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ガイラルの迷宮  作者: 光崎 総平
第二章 迷宮の天使と悪魔
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第十八話

 それは最早人智を超えた戦いだった。

 マンティコアの放つ両前足の爪撃は出も終わりすらも視認できる速度ではなく、時折混じる噛み付きは残像すら残さない。更に加えて伸縮する尾を操って放たれる槍のような刺突と薙ぎ払いが死角を突き、意志のみで作り出される魔弾は常に十以上の数でサラを襲う。

 僅か一秒でもこの連撃をしのげたなら、それは既に人間ではない。一撃一撃が容易く鋼鉄を引き裂き、巨岩を打ち砕くほどの威力を秘める。神化銀の全身鎧を纏っていたとしても、この正確に弱点を狙う連続攻撃の前では継ぎ目から寸断されるか、真正面からの叩き付けで中身を粉砕される。

 全てが必殺の暴威の中、サラは戦鎚を振るって一歩も退くことなくマンティコアと戦い続ける。

 連続して放たれる爪撃を柄頭と戦鎚の腹で叩き落とし、喰らいついてくる顎をカチ上げ、変幻自在の尾を僅かな体重移動と他の攻撃を叩き落とす際の戦鎚の動きを利用して防ぎ、魔弾はマンティコアの体を利用しつつ己の魔弾で相殺する。

 そう、人ならざる反応速度と極限まで磨き抜かれた技術、そしてマンティコアの膂力さえも押し返せるだけの力の持ち主でなければこの場には留まれないのだ。たとえ、今この瞬間に『動く山』が乱入したとしても、半秒ともたずに絶命させられるだろう。ただ大きく、強い魔術を使い続けられるだけではサラにもマンティコアにも攻撃を当てるどころか抗うことさえもできない。

 一瞬の油断が死を招く状況で、サラは湧き上がる笑みを押し殺すことが出来ずにいた。

 楽しい。これ以上なく楽しい、と。

 一つの悪手が全てを瓦解させる。刹那の躊躇が防御も回避も不可能にする。僅かな力のゆるみで体を砕かれる。そんな何一つとして手を抜けないこの状況、それが何よりも楽しいのだ。

 サラにとって、自分より格上の相手とは久しく見ない存在である。そんな相手が凄まじい殺気を伴って、見たこともない技を、力の使い方を、殺し技を見せてくれている。

 マンティコアの為す一つ一つの動き全てが教材だ。この強大な魔力を持つ怪物は、しかしその魔力に溺れていない。自分の持つ武器の一つとして、その使い方を恐ろしい練度まで高めているのだ。

 己の動きに合わせ、強化する部位を、強化の度合いを微細に変えていく。常に同じだけの強化をするのではなく、全身の動きに合わせた変化だ。それは相乗効果で同じだけの魔力を使って全身を強化するよりも遥かに高い効果を生み出している。

 また、サラの戦鎚が当たる箇所に、直撃の瞬間だけ魔力を集中させ、最小の魔力で最大の効果を発揮させるという離れ業まで使いこなす。一体、どれほどの鍛錬を積んできているのか。想像するだに恐ろしい。

 その段階にまで至れていないサラは、マンティコアの動きを全て脳に焼き付けていく。徐々に追い込まれていきながらも、しかしサラは学ぶことを優先し――

 当然の結果として、攻撃をしのぎ切れなくなっていく。防ぎきれない攻撃が身を削り、吹き飛ばされて大地を転がされてしまう。

 ぼろ雑巾同然の姿になり、しかしサラは立ち上がる。戦鎚を杖にし、よろめきながらも。

 ただただ悲しそうに、寂しそうに笑みを浮かべ、サラはマンティコアを見据えた。


「先に、謝っておきます。ごめんなさい」

『……? どういう意味だ?』

「この戦いを汚すことを。本当に、ごめんなさい」


 言って、サラは。

 サラ・セイファートとしての戦闘を終了する。

 ここからは勝つための戦い。今までのように楽しめるものではない。ただ、敵を殺すためだけの、醜い戦いだ。


「呪刻を解放します。もう、貴方に勝ち目はありません」


 言葉が終わる前に、サラの肉体に何かが刻まれていく。

 赤黒い、まるで血のようなそれは白磁の肌に幾何学模様を刻み。

 上級魔族であり、ありとあらゆる地獄を知るマンティコアでさえも吐き気を催すほどの邪悪へとサラを変貌させる。

 人の形をしていながらも、人を踏み越えた者。己によって人から外れた者。己の手で、己の魂を凌辱し尽くした姿。

 人間兵器とはよく言ったものだ。人でありながら、人としての性質を保ちながら、人としての心を持ったままに、存在そのものを戦闘に完全特化したものへと変えてしまう。そう、まさしく兵器へと。

 積み重ねた経験を、技術を、能力を。全て、何もかも全てを戦闘用へと転化し、敵を殺し尽くす。

 そのための機能が、発動した。


『――ッ!』


 マンティコアが絶句する。当然だ。相乗して効果を上乗せする左道外法の類が幾百も、たった一人の人間に刻まれているのだから。

 通常ならこれだけの呪法を行使された時点で人格が消し飛ぶ。それを越えても、発動した時点で廃人と化す。それは人族だけではなく、魔族だろうと神族だろうと他の種族でも変わらない。現代の人間を遥かに上回る魂を持つマンティコアでさえも耐えきることは出来ないだろう。それほどの恐るべきわざなのだ。

 なら。


「では、行きます。『金色の颶風』、その意味を身に刻んでください」


 耐える様子さえなく、平然とその呪いの中で笑うこの少女は何者だというのか。

 サラが動く。一直線にマンティコアの懐へと。その動きは今までよりも遥かに速いが、しかし分かりやすい。なぜなら、サラの動いた後に金色の軌跡が残っているからだ。

 強力な戦鎚による一撃を受け止めたマンティコアの顔が恐怖に歪む。一撃の重さが今までの比ではない。そう、文字通り重さが違う。速さが上昇しているうえ、戦鎚の重量そのものが数十倍になっている。最早、受けきれる攻撃ではない。

 舌打ちし、マンティコアは一旦距離を取るために飛び退く。だが、それをサラは許さない。マンティコアが飛び退くよりも速く回り込み、背中に戦鎚の一撃を叩き込む。

 苦鳴を上げてたたらを踏むマンティコアの側面に回り込んでもう一度打って吹き飛ばし、それを追い抜いて再び打つ。

 後はもうそれの繰り返しだ。マンティコアは桁外れの打撃力で何度も跳ね回され、抵抗することさえ出来ずに砕かれる。

 不運なのはマンティコアが規格外に頑丈だったことだろう。本来なら一撃で木端微塵にされているところを、何十度も打たれ、砕かれてなお死ぬことが出来ない。地獄でもこれほどひどくは打たないだろう。

 もし、この光景を見ている者がいたなら、まるで金色の竜巻の中でマンティコアが跳ねまわっているように見えただろう。サラの動きをなぞる金色の軌跡は数分以上その場に留まり続けるのだから。

 ありえない連続打撃を受け、マンティコアは地に沈む。

 その傍らに立ち、サラは最後に言葉を掛ける。


「言い残すことはありますか?」

『――よくぞ、我を討ち果たした。見事だ。恐らく予期しているだろうが、我らの中では我が最弱。そのことを心に刻んでおくがいい』

「ええ、忘れません。では、さようなら」


 別れを告げると同時に、マンティコアの頭部にサラは戦鎚を振り下ろす。

 あまりの一撃の重さで床に亀裂が走り、すぐに亀裂が消える。どうやら、迷宮自体を破壊することは出来ないらしい。

 粉砕されたマンティコアの肉体は即座に灰になり、風に舞いながら消えてしまった。

 敵を撃破したサラは、戦鎚を取り落し、その場にへたり込む。

 全魔力の九割以上を消費したうえ、肉体強化の許容量を遥かに超えた強化を行った反動が来ているのだ。

 今までのような急速回復はできない。膨大な魔力を背景にしていたため、枯渇寸前の状況では話にもならない。

 死んでいないだけマシ、という状況である。動くことさえままならない。全身の筋肉が断裂し、激痛が身を焼く。

 でも、サラはなんとなく清々しさを感じていた。

 あれだけの強者と戦い、生きている。自分だけの力では勝てなかったが、しかし学ぶことは多く、後につながるものを得た。それだけでも大収穫だ。あとは次の層にいるという神族に会えば、今回の目的は完遂となる。

 が、しばらくは動けない。どうやらこの第五階層には魔物はいないようなので、一眠りするのもいいだろうか。

 そう考え、サラは適当にある程度強固な結界を張って、目を閉じた。






 数時間後、じっくりと休んだサラは本調子でないことを自覚しながらも第六階層へと降り始めた。

 万全でない状態で未知の場所へ挑む危険が分からないではないが、しかしこれ以上時間を掛けても食料や水の不安が出てくる。なので、目的の神族が出来る限り早く見つかることを祈りながら階段を下りて行った。

 長い長い階段。最初に第一階層へ降りるときよりも更に長い。何の意味があるのか、と訝しんでいると、やがて第二階層へとたどり着く。

 そこには、目を疑う光景が広がっていた。

 第一層も地下なのに森林だったが、この第二層も狂っている。

 それはよく分からない透き通った鉱物の結晶が林立する、いわば水晶の森。実際には天井のある洞窟らしいのだが、常に輝く宝石輝石の光のせいで全体が明るく照らされているらしい。

 近くにあった鉱物をへし折って手に取ってみると、ずっしりと重いようで、羽のように軽くも感じる。恐らくは重力を緩和する力があるのだろう。これ一つで地上の常識がひっくり返るほどの大発見だ。

 ざくざくと水晶の砂の上を歩いていくと、階段から少し離れた広間に巨大な水晶柱があった。

 高さで数メートル以上もある水晶の塊。その中心に、あまりにも神々しい女性の姿が見える。

 もしや、とサラが思った時、水晶の中の女性が目を開け、僅かに微笑む。

 と、次の瞬間、水晶の柱が砕け散り、中の女性がサラの前に降り立つ。そして、コン、とサラの額を叩いた。


「人の身で、かのマンティコア・ジェヴォーダンを倒せる者がいるとはね。無茶しすぎにもほどがある。もっと自分の体を労わりなさい」

「……わたくしの、今の体調が分かるのですか?」

「これでも神族だよ、分からないものかね。お前の体は、死んでいないのが不思議な状態だ。無理な術式で肉体の復元を行ってもいる。無茶をしなければ勝てない相手だとしても、死んでは元も子もない。

だが、見事。マンティコア・ジェヴォーダンは戦闘能力だけなら最上級魔族にも手が届くほどの化け物。単騎で一国を滅ぼせる戦力だった。それを倒すという試練を乗り越えた者よ。汝に幸いを与えよう。

お前は何を望む? 私はかつて天の御使いとして、試練を乗り越えた者に相応の恵みを与えてきた。今でもその性質は変わらない。試練には見合った報酬を。さあ、言うがいい。お前は何か望みがあってこの場所へ降りてきたはずだ」


 古の神族は悠然とした笑みを浮かべる。水晶のかけらを周囲に浮かべる彼女は、ただ笑んでいるだけでもサラを圧倒する何かを秘めている。戦いの力ではない。これは、きっと、神族としての精神のありようがそうしているのだろう。

 つい先ほどマンティコアの力の大きさに気圧されたりはしたが、まさか力以外に圧されていることに胸中で苦笑しつつ、サラはここへ来た本題を口にした。


「――『加護』と『覚醒』、その専門家が貴女だと聞き、その知と力を御貸し願うために参りました。わたくし達に助力してくださいますか?」

「……その願いを聞くには少々試練が足りない。だが、話だけは聞かせてもらおう。お前はもうすぐ更なる試練を得るだろう。その結果を見て、お前の願いを叶えようではないか。

とはいえ、マンティコアを打倒するほどの試練を乗り越えた者に、すぐ渡すものがないというのは心苦しい。まずは智を貸し与える。そうだな、手始めにこの迷宮の隠された機能をお前に授けよう」


 ついて来い、と言って、古の神族は水晶や針状の鉱物で構成される砂の上を裸足で歩いていく。彼女の行先はサラが今来た第五階層への階段のようだ。

 痛くないのだろうか、とサラは訝るが、気にしていても仕方がない。とりあえず、彼女へとついていく。

 階段の前まで来ると、神族の女性はサラに隣へ立つよう促す。


「とりあえず、私の後に続いて言え。『我、千変の樹海を踏破せし者』」

「『我、千変の樹海を踏破せし者』」

「『閉ざすものよ、我が意に従い、真の姿を見せよ』」

「『閉ざすものよ、我が意に従い、真の姿を見せよ』」


 それは、鍵。

 封印されし迷宮の機構を解き放つ鍵である。

 第一層を独力のみで踏破したものへと与えられる権能。迷宮に備えられている、隠された機構を解除する鍵呪だ。

 暗かった階段が、強烈な光を放つ。サラでさえも思わず目をつむってしまうほどの光。

 光が収まった後、そこには、やはり階段があった。しかし、今までとは違う。長い長い階段の真ん中辺りに巨大な広間が出来ていたのだ。


「行こう。面白いものがある」


 サラの返事も待たずに歩き出す女性を追い、サラも階段を上る。

 新しくできた階段の広間には、いくつもの魔法陣があった。どれも非常に高度かつ古いもので、サラでは解読しきれない。第一階層で見つけた鉱物やサラも知らない鉱物を使って、魔術の効果を引き上げているようだが、それ以上は理解できない。


「これは、各層への転送装置だ。ただし、今は地上への転送しか無理だな。まだ第二層までへの道しか開かれていない。だが、とりあえずは地上と第二層はこれで自由に行き来できる。ちなみに、数が多いのは特に意味はない。作った側が、きっとここに挑むのは大勢になるだろう、と想定してたくさん作っただけだ。どの層に行くかは自分で決められる」

「……貴女は、この迷宮を作った方の一人ですか?」

「あっはっは、そんなわけなかろう。これを作ったのは神族ではなく、神だ。私は君達に力を貸すため、あの化け物どもに色々教えてもらっただけに過ぎんよ」


 豪快に笑い、神族の女性は魔法陣の一つに乗る。


「そういえば、自己紹介していなかったな。私はディル・ガ・ンジーグ・ディオール。第五階級神族だ。ディルでいい。お前の名は?」

「私はサラ・セイファートと申します。これから、よろしくお願いします」

「うむ、試練の与えがいがありそうな時代だしな」


 ニィ、と笑うディルにそこはかとない不安を覚えながらも、サラはぺこりと頭を下げて一緒の魔法陣へと入る。

 その一秒後には、二人の姿はどこかへと消えていた。

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