第二十一話
完成したばかりの闘技場、その中央でサラは一人立つ。
その手に一切の武器はなく、纏うものは戦闘服ではなくワンピースドレス。戦闘するには全く向かない服装だ。
そう、常人に見える格好は。
だが、魔力を視認できるものなら分かるだろう。桁外れの魔力を背景に、ドレスを鋼鉄以上の強度まで高めていることに。手に、光輝の魔力剣を有していることに。
目を伏せ、風にドレスの裾や髪をなびかせている姿からは一切の感情が読み取れない。戦いに心を高めているのか、それとも沈んでいるのか。何一切を、読み取ることが出来ない。
太陽が中天に至るまで、一時間ほども彼女はそうしていただろうか。
ざり、という砂を噛んだ足音が闘技場の静寂を破った。
「……決闘に応じてくれたことを、感謝しよう」
「その力の波動、既に人のものではなくなっていますね。『覚醒』、ですか?」
「そうだ。あのイャルとかいう悪魔との契約だな」
「分かりました。では」
振り向き、サラは目を開ける。
同時に、闘技場内の温度が間違いなく下がった。それまでは春の陽気で暖かだった空気が、まるで凍りつくような厳冬の世界へと変貌する。
サラの目は。
夜の月のように冷たい光を宿し――
「決闘、お受けしましょう。形式、勝敗の決定法をお聞きします」
「こちらは今いる全員で相対する。……私達は君も複数で決闘に臨むと思っていたのだが、いいのか?」
「構いません。わたくしは一人です。今までも、そしてこれからも。わたくしが全力を出すと、周囲へ甚大な被害をまき散らしてしまいますので」
「そうか。悪いことを聞いた。勝敗は純粋に最後まで立っていた方の勝ちだ。数が少ない分、そちらが不利になるが」
「大丈夫です。相手の殺害は敗北条件に入りますか?」
「否。全力で来てほしい。こちらも殺すつもりで行く。我らの覚悟を示すこと、それが目的なのだから」
「了解しました。どうぞ、来てください」
サラの言葉に一瞬遅れ、闘技場全域の魔力が目視可能な段階まで活性された。領域を支配し、魔力を活性化させたのだ。一時間と言う準備期間を経れば、この程度のことは出来る。これはサラが闘技場全域の魔力を得たことにも等しい。
それに対し、高司祭と率いられた四人の騎士は動じることもなく念入りに訓練を重ねた陣形を取る。
高司祭を中央後方に置き、残りが前衛だ。
僅か五人だが、その陣容が発する威圧感は万の軍勢にも匹敵する。そう、それはつまりこの五人の力はそれほどまでに高められているのだ。
「行くぞ。我らこそが最強であることを証明する!」
高司祭の一喝と共に強力な補助魔術が騎士達に掛けられる。サラでさえも完全には理解できないほどに高度な魔術。恐らくは速度、膂力、反応速度を倍加し、何かを付与する魔術だ。
『覚醒』により基礎能力自体を底上げされた騎士は、それだけでも圧倒的な能力を持つ。それが強化されるというのはもう笑うしかない。恐らく、補助魔術で強化された今では第一階層守護者『恐なる劣竜』を単騎で圧倒できるだろう。
凄まじい速さで、かつ騎士達は熟練の連携でサラへと襲い掛かる。
魔力こそほぼ全快しているものの、体自体はまだ五割程度の復旧しかしていないサラでは捌き切れない。
そう、肉体では。
「全力で、そうおっしゃいましたよね?」
硬質な音を立てて、神速の四連撃は弾かれる。闘技場全域の魔力を支配下に置くサラにとって、単純な物理攻撃など考慮に値しない。何も考えずに四方に障壁を張るだけでことは足りる。しかし、今回サラは広範囲の防御ではなく掌よりも小さな障壁を攻撃と同数展開するだけで弾いてのけた。恐るべき眼の良さと判断能力だ。
舌打ちし、騎士達は最初の陣形へと戻る。
「……仕方ない。完全に全力で動くぞ。私の全力でお前達を補佐する。お前達も見せてやれ、『覚醒』によって得た力を」
「はっ。全員、全能力解放! 全力で叩き潰す!」
号令を合図に、個々がそれぞれに力を解き放つ。足元に精緻極まる魔法陣が現れ、また胸の前に何かを象徴する印が顕現した。高司祭は杯、騎士の半分は剣、もう半分は盾だ。
それらを見て、サラは瞬時に考察する。恐らく印は特化の傾向。杯の意味は分からないが、剣と盾はそれぞれ攻撃と防御を示すだろう。それらの能力が特化されているのか、または"切り札"がその傾向なのか。
くすり、と笑い、サラは手を前に差し出した。
「どうあれ、全てをなぎ倒しましょう。舞え、炎。炎竜乱舞」
瞬時に編まれた術式に導かれ、凄まじい業火が五人を覆う。地面の砂をガラス化させるほどの高温の炎。人間では、どれほどに熟練した魔術師でも防ぐことは不可能。
これをどの程度防げるかで、『覚醒』によって得られる力の度合いが分かるだろう。
力量を測る目的の魔術は、しかし一閃の斬撃で全てを覆される。騎士の剣が炎を術式ごと切り裂いたのだ。
「なるほど。下手な対応では殺されますか」
先よりも圧倒的に速度と威力を増した突撃をしてくる二人の騎士を前に、サラは笑みを深める。
マンティコアと戦った時にも浮かべた笑みだ。
そう、それはあまりにも寂しそうな、今にも消えてしまいそうに儚げな笑み。
剣が、サラに当たる。――その前に。
僅か一歩、後ろに下がった。
「――!」
金属音が周囲に響く。それは突っ込んできた騎士二人の剣同士が当たった音。そして、二人は姿勢を崩して転がっていった。
それを見送り、サラは動いていない騎士や高司祭に向けて魔弾を放つ。一撃ではない。合計十五もの魔弾の連撃。どれもがほんの僅かずつ着弾を遅らせて。
目を見開き、盾の騎士達は全ての魔弾を迎撃する。魔弾一発ごとに盾を一度光らせ、見事に防ぎきってみせる。
たった一度の攻防。だが、それは数多の戦闘経験を持つサラにとっては答えと同じだ。
「あと一週間あれば、負けていましたね。残念です」
言って、サラは死角からの攻撃を回避する。真後ろから突っ込んできた騎士の刺突を僅かな挙動で回避しつつ、手首を捻りあげて投げ飛ばす。
本当に残念だが、あまりにも簡単だ。
得た力の大きさに反し、それを扱えるよう努力した期間が短すぎる。そう、体の強さに、扱う者の技量が追いついていないのだ。
能力的には、恐らく現状のサラを全員が上回っているだろう。魔力はともかく、身体能力的には間違いなく。これに技量が伴っていたら確実に負けていた。
だが、元の技量はともかく現在の技はお粗末極まる。強化され過ぎた感覚に、頭が付いていけていないのだ、
「どうしますか? このままやれば、わたくしの勝利は動きませんが」
「そのようだな。お前達、すまん」
「謝罪はいりません。了解済みです。"切り札"を切ってください」
「さらばだ。ともに逝こう」
サラの宣告に全く動じず、高司祭と騎士達はそんな短いやりとりをして。
「肉体から魂というくびきを取り外す。これが、我々の本当の全力だ」
ガクン、と五人の体から一瞬だけ力が失われる。
そして。
次の瞬間、圧倒的な暴威が吹き荒れた。
僅かな時間さえ、サラは気を抜いていなかった。瞬きさえもしていない。
それなのに、気付けばサラは木の葉のように宙を舞っていた。
遅れて全身を激痛が打つ。打撃だ。恐らくは盾による打撃攻撃だろう。これだけはっきりと攻撃を受けていながら、サラはそんなあいまいな答えしか出せない。
桁外れの速度。マンティコアの速度でも対応出来たサラでも反応さえできないほどに圧倒的な速度だ。
呪刻の解放をすれば、一蹴出来るだろう。だが、それは出来ない。ゆえに、サラは。
禁じ手を使うことを決断した。
ギシリ、と世界が歪む。圧倒的な速度で動いていたはずの騎士や高司祭でさえも動きを止める。
それは殺意。それは殺気。
世界を殺しうるほどの。何が相手であっても、死を幻視させうるほどの。
セイファートの血に刻まれた人間兵器としての能力――ではない。サラが自分自身で得たもの。得てしまった力。
殺し、殺して、殺す。血に塗れ、血で染まった人生を歩んできた副産物。
魂の系譜に存在する、遥か彼方の父祖が持っていた呪いを継承してしまったが故の。
古に禁秘呪法と呼ばれた、封じられ、闇に葬り去られたはずの力だ。
黒い何かがサラにまとわりつき、その全てを喰らってサラは己の力とする。そう、それは金色の。
「夜の闇は深く、星々の瞬きは世を照らさず。ただ月は全てを睥睨す」
そして無数の攻撃が少女へ殺到する。
金色の少女が舞う。
狂戦士と化した騎士の攻撃の嵐を踊るように躱し、自らの体さえ使って高司祭が乱射する魔弾を詠いながら叩き落として。
地より溢れだし、汚そうとする黒の気流を一身に浴び、しかし染まらず、逆に光へと変えて。
「太陽は未だ昇らず、人々の灯は夜に抗い、しかし夜は光に満ちず」
サラの共に囀りと共に凄まじい勢いで術式が構築されていく。
術式とは魔力によってつくられる魔術の設計図だ。卓越した術者ならば視ることも出来るだろうが、普通は不可能。可視化するする必要もないし、利点もない。
金色の少女が舞う。
しかし、サラが今構築している術式は目に見える。
サラを中心に、光の粒子が渦巻きながら緩やかに天へと昇っていくかのように。金の雪が舞い上がればこんな光景だろうか。
ちなみにサラが意図しているわけではない。
凄まじい魔力が術式の細部にまで宿るがゆえに、こうなっているのだ。圧倒的にして絶対的なまでの魔力量がなす、一種の奇跡と言えるか。
「なれば、夜に満ちる光はなにか。それは遠き世界が崩壊するがゆえに」
囀りを止めんと、奇跡を破壊しようと、狂戦士たちはサラを打ち砕く攻撃を嵐の如き連携で以って放ち続ける。音にも近い速さの攻撃は、しかし少女に触れることさえもできない。
通常ならば、本来ならばサラでも対応しきれない速さ。しかし、今は。今だけは違う。領域支配により領域内における全ての位置情報を掌握し、黒い気流による常軌を逸した全体強化で身体能力が現在耐えうる限界にまで高められているがゆえに。今なお放たれ続ける殺気が狂戦士たちの攻撃を僅かに逸らすがゆえに。人間の限界に近い精密魔術操作で狂戦士たちの進路に極小の障壁を展開し続けているがゆえに。
金色の少女が舞う。
サラは今、無意味に踊っているわけではない。
舞の一つ一つの動きに意味があり、全てを繋げることで詠唱の補助とする特殊な舞いだ。魔術行使の際に行う印や身振りを研ぎ澄ませたものであるといえる。
詠唱さえすればほとんどの魔術を完全に制御でき、一部は詠唱や起動呪さえ不要とするサラが長い詠唱と特殊な舞を必要とするような魔術。その威力は、計り知れない。
「いま、終わりをここに。我が言霊に全てを乗せて」
光が闘技場全域を埋め尽くす。
危険を感じ取った狂戦士たちは、己が全てを攻撃力へと変換して極大の斬撃や衝撃波を放つ。
防げはしない。回避も出来ない。
『覚醒』によって得られる、真の破壊はいかなる防御をも無視する。それはサラも例外ではない。また全方位から放たれているため、回避は不可能。
ただ一つ、防ぐ方法があるとするならば、その威力を上回る攻撃による相殺しかない。
「スーパーノヴァ」
サラの言葉と共に凄まじい光が炸裂した。音はない。否、空間さえ破壊し尽くすほどの恐るべき威力が音をも滅してしまったのだ。
闘技場が欠片も残さず蒸発する。もし、闘技場の外周部にサラが展開した結界障壁が張られていなかったら、ティエの街ごと全てを消し飛ばしていただろう。
超新星爆発を再現する、宇宙属性上級魔術。それはサラが読み解いたはるか太古の魔術書に載っていた、終焉の力だ。
『森羅の魔王』ゼイヘムトの復活、これに匹敵する事例が起きた時、サラが単独でも解決できるように、と磨き抜いてきた力。
禁じ手を用いたうえで、広域の領域支配による膨大な外部魔力を必要とするが、しかしまだ完成には至っていない。恐らく、現在の威力ではマンティコア・ジェヴォーダン級の戦力が相手だと、使う前に叩き潰されるか、耐えきられるだろう。範囲はまずまずだが、威力の収束が上手く行っていないのだ。
だが、間違いなく現時点でのサラが撃てる最大最強の魔術。文字通りの全力だ。
相手が身命を賭して来るのなら、サラに出来るのは相手の全力を受けた上で自らも全力を出し尽くすことだけだ。それが相手に対する礼儀であり、サラの流儀である。
何もかもが無くなった闘技場跡地で、サラは大きく息を吐く。サラの周囲、サラの立っている位置だけが一切の破壊の影響を受けていない。それ以外は存在していたはずの基礎部分さえ全て、全て消失していた。
これでまた迷宮攻略が遅れることになる。仕方のないことだが、ほぼ魔力は枯渇状態で、体も本調子になるまで随分と掛かるだろう。
瓦礫すら存在しない、綺麗さっぱりと更地になった闘技場跡地に大の字になって寝そべり、サラはゆっくりと目を閉じる。
「あとのことは、またあとで考えましょう。今は、ただ疲れました」
言って、風の心地よさに身を任せる。
ただ、太陽だけがサラを照らしていた。