第二十九話
第六階層。そこは『覚醒』した冒険者か、サラ達のような超人的戦闘能力を持つ者以外にとっては地獄だ。
洞窟ではあるが、周囲の石が光を放つため暗さはない。だが、暗く感じないだけで、実際には充分な明るさではないのだ。下手に明るく、また薄暗いために岩陰などの微妙な場所への注意を逸らさせる。この地を作った存在の意地悪さがうかがえるだろう。
そして、明るさと暗さの合わせ技は、単純な仕組みの隠し扉さえも隠しおおせる。今までに三十人の冒険者がこの階層を訪れたが、入り口近くにあるにもかかわらず誰一人として気付けなかった。その巧妙さは賞賛にすら値する。
とはいえ、サラにとってそれを発見するのは簡単だ。単純に目の性能が常人を凌駕するため、光量の多寡による隠蔽は意味をなさない。
「ここにも石碑がありますか。すみません、今のわたくしは模写するだけの魔力がありませんので、お願いできますか?」
「そのためにも来てるんだもの。じゃあ、ささっと終わらせて、次に行こうか」
フロウが魔術を行使するのを横目で見てから、サラは石碑を解読し――僅かに目を見開いた。
――第二層、光明の洞窟。五つの階層にて構成す。
我らはこの地に遺産の鍵を隠した。
探し、見つけ、使ってほしい。願わくば、望む担い手に、望む遺産を。
全てを読むと同時に、サラは部屋の中をぐるりと見回した。
ある。この部屋にも、一つ。
弾かれたように動き、それを手に取った。
それは普通なら見逃すものだ。部屋と言うには少々広いこの広間の、端や真ん中ではなく見落としやすい場所にぽつんと置かれた結晶状の何か。それがある、と知っていない限り、この層では確実に見逃す。恐ろしく巧妙な手口だ。
結晶状の物など、ここには山ほどあるのだ。その内の一つが多少特殊でも、誰も気に掛けないに決まっているのだから。
「……これは厳しいですね。わたくしのような者でない限り、見逃してしまいます」
「あー、私も見逃してたものね。とりあえず、全部回収した方がいいのかしら」
「どうでしょう。これがどんな遺産の鍵かも不明です。そして、その遺産がどこにあるのかも。ですが、有力な手がかりです。恐らく、どこにあるかの手がかりはこの層の石碑に書かれているのでしょう。
わたくしは自前の神器がありますから、迷宮の遺産は不要です。なので、欲しい方が手に入れるべきだと思います。そのための手段をわたくしが手にし、冒険者協会の手にゆだねてしまう、と言うのは間違っている気がするのです」
「難しい問題ね。望む遺産、ってことは意志を持ってる可能性があるわ。意志を持つ武器なら、担い手を選ぶっていうのも頷ける。でも、ここに放置しておいても、武器が望む相手に渡らない可能性も高い。
いっそのこと全部回収して、来月から開催の闘技大会の賞品にしちゃうとかもありじゃないかな?」
「とりあえず、今はこれだけ回収しておきます。これがわたくしに見つかったことにも、意味がありそうですから」
「じゃあ、後のことはブリジットやディルさんとかの頭脳担当に考えてもらいましょう。私達は実動部隊で、考えるのは仕事じゃないしね」
二人は笑みを交わしあい、また考える案件の増えるブリジットに憐憫の情を送る。
最近、周辺各国からの圧力で胃痛を起こしているブリジットへ更なる追い打ちをかけることになるが、気にするような二人ではない。頂点に立つ者は責任を背負うのが仕事。思う存分に責任を背負っていただくのが、部下の仕事だと思っているのだ。
そして、ここに来た本題へと挑むために表情を引き締める。
第六階層の守護者、『剛腕の邪鬼』。情報では特殊能力などを持たず、『劣なる恐竜』を純粋に強化したような魔物であるという。つまり、移動速度は遅く、攻撃速度と攻撃の威力をより上昇させた存在だということだ。
その辺りの対策を考えつつ、サラは外へと出る。『剛腕の邪鬼』の守護領域はこの部屋の近くにある。部屋の外に出たら、五歩も歩けば『剛腕の邪鬼』が現れるだろう。
正直なところ、不安は大きい。現在、『剛腕の邪鬼』の討伐記録はない。また、魔術が効くという報告はあれど、物理的攻撃で傷をつけることが出来たという報告がないのだ。
魔力がほぼ枯渇した状態で、しかもボロボロの状態で戦うべき相手ではない。
しかし。この程度の壁を乗り越えれなければ、先はない。
「フロウさん、下がっていてください。真正面から撃破します」
「『砕くもの』、出さなくていいの?」
「守護者は素手で倒す、それが今回の課題ですから。流石に『動く山』は神器を使いましたけど」
サラはそう言って苦笑した。
神器は強力だが、その分、技がおろそかになるきらいがある。大振りが当たれば一撃で倒せる威力、それは細かな技を不要とするものの、本当の強者相手には通用しないものだ。
これから先に戦わねばならない存在は、そんな甘えを持って倒せるほど弱くはない。ならば、この命を賭してでも全てを磨き上げるべきだろう。
「では、参ります」
言って、サラは数歩前に踏み出す。
と、凄まじい爆音とともに何かが前方から走ってきた。何か、である。人型をしているが、形状からして既存の生物ではありえないいびつさだからだ。
金属光沢を放つ体毛で背が覆われた直立する類人猿のような、しかし歪な生物。体高は五ヤードを超えるか。額から伸びる鋭くて堅そうな角が鬼らしいと言えるだろうか。腰みのも付けているし。
異常発達した上半身と、それを支える砲台のように太くて短い下半身。拳の大きさがサラの体ほどもあるところからして、その異常さが知れるだろう。
迷宮の道が異様に広く作られているのは、こういう大きな守護者が存分に暴れられるためだろうか。
それにしても、遅い。足の回転は速いのだが、いかんせん歩幅が凄まじく短い。逃げようと思えば簡単に逃げれるが……どうも背を向けるとそこらの石を投げてきそうで怖い。
なんにせよ、『剛腕の邪鬼』。これほどに「名は体を表す」を地で行く存在も珍しい。
視界に入ってから数秒待っても一向に来ないので、サラは待つのをやめて自分から前に出る。
待ちが通用するのは同格以下の相手のみ。格上を倒すには絶対に自分から進み出る必要がある。これからの相手は常に格上。ならば、わざわざ待ってどうするというのか。
サラは前に出て、凄まじい速度で邪鬼に肉薄する。倒れ込む力やその他諸々を組み入れた、動きの起こりを読ませない歩法。それはかつての自分相手なら気付かせることさえもない、非常に巧みな技だ。
よほどの相手であっても有無を言わさずに懐に入ることを可能とする――そのはずだった。
しかし、目論見は拳で以って潰された。
意志を持つ存在と違い、守護者は敵を倒すことに特化した存在だ。目くらましの技術など、通用する相手ではない。動きの起こりが分からずとも、過程があるのならば、超絶の反射速度を以て穿ち抜く。
鈍重な歩みからは考えられないほどに鋭く速い拳がサラを襲う。防御は不可能――否、無意味。恐らくこの一撃の重みだけなら、マンティコア・ジェヴォーダンさえも上回るだろう。神化銀製の盾があったとしても、諸共に粉砕される。
ならば回避か。しかしそれも難しい。掠るだけでも致命となる拳。しかも、拳自体が規格外に巨大だ。無理に避けて体勢を崩せば、準備されている左の拳に粉砕される。
では、どうするのか。
サラは前に出つつ、その絶大な攻撃力に真っ向から向かっていく。
次の瞬間。凄まじい異音と共に邪鬼が舞い上がって大地に叩き付けられた。
投げだ。触れた瞬間に力を受け流して相手の体勢を崩し、そこから暴力的な力を巧みに誘導して右腕を捻って砕きつつブン投げたのである。人間なら、多分腕が千切れてるだろう。
元々受け流し系統の技術は身に付けていたが、それは所詮我流で大したものではなかった。それよりも避けたり、受け止める方に主軸を置いていたため、そもそも技量が低かったのもある。
だが、自分を超える強者との戦いを通じて自分に足りない多くの物を知り、遠い頂にいる師を得たサラは貪欲にあらゆる技術を吸収していった。
限界を超えて倒れることなど日常茶飯事。己の吐いた血で窒息しかけたことなど一度や二度ではない。極限状態を常として自分の可能性を探し続け、文字通り肉体に技術を刻み付けたのだ。
マンティコアや全力ではないとはいえ魔王の攻撃を受け続けた今のサラにとって、技のカケラもない攻撃など、どれほどに速くて強くとも無意味だ。
永い年月をかけて磨き抜かれた両者の武は、全く違う系統でありながらもサラが学べる点は恐ろしく多かった。多彩な攻撃手段を連続すること一瞬の隙さえ与えないマンティコアと、一つ一つの行動が全てつながって相手を追い詰めるゼイヘムト。
その技術を断片的にだが身に着け始めているサラは、一瞬の遅滞さえなく邪鬼へと追撃する。
投げられ、右腕を砕かれて転がされた邪鬼は、しかし痛みさえ感じていないのか倒れたままで僅かに身を捻りながら恐るべき威力の左拳を突き出す。力任せの攻撃。威力と速度は確かに脅威だが、そこに本当の意味での『力』はない。意志が込められていない。
そんな、『軽い』攻撃を受けてやるほど、サラは安い女ではない。
凄まじい威力で振り回される拳の外側から僅かに力を掛けることで軌道を逸らし、更に大きく体勢を崩させ、そして。
学んだ技術を。己の意志を。新たにした覚悟を込めて。『剛腕の邪鬼』の体の中心に拳を打ち込んだ。
速度も力もない。必要なときに必要なだけあれば、それが最良だ。不必要に大きな力は歪みとなり、相手に利用される隙を生むだけ。そして、相手にその歪みがあるのなら、そこを突いてやれば、終わる。
邪鬼の体の中心、最も頑強で最も脆い箇所にサラの拳が突き刺さる。臓腑を砕き、命を砕いたことをサラは確信した。
その感触を、サラはふと思い返す。これは、『動く山』を一撃で倒した時と同じ感触だ。
つまり、これは。守護者は。全てが希少な何かを有している可能性が高いということか。
サラの予感に違わず、崩れ落ちた『剛腕の邪鬼』の頭部が砕け、拳大の金属塊が転がり出た。
魔力の類は感じられない。だが、分かる。これは魔道具の素材にすべきものだ。鈍い光を放つそれは、魔力ではない何かを秘めている。
「条件を満たすと希少な何かが手に入る。『動く山』のときも見たけど、やっぱりすごいわね。他の魔物は大体、私でも知ってるような魔界や神界の魔物だけど、『魔導神』本人が手ずから創った守護者は別格だわ。
これは千変の樹海の守護者の方も一度探った方がいいみたいね。『動く山』の一撃撃破と言い、いやらしい仕込みをしてくるわよねぇ」
「そうですね。この『剛腕の邪鬼』は条件が分かりませんが、『動く山』を一撃で、というのは思いつく方がおかしいですから。わたくしも偶然弱点を見つけていなかったら、そこを狙うなどということは思いつきもしませんでしたし。
そうしますと、見た目や能力的にあまり有効ではなさそうな手段こそが正解の可能性が高いですね。なんとなくですが、『剛腕の邪鬼』は接近戦か拳による攻撃で仕留めること、辺りが条件な感じがします。重ねて言いますが、あくまでも私見ですけれど」
「こうして入ってみると、私に解析能力がないのが悔やまれるわね。十二使徒の中で解析が得意なの――おじいちゃんかルンしかいないって、どういうことなの……? 今代の十二使徒、基本的に戦闘系ばっかりじゃない」
「まぁ、わたくしを含めて脳ミソまで戦闘に特化してる方ほど選ばれやすいですから。あまり戦闘が関係ないのは、『創造の指』ミスト様、『揺籃』ジングラン様、『永久を謡う者』ルンさん、『神の癒し手』フロウさんの代替わりしない方々だけですから。
そもそも代替わりしない、老いない方々でさえ半数は戦闘特化じゃないですか」
「あううう、ブリジットに言って、次こそはちゃんと色々なことが出来る面子を揃えないと……」
「十二使徒にこだわらなければいいのではないでしょうか」
こんな迷宮の中で魔術師協会の編成について頭を痛めるフロウと、あまり気にしていない様子のサラ。
正直なところ、こんな場所でする会話ではない。
「よし。ルンに借りをもう一個増やそう。そして、次の時はあの子をサラちゃんにつけるわ」
「はぁ。わたくしのやることは変わりませんので構いませんが、良いのですか?」
「いいのいいの。確か、前の頼みごとで借りが一万超えたから。今更一つ二つ増えたって誤差よ」
「どれだけ、借りを作ってるんですか……」
呆れつつ、サラは次を見据える。
第七階層。多くの罠があると予言された階層だ。
だが、罠が多かったとしても、十人を超える迷宮攻略の最精鋭が一人も生き残らないなどと言うことがあり得るだろうか。
可能性が高いのは、『裏切り者』の存在か。
世界を裏切り、『災厄』側についた魔人達。サラの交戦経験はない。あのグ・ランデル・オルゴーン……グレンデルの悪魔でさえ裏切り者ではなく、ただの戦闘狂だったという話だ。あそこまでカッ飛んだ性格をしていても、世界を裏切りはしなかった。
つまり、それを行ったものとは、どれほどの――。
「まぁ、関係ありませんが。敵はただ、打ち砕くのみです」
サラは言って、歩き出す。
そう、何が相手であったとしても。
打倒するのが、彼女の使命なのだから。