第三十話
第七階層、罠があると予言された階層へと続く階段で、サラは一つ頷く。
確かに罠がある。この上なく分かりやすい形で、しかし知らない者にとってはただの模様にしか見えない形で。
階段が終わってから踏み出す、その第一歩目の場所にこれ見よがしの髑髏印があるのだ。アレを踏めば、恐らく死ぬ。
おそらく、この罠で死んだのは五人。直感だが、多分あっているだろう。
残る十人はこれを突破したうえで死んだということだ。何が待っているのか、想像さえしたくない。
「では、行きます。アレを踏まないよう、注意してください」
「分かってるよ。サラちゃんも、気を付けて。前を行くサラちゃんの方が危ないんだから」
「ご心配、ありがとうございます。ですが、まずは幾つかの罠に掛からねば調査が進みませんので」
言って、サラは即死しそうな髑髏を跳び越える。
と、その着地地点がいきなり消えた。落とし穴、それも魔術などではなく極めて巧妙に隠蔽された、ごく普通の落とし穴だ。
一瞬だけ肝が冷えたが、問題はない。サラは壁を蹴って上への力を得、軽快に駆け上がった。
力任せではない、静かで軽い動き。頭で考えなくても、この動きが出来ることにサラは安堵する。最近の修練は確実に体へしみついているようだ。
ひょいっと穴から抜け出すと、フロウが心配そうにサラを見てきた。
「大丈夫? 怪我は?」
「ありません。しかし、凶悪ですね。これで三人のようですし」
言いながら、サラは自動で隠されていく穴を覗き込む。十数ヤード下で、鋭い槍のような突起に突き刺さったままの死体が三つ見える。騎士団らしき装備が一つで、後は魔術師か。恐らく、即死罠を飛び越えたはいいものの、そのまま落下して死んだのだろう。
落とし穴があると分かっていれば幾つかの方法で越えられる。入り口の髑髏を踏まないように横へ跳躍すればいいのだ。真っ直ぐしか見ていないと、死ぬ。
「えげつない罠ね。しかも、魔力でも機械式でもない、迷宮の能力をこれ以上なく活用した落とし穴なんて」
「迷宮自体は破壊されると即座に再生を始めますからね。わざとこの一部だけ地面を脆くしておけば、勝手に落ちて勝手に埋まる。よくもまぁ、考え付いたものです」
フロウと顔を見合わせ、サラは嘆息する。
かなり厄介な構造だ。ゼイヘムトの助言が無ければ、間違いなくここで死んでいた。
そうすると、ここから先に待っているのはどれほどの物なのか。興味がわいてくると同時に、恐ろしくなってくる。
「行きましょう。わたくしが石化したら、解呪をお願いします」
その後、サラは八回石化し、二回凍結し、三回串刺しになり、十五回落とし穴に落ち、二十回ほど飛んできた石に当たっていた。
罠が多い、というものではない。罠しかないというのが正しいだろう。しかも、迷宮の構造そのものに罠が組み込まれているらしく、一度引っ掛かった罠も、十分ほどで完全に元通りになっている。
救いは罠が固定式だということと、この階層には魔物がほとんどいないということだろうか。それ以外に良い点はない。神化銀の鉱石が落ちていたりするが、明らかにその周囲は即死罠が仕掛けられている。流石のサラも無意味に即死するのは御免こうむるし、そもそもどういう仕組みで死ぬかが分からない。呪いや外傷で死ぬならともかく、『死んだ』という結果を刻む概念即死だと抵抗すら出来ないので避けざるを得ないのだ。
そもそも、サラが抵抗すらできずに石化させられる時点でここの罠はおかしい。バジリスクが持つ石化の呪いでさえ弾くサラの耐性を、問答無用で貫通するとか頭がおかしいのではないだろうか。
また第六階層は砂状だった地面が、第七階層は石畳だ。そのおかげで罠かどうかを判断しやすくはあるのだが、よく注意して見ていても見逃すことが多い。見逃しやすい罠は基本的に石が飛んでくるだけだったのでいいが、これが入門編みたいなものだとすると、深層に行けば見逃しやすい即死罠とかがあるのだと思われる。
この階層に何もいなかったとしても、こんだけ罠があれば誰だって死ぬ。というか、今まで死なずに進めたことが幸運だと言わざるを得ない状況だった。
「最初の落とし穴を入れて、都合四十九回ほど罠に掛かってきましたが、そのおかげでようやく法則が分かってきました」
「そう? 私は分からないんだけど……」
「地図を描いてますから。この階層の罠に例外が無ければ、大体把握しました。石が飛んでくる罠は注意を促す印で、その直後に落とし穴や凍結、串刺しの即死級の罠が仕掛けられているみたいです。
石化の方は十字路のど真ん中にだけ設置されています。分かれ道を行く際は、中央を避けるのが定石になりそうです。ただ、そうやってると、下の階層で真ん中以外を通ったら石化、みたいな罠も出てきそうですが」
注意として石の飛んでくる罠を設置してくれているだけありがたい話だろう。そうでなければ、あまりにも凶悪に過ぎる。
それに、ここまで第七階層を進んできて、サラは一つ理解したことがあった。
「この迷宮は一人で進むことを完全に否定する場所ですね。事前情報を持っていなければ、確実に命を落とす場所が何か所もあります。わたくしでさえ、フロウさんと一緒に来ていなければ最初の石化で終わっていました。
二度目以降はわざと引っ掛かり続けましたが、最初は読むことさえも出来ませんでしたし」
「そうね。仲間の大切さを知らせるような場所。ということは、進んで行くと間違いなくあるわよ。一人でしか進めない階層が。そして、仲間割れを誘うような階層が。あと、多分だけど複数人数じゃないと絶対に進めないところも出てくるでしょうね。
こういうお決まりのことを踏襲するのが『魔導神』という存在よ。決まりきった『お約束』を踏まえつつ、その中にある難題を極限まで強化して人が苦悩するのを見て笑う。しかして、その難題を乗り越えた先に待つのは、それまでの苦難を補って余りあるほどのもの。
だから激しくうっざいのよね。多分、この迷宮も『災厄』とやらの奥に何かあるわよ。世界平和だのそういう抽象的なものじゃない、誰もが喜々として殺し合って奪い合うようなとんでもない物が」
「……たとえば、どういうものでしょう?」
「死者蘇生の魔法の習得法だとか、どんな願いでも回数制限アリで叶えられるものだとか。人間程度に魔王級の存在を超えさせるっていうのは、それぐらいに大きなことなのよ。
それに、確か第一層で既に上級魔族が番人してたのよね? 一番深い場所がどれくらいかは分からないけど、仮に第十層まであると仮定して、十番目の最後に『災厄』とやらがいるとするなら、あと八柱も敵がいることになる。そうなれば間違いなく後半の幾つかは爵位持ち級だと思うわ。下手したら、この層から最上級魔族が出てきかねない。
そんな半端じゃない難関を超えた先に待つもの、私でさえちょっと見てみたくなってきたわ」
「困難には報いを与えてくれる方なんですね、『魔導神』という神様は。
でも、最上級魔族、ですか。同格の力を持つ神族だとどういう分類になるんでしょうか」
「神族だと第一、第二階級が最上級魔族と同じくらいの分類かな。ちなみに、今いる神族は分類的には第十階級とかそれぐらい。魔族の方も、下級ぐらいの力しか残ってないみたいね」
血の薄まり方がすごいのよね、とフロウは肩を竦める。
それを聞いて、サラは軽く頭を抱えた。
あのマンティコアにさえ、全力を振り絞りきってようやく勝てたというのに、それを雑魚扱いできる存在がまだ多数控えているというのだ。負ける気はないし歩みを止める気もないが、流石に頭が痛い。
まぁ、下を向いていても仕方がない。今はそんなことよりもやるべきことをやらなければ。
「とりあえず、進みましょう。ここで止まっていても、意味はありませんし」
「そうね、じゃあ行こうか」
言って、二人は歩き出した。
罠に掛かったり回避したりして、合計で約二百五十個ほどの罠を切り抜けた時、一息つけそうな大広間に出た。
大広間。それまでも充分に広かったが、今度の場所は広すぎる。三十ヤード四方はあるだろうか。天井も高いし、明らかに怪しい造形だ。
「フロウさん、広間に入らないでください。物凄く嫌な予感がします。わたくしが死んだ場合、フロウさんは一切の戦闘を放棄して協会へ連絡をお願いします」
「……そう言えば、十五人の死体は最初に三つ見つけて、他のところで二つ見つけたけど、それ以外は見つからなかったわね。最初の罠で五人死んだ、っていうのもサラちゃんの私見だし、合計で十人分の死体が見つからないってのはおかしいわよね。
先の五人以外誰も欠けずにここまで進むことができた、なんて信じられないし。
分かったわ。私はここで逃げる準備をしておくから、サラちゃん、死なないように」
「当然です」
頷きを返し、サラは広間に入る。
と、広間の中央から影のような、しかし背に白い翼を背負った女性がにじみ出てきた。
敵かどうかはまだ不明。ただ、内包する魔力は間違いなく上級魔族に匹敵する。今の状況で戦うには難のある相手だ。
「ようこそ、我が庭へ。我は第三階級神族、シェイド・ウルバッハ・ドー。我が主を害さんとする者達を滅ぼすもの」
静かに、女性は一礼する。顔のない、影そのものと言える体だ。背中の翼だけ色が違う。これは少々動きを捉えにくい。
「……お聞きします。貴女は『裏切り者』と呼ばれる存在ですか?」
「その問いに答えることはできない。ゆえに、回答拒否、と回答する」
「分かりました。では、この先へ行くのに、貴方を殺す必要はありますか?」
「肯定する。我は我が主の眠りを妨げることを許さず。また、この広間を通らずに下の階層へと移動することは出来ぬ」
つまり、この女性を倒さなければ、殺さなければ進むことなど出来ないということだ。
なら、話は早い。ただ、砕くのみ。
サラは『砕くもの』を出し、それを引っ掴むや否や、シェイドに肉薄して叩き潰す。
一撃必殺。確実に殺した手ごたえがサラに返ってくる。
だが、サラは即座に距離を取り、自分が叩き潰した相手を睨みつけた。
ありえないのだ。この層にいる存在がこうもあっさりと殺されることなど。というか、第一階層守護者の『恐なる劣竜』でさえもう少しは抵抗する。
考えられるのはわざと殺された、と言うことになる。
「ふむ? この程度なのか? いや、そんなわけはないだろう?」
潰されたはずのシェイドは、そんなことを言いながら体を復元する。いともたやすいことのように。それが当然のことだと言わんばかりに。
読めない。何故、わざわざ自分を殺させた? だが、一度死んでいることは確実。なら、もう一度殺せば、何か分かるだろう。
即座に判断し、サラは今度は自分の拳でシェイドを殴る。顔面を砕き、脳を破壊する感触が伝わってくる。
確実に殺した。だが、なんだ、この嫌な予感は。
腕を引くと同時に、サラは手の戦鎚でシェイドを粉砕する。この程度の防御力なら問答無用で打ち砕けるし、回避さえさせない。
その、はずだった。
「どこを狙っている? そして、うむ。君の力はやはりこの程度ではなかったようだな」
十ヤードほど先に、いつのまにかシェイドが移動している。
見えない。全く見えなかった。
凄まじいほどの速度。あれほどの動きを持っているのに、何故初回と、二度目は回避しなかったのか。
「まぁ、構えたまえよ。世界の広さを、君に教えてくれよう」
言葉と共に凄まじい魔力が解放される。
魔力だけならマンティコアよりは下だが、しかしあの武人気質とはまた違う、何が起こっているのか分からない怖さがある。
しかし、後戻りはできない。
サラは『砕くもの』を構え、一直線にシェイドへと突撃していった。