第十六話
ティエの街にある教会の奥、司祭が普段の仕事をする部屋。
そこで、高司祭と一人の男が話をしていた。
「どうも冒険者協会が随分と凄い何かを手に入れたようです。彼らが守護者と称する強大な魔物を撃破して得たみたいですね」
「……詳細は?」
「不明です。ただ、武具の類ではないようですね。迷宮を攻略するうえで、そこまで重要なものでもないと思われます。下っ端を酔わせて聞き出しただけなので、それ以上の情報は持っていませんでした」
淡々とした男の説明に、高司祭は嘆息しつつも頷く。冒険者協会への侵入を一度試みさせたが、しかし一瞬で察知されて排除されたからだ。一流の諜報員の侵入を容易く察知する冒険者協会をほめるべきなのだろうが、流石にやられたのが自分の子飼いではそういう気分にはなれない。
とりあえず自分を納得させ、高司祭は口を開く。
「まぁ、そんなものか。魔物が持っている物で凄いというと、龍玉だのそのあたりだろう。しかし、守護者と言うと、あれか。うちの騎士を食い殺した魔物と同じくくりか。
しかし、魔術師協会の連中はどうやってあんな化け物を倒しているのだ? 私も幾らか話を聞いたが、第一階層の巨大トカゲなら忌々しいサラ嬢以外でも討伐記録があるそうだが」
「あのトカゲは攻略法が確立できそうだとか聞きましたよ。神化銀や第四階層の魔物の素材で出来た盾を持った前衛が攻撃を抑え込み、後衛が魔術で袋叩きにするのだとか。一体に付き三時間ほど掛かるそうですが、なんとかなるそうです」
聞いて、高司祭は一瞬唖然とした顔をし、すぐに真面目な顔をして考え込む。
彼らラウドラント法国が迷宮攻略に派遣した騎士は三十四名。そして、その内の七名が『恐なる劣竜』にやられ、十名が通常の探索で死亡している。つまり、派遣された騎士は文字通り半減しているのだ。もう戦力を減らすわけにはいかない。
また、神化銀は伝説級の素材で産出量が極めて少ないし、現段階で第四階層の素材を潤沢に使えるのはサラを擁する魔術師協会の者だけだ。ちなみにラウドラントの本国には神化銀製の武具があるが、そういうものは法王直轄部隊が占有しているので回ってこないので意味がない。
ついでに言うなら、騎士は基本的に前衛向きであって後衛向きの能力を育てている者などほとんどいない。聖騎士と呼ばれる上級騎士が神聖魔術を使えるぐらいだろうか。あとは弓を多少使える者がいるぐらいだ。
「我々も真似したいが、盾はともかくそんなに魔術を使える者がいないな。そうだな、魔術が不可欠ならサラ嬢を排除しても、どっちにしろ我々や他の騎士団は深くへ進めなくなる。魔術師協会や冒険者協会に要求してみるのも悪くないな。
他の騎士団や、冒険者も似た悩みはかかえているはずだ。声を揃えて要求すれば、そつのない奴らのことだから、すぐにある程度の対策を取るだろう」
「よろしいのですか? 魔術師協会に借りを作ることにもなりかねませんが」
「構わんよ。我々だけが借りを作るのではなく、他の国や個人も同時に借りを作るのだ。そもそも、流通している魔術薬の大半は魔術師協会に属する錬金術師が作ったものだし、魔術師協会が街に設置している治療所なども借りと言えば借りだろう。
あそこは所詮、戦闘員非戦闘員合わせても千人ほどの組織だ。戦力としては常識外れに高いが勢力としては小規模だし、土地を乗っ取ろうとしているわけでもない。やっていることも利益の出ることではないしな。
魔術師協会の歴史や施策を見る限り、あそこは上に立とうとしているのではなく、むしろ他に混じろうとしていると言った方が正しい。力を持つがゆえに、一般から外れてしまっているが故の悩みだろう。なら、借りを作ってやるのは、こちらが恩を売っているのにも等しい。それに、魔術師協会が大きくなるということは魔術師そのものが多くなるということでもある。悪いことではないぞ」
言いながら、高司祭は計算を始める。魔術師協会が大きくなり発言力が強くなるのは鬱陶しいが、よく考えると強くなってもそう問題はない。その発言力に応じた責任を背負わせてやればいいのだし、上手く使えば外部の相談役にできる。海千山千の猛者が揃っているのが問題だが、どうせ魔術の研究と魔術師同士の互助を行うだけの組織なので、正面から喧嘩を売るのでなければ規模は大きい方が心強い。
それに文句をつけても度が過ぎなければ要求を呑んでくれるので、支払う対価さえあれば中々の取引相手でもある。
「はぁ。ですが、サラ・セイファートは排除するのですよね?」
「当然だ。彼女だけが他と隔絶しているからな。我々より少し速く攻略している、という程度なら何の問題もないが、他の数倍の速度で攻略しているというのは脅威でしかない。彼女がもたらす地図や魔物の情報などは有益だが、逆に言えば下見をされてしまっているということでもある。都合の悪いところを地図に描かなかったり、有益な資源を持ち去ったりするぐらい朝飯前だろうしな。
そんな存在をいつまでも野放しにしておくほど、私の頭はお花畑ではないぞ。今日こそは彼奴を排除するための情報を持ってきてるだろうな?」
とはいえ、魔術師協会全体は有益な存在でもその構成員に問題があれば、個を排除することに躊躇う必要はない。全体を相手にするのではなく、あくまでも個人対個人とし、そして後腐れがないよう契約をしておかなければならないが。
そう、『個人』対『個人』の構図に。
組織を持ち出すことは出来ない。あくまでも高司祭の独断専行としなければいけないのだ。
そんな高司祭の胸中の覚悟を知ってか知らずか、男は口を開く。
「確証がなく、しかもとびっきりの危険を伴う情報でよろしければ、一つ仕入れることが出来ましたが……」
「言え。どんな情報でも構わん」
「……迷宮に、どんな願いをも叶えられる悪魔がいるそうです。実際、願いを叶えてもらった騎士が数人存在し、その仲間と話をすることが出来ました。現在の人間には不可能な願いを易々と叶えてくれたそうなのですが……」
「魂と引き換えにする、か?」
「はい。願いを叶えてもらった人物は例外なく死んでいます。そして、叶えてくれる願いも、その魂と意志の強さにつり合うものでなければダメだと言っていました」
舌打ちし、軽く頭を抱える高司祭。
サラとの戦闘で命を失う覚悟も、その後失脚して地位を失う覚悟もあるが、神と敵対する者に魂を取られるのは聖職者としてあまり嬉しい話ではない。
だが、この上なく使える情報だ。
「厄介な。しかし、悪魔か……魔族ではないのか? いや、魔族に願いを叶える力があるなどとは聞いたこともないが」
「本人が悪魔だと名乗ったそうです。そして、その大層な呼び名に相応しいだけの強大な力を持っていたようで」
「試してみる価値はある、か。しかし、私が直接潜れるぐらいの深さにいるのか?」
「第一階層の終わり辺りにいるそうですよ。地図も経路も完全なものがありますし、我らの騎士団も第一階層ならあのトカゲを除けば問題なく進めるので、実行は不可能ではないかと」
頷き、高司祭は軽く頭を巡らせる。第一階層を踏破出来ているのは魔術師や騎士、歴戦の傭兵ぐらいで他の者達はまだ半ばまで進めていればいい方だ。つまり、篩を掛けられているということか。最低でも第一階層を踏破出来るだけの能力と覚悟を持ってこい、と。
面倒だが、しかしこういうものは壁が大きければ大きいほど手に入る物も大きくなるのが常だ。どうせ他に良さそうな情報は入ってきていない。ここに全部賭けるのも一つの手だろう。
「ふむ。とりあえず、会ってみる価値はあるか。よし、今からすぐ、というわけにはいかんが、接触する方向でことを進める。お前たちはその叶えてもらった願いや、叶えてもらえなかった願いを調べてくれ。直接、サラ嬢を排除出来るのか、それとも我々が排除することになるのか見極めてから動きたい」
「了解しました。では、こちら一本に絞ってよろしいですね?」
「ああ。こっちは自分達で排除することになった時のための人員選抜を行っておく。頼んだぞ」
「御意」
男が頭を下げてから出ていくのを見送り、高司祭は深く嘆息した。
待つのはどちらにせよ、死。それまでに後任への引き継ぎを終えなければ、と。
「で、こんな山みたいな量の陳情書が届いた、と」
「はい。現場の魔術師や、冒険者の活躍を見た街の住人からの要望も混じっています。要求は大まかに分けて三つ。
一、魔術師を他の冒険者の部隊にもよこせ、または魔術師を養成する教育機関を作れ。
二、冒険者同士のいざこざ解決兼、強さを競うための決闘場が欲しい。
三、安くてもいいから、必ず素材を買ってくれる場所が欲しい。
ですね。最初のは派遣されてきてる騎士団の長や、傭兵からの要望です。やはり迷宮攻略の上で、魔術はかなり重要だと思われてきているようです。
二番目は幅広く皆さんからです。魔物を倒したりする冒険者はティエの街では一種の英雄視されているようで、言ってしまえば見世物が欲しい、というところでしょうか。
三番目は新しく参入する方々ですね。希少素材以外は在庫がだぶついている状況ですから、今から迷宮に潜ろうとする方々にとっては販路の確保が難しいようです。まぁ、魔術薬などはまだ必要最低限しか供給できていないんですが」
白妙の塔の頂点で、ブリジットは嘆息する。
どれも実現に時間のかかる案件だ。ある程度早く実行できるのは三番目ぐらいだろう。それでも色々と問題はある。ただ、どれも順次行う予定だったことなので、多少予定を繰り上げ、いつ実現できるかを公表するぐらいでいいだろう。
「……まぁ、なんとかするしかないわね。で、こっちは置いといて、どう? 隠居のじー様やばー様は教師役に引っ張り出せそう?」
「本人達も乗り気になってきてます。まぁ、隠居したと言っても弟子が立派に後を継いだというだけの方々ですからね。ちょいと自尊心をくすぐってやれば、すぐでしたよ」
報告しつつ、秘書は苦笑する。隠居の老人達との話し合いを思い出したのだろう。隠居と言っても元気に溢れている連中なので、面白いぐらいに乗ってくれたに違いない。
その様子が大体想像できるのか、ブリジットも苦笑を漏らす。
「老け込むには若いものね。何人ぐらい動いてくれそう?」
「二十人ぐらいですかね? 主力級を相手に圧倒できる御方も何人か混じってますよ」
「あー、強さは年齢に比例する、とか断言した化け物が何人かいたわねぇ。枯れ木みたいな体して竜種を磨り潰せる連中が。まぁ、良いわ。んじゃ、その方々に教育方面に加わってもらいましょうか。錬金系は生涯現役ばっかりだったけ?」
笑いながらワイバーンを粉砕し、トロルと素手で殴り合う老人達を思い出しながら、ブリジットは次の話題を口にする。
「はい。御年百六十を数えるご老体を筆頭に向こうの最前線で鎚とフラスコを手に、魔道具を量産してます」
どうやら、魔術師の老人は大抵が人の枠を踏み越えているらしい。
秘書もブリジットもそれが当然とでも言わんばかりの表情で話を進めていく。
「エルフとかドワーフでもないのによく生きてるわよねぇ、あの筋肉の塊。実戦派じゃないのに、なんであんなに鍛えてるのかしら。
よし、じゃあ、錬金や薬学系も研究職は一か所に集められるよう、でかい施設を作りましょうか。いっそ、教育関係もまとめて、学園を作ってしまうのも手ね。各国から研究者や錬金術師等を募ると、幅広い発想が出来そうね。
あ、これで一つ目と三つ目は解消できそうじゃない。とりあえず、交渉部隊に各国の学者や研究者を集めさせて……一か月を目処に事を進めましょう。集まってくれた連中にはうちの研究成果を一部公開の形を取れば、そこそこの数は集まるはず」
「建物は一か月で大丈夫ですか? 規模を考えると、かなり厳しいことになりそうですが」
「最初はそう大きくなくていいわ。増改築を繰り返すの。建材は私が手配するとして、建築は『創造の指』に動いてもらいましょうか。こっちも私が言っとくわ」
「十二使徒が、もう一人動くんですか。久しぶりですね」
一瞬驚いた表情をした秘書だが、すぐに笑みを浮かべる。とても楽しそうな笑みだ。ブリジットも同じような笑みを浮かべ、二人で笑いあう。
「ま、あの大じい様に任せとけば闘技場の方も楽だからねぇ。ふふ、たまには本物の魔法の使い手の手並みを見せつけておくのも悪くないわ。さて、とりあえず動きましょう。関係各所への連絡、頼むわよ」
「任せてください!」
それまではどこかくたびれた様子の秘書だったが、溌剌とした動きで部屋を出ていく。それを人の悪い笑みで見送ったブリジットは壁に掛けられた幾枚もある小型の肖像画を見る。
一番端にある肖像画に頭を下げ、ブリジットは神妙な表情で『ごめんなさい』とだけ呟く。
そして、何かを振り切るようにして、執務室を後にした。