第二十四話
夕方は多くの冒険者が迷宮から戻ってくるため、店の多い大通りはこの時間からが勝負の時となる。
ここ最近は持ち込まれる素材も安定してきており、大体の相場が出来始めている。その相場より高く売れるか、安く買えるかは双方の交渉力次第だ。
鍛冶屋や錬金術師などもこぞってこの時間に露店を回ったり、ひいきの冒険者と交渉して欲しい素材を手に入れるために奔走している。
酒場や食事処も大忙しだ。続々と訪れる冒険者は、その総数で千を越える。粗暴な者が多いため要らぬ騒動の種になることも多いが、騎士や魔術師も多いのでそういう馬鹿は即座に殴り倒されるのがオチだ。だが、危険なことには変わりないため、こういう込み合う時間は店が信頼のおける人物に警備を頼んだりもしている。
そんな喧騒の中に、珍しく若者の集団がいた。学園の生徒達だ。
先日、サラの鉄拳と老教師の説教によって仲間を集めることの意義を確認した彼らは、後十日後に迫る迷宮実習の準備のために武具や薬などを買いに来たのだ。が、まあこの大騒ぎじみた活気を見て気圧されているという次第である。
「お、おお。たまに遠くから見たことはあったけど、こうやって来てみるとやっぱりすごいな」
「確か、浅いところの採集専門とかも含めると千人ぐらいが活動してるって話だったっけ?」
「後方支援要員を含めればもっといくらしい。全員が常時活動してるわけじゃない、ってのは分かってるけど、やっぱり繁盛してるなあ」
「つーか、こっから必要なもん見つけんの? 無理じゃね?」
口々に言いながら、生徒達はどうしていいのか分からず途方に暮れる。当然か、彼らはまだ冒険者候補であって、冒険者ではない。生活の糧を迷宮から得ているわけではないため、どこにどんな店があるというような情報は持っていないのだ。
そんな中、一人の少年が集団から抜けて通りに入っていく。黒髪黒目の、サラに二度挑んだ少年だ。
特に迷う様子もなくスイスイと進んで行く彼に気付いた数人が、それを追う。
「おい、お前、店がどこか知ってるのか?」
「ん? 普通に先生に聞いてきたから知ってるよ。冒険者に知り合いもいるし、この辺りでお使いして小遣い稼ぎもしてたからな」
「そうか、先生達なら店を知ってるのか。聞いておけばよかった」
「えっと、私達はお店とかを知らないんだけど、教えてもらってもいい?」
「……いいけど、やり方を覚えるまで絶対に口を出さないでくれよ? ここの商人はやり手だから、付け入る隙を与えるとまずい。あと、スリに注意」
言って、黒髪の少年は人の間を縫って近付いてきた不審者を睨みつける。と、不審者は舌打ちして去って行った。油断も隙もないとはこのことだ。
「口を出すなって、どういうことだよ」
「こっちの持ち金を知られれば、確実にむしり取りに来る。俺は相場をある程度知ってるけど、そっちはそうじゃないだろ? だから、口を出すな。いいな、約束したぞ、ダメなら見捨てるからな」
黒髪の少年は散々念押しした末に、一つの店に入る。露店ではなく、ちゃんと店を構えているところだ。
中は薬屋だった。清潔を保たれた内部にはホコリ一つない。恐らくは魔術によるものだろうか。
おどろおどろしい雰囲気はなく、あくまでも整然としている。薬屋、と言うよりも研究室と言った方があっているだろう。
「こんにちは。魔術薬を買いに来ました」
「へいへい、っとジンか。お使いか?」
「いえ、学園の授業の一環ですよ」
「迷宮実習って奴か。後ろのは……素人か。ま、死なんよう頑張れよ」
黒髪の少年……ジンの挨拶に応じて奥から出てきたのは、灰色の髪の青年だ。どこかくたびれたような空気を纏っており、少々胡散臭い。
だが、ジンは彼の腕前を知っている。魔術薬剤師として派遣されてきた魔術師協会の一員なのだから当然だが。
「んで、欲しいのはなんだ? とりあえず何でも揃ってるが……手加減はしないぞ?」
ニィ、と青年が笑う。商人としての顔だ。
対して、ジンも苦笑を漏らして、口端を釣り上げる。
「されても困ります。『白紅葉』の回復薬を……そっちはいくつ買うんだ?」
「え? あー、とりあえず十個買おうと思ってたんだけど」
「じゃあ、十五ください。あと、『紅蜂蜜』の解毒薬を六つで」
突然声を掛けられて驚く後ろの人々から答えを得て、ジンは自分の分を加えて言う。
『白紅葉』とは第二階層で腐るほど採れる植物で、文字通り白い紅葉だ。大量にとれるうえ、少量でも充分な効果の魔術薬を精製出来るため、現在では再安価の回復薬の材料として知られている。ちなみに、素揚げにすると甘くておいしいため、おやつとして売られてもいる。
『紅蜂蜜』は迷宮に生息する巨大な蜂の巣から取れる、紅色の蜂蜜だ。『巨大な蜂』の巣であって、『巨大な』蜂の巣ではない。第一層全体で採れるうえ、その蜂自体からもいい素材が取れるので、中堅冒険者がよく狙う。この蜂蜜から精製された解毒薬は効果が高く、第二層の魔物の毒さえ治療可能なため、迷宮探索の時は大抵の冒険者が持っていく。ついでに、安いので懐にも優しいのも大きい。
ささっと手元の紙に量と種類を書き込んだ青年は、ふんふんと頷く。
「慎重に行くんだな。魔力回復薬はいらんのか? 『緑斑石』と『白灯草の花芯』が入ったから、一番安いのが幾らかあるぞ」
「魔力回復薬なんて買ったら、金が一気に吹き飛ぶでしょう。というか、迷宮実習では長く潜らないんで大丈夫ですよ」
「そうか? 今なら一つに付き大銀貨三枚だが」
「相場の倍ですよ、それ。材料なんて協会からクソ安く仕入れてるくせに」
ジンの言葉に、青年は肩をすくめる。引っ掛からないか、とでも言いたげに。
『緑斑石』や『白灯草』は第三階層の素材のため、それほど量は出回っていない。が、依頼があれば騎士団や魔術師協会の主力部隊が欲しい分だけ取ってくるため、実は大した値段ではないのだ。また、何かあった時のために冒険者協会が大量に備蓄もしている。
この界隈でお使いをして金を稼いでいるジンにとって、それは常識に近い。他の者なら騙されても、ジンを騙すことは出来ない。
大仰に肩を竦め、青年は頭を振る。
「厳しいねぇ。流石に鍛えられてるか。んじゃ、誼だ。回復薬と解毒薬、合わせて大銀貨四枚だ」
「大銀貨三、ではないですか?」
笑みで、ジンと青年は火花を散らす。両者ともに相場を知ってはいるが、知り合い同士で常連のため、そこまで苛烈な毟り合いはできない。そのため、これは勝負でいうなら八百長。ぶっちゃけると、最初に言った値の真ん中が落としどころだ。
単に、後ろの連中に言い値で買うなよ、ということを知らせているだけなのである。
「アホか。技術料込みだぞ。大銀貨三に小銀貨八」
「もう少しいけるでしょう、大銀貨三に小銀貨二ぐらいまでは」
「ふっざけんな。大三に小六、これ以上譲るのは厳しいなあ」
「ええ、分かってます。そこを将来の購買力に期待してもらえるとなぁ、と」
「はいはい。落としどころは大三に小五だろ。チッ、お前が相手だとキツイな」
「譲歩はしませんよ。それに、充分に利益は出るでしょうに」
「ま、お得意さんになってくれることを期待しとくよ。金用意して待ってろ。薬持ってくる」
言って、青年は再び店の奥に引っ込んで行ってしまった。
それを見送り、ジンは振り返る。
「ここの店主……デルタ、って名前なんだけど、今のは随分と手加減してくれたからな。言っとくけど」
「そう、なのか?」
「ま、あの量なら大体、こんなもんだろ。大体相場と同じくらいだし。けど、一見の相手には倍額吹っかける商人とかいるから気をつけろよ。出来れば週に一回は冒険者協会に行って、相場情報を聞いとくと吹っかけられなくて済むぞ」
「……あそこって、そんな情報まで握ってんの?」
「冒険者全体が情報源みたいなもんだからな。騎士とか、契約してる傭兵とかから情報をかき集めてるし。定期的に顔を出すだけでも得る物は多いよ。新しく分かった、より良い素材の手に入れ方とかも売ってくれたりね」
へぇ、と感心した声を上げるその他五人。ジンに同行できたことは、少々世間知らずな彼らには幸運かもしれない。
そんな風に話をしているとき、五人のうちの一人がふと口を開いた。
「そういえば、あんたは誰と組んでるんだ?」
「残念ながら一人だ。ちょっと頼まれごとが重なってた時期に勧誘が多かったみたいでさ、余っちまった」
「んー、それなら、よかったらでいいんだが、知り合いにも一人の奴がいるから誘ってやってくんないかな。前衛の剣士なんだけど」
「いいけど、そっちで引き取ればいいんじゃないか?」
「……一部隊、六人までだろ? 今日は来てないけど、もう六人で組んじゃったんだよ。んで、そいつが余ってることを知ったのが、申請後でさ」
「そりゃまた……いいよ。そいつの名前と特徴、教えてくれるか?」
「すまん。クレールだ。クレール・バルデュワン。長い金髪で、後ろの髪を細い鎖で纏めてるから一目で分かると思う。ちなみに男な」
「了解。明日にでも声を掛けてみる」
「ありがとう。何から何まで、悪いな」
「気にしなくていい。どうせ、これから切磋琢磨し合う学友なんだから」
恐縮しているその他大勢にそう言って、ジンはまだ見ぬクレールなる人物に思いを馳せる。
前衛で剣士。ジンの戦闘法に、かみ合う人物だといいのだが。
夕方のサラの家の庭。そこには目を疑う光景があった。
満身創痍の状態で、サラはそれを見る。戦鎚を杖代わりにしなければ立っていられないほどに消耗している。圧倒的な耐久力を持つサラをここまで追い詰められる存在とは何者なのか。
サラをボロボロにした者は、ただ悠然と立つ。重厚な全身鎧を身に纏う、黒一色の覇王。本来の力の万分の一も発揮していないにもかかわらず、それは涼しい顔をしている。
「あり、がとう、ございました」
『筋は良い。これからもそちらの都合のいい時に稽古をつけてやる。あの英雄たちの技も、どうにか再現できるよう手伝おう。
励むがいい、余を打ち倒したものの子よ。お前はもっと強くなれるだろうからな』
ただの念話であるにも関わらず、その声は大気を振るわせる。
絶大な力を持つ証拠。神にすら及ぶ存在の分身体は、ただ微笑むかのように揺らぐ。
『森羅の魔王』ゼイヘムト。肉体を滅ぼされ、精神体のみになってなお、その力は微塵も減じてはいないようだった。
『これまで見てきたが、お前はまだ器が脆い。筋肉や骨格の話をしているのではないぞ。器、肉体の容量だ。その魔力量、その絶大な力があれば、今まで修練で魔力の底をついたことなどなかっただろう。お前の目指す場所はそれではいけない。
回復など気にせず、余と戦う時は全魔力を使い切るつもりで来い。否。使い切れ。魔力の枯渇と疲労で前のめりに倒れてしまえ。毎回器を砕け。消耗など気にするな。今、お前がやるべきことは二つ。後進の指導と、強くなること。それだけだ。
『動く山』といったか。アレの一撃粉砕如き、余が代わりにやっておいてやる。今は強くなることだけを考えろ。何のために余がこんなところに分身体を送っているかは分かっているな?』
「はい。わたくしを、鍛えるため、です」
『そうだ。あと、気になるだろうがイーリスとかいう小娘のことは信じてやれ。あのフェルミエール……いや、オリオールと名乗っておったか。アレも付いているのだ。何の問題もない。
学園、そこで学ぶことをあれらが選択したのだろう? 信じてやるのが、お前の役目だ』
諭すように、ゼイヘムトは言う。そう、今、サラの家には彼女一人しかいない。イーリスもオリオールも学園に行くために、一時的に家を出ているのだ。今は『創造の指』ミストの手によって創られた安全極まる寮で生活を始めている。
サラも寂しくもあるが、しかしこのズタボロの姿を見せて心配を掛けないで済むのはありがたい。
「分かっています。あの子も多くの人と触れ合うことで、たくさんの物を得るでしょう。かけがえのない、たくさんの物を。でも、信じるだけ、と言うのは……」
『辛かろうな。だが、向こうもそれは同じ。誰しも、そうやって成長するものだ。とりあえず、今日はもう休め。明日も授業を行うのだろう?』
「はい。では、休ませていただきます」
頭を下げ、サラはよろよろとしながらも家へと入っていく。
それを見送り、ゼイヘムトは嘆息した。
『強すぎるな、あの娘は。それゆえに、次の段階へと進めずにいるとは皮肉なものよ。余がこなければ、一体どれだけの期間を足踏みし続けることになったことか』
サラの強さを、ゼイヘムトは全て受け止めている。確かにサラは強いが、所詮は人智の及ぶ範囲に過ぎない。とはいえ、根本的に超越した次元にいるゼイヘムトとは比べ物にもならない。
とはいえ、サラも全てを見せたわけではない。だが、その切り札も全て看破し、全ての欠点をゼイヘムトは既に把握しているのだ。
神話の時代よりも前の存在であるゼイヘムトにとって、その程度は容易い。どれだけ強くても、どれだけの修練を重ねていたとしても、サラは所詮人に過ぎないのだから。
『しかし、それゆえに育てがいがある。あれほどの素材、滅多に見つかるものではない。人の子の持つ可能性、見せてもらうとしよう』
笑みを浮かべ、ゼイヘムトは考えを巡らせ始める。
サラは基本的には全てが高水準にあるものの、特定の何かに特化しているわけではない。強いて言うなら戦闘万能特化とでもいうべき代物だ。
つまり、どう強くするかはゼイヘムトのさじ加減で決まるということだ。
『人の身で、全てにおいて極めるのは不可能。ならば、あの娘が持つ因果を引きずり出してくれよう。
目指す地点は神器の複数同時制御。それに加え、高い同調率まで持っていくこと、か。ふ、ふはは。面白い。余にすら及びかねん戦力を、自身で育て上げる。これに勝る娯楽はない。しかし――』
ゼイヘムトは遠くを見る。その方角にあるのは、未だ全貌を見せぬ迷宮だ。
桁外れの殺気を放ちながら、ゼイヘムトはその奥に潜むものを睨み付ける。
『そこまでせねば、届かんだろうな。ふん。あの娘でも至らねば、余が手を下すのも一興やもしれんな』
フン、と鼻を鳴らし、ゼイヘムトの分身体は空気に溶け込むようにして消えていく。
あとには、何も残ってはいなかった。