは、少々難しい。ちなみにルンも余裕で持ち上げられる。サラの場合は無理。粉砕できても、持ち上げられるわけではないのだ。

 そんな風にキャアキャア騒いでいると、僅かにフロウとルンに何かが届いた。


『……ぃ』


 極めて微弱な念波だ。

 それは、どうも近くから発せられているようで――


「……嘘。この時代の人間が、念話の術式を? 魔道具の補助もなしで?」

「やはりサラは凄まじい。何度も見ているとはいえ、もう廃れ果て、意味さえ理解できない術式を必要とするのに」


 フロウとルンが真剣な表情で顔を見合わせる。

 ゼイヘムトやオリオール、ルンが平然と使っているので分かりづらいが、念話は現行の魔術師にとっては極めて難しい魔術だ。発掘されたり、伝承されてきた古代の魔道具や、それらを丸ごと複製した物を使って術式を補完しなければまず使えない代物である。ただ、遠距離の相手と会話するには必須に近いため、魔術師協会では複製の魔道具とそれを使って念話をする技術を、ある程度以上の地位の者に伝えている。低い地位の者で使いたければ、とても頑張るしかない。

 思わぬことまで相手に伝えてしまう可能性があるためにいくつもの予防手段を必要とするうえ、念波などと言う微弱なものを媒介にするので、特異な術式になってしまうのだ。

 念話を使うところを何回も見ていたとしても、即席で術式を編めるような簡単なものではない。

 出来るとするならば、それは天才ではなく天災と言うべきだろう。


『うるさいです。ちょっと殴り負けてへこんでるんですから、少しは静かにしてください』

「こちらは魔術アリ、体術アリ、万全の状態だったのだから、当然。むしろ、極端に弱体化した状態で体術のみ、神器すらなしで吾とある程度打ち合えたのを誇るべき」

「ルン、ほんっとうに手加減なしだったのね……」


 呆れたように言うフロウ。当然か。ルンとの格闘戦ということは、人の形をした鉄の塊と殴り合うことと同義だ。普通の人間なら、一発殴った時点で拳が砕けて終る。ましてや、殴られた場合は圧倒的な質量差と桁外れの硬度と速度があいまって、貫通しなければ御の字に近い。

 本当に今の体調で長期戦を行えたというのが、もう化け物の領域である。


「で、サラちゃん。今の状態はどう? その中、一応回復しやすい状態になってるみたいだけど」

『殴り倒される前よりはマシ、というぐらいでしょうか。動きが取れず、暇という以外は不満はありません。あと、液体の中にいるのに、呼吸が出来るのが非常に不思議ですね』

「……これは割とどうでもいいんだけど、裸だけど、恥ずかしかったりは?」

『別に今更ですし……そもそも、わたくしの体なんて、見ても面白いものではないでしょう。傷だらけですし、女同士ですし」


 念話で話していることを、実際に口でも言おうとしているのだろう。パクパクと口を動かしながら、サラは自分の体をぺたぺたと触る。

 と、ルンがゆっくりと口を開いた。


「さっき殴り合ったのと、今のサラの言葉で『森羅の魔王』の見立てがかなり正確だったことに気付いた。サラに一か月は動くなと言ったそうだけど、それの理由を今理解した。

サラはかなり肉体的に強靭で、成長度を残している。一度ダメになったそれをより強く修復し、更に体力を完全に充填することを考えると、なるほど、一か月と言う時間はほぼちょうどに当たる。

サラの肉体の修復に二週間、強化に一週間、体力回復に一週間。残りは誤差。サラの体は強力な能力を宿す分消耗が大きいけど、その消耗の多さが気にならないほどに膨大な体力を貯蔵できる。先に吾と殴り合った際に、すぐばててしまったのは体力が回復しきれていなかったから。

これは素直に賞賛するべき」

『……はぁ。あの方はそこまで考えていらしたのでしょうか? では、体力が回復しきると思われるあと一週間、とりあえず休んでおきます』

「そうしておくといい。氣の修行はそれからでも遅くない」


 鷹揚に頷くルンに、サラは軽く首を傾げる。

 そんなサラを見つつ、フロウは一つ頷く。なら、大丈夫だろう、と。


「サラちゃん、あなたに冒険者協会から依頼と魔術師協会から指令が届いているわ。両方同じ件に関することよ」

『拝聴します』

「武闘大会に出た冒険者複数から、この街で最強の冒険者と戦わせろ、という要望が来ました。そして、冒険者協会はそれを受け、あなたにその冒険者達と戦ってほしいと言ってきているわ。

で、それを受けたブリジットが、出来る限りド派手にブッ飛ばせ。殺さない程度に手加減し、その上でド派手に、余裕を持ってブッ飛ばせ、と言ってたそうよ。どう、いけそう?」

『出来る限り派手、というのが問題ですね。効率は重視しなくてもいいということでしょうか?』

「そういうことじゃない? とにかく派手に、しかも出来る限り余裕を持って、中堅どころを一蹴しろってことみたいだし」

『火竜咆哮や雷竜爆鳴を連続で打てばよさそうですね。あれなら手加減も出来ますし。分かりました、その依頼と指令、お受けいたします』


 結晶体の中で、そのままサラは僅かに胸を張って自分の胸に手を当てる。

 ちなみに火竜咆哮とは、武闘大会で使われた爆炎破の超強化版だ。人間に直撃させれば爆散どころか塵も残らない。そんなものを連続で打って、手加減可能とまで言うサラは、やはりどこかおかしい。


「じゃあ、全快するらしい一週間後を目安に、その近辺で戦えるように提案しとくから、ちゃんと体を休めなさいよ? ちょっと戦った程度でばてたりするようじゃだめだからね?」

『はい。しっかりじっくり体を休めておきます。理由があるのなら、分かったのならば休息を取ることに否やはありません。少し魔術を使って、勘を取り戻しておきたいですが』

「ま、その辺りも無理をしない程度にね。ルンもあんまりバカなことをしないように」


 フロウの言葉にルンは小首を傾げた。どうも自分の行いに非があるなどとは何一切考えていないようだ。

 そんなルンに、もう一度嘆息を漏らしてからフロウは去っていく。本当にため息が多い。

 なんとなく肩を落として歩き去ったフロウを見送ったサラは、そのままの状態で目を閉じる。ルンに結晶から出してもらって、ベッドで寝ればいいのに。

 回復の効率などがいいのなら、自分の状態など一切考えないサラであった。








 ところ変わって学園の食堂。

 そこかしこで聞こえてくる話題は数日前に開かれた武闘大会に関連するものが多い。

 が、ちらほらと次の迷宮実習のことについて話し合っている者達も見て取れる。あと二週間後に迫る実習は、前回と違って補助に回ってくれる先輩冒険者がいない。しかも、時間と範囲の制限がないため、どこまで行くかなども自分達で考えなくてはいけないのだ。

 ついでに言うなら、ガイラルウルフなどの強力な魔物が出現する場所まで解禁されているため、上位入賞を狙う者は奥に進むことも視野に入れるほかない。ちなみに、学園生程度の実力でガイラルウルフと遭遇した場合、一体でも死を覚悟せねばならず、二体以上の場合は餌になる。一部隊六人では勝ち目がないのだ。

 いくらかの班がそんな絶望的なことを考えている中、イーリス達は危険地帯のちょっと手前で稼げる方法を模索していた。


「前に言ってた水蜜桃は見つけるのが運になるから考えないとして、中盤ぐらいまででよさそうな物って何か知ってる? ボクはお手上げなんだけど」

「いくつか聞いたけど、どれも運が絡むな。果物系が半端ない値段になるっぽい。中でも黒いイチゴ……『漆黒苺』が一つにつき大銀貨三枚らしい。範囲回復の魔術薬を作れるそうだ」

「わたしが調べたのだと、おっきな芋虫を上手に倒すとものすごい量の糸が入った糸袋をはぎ取れる、とかかなぁ。傷のついてない糸袋一つで大銀貨一分だとか。

あとは鉱物系かな? 一応、全域に行けるから、鉱床に辿り着ければ物凄い金額に出来ると思うよ。その分、重いけど」

「……もう俺はあんな思いはしないからな。リバース・スペースでも持ってれば取り放題なんだけどなぁ」


 ジンが二人を半眼で睨みながら言う。背骨がきしむ思いをして頑張っても一位を取れなかった恨みは、まだ根深いらしい。

 と、リバース・スペースという言葉を聞いてイーリスの顔色が翳った。


「そう言えば、お姉ちゃん――サラ先生、最近見ないね」

「冒険者活動が忙しくなった、みたいなことを先生たちは言ってたっけ。仕方がないんじゃない?」


 ちょっと落ち込んでいるイーリスを慰めるように、クレールが言う。確かに忙しくなったのならば仕方のないことではあるからだ。本業が迷宮探索である以上、後進の指導はそこまで重視されないことではあるし。

 だが、そんなクレールの慰めを無にするようなことを、ジンは呟く。


「噂で、重ねて言うけど、噂でな、あの人、重傷を負ったって話を聞いた。俺達の実習の日、深い階層ですげえ強い魔人と戦って、今は療養中みたいなことを」

「ジン! お前、今、」

「分かってる。だから、噂だって。ただ、そんな噂が流れるようなことがあったってことだ。多分、魔人と戦ったのは本当なんじゃないか? 傷云々は尾ヒレだとしても、強力な敵と戦ったら、しばらく休むのは考えられないことじゃないし」


 僅かに険悪な空気が流れる。

 クレールの言葉は楽観的なものだ。教師陣の言葉を鵜呑みにしているだけともいえる。対して、ジンも信憑性の低い噂を口にしているだけでもある。

 双方の言葉を聞き、イーリスは微笑む。

 もう泣かないと、信じると決意したのだ。学園に入るときに、決めたのだ。

 だから、今言う言葉は決まっていた。


「大丈夫だよ。うん。お姉ちゃんは、強いから」


 ジンとクレールが息をのむ。

 静かな声だったにも関わらず、その言葉は二人から一切の毒気と勢いを奪っていた。

 以前なら、きっと我慢できなかっただろう。この場から逃げてしまっていたかもしれない。

 けど、それでは駄目なのだ。いつか、いつかサラの隣に立つためには、泣いたり逃げたりしてはいけない。

 イーリスはゆっくりと、だが確実に前へと進む。

 その肩で、オリオールは胸を撫で下ろす。そして、真実を告げられない自分に微かな罪悪感を抱いた。もう少しでサラが完調に戻ることを知っているとはいえ、傷つき倒れたことを知っているがゆえに。

 願わくばこのまま真っ直ぐに育ってくれるように、とオリオールはただ祈ることしか出来なかった。

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