第二十六話
鈍色の刃が踊るように交錯する。
二対一。ジンとクレールは、イーリスを相手に二人掛かりで戦闘を行う。
恐るべきはイーリスの才能か。サラによって鍛えられた基本はあれど、実際の戦闘経験は無に等しい。しかしイーリスは乾いた砂が水を吸うように、ジンやクレール、またはその他の訓練室を訪れた生徒から技を、経験を学び取っていく。
最初はクレールと戦っても十本に一本しか取れない程度だった。それが一日経つとほぼ互角となり、二日目で追い越し、三日目の今日はジンとクレールを同時に相手取れるようになってしまったのだ。
とはいえ、両者ともに手加減をしての状態だ。魔術を使わない、純粋な剣技の実での話。実際に殺し合いをするのなら、多少の技量差を力と経験、そして応用力でジンが覆して封殺してしまうだろう。所詮イーリスはまだ生物を切ったことのない、ただの未熟者なのだから。
「ふう、これぐらいにしとこう。そろそろ実習の日も近付いてきたし、お互い手札を明らかにしようぜ。ここじゃ人目が多いから、どっか静かな場所に行って話し合いたいんだが」
「そうだね、でも、どこに行くというんだ? ボクはここに来たばかりだから、あまり店とか知らないよ」
「俺は多少知ってるが、ほとんど酒場とかそういう騒がしいとこばっかだな。イーリスはどっか知ってるか?」
悩む素振りすら見せずに肩を竦めるクレールと、顎に手を当てながら首を捻るジン。この街に元々住んでいたわけではない二人が土地勘に明るくないのは当然だろう。
ただ、イーリスもそれほど詳しいわけではない。サラと回った店などは全て覚えているが、そもそも外で何かを食べる習慣がなかったので意味はない。
とすると、イーリスには思い当たる場所は二つしかない。
「静かな場所だと、お姉ちゃんの家とか」
「さ、流石に他の人の家に上がりこんで話し合うのはちょっと……もうちょっとこう、誰でも利用できて、かつ静かな場所ってないのかな?」
イーリスの発言に苦笑いを浮かべるクレール。確かに知り合いの家ならともかく、知らない人の家に行くのは抵抗があるだろう。
じゃあ、とイーリスは言って。
「ひとつ、美味しい料理とお茶の出てくる静かな場所があるよ」
クスリと笑った。
一時間後、ジン達は街中にある診療所の中にいた。
診療所と言っても医者がいるわけではない。薬を処方するわけでもない。そして、治癒魔術師が詰めているわけでもない。
ここを切り盛りしているのはただ一人の女性だ。
これぞ神族、という外見をした、優しげな美女。緩く波打った金の髪と均整のとれた体型が特徴か。クレールはそうでもないが、ジンは食い入るように目で追っている。
「まさかイーリスちゃんがお友達を連れてくるなんてね。あの子が聞いたらすごく喜びそう。じゃあ、私は向こうで仕事を続けてるから、用があったら呼んでね。お茶のおかわりは自分達でどうぞ」
女性は笑みを残し、扉の向こうに去っていく。
残された三人はとりあえずお茶を口にしつつ、部屋の中を見回した。
清潔感のある、台所付きの居間のような部屋だ。が、ここは生活空間ではない。冒険者に貸与される一種の会議室である。診療所にこんな部屋があるなどと知っている者はほとんどいないため、利用者は少ないどころかほとんどいない。そのため、もっぱら診療所の主の知り合いがサボるために使われている。
「あんな美人と知り合いとは。イーリス、お前と知り合えて本当に良かった。お茶もすごく美味いし」
グッと手を握りながら、ジンはかみしめるように呟く。冒険者の手伝いをしていた、というからにはある程度は女性と接した経験があるのかと思いきや、実はむさくるしい青春を送っていたようだ。
そんなジンの様子に目もくれず、クレールは自分の分のお茶を飲み、一息つく。
「確かにお茶は美味しい。焼き菓子も最高だ。しかも、非常に静かで話しやすい」
クレールもここを気に入ったようだ。まぁ、気に入ったからと言って気軽に来られる場所ではないのだが。
「さて、本題に入ろう。とりあえず各自の出来ること出来ないことの確認だな。俺は知っての通り、剣技が主体で風と火の下級魔術を使える。詠唱破棄を出来ないから、後衛としては役に立たないと思ってもらっていい。
他には盾の扱いを習ったことがあるから、盾もそれなりに使える。ただし、盾を持つと魔術は使えなくなる」
お茶と自分の分の焼き菓子を食い尽くしたジンが話を切り出す。夢中になって食べていたが、もしかしたら割と不憫な食生活を送っているのかもしれない。
ちょっとジンを可哀そうに思ったらしいイーリスが自分の分の焼き菓子をジンに差し出している間に、クレールも口を開く。
「ボクも剣……というか、ここにいる人、全員剣持ちか。どんな前衛特化なんだ。使える魔術は火、水、風、地。どれも中級までいける。ただし、障壁系は苦手だ。あと、一度に多くは撃てないが、下級術を詠唱破棄出来る。
特有の技能とかは特にないかな。ああ、持ってる魔道具で常に微弱ながら再生術が働いてるから、少しの傷ならすぐに塞がるってぐらい」
これね、とクレールは自分の髪を縛る帯を指す。
ある程度以上の位階を持つ魔術師なら分かるが、かなりの力を持つ魔道具である。習得者が少なく、更に付与の難しい治癒系の魔術を付与した魔道具というのは非常に希少なのだ。それだけでもクレールの家がどういうものなのかが知れる。
だが、残念なことにこの場にいる中でその価値を理解できるのはイーリスの肩に止まり続けるオリオールだけ。そして、オリオールは他人の前でイーリスと会話することはないので、イーリスがそれを知ることはない。ちなみにクレールは身近なもの過ぎて価値に気付けていない。加えて言うならジンは問題外で、イーリスは魔道具っぽいことは見て取れても中の術式を把握できる熟練がない。
最後にイーリスは自分に出来ることを思い浮かべながら、言葉を紡ぐ。
「わたしは双剣と……確か、火、水、風、地、雷、氷、光、闇の全部をとりあえず中級までと、水と地の派生属性の木を上級まで使えるよ。あと、中級で範囲はそんなに広くないけど探査系魔術も使えるかな」
「……万能だな。一応聞いとくけど、探査術の範囲はどれくらい?」
しみじみとジンが聞くと、イーリスは僅かに悩むようなそぶりを見せてから首を捻った。
「えーっとね、半径二百ヤードくらい」
「広いよ。とっても広いよ。それで狭いってどんだけ師匠凄いの?」
クレールは軽く頭を抱えながら言う。ちなみに、迷宮攻略の主力以外だと探査魔術は半径百ヤードいけば頑張っている方だ。主力組――第二層に到達している連中は『覚醒』済みなので半マイルは探査できる。
「軽く一マイルは探査してたよ。頑張ると迷宮の階層一つを探査できるとも言ってたかな」
サラは規格外なので例外だ。『覚醒』している者達も、まだ覚醒段階は最初の一歩目。人の枠を超えかけているだけであって、完全にぶっ飛んでいるサラにはまだ及ばない。
イーリスの言葉を聞いた二人は、絶句して固まる。
自身も少しは探査術を使えるクレールは自分との比較で、そして迷宮内を知るジンはその桁外れの探査範囲の広さに。
まだ、知らないのだ、イーリスは。自分の過ごしてきた環境がどれほど特異だったのかを。そして、強大な力を持つ守護者を容易く撃滅し、古い魔族や神族――魔人さえも真っ向から単騎で粉砕できるサラの異常さに。
それらが本来は何十人という人数で挑むべき存在で、しかも少なくない犠牲を払わなければ打倒できない存在だということにも気付けていない。
全ての基準がサラである、その不幸にも気付けては、いない。
「とりあえず、君がかなり偏った箱入り娘だとは理解した。凄すぎる師匠のことしか知らないみたいだね」
「――何者だ、その師匠。それほどに強いなら第二層攻略組の一人か? 是非とも知り合いたい」
ついでにこの二人も気付けていない。そんな化け物みたいに強い奴など、この街にもそう多くはないことに。
「もう、二人とも会ってるよ? 実習の時に紹介できたら、紹介するね」
「あ、ああ。お願いしたい。でも、もう会ってる? 学園でってことだよな? そんな人物に心当たりは……」
「ボクも心当たりはない。とりあえず、実習の日を楽しみにしていよう」
「多分驚くと思うよ。あ、それともやっぱりか、ってなるのかな?」
くすくすと笑うイーリス。
その笑みは、とても自然で。
オリオールはほっと胸を撫で下ろす。
今まで、笑う余裕も何もなかったイーリスが笑えたことに。
サラ以外の前でも、サラにしばらく会えない状況が続いていても笑えていることに。
ただ、安堵していた。
部屋の中のことを全て知覚していた女性、フロウ・レント・ナイテアンは次々と運ばれてくる怪我人を見もせずに治しながら、僅かに微笑みを浮かべる。
サラに頼まれていた懸案はどうやら杞憂に終わったようだ。
イーリスはほとんどサラやオリオールとしか接することなく、そしてたまに他人に会ってもそれは協会の事務員など、大人ばかりだった。
そのため、同世代や近い世代の人と話した経験に圧倒的に乏しいイーリスが、迷宮実習を一人で行うのではないかと心配していたのだ。また、もし組めても、邪な目的を持つ者だったら、という心配もあった。
それがただの杞憂だったのなら、サラの心労も少しは減るだろう。大昔の知り合いにしごき倒されている今の友人の負担が軽減されるなら、フロウにとってもいいことだ。あとで差し入れでも持って、話に行こう。
そう決め、フロウはイーリス達のいる部屋の知覚結界を解除する。あの様子なら、常に見張る必要もないだろう。友人達との触れ合いなど、覗き見るものではない。
ただ、一つ気になることはある。
クレールと言う少年に関してだ。
どうも魂の形と肉体の形が符合しない。魂関係は専門外なので詳しいことは分からないが、一つだけ確実に言える。
彼は、『彼女』だ。
男性の体に、女性の魂が入っている。いや、違う。本来は女性であったものが、何かの要因で男性に変えられている、が正しいか。
呪いか、はたまた特殊な何かの弊害か。
ちょうど大昔の知り合い、ゼイヘムトはその辺りも完全に修めている。『森羅の魔王』などという大層な二つ名は伊達ではない。森羅万象に関するあらゆる事物に対する深い理解、それと全てに優れる能力がそんな呼び方につながっているのだから。
やることを見つけ、フロウは笑みを深める。ちなみに、こんな思考をしている間にも十人ほど治してしまっている。流石は治癒魔術という分野では並ぶ者のない女傑、十二使徒が一人『神の癒し手』とでも言うべきか。
四肢がもげても、もげた手足を持ってきているなら平気で元通りに出来る――というかなくても一本ぐらいは生やせる、サラの同類というか、それ以上の怪物だったりする。
「じゃ、少し頑張ろうかなー」
言って、フロウは続々と運び込まれてくる怪我人に、気合を入れた治癒魔術をかけ始めた。
その日に運び込まれた怪我人は、何故か怪我する前より調子が良くなっていることが多かったという。