第二十三話
広く作られた体育館の中心に、サラは立つ。戦闘服でも私服でもなく、珍しいことにドレスシャツにネクタイを締めている。下もスカートではなくスラックスだ。
その周囲にはなぎ倒され、指一本として動かせない男子生徒が折り重なっていた。
「これぐらいの真似は、迷宮攻略の主力組はみんなできます。まだ貴方達は弱いということを心に置いておいてください」
全男子生徒七十三名を連続して打ち倒したサラだが、その顔に汗の一滴すらない。息も平時のままだ。
その様子を見守っていた女子生徒三十四名は、呆然として言葉も出ない。
ここにいる生徒、百七名が今回入学した者達だ。そして、彼らは貴族や騎士の子供や徒弟が多く、同年代の若者の中では上位に属する実力者だ。それが、ほとんど年齢の変わらない少女になす術なく倒されるという光景は、彼らの慢心を打ち砕くに足る物だった。
「まず自分の弱さを知ること、それが第一の階梯となります。女子生徒の方々もわたくしの実力を疑うのでしたら、掛かってきていただいて結構です。だれか、わたくしに挑む者は他にいらっしゃいますか?」
笑みすら浮かべず、サラは冷徹に言い放つ。当然ながら、誰一人として前に出る者はいない。
魔力すら使わず、右腕一本だけで全員が沈める様を見ていたのだ。これで挑もうと思える者がいたら、それはただの無謀や蛮勇だ。
そう、たとえば、この男のように。
「……もう一本、お願いします」
ゆらりと立ち上がる黒髪の少年。勝ち目などないと理解しているだろうに、それでも構えを取り、サラを睨みつける。
強い意思の光を少年の内に見たサラは、軽く笑みを漏らして少年の方を向いた。
「では、どうぞ」
少年とは対照的に、サラは自然体のままだ。少年の発する闘気を一切意に介することなく、平然と立っている。
相手を侮っているわけではない。ただ気負っていないだけだ。殺し殺される場ではないので、気負いは動きを重くしてしまうだけだ。
少年は何も言わず、真っ直ぐに最短の距離を走る。魔力を用いないとするなら、この年代ならば申し分ない速さだ。続く上段からの剣の一閃も、よく鍛えられていると言っていい。
だが、サラには決して届かない。右手で剣の腹を叩いて逸らし、そのまま裏拳で少年の顎を弾く。
脳を揺らされた少年はうめき声を一つ上げ、その場に倒れ伏す。だが、目だけは、サラを睨んで離さない。
「これで、今日は終わりです。まず自分の弱さを知ってください。強い者は誰でも自分の弱さを知っています。わたくしにも、教師陣の皆さんにも弱さはあります。
『弱さを知ること』、今日、帰ったら自分にとって足りないことを考えてきてください。今月の終わりにある迷宮実習、そのときに非常に役立つでしょう。では、解散」
未だ呆然としていたり、倒れている生徒を置いてサラは颯爽と去っていく。その背中に、誰一人として声を掛けることは出来なかった。
午後、座学の授業。教室にいる二十人はどんよりとした雰囲気を醸し出していた。
「なんだなんだ、辛気臭い。サラ嬢にコテンパンにされたのか? はっはっは、お前ら、単騎で第六階層まで到達した化け物と自分を比べたら駄目だぜ」
そんな生徒を豪快に笑い飛ばすのは、恐ろしくゴツイ老境の男性だ。年齢は七十ほどだろうに、背筋に曲がった様子は一切ない。
「んで、お前ら何言われてそんなにへこんでんだ? んん?」
ひたすらイラつくしたり顔で教室を回りながら、男性は生徒一人一人の顔を見ていく。
大半は消沈しているが、稀に火の付いた顔をしている者がいる。いい傾向だ。
この男性も教師なので、事前にサラから今日どんな授業をするかを聞いている。わざわざこんなことを生徒に聞いているのは、生徒達がどちら側なのかを確かめるためだ。
つまり、諦めてしまう側か、何クソと発奮して自分を高める側か。
正直、サラの方法はあまりほめられたものではないが、しかし彼女一人が教師ではない。他にその方法を補助する教師がいれば、上手いやり方となる。
「弱さを知れ、そう言われたな? では、その意味がどういうことかを説明してやろう。いいか、お前ら。この世界に全てにおいて最高の力を持つ存在がいると思うかー?」
教壇に立ち、男性はわざと大きな声を張り上げる。大きな衝撃を受けて内側に意識を向けている生徒達を、自分の方へ向かせるためだ。
「ま、当然いるわけないよな。神様だって得意不得意がある以上、俺達に完璧な奴がいるわけもない。
つまり、どういうことか分かるか。俺達は単体では必ず弱点を持つ存在だってことだ。だから、一人じゃあ格下相手にも負ける可能性がある。また迷宮を探索するときは緊張の連続で疲労がたまりやすく、弱点を晒しやすくなるだろう。
俺はもう歳だから潜っていないが、第四階層まで進んでる弟子がいるから色々聞いてる。迷宮の魔物の中にはそういう弱点を的確についてくるいやらしい奴も少なからず存在する、ってな。
地力では基本的に迷宮の魔物の方が俺達より上だ。じゃあ、そいつらはあの場所をどうやって攻略してると思う?」
パンパンと手を叩きつつ、男性は大げさに身振りをしてみせる。せっかく黒板があるのだから何か板書すればいいものを、ただ言葉だけを生徒へと投げかける。
「答えをこっちが言うだけ、っていうのはつまらんな。オイ、そこのお前。お前だよお前。窓側から二列目の前から三番目!
お前、どう思うよ。一人じゃあ、あの迷宮を攻略するのはまず無理だ。じゃあ、どうすれば迷宮をずんずん進んで行ける?」
指された女生徒は一瞬戸惑ったような顔をし、すぐに考えを巡らせ始める。
そして、数秒ほどうつむいた後、顔を上げて口を開いた。
「仲間を、一緒に進む人を見つけます」
「正解だ。こんなもん、考えなくても分かるように。俺達は弱い。だから、その弱さを補える仲間を見つけるんだ。
難しく考える必要はない。剣を使う奴が前に出て、魔術を担当する奴が後ろにいる、ぐらいの発想でいい。組んでしばらくすればお互いの長所と短所を発見できるだろう。たとえば突っ込み癖のある前衛には前もって敵の攻撃を減衰させる魔術を使っておくとか、詠唱が長くなりがちだけど強い魔術を使える後衛なら時間を稼ぐことに重点を置く、とかな。
こういう連携はまず自分を知ることから始まる。弱さを知れ、とはそういう意味だ。自分に足りないものは何か。逆に自分の優れている部分はどこか。それを知れば、どんな人物と組めばいいかが見えてくる。そして、組んでからは自分と仲間のことを知るように頑張る。
どこを突かれると崩れやすいかを知っておけば対処法なんて山ほど見えてくるもんだ。だから、まずは弱さを知ることから始めるんだ。強くなるのなんてその後だ。強くなったけど弱点も増えました、じゃ話にもならんからな」
言いながら、男性はやっと板書を始める。……字が汚くて読めないが。
「先生。さっき、あのサラって人は単騎で進んでるって言ってましたけど」
生徒が一人、挙手して質問する。
当然の疑問だ。一人じゃ攻略できないはずの場所を、一人で進む人物のことが気にならないわけがない。
少々ざわめき始めた教室を微妙な笑みで眺めた後、男性はパンパンと手を叩いた。
「静かに。今のはいい質問だ。何故、サラ嬢は単騎で進めるか。それは、あの子が万能特化だからだ。単純に弱点を全て埋め、その上で自分の強さを築き上げている。化け物、と言ったのはそういうことだ。
弱点らしい弱点がなく、怪物じみた体力と魔力、回復力を持ち、白兵戦での戦闘能力にも優れる。当然ながら、魔術も凄まじい練度を誇っているな。他の部隊が六人で分担することを一人で全部やってしまえる能力の高さ、それが出来なければ単騎での迷宮攻略なんて不可能だぞ」
「でも、その人に出来るなら、他にも出来る人はいるんじゃあ」
「無理だろうな。複数の魔術を同時に使い続ける、を日常的に行っているが故の技巧だ。隔絶した才能の持ち主が、血反吐を吐くぐらいに努力し続けてようやく手が届く境地だぞ。飯食ってても、クソしてる時でも、寝てる時でも、常に魔術を制御し続けられるか? 一瞬たりとも気を抜かない生活なんてしてられるか? 疲れ切ってる時だろうと、病気して高い熱が出てても続けるんだぞ。
出来るわけないよな。堅苦しくてやってられんし、家ん中で気を抜けないような生活なんてバカみたいだろ。美味いもん食ってる時でさえ気を張ってるんだぞ。お前、出来るか?」
半笑いの表情で、男性は質問してきた生徒を見る。
馬鹿にしている表情ではない。純粋な問いかけだ。そんな修行僧より酷い生活を行って、楽しいと思うか、続けて行けるかと問いかけているのだ。
問われた生徒はおろか、教室中の生徒が絶句した。自分がその生活を送るところを想像したのだろう。正直、日常を修行の場としてしまうような張りつめた生活を送るなど、尋常の沙汰ではない。
「分かるか。アレは、そういう生活を生まれた時から行う怪物だ。俺らみたいな前線を退いた連中とでさえ、修練の量はタメを張るだろう。密度に至っては言うまでもないな。何が楽しくて生きてるのか、本気で分からん。
だから、とりあえずアレの言うことはちゃんと聞いておけ。今回はネタばらしをしたが、次からは懇切丁寧な説明はしない。サラ嬢の授業は、授業と言うよりも修行だからな。教わる側が言われたことの意味に気付き、自分で考え抜けば必ず力になる。あの子が通ってきた道を分かりやすく噛み砕いて教えているんだろうからな」
凍りついた教室で、男性はそう言って一つ頷く。脅しはこれぐらいでいいだろう。
次は、今回の事の本当の回答だ。
「さて。お前達が学年全員張り倒された授業だが、お前達はどうも馬鹿正直に一対一で挑んだらしいな。サラ嬢はお前達に一人で掛かってこいなんて言ってたか?」
誰も何も言えず、ただ頭を抱えた。
そう、サラは授業中、一度として一人で掛かってこいなどとは言っていない。実力を疑問視する者がいるなら掛かってこい、と言っていただけだ。
確かに複数で来いなどとは言っていなかったが、それは別に複数で挑んではいけないということを意味しない。一人で勝てないと思うのなら、二人、三人、それ以上で挑むべきなのだから。
「分かったか? ま、あの子がお前達と同じくらいの年齢だからなめてたんだろうが、これが実戦なら全滅だったな。このことをよく理解しておけよ。今月末に行われる迷宮実習、生きて戻ってこられるようにな」
冷たい宣告のようだが、それをわざわざ事前に言うだけ優しいと言えるだろう。それも充分以上に準備できる期間を与えた上での宣告なのだ。迷宮内部の情報が出回っている状況で、なお仲間を作るという発想のない者へ掛ける慈悲としては最上の部類に入るだろう。
迷宮で単独行動をするものは死ぬ。それが常識なのだから。
「よし、んじゃ、とりあえず今から迷宮内での基本戦術を教えよう。紙を持ってる奴は出来る限り筆記し、持ってない奴は全て頭に叩き込め。迷宮の魔物はほとんどが強敵だからな」
まず衝撃と共に現実を知らしめ、その後に必要な情報を叩き込む。多くの弟子を育ててきた熟練の手管だ。
本来ならば言葉だけではなく、実際に一人見せしめに魔物に殺させるぐらいのことをするのだが、流石に学園というくくりの中で生徒を無用に殺すのはまずい。それに、迷宮で殺すと混乱が起きて不必要な人数も死にかねないのが問題だ。
なので、この程度で済ませている。面倒だが、後々のことは迷宮を実際に探索している最精鋭が叩き込んでくれるだろう。
真面目な顔で見え上げてくる生徒を見ながら、男性は笑う。
開校を迎えた学園は、やや波乱を含みつつも順調に滑り出したようだった。