第三十五話
二日後、サラはまだベッドの上の住人のままだった。
想像を絶するほどに肉体の傷みが激しい。怪我であるならフロウが治せるのだが、これは怪我ではなくどちらかと言うと筋肉痛や成長痛に近いため、治療が出来ないのだ。
魔力さえ万全ならばそれを無視して動くことも出来るが、残念ながら魔力は肉体よりも激しく枯渇しきっている。単純に魔力を保有できる量が並の魔術師の数百倍以上あるため、ゼロから回復するにはそれ相応の時間が掛かってしまう。それこそ、普通なら数年以上掛かるだろう。
保有魔力の一割を呼吸と同時に取り込める、というサラの特異ともいえる回復効率を以ってしても、最低で一か月は掛かるだろう。万全を期すなら、出来れば二か月は回復に努め、実戦を避けたいところだ。
それはともかく、サラはベッドの上で悩む。こんな状況では訓練も何もない。しかも意識は冴えているだけに、この退屈さは拷問に近い。
痛みは無視できるのだが、退屈だけはどうにもならない。書棚からフロウが何冊か本を持ってきてくれているが、残念なことにこの家にある本は大半が魔術書で、しかも魔術に少しでも関係するものは全て読破して内容まで暗記している。
隅々まで読みつくした本ほどつまらないものはない。物語の類をほとんど手に入れてこなかったことを後悔する日が来るなどとは、流石のサラにも予測できなかった。
「はぁ。せめて出歩ければ、気分転換にはなるんですけれど」
憂鬱に言い、サラは言うことを聞かない手足を見る。
微妙に震えの残る手と、自分の体重も支えられない足。どちらもあと三日は使い物にならない。戦闘や細かい作業をしなければ手の震えはどうにでもなるが、立つことも出来ないのではどうしようもない。一応、物凄く頑張れば短時間なら歩けるが、それで出歩くことなど不可能だ。
結果、用を足すとき以外はベッドの上で暇を持て余すことしか出来ないのだった。
物憂げに、サラは窓の外を見る。天気は快晴、出歩くにはぴったりなのに。
「寝ましょうか」
深く嘆息し、サラは布団に潜る。眠気など一かけらもないが、意識を深く落ち込ませ、呼吸と心拍を穏やかにすることで体の底から眠気を引き出す。
起きた時には、せめて杖を使いながらでも歩けるようになっているよう祈りながら。
守護者、そう呼ばれる魔物は現在五種確認されている。
『恐なる劣竜』『喰らう大樹』『動く山』『忍び寄る朽ち縄』『剛腕の邪鬼』。
どれもが常軌を逸した戦闘能力を保有する怪物であり、生半可な火力では傷一つさえつけることは叶わない。
現状、サラ以外で討伐記録が存在するのは『恐なる劣竜』『喰らう大樹』『忍び寄る朽ち縄』の三種だ。ただし、どれも一部隊での討伐記録はない。
『覚醒』により超人的な力を得た者達すら超越する桁外れの戦闘能力を有するうえ、根本的に全ての能力が人智を超えていることが原因だ。現在確認されている守護者の中で最も弱い『恐なる劣竜』でさえ、無思慮に挑んだ覚醒者の三部隊を粉砕している。相性などを考えず、相対的強者に挑む無謀をよくあらわした結果と言えるだろう。
では、逆にしっかりと準備を整えた上で、念入りに作戦を立て、幾重にも保険をかけて挑んだ場合はどうなるのだろうか。
「隊長、準備完了しました。前衛、防盾班への多重防性付与も終了。効果時間は十分間だそうです」
「よし。では、作戦通りに戦う。魔術師殿、防御班への援護を切らさないようにしてください」
「当然ですとも。任せてください」
六人の部隊が、『恐なる劣竜』への挑戦を開始する。
盾を持つ防御担当が三人、槍で武装した中距離戦力が一人、剣を持つ近接戦力が一人、後衛で支援を担当する魔術師が一人と言う布陣だ。
恐らく、一部隊で『恐なる劣竜』を打倒する場合における最良の部隊構成の内の一つだろう。重装の騎士が攻撃を抑え込み、その間に何とか打倒する。『恐なる劣竜』に攻撃を通せる魔術師は少ないので、少数精鋭で戦うなら固い鱗や皮膚を突破できる強力な武器を使うのは正解だ。
彼らの取っている作戦は最善に近い。あとは、彼らの実力が守護者と呼ばれる怪物に届きうるか否か。ただそれだけだ。
「では、防盾部隊、五歩前進! 対象が接近してきたら、なんとか踏みとどまってくれ!」
「了解!」
隊長の指示に答え、三人が二歩ほどの感覚を開けつつ前進する。彼ら三人の持つ盾は体を覆い隠すほどに大きなもので、非常に重い代わりに凄まじいまでの防御性能を誇る。防御技術を磨き上げた専門の騎士が扱えば、それは城壁にも匹敵する防衛能力を持つほどだ。
鎧猪の突進ぐらいならば小揺るぎもせずに受け止められる彼らだが、しかし油断は一切ない。むしろ、緊張の方が強いくらいだ。
一秒、二秒と時間が経過し、そして。
それは現れる。
木々をなぎ倒し、真正面から襲い来る二足歩行の巨大な劣竜。最も弱く、最も身近であるがゆえに、最も多く冒険者を屠ってきた守護者だ。
地を震わせるような咆哮と共に、劣竜は凄まじい速さで爪を振るった。
遅い移動速度とは比べ物にならない攻撃速度。それは目にもとまらぬ速さで三人を襲う。並の冒険者なら、どれほどに高性能な防具を使っても微塵に引き裂かれて終わるだろう。
だが。彼らは違う。
盾を地面に押し付けつつ全身で盾を支え、更に僅かに前進することで劣竜の攻撃の打点をずらし、威力を大幅に減衰させる。これほどの攻撃力と相対する場合、小技で受け流すことは出来ない。必要なのは前に出る勇気だ。どれほどに強い攻撃でも、腕の内側ならば力が逃げる物なのだから。
必殺の攻撃を止められたからか、劣竜は三人に的を絞ったらしく、嵐のような攻撃を開始する。
爪の一撃で赤い火花が散り、牙は盾に深い傷を残す。
連続する甲高い金属音は、まるで死への行進曲のようだ。
それでも、三人は一歩も退かずに戦線を構築する。そもそも、彼らに攻撃が集中するのは願ってもないことだ。彼らが一秒でも多く稼げれば、それだけ勝機は増える。そう、耐えること、それこそが彼らの仕事なのだから。
盾部隊に攻撃が集中する間に側面へと回り込んだ槍兵が猛毒を塗りこんだ槍を全力で突き出す。迷宮第六層で採掘される特殊な鉱物で作られた槍は、毒の効果を高める力を持つ。たとえ守護者であっても無視できないほどに、その毒の効果を上昇させるのだ。
風切り音すらしないほどに鋭い突きは、深々と劣竜の腹部に突き刺さる。入った。
即座に槍を手放し、槍兵は後退する。この槍は複数用意してあるため、一本の槍にこだわることはない。確実な勝利のため、まずは削ることが重要だ。
ギン、と劣竜が槍兵へと視線を向ける。
嵐のような攻撃が、その瞬間確実に止まった。
その隙に、風が駆け抜け、そして。
劣竜の左前脚が、落ちた。
剣を持った隊長自らの渾身の一撃だ。疾風の如き速さで行われた剣閃は、隊長の技量と剣の切れ味とあいまって劣竜の前足を切断した。
激痛に守護者が絶叫する。
隊長に劣竜が目を向けようとするが、その直前に魔術師が劣竜の目に土塊を叩き付ける。強力な魔術でなくとも、当てる場所を選べば、効果はある。
視界を奪われた劣竜が咆哮しながら闇雲に爪を振り回す。片足しかないとはいえ、当たれば人間など即座に肉片と化す超絶の攻撃だ。即座に隊長は距離を取り、再び攻撃のためにタメを作り始める。
また、後方から槍を持ってきた槍兵は、暴れ回る劣竜の攻撃の隙間を縫って再び槍を突き刺した。
これで刺さった毒槍は二本。並の魔物なら即死する猛毒を倍受けておきながら、しかし劣竜は微塵も動きを止めず――
「ガハッ!?」
振り回された劣竜の尾が槍兵を吹き飛ばす。全身凶器の劣竜にとって、尻尾でさえも主要な武器の一つだ。その攻撃力は大木でさえ根元から圧し折るほど。なら、それを人間が受ければどうなるかは想像に難くない。
「魔術師殿! 奴を頼む!」
隊長はそう言い、劣竜へと切りかかる。毒が回るのを待ってなどいられない。劣竜に残る攻撃手段だけでも、削られたこちらの盾部隊を蹂躙するには事足りる。
なら、多少の危険を覚悟して、攻勢に打って出るほかない。
「――ッゼェェイッ!」
振り回される尻尾を盾部隊が受け止めた一瞬を狙い、全霊を込めた唐竹割りで劣竜の尻尾を切断する。同時に剣が嫌な音を立てて折れ曲がってしまう。だが、ここで引くわけにはいかない。即座に愛用の剣を投げ捨て、予備の剣を抜き放つ。
劣竜がのた打ち回りながら悲鳴を上げる。あと少しで倒せるだろう。
だが、まだだ。最後まで気を抜くことは出来ない。劣竜の体当たりでさえ、即死級の威力がある。完全に絶命させるまでは、油断が死につながるだろう。
唸り声を上げ、しかし逃げるそぶりさえせずに全員を睨みつける劣竜。
劣竜は大きく息を吸い込み、そして。
「いかん! 閃光を――!」
凄まじい咆哮が大地を揺るがせる。
神経に作用して動きを止める強力な咆哮だ。今まで使われなかったのが不思議な、劣竜の強力な切り札。
油断はなかった。だが、攻撃しかしてこなかったことで、咆哮から意識が逸れてしまっていたことは確かだ。
万事休す。
隊長は震える体で何とか攻撃をしようとし、体が思うように動かず剣を取り落してしまう。
盾部隊にも麻痺は容赦なく襲い掛かっている。隊長や槍兵に比べ、装備が重い分、麻痺による影響は大きい。既に立つことも出来ないようで、盾の下でもがくことしか出来ないでいる。
「くそ、クソォォォオオオオオ!」
あと一歩。ここまで追い詰めておきながら、終わる自分達への悔しさを隊長が吐き出した時だった。
ガ、と劣竜が漏らし、そのまま倒れ、動かなくなる。
五秒、十秒と経つが、しかし動かず。
そこでようやく理解する。毒だ。体の深くにねじ込んだ毒がようやく効いたのだ。体の深くに槍が刺さったままで暴れたことも無関係ではないだろう。体内で刃が動けば、それだけ内臓が傷つき、また毒も多く回る。
なんとか撃破できた。それが事実だ。痺れが抜けたら、吹き飛ばされた槍兵を確認して、『恐なる劣竜』の素材を取らなくては。
と、隊長が考えていると、守護者の胸部がひとりでにぱくりと割れ、何かが転がり出てきた。
真っ黒い、結晶状の球体だ。
この部隊は主力冒険者の一角のため、基本的に迷宮に関して公開されている情報は全て目を通している。なので、『恐なる劣竜』の討伐記録は全て熟読している。作戦を立てる上でも、行動の傾向や相手の攻撃を妨害する方法は重要だからだ。
だが、こんな物が入手できたという記録はなかった。そういえば、毒で弱るという記録はあっても、毒がトドメとなった記録はなかったはずだ。
倒した時に条件を満たすことで希少な素材を落とす魔物はかなりの数が確認されているが、まさか毒で殺すことが条件の魔物が存在するとは。しかも、強大な戦闘能力を持つ守護者に。
この素材から作れる何かの効果には期待できるだろうが、それ以上に厄介だ。
毒で希少な素材が取れるとするなら、恐らく狙う者が増えるだろう。それはつまり犠牲者の大幅な増加をも意味する。何せ、『恐なる劣竜』の戦闘能力は並の冒険者では太刀打ちさえ出来ないものだ。盾役を何枚揃えても、あっさりと全滅させられる可能性さえある。
新たな情報を得て、生き残れたことを喜ぶべきなのか嘆くべきなのか、隊長はどちらとも言えずに嘆息する。
今考えるべきは、吹き飛ばされた槍兵の安否だろう。様子を見に行ってもらった魔術師が非常に高性能な回復用魔術薬を持っているので、死んでいなければなんとかなるし、生きてさえいれば診療所のフロウが一発で直してくれるだろう。この周辺は守護者の領域のため、他の魔物が近寄ってくることもないのでとりあえずは安心でもある。
「よし、痺れが抜けてきた。お前達、私は奴の様子を見てくるから、体調が戻り次第、劣竜の素材を剥ぎ取っておいてくれ」
「り、了解しました」
答えが返ってきたのを聞き、隊長はゆっくりと起き上がり、黒い結晶体だけを回収してから槍兵の吹き飛んで行った方へと歩き出す。
とりあえず冒険者協会に報告と証拠品の提出だけして、後々の面倒は全て丸投げしてやると心を固めながら。