第二十二話
「『覚醒』というのは、要するに自分へとつながる系譜から力を得ることをいう。両親、そのまた両親、そのまた……と続く血の連なりと、自分の魂が今までどんな存在だったのかをたどる魂の系譜、両方から力を得る。そのため、大体は力の方向性は決まっている。ただし、所詮は大体だ。決まっている方向性は七割前後だろう。
私のような専門家なら、その覚醒させる方向を調整することも可能だ。たとえば剣の才能と魔術の才能が半々ほどの者がいたとして、本人が何らかの方法で『覚醒』を行った場合はどちらの方向に行くかは制御できないが、私なら剣でも魔法でも両方にでも割り振ることが出来る、とそういう塩梅だ」
学園となる予定の校舎の最上階、既に多くの本が運び込まれている図書室で、ディルは本を読む手を止めることもせずに語る。
「また、『覚醒』には才能に応じた段階がある。平均的には大体五段階ほどか。個々人によって成長の度合いが違うため何とも言い辛いが、おおよそ段階が上がるたびに能力が跳ねあがると思ってくれていい。ただし、段階を上げるためには厳しい訓練かいくつもの死線を潜り抜ける実戦を必要とし、また特殊な道具を使わなければならない。
とりあえず、今の段階で必要な情報はこの程度だろう。次は覚醒に必須の道具を言う。そのどれもが基本的には第一層千変の樹海で取得できるものだから、今のお前達ならほぼ問題なく手に出来るだろう。一つを除いて、だが」
紙のこすれる音と、ディルの声だけが図書館の中に響く。
それもそのはず、図書館の中にはディルしかいない。ただ一人、誰もいない空間に向けて喋り続ける。
「必要なものをお前達が決めた名称で言うと、まず第一階層の『斑紅石』、『堅黒檀の樹芯』。第二階層の『夢幻桜の花弁』、『暴食のアギト』。第三階層の『大地の地脈珠』。第四階層の……これはまだ名付けられていないか、『忍び寄る朽ち縄』の鱗だな。とりあえずこれらを適量用意しろ。実際に必要な量は後で言うが、集められるだけ集めておくと面倒がなくていいぞ。
あとは魔力を込めた白墨と水が大量に必要となる。それと泥の混じらない人工池を作る用意をしておけ。深さや大きさなどは作る段階になってから指示する。必要になりそうな石材を集めておくといいだろう」
だが、この声を聞いている者がいないわけではない。魔術で何人かに向けて直接声を聞かせているのだ。
導くもの、という役割を持つ彼女にとって、この程度のことは容易いことだ。今の人間には真似できないが。
「次に、『加護』だが……まぁ、そのまんまだな。誰か、強い力を持つ者に『加護』を与えてもらう、それだけだ。
ただ、言うほど簡単ではない。『加護』を与える側にも色々な制約が存在するのだ。まず、最低でも高位精霊以上。出来れば精霊王やそれに類する存在、または神格を持つ存在であることが望ましい。これらは既に実体よりも概念側に属しているため、信仰によって力を得やすいからだ。
ちなみに『加護』を得た者はその『加護』を与えた存在に信仰を捧げなければならない。まあ、常に心のどこかに『加護』してくれたものを置いておき、毎朝毎晩起きた時と寝るときにでも感謝の言葉を言っておけばいいだろう。布教する必要とかは特にはない。
『覚醒』と比べると効果は微妙だが、『加護』してくれた存在によっては炎を完全に無効化したり、特殊な魔術を使えるようにしてくれたりするだろう。また、全能力を問答無用で底上げできる。
『覚醒』と『加護』、どちらかしかできないということはないので、両方を目指すといいだろうな」
ぺら、ぺらと一定の間隔で本のページをめくる音がする。
そして、しばらく静かにしていたディルは、何度か頷いてから口を開いた。
「『加護』だけで大きな力を得る方法も、当然だが存在する。ぶっちゃけてしまえば、『加護』をしてくれている存在と深い関係になればいい。肉体関係を持ってしまえばすごいことになるぞ。本気で両想いなら、双方向の想いで半端ではない力を得られる。
まぁ、そういう邪なことを考えていると、一目で看破されて終わりだがな。神格を持っている者にとって、相手が自分にどんな感情を向けているかなんてことは見る必要すらなく完全に把握できる。それこそ心の奥底深くまで、自覚の有無に関係なく完全に看破できる。読心妨害だのなんだので対策していても無駄だ。
だから、こういう情報はあまり流さない方がいいだろう。ま、流したところで神格存在の実体と直接話を出来る者などありえるわけがないが。いや、サラ・セイファートなら神格存在の居所へ殴りこめるか。殴りこんでどうする、という気もするが。実体がないから攻撃も出来ないし」
黙っているときは誰かの質問を聞いているようだ。質問を聞き、返答する。複数人同時に質問を聞いたり、その質問を纏めて一度に返答する能力はなかなか得辛いものだが、ディルは普通に行っていた。
「ちなみに、相手の名前さえ知ることが出来れば、神格存在に接触することは可能だ。面倒だが。鬱陶しい神格存在だとまず神殿を作りとかから始まるからな。だから、まあ普通にこの国で普及している宗教の神にでも頼めばいいだろう。
伝手があるなら、神格存在の分霊を呼んでみてもいい。性格悪い連中以外なら、たいてい話は聞いてくれるはずだ。連中、誰かと話す機会なんてめったにないから、話したがりの聞きたがりばっかりだからな。上手いこと交渉すれば、神殿や何かを作ることと引き換えにここに留まってくれるかもしれん。
ただ、神々――いわゆる頂点の連中は諦めろ。奴らはかつての不始末に後悔して、世界に干渉することを自重している。よほどの事態でもないと引きずり出せないだろう。今がそのよほどの事態だ、とか言っても無駄だ。
迷宮が復活したことぐらい、どうでもいいことだ。中に封印されてる災厄が目覚めて動き出さない限りは、あまり問題はないのだ。迷宮で眠る古い魔族神族が目覚めるのに幾つか条件があるのと同じく、災厄関連が目覚めるのにも条件がある。だから、焦ることなく、自分達の速さで進めばいい。放っておいても数年程度で目覚めるほど寝起きの良い連中じゃないから、大丈夫だろう。ま、その辺りは第三層辺りに封印関連の専門家が眠ってるから、そいつに聞いてくれ」
話したがりの聞きたがり、と言ったが、ディル自身もそうではないだろうか。質問された以上のことをペラペラ話しまくっているのだし。
放っておくといつまでも話してくれるだろうディルだが、これはサラの乗り越えた試練の厳しさを示している。あと、ついでに思っていたよりも頼ってもらえて嬉しい、ということも混じっている。
数千年以上にも渡って眠っていた彼女も、他の神格存在と同じく誰かと話をしたいし頼ってもらいたいのだ。
加えてサラが大きな試練を乗り越えてくれたので、彼女の持つほとんどの情報を吐き出すことが出来る。つまり、好きなだけ話すことが出来るのだ。
そうして、しばらく独り言のような質問会が続く。
小一時間ほどもそんな独演会が続いた頃だろうか。ちょうど質問が終わり、ディルが伝声魔術を切ったその瞬間に図書館の扉が開かれた。
「いらっしゃい。わざわざ呼びつけてすまなかったね。だが、お前のところの長や私の同輩に頼まれてね、他に聞かれたらまずいことを伝えることになったのだよ」
入ってきたのは、サラだ。
颯爽とした足取りだが、恐るべきことに自分の筋力を使って歩いているわけではない。『操糸人形』という魔術で、自分のことを操り人形のように動かしているのだ。生半可な技量で出来る真似ではない……というか、普通は素直に他人の手を借りるかベッドで寝て過ごす。わざわざこんな魔術を熟練させ、不自然ではない動きを取るなんてことはしない。しかも、何がしたいのか、凄まじい執念でその魔術を隠している。
隠蔽していても、ある程度の術者なら一発で分かるし、ディルなどのように凄まじい魔術適性を持っていればその涙ぐましい努力も一目で見抜いてしまうのだが、あえて言わないのが花だ。他人に弱っているところを見せたくない、という心理ぐらいは誰にでもある物だし。
「はぁ。でも、わざわざここにわたくしが来る必要があったのでしょうか?」
「ま、一応あるよ。さて、単刀直入に言おうかな」
「何をですか?」
「お前は『覚醒』することも、『加護』の恩恵を受けることも、どちらもできないだろう」
「どちらもわたくしには必要ありませんが、とりあえず理由を聞かせていただきます」
さらっととんでもないことを言われたが、サラは全く気にした様子もない。
先ほどの伝声魔術による会話をサラも聞いていたで、利点などは把握している。だが、それでも本気で必要ないと思っているのだ。
「もう少し動揺とかをしてくれると可愛げがあるのだがね。どうでもいいが。
まぁ、理由はある。まず『覚醒』は、お前を覚醒させたりその段階を上げるのに必要な力が莫大過ぎるものになるからだ。私は見れば相手がどれぐらいの力で覚醒できるかを把握できるのだが、それで行くとお前を覚醒させるには通常の万倍ほどの魔力が必要となる。
これはお前の血が原因だ。聞くところによると、随分な一族の生まれのようだからね。『覚醒』させられれば全方向特化などの素敵なことになりそうだが、残念ながら無理だ」
「むしろ、『覚醒』はわたくしにとっては枷になりますから、どちらにしろ必要ありません。わたくしの力は自身の理解に基づくものですので、下手に大きな力を手にしたら、一から修行のやり直しになってしまいます」
「……まぁ、ならいい。『加護』は、恩恵を得られない、と言うより無意味、と言った方がいいな。お前の素の能力的に、生半可な加護では文字通り意味がない。基本的に『加護』なんてもんは弱者を守るためのものだからな。本物の強者には誰かからの『加護』なんて必要ないものだ」
「それはそれで寂しいですが、それを伝えるためだけにわたくしをここに呼んだのですか?」
スッと、サラの目が細められる。
サラの現状からして、自宅で寝ているのが最良だ。それなのにわざわざ呼びつけておいて、この程度の話をするだけというのはサラとしても不機嫌になる。
そんなサラを見て、ディルは軽く苦笑をもらした。
「そんな目をするな。ちゃんと他に理由はある。まず、聞いておくが万全の状態に戻るまでどれくらい掛かる?」
「短期間に、それも回復しきる前に連続して大きな力を使ってしまったので、あと二か月から三か月は掛かるでしょう。其れよりも前に普通に動けるようにはなるでしょうが」
「なら、『動く山』が復活するたびに、あの『大地の地脈珠』を狙った場合はどうなる?」
「半年ほどに伸びる程度でしょうか。『動く山』を一撃で倒すのは少々魔力の消費が大きくなりますので」
なぜそんなことを? とサラは小首をかしげる。
対してディルはうんうんと二、三度頷いて、ニィと笑う。
「よし。じゃあ、その半年、お前にこの学園の教師をやってもらう」
「……回復専念じゃない場合、もう三か月ぐらい伸びますが、いいのですか? あと、わたくし、他人に教えるのは下手ですよ」
「魔術師協会の長からの命令だよ、これは。ま、教えるのが下手だというなら、その経験を積めということだろう。それに迷宮について、最も多くのことを体感しているのがお前だ。教えるには最適だろう。あの女狐はいろいろ考えているようだが。
それに、人に物を教えるというのは、自分でも再確認できるから何か発見があるかもしれないぞ」
「協会長の命令なら、わたくしが断る理由がありませんが……わたくしの言うことを素直に信じる方なんて少ないと思うのですが。若輩ですし」
「その辺りはやりようによるだろう。かるーく力を見せつけてやれば、間違いはあるまい」
「了解しました。では、その命令を拝命します」
頭を下げたあと、サラは部屋を出て行く。
余計なことはしない。というか、している余裕がないと言った方が正しいか。
『動く山』が復活するたびに一撃必殺を狙う、というのはつまり、あと数日である程度は戦えるようになっておけ、と言われたに等しい。前回『動く山』を倒したのは十日前なので、次は五日後に復活するからだ。さっさと帰り、体力や魔力の回復に努めるのが最良と判断したのだろう。
余計なことを言わず、せずに去って行ったサラを見送り、ディルは再び本に集中し始めた。
そして、数分程経った頃、ぽつりと呟く。
「そう言えば、私も教師に誘われていたんだったか。どうしたものかね」
第二章 了