第十九話
『創造の指』ミスト・ウロボロスは城壁の内側、何もない平地で軽く手を合わせてから両の掌を前に差し出した。
すると、彼の目の前の地面が抉れたかと思うと、いきなり巨大な建物が出現する。設計図通りの寸法、構造をした建物だ。
神の御業たる魔法、そのうちの一つである創造魔法だ。無から有を創り出す、誰も到達しえないとさえ言われる究極の技術。
魔力を消費するでもなく、体力を使うでもなく、何かを犠牲にするでもなく、ただただ創造する。
何かを行う術ではなく、法則そのものに手を加えるがゆえに、魔法。
魔術師協会の初代協会長とさえ顔見知りと言われる老人は、自らの創作物の出来栄えに笑みを漏らした。
「ほっほっほ、良い建物が出来ましたな。設計図や模型を作った方々に重々、お礼を差し上げるように」
「ええ、分かりました。流石ですね、ミスト様」
「んむ。わしもブリジット嬢ちゃんに頼まれたら、嫌とは言えんでのう。サラちゃんも無理をしておるようじゃし、この老体も頑張りがいがあるというものよ」
蓄えた豊かなひげを撫でながら、ミストは笑う。
小柄な老人だ。見事なまでに禿げ上がった頭で、その代わりに鼻から下が完全にヒゲで覆われている。
人族としては明らかに世界記録を更新し続ける年齢なのに、足腰は真っ直ぐとしていて、老人特有の重みがない。魔力すら創造できるため、実質無限の魔力で以って己の寿命を延ばし続けているのだ。
創造するものを深く理解していないといけないなど、多くの条件があるため見た目ほど便利な能力ではないが、しかし極めて有用ではある。全てを解き明かさんと森羅万象を研究し、事象を追求し続けるミストにとってはこれ以上なく似合った能力だ。
「さて、わしはしばらくこれの点検を行うが、お前さんはどうするかね?」
「ミスト様のお手伝いをするよう言われているので、このまま手伝いたいのですが、よろしかったですか?」
「ほっほっほ、では、ついてきなさい。まずはちゃんと中身が設計図通りかを確かめますぞ」
言いながら、ミストは軽快な足取りで建物へと入っていく。ローブを着た若い女性もそれに続く。
入り口をくぐると、まず広い空間に出る。ただ、広いことは広いが別に何かあるわけでもない。入り口から少し離れた段までは石畳で、段の上は板張りになっている。この石畳の部分はここが学園として機能し始めたら下駄箱を置いたりする場所になる予定だ。
とんとん、と靴底の砂を落とし、ミストは土足のまま板張りの床へと上がる。この広間は登下校時や昼などに人が多く通ることを想定して作られている。そのため、またあとで床の強度向上の魔術を施す予定だという。
床の張り具合を足で確かめ、ミストは幾度と頷く。想定通りの出来だ。木目などの配置も完璧。これなら文句は出ないだろう。
「我に知らせよ、汝が造りを。構造把握・創造物認識」
ミストは壁に手を触れながら、魔術を発動させる。自分の創造したものの情報を取得する魔術で、こういった建築物を創造するときに用いることが多い。
僅かな制御の誤りで致命的な欠陥を生じさせる可能性のある大型の建造物を創造したときは、必ずこうして確認を行う。一度、それを怠って何十人もの死者を出してしまったことへの戒めだ。
「うむ、大丈夫だの。次は部屋数や広さを確認しよう。設計図は持ってきてくれてるんだったな?」
「こちらに」
「ありがとう。ここからは退屈だし、何か話でもしながら行きましょうな。そうだのう、昨日、サラちゃんが連れ帰ってきた神族、何か面白い情報をくれたかね?」
「迷宮に関することはあまり話してくれていないようです。ただ、迷宮に存在する薬草その他で、我々が全く知らなかった調合法や錬金法をたくさん教えてくれています。今日も押しかけてきた錬金術師達に何か講義してましたよ」
「ほっほっほ、良い人のようで助かる。これで迷宮攻略が更に一歩前進するのう」
廊下を進む。一階部分にある部屋は職員室や校長室、医務室、購買部、食堂などの広く利用されることの多い、部屋面積を広く取る必要のある部屋が集められている。
それらを一つ一つ確認し、広さが充分足りているか、窓や扉になる部分がちゃんと開いているかどうかを確認していく。
「はい。これで今まで手が出せなかった『動く山』の甲殻や『忍び寄る朽ち縄』の鱗を加工することが出来ます。来月に開校予定のここも、想定より一段階上の教育を行えそうだという話です」
「重畳重畳。すると、今の問題点はサラちゃんのあの件だけか」
「……大丈夫なんでしょうか? サラさん、未だに意識を取り戻していないそうです。極度の疲労と、重篤な魔力喪失による虚脱症状、それ以外にも無理な強化による全身の筋断裂や、強制復元による副作用、とてもあと四日で戦える状態に戻れるとは思えません」
「それでも、あの子は行くよ。相手のために。完全なる死兵など相手にするのも馬鹿らしいが、間違いなくサラちゃんは行くだろう。
これで何度目だったろうな。あの子は自分から死地へと赴きすぎる。少しくらい楽をしてもいいと思うが、あの子に流れる血はそれを許さんのだな」
部屋の中を見ながら、ミストは設計図にある点検個所にレ点を加えていく。ここは大丈夫だった、という印だ。話している間に一階部分は終わる。次は二階だ。
「セイファート家。十年前に復活した本物の魔王を相打ちに持ち込んだという一族の、最後の生き残りでしたよね?」
「正確には最上級魔族の魔王位にあった存在じゃな。一般的にはハイラル火山の大消失として語られておったか。あれは酷かった。セイファート家が誇った十八の神器、その内で僅かでも適合して使える全てを持ち出しての絶滅戦。
知っておるか? あの事件での死者は千万人を超える。ハイラル火山が粉砕する余波で溢れだした溶岩が三ヵ国を飲み込み、『森羅の魔王』ゼイヘムト・アーグ・ライングラッツェが撒き散らした伝説の砲撃魔術で周辺各国の主要都市が完全に壊滅。セイファート家は当時五歳のサラちゃんを除いて全員が戦地へと赴き、実に十日十晩の激戦の末、ゼイヘムトと相打ちの形で全滅。
ほほ、あの時、『雷帝』セヴァルや『炎竜王』グイズも援軍に向かったが、あまりの戦いの次元の違いに手を貸すことも出来んかったのだよ。わしも、行った。わしは後方で救助活動だったが……誰も助けられんかった。むごい、光景じゃったよ。セイファートの皆が一人、また一人と散っていく中、わしら救助部隊が助けられたのは『神の癒し手』フロウや『永久を謳う者』ルンが直接助けた十三人だけ。他の国の騎士団は近寄ることさえ出来ん有様だった。
セイファート家が命を盾にしてゼイヘムトを相手にしておらんかったら、大陸は滅んでおったかもしれん」
「あ、そういえば、前の協会長もセイファートという家名だったと」
二階、三階は座学のための教室と、実験などを行うための特殊教室に分かれる。まだどれぐらいの人数が入学希望してくるか判断が出来ていないので、とりあえずかなりたくさんの教室が用意されている。これでも足りなくなったらまたもう一棟と校舎を建てるのだ。
「そうじゃ。サラちゃんの父親だの。強い男だった。魔力などはサラちゃんに劣るものの、鍛え抜かれた肉体と練磨され尽くした技術は今のサラちゃんでは比べ物にならんな。恐らく、あいつとサラちゃんが戦えば、サラちゃんは為すすべもなかろうな。それほどに身も心も鍛え抜いておった」
「……すごい方だったんですね」
「当たり前だの。そして、サラちゃんはそんな大馬鹿どもの血を引いておる。敵の事情を知るサラちゃんが、今回の件で引くことはありえん。
だが、今回はどうなることやら。確か、あの迷宮には願いを叶える悪魔とやらがおるんじゃろう。間違いなく、その助力を得たうえでサラちゃんに挑んでくるはずだ。下手をすれば、サラちゃんはこの短期間で二度目の……いや、信じるほかないか」
「手を貸すことは出来ないのですか?」
最上階である四階は全体が図書室になる予定だ。本や棚の運び入れが面倒だが、そこは魔術師が本領を発揮する場面だ。戦闘ばかりではなく、こういう日常でも使える魔術を自在に扱えてこそ、一流と言えるのだから。
ちなみに図書室には魔術に関するもの以外も多数置く予定で、読み物の類も集めていたりする。
「あの子が拒むだろうの。何せ、これは決闘だ。あの子の、セイファートの矜持として、人間相手の決闘に助力を頼むなど言語道断。自分の肉体がどうであろうと、サラちゃんは決して誰かに力を借りようとはせんよ。
あの子は強い。心身ともに。だが、本来のセイファート家の一員としてはあまりにも未完成なのが、不安要素だの。あの子はセイファート家としての修練を五歳までしか積めておらん。何せ、あの子以外は全滅しておるし、あの一族の修練はあまりにも特殊過ぎて他に伝わっておらんのがなぁ」
「負けません……よね?」
「神のみぞ知る、といったところだ。向こうはラウドラントのために命すら捨てる者達だ。勝てる、と言い切れるほど甘い相手ではない。厳しいと見るのが妥当だろうの」
そこで、二人の話は途切れる。
嫌な沈黙が、空間を支配していった。
時はサラがマンティコアを倒す二日前に遡る。
第一階層の深部、不似合いに存在する家の中で彼らは向かい合っていた。
「なるほど、面白い。お前達はサラ・セイファートの死を望むのか」
「そうだ。可能だろうか?」
笑みを作り、イャルは高司祭を見やる。
色濃い覚悟を滲ませた、退路を断った者がする表情をした壮年の男性は、ひたすら真剣な眼差しでイャルを睨んでいた。
素晴らしい、とイャルは思う。願いを叶えるに相応しい顔と魂の色だ。悩み、苦しみ、決して出してはいけない答えに辿り着いた者が持つ色をしている。
だが、惜しいことに軽い。サラ・セイファートの地獄のような魂の重さに比べれば、羽のようなものだ。この男の願いを叶えるには、対価が足りない。
「結論から言おう、不可能だ。私が直接彼女に手を下すことは出来ない。お前達全員の魂を合わせても、それだけの願いを叶えるには足らない。他の方法を取るなら、それを手伝うことは出来るが」
「つまり、我々が戦うなら、力を与えていただけると?」
「そうなるな。私に出来る限り最大の力をくれてやろう。ただ、分かっているな? 私へ願うことは死を意味する。勝ったとしても、その後に待っているのは確実な死だぞ」
力を与える、それにはこの魂は充分に足る。研鑽を積み、労苦を重ね、挫折を繰り返し、栄光を掴み、そしてそれを自分で捨てた。
この鋼の如き輝きの魂は、常人ではなかなかたどり着けない境地だ。充分以上の力を与えるに相応しい。
「承知の上。彼女は迷宮攻略では重要な人物だが、我々にとっては大きな不利益をもたらす。
勝てずとも、私が挑めば我らの覚悟のほどは知れるだろう。私はそれでも構わない」
「……いいだろう。お前のその願い、確かに聞き届けた。だが、力を与えたとて、すぐに戦えるようにはなるまい。
一週間、時間をくれてやる。その時間を使って己の力を理解し、戦えるようになってみせよ」
笑みを深め、イャルは高司祭へと手を伸ばす。
「さあ、誰が力を望む? お前達へとつながる因果、それを『覚醒』させよう。つながってきた魂の系譜、血の連なり、それらがお前達に力を与える。――さあ、死を望むのは誰だ?」
高司祭は一度後ろを振り返る。そして、まず己を指し示した。
「当然、私だ。今回の件は全て私に責がある」
続き、後ろに控えていた黒装束と騎士の数人も前に出る。誰も彼も、全盛期を過ぎたぐらいの年齢だ。若手の騎士や黒装束は沈痛な表情で歯を食いしばっている。
「我々も、力を頂きたい。司祭殿だけでは死出の旅もさびしかろうし、我々は充分に生きた」
「今こそ、恩を返すとき。若い衆には悪いが、裏方続きだった人生も、最期くらいは表で戦いたい」
騎士と黒装束を代表して、二人が言う。
それを聞き、全員を見渡したイャルは笑みを深くする。
この表情、魂、願い。全てが素晴らしいものだ。ここに居を構えて一月かそこらでこれほどの『願い』を持つ者に出会える、その幸運を噛み締め、イャルは己の力を、権能を解放した。
「よかろう。では、お前達が迎え得る『覚醒』段階を最終段階まで引き上げる。上級魔族に匹敵する力、存分に揮い尽くすがいい!」
悪魔はそう言って両手を広げ、その絶大な魔力を高司祭たちへと向けた。