第十四話
暗い部屋にいる数名の男女の内、最も年かさの男性が深いため息をついた。
「で、結果はどうなんだ。最近、あまり芳しい答えを聞いた覚えがないんだがな」
男性はそう言って、法衣の裾を揺らす。暗い中でもはっきりと分かる純白の法衣。一つの修道院を任される高司祭が纏うことの許されるもので、豪華なものではないが上質の綿織物で出来た高価な代物だ。
そんな彼のほかは、真反対に黒系統の服装で統一されており、出来る限り目立たないよう工夫の施されたいでたちである。
「……標的は恐るべき能力の持ち主です。この三日で七人やられました。残念ながら、我々ではあれをどうにかするのは不可能です」
黒い集団の一人が、弁明するように口を開く。いや、弁明ではなく事実の報告か。どうあがいても攻略不可能な化け物の監視を、彼らはよくやっていると言える。
だが、彼らの上司である高司祭にとって、そんな『よくやっている』程度のことは関係ない。結果が出ていなければ、過程がどうでも意味のないことなのだから。
「そんなことを聞くためにお前たちに金を掛けて養成してきたわけではないことは分かっているな? 最低でも弱味の一つぐらい握ってこい」
「お言葉ですが、現時点では一秒以上彼女を見張っていると、その時点で消されます。追跡などしようものなら最初の一歩を踏み出すと同時に丸ごと焼却される始末でした。正直、あれが人間だとは信じられません」
青い顔をしながら、黒い集団の代表が答える。彼らにとっては悪夢にも等しい出来事だったのだ。一切の先触れなしに仲間が目の前で燃え尽きる様子など、二度と見たくない類のものだろう。
流石にその答えは予想外だったのか、高司祭はぽかんと口を開けるが、すぐに自分を取り戻し、嘆息と共に言葉を絞り出す。
「なんだ、それは。なら、あれ以外で近い者を探ればいいだろう。奴は冒険者協会によく通っているのだ。侵入でも何でもして、情報を持ってこい」
「魔術師協会の工作員は世界屈指ですよ。冒険者協会の建物に冒険者に紛れて入りましたが、執拗なぐらいに防諜用魔術を張り巡らせています。下手に入れば、我々の所属から何まで逆に根こそぎ奪われかねません」
黒い集団の代表から帰ってきた言葉に、高司祭は頭を抱える。それは魔術師協会などという国を跨いで活動する怪しからん組織が、数百年に渡って存在し続けている理由の一端だからだ。
頭痛がする、などという段階はもう彼方に過ぎ去っている。今までに数々の苦難を乗り越えてきた高司祭にとっても、今度の難事は解決する糸口さえ見つからない有様だった。
「……そういえば、魔術師協会を探ろうとする草は三日で失踪するという噂があったな。それは本当だったということか。
しかし、今のままでは魔術師協会だけに名声を集めることになる。サラ・セイファート、あれをどうにかせねば、我々の威光は地に落ちかねん。ただでさえ、我々は巨大トカゲのおかげで貴重な騎士を七名も失っているのだ。最早、本国に私の居場所は存在しないだろう。
だが、迷宮に挑んだからには我らが誰よりも早く攻略を進めねばならないことは分かっているな? 他国の騎士に我らが劣っているということはない。最低でも互角の力量がある。魔術師どもに先行されているが、それは奴らに一日の長があるに過ぎん。いずれ追いつける。
しかし、あのサラとかいう小娘だけはいただけん。既に第四階層に到達しているだと? ふざけるな! 我らが綿密な計画の上で第一階層を突破し、第二階層へ歩を進めたところだというのに、どうなっているのだ!
なんとしてでも彼奴を排除し、我らが威光を取り戻さねばならない! そのためにはどんな手段をも用いよう! なんでもいい、貴様ら、奴を排除する手立てを持ってこい! 可能性があるならば、それだけで構わん!
どうせ殺されるだけで情報が手に入らんのなら、奴を監視する必要もない! なんでもいい、なんでもいいから情報をかき集めてこい!」
ドン、と高司祭は壁を殴る。信徒の前では見せられない醜態だが、逆に言うのならそれほどまでに厳しい状況であることを示している。そして、この黒い集団を信用している証でもあった。
黒い集団もそれを分かっている。今まで目を掛けてくれて来た恩人がこの高司祭であり、彼への恩を返すべく闇の道へと足を踏み入れたのだから。
出された命令に応えるため、黒い集団は部屋を去っていく。
残された高司祭は、ただ頭を抱えることしかできなかった。
イーリスをソファに寝かせ、サラは近くに水差しを置いておく。
「では、わたくしは少しお話をしてきますので、休んでいてくださいね」
「……うん、分かった」
弱々しく頷くイーリスを撫でてから、サラは立ち上がった。そして、この家の主であるイャルに深々と頭を下げる。
「急な訪問にも関わらず、色々とありがとうございます」
「いやいや。礼を言われるのにはまだ早い。まずはそちらの本題を聞かせてもらおう」
「はい、では、まずはこの質問状を読んでいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「わざわざ状にしたためて来たのか。どれ、見せてもらおう」
サラが出した封筒を受け取り、イャルは丁寧に封を開け、中の書状に目を通す。
ふむふむと何度か頷き、どこからともなく取り出した羽ペンを書状に走らせ始めた。
「質問など受けたことがなかったが、こうして答えるのはなかなか面白い。この紙に書かれた問いは数が多く、答えを書き終えるのに時間が掛かる。その間、君も暇になるだろうから、何か聞きたいことがあれば言ってみたまえ」
質問状に目を落とし、軽快にペンを走らせるイャルにそう言われ、サラは幾つかの質問を頭に浮かべる。
そういえば、聞きたいことはいくつもある。答えてもらえるかどうかは別として、サラは口を開く。
「貴方を含めてなのですが、どうも古い魔族や魔物にはわたくしの索敵魔術が通用しない者がいるようなのですが、何故か分かりますか?」
「索敵魔術? ああ、さっきからずっと君が展開しているこの魔術かね? 何故かと言われると困るが、まぁ我々は存在自体が魔力の塊というか、魔術の類は手足同然だからね。これぐらいの魔術なら、無意識に同調して透過してしまうかな。
君の、というか君たちの言う索敵魔術は術式の性質から見るに、魔力反応や生命反応を魔術的な波で走査するものが多いようだ。それに殺意や敵意の有無などの情報収集を合わせている。優秀な術式だが、反応だけを探すから我々には通じないのだな。
他のはどうか知らないが、君は随分と優秀な能力を持っているようだし、たとえばこんな術式にすれば我々を発見するのは容易くなるだろう」
言うと同時に、イャルは魔術を発現させる。その術式を脳裏に刻み込んだサラは、ゆっくりと自分なりにその術式を咀嚼し、自分用に作り変えていく。
複雑なものではない。サラが答えを出せなかった難問の模範解答の一つであるだけあって、高い技術を必要とはしない魔術だ。だが、魔術自体の難度は低いが、それを使う肉体の方にかなりの練達を必要とされそうである。
「……この魔術の名前を伺ってもよろしいですか?」
「ふむ? ああ、なんといったか。ワイド・テレスコープと、人族は呼んでいたな」
「では、わたくしもそれに倣います。ワイド・テレスコープ」
言葉と共に魔術を発動させる。その瞬間、サラは両の目とは別に、遥か天上から見下ろす映像を認識した。
訓練を積んでいればどうということもないのだろうが、しかし所詮は両の目を持つだけの人であるサラにとって、その視界と高高度からの認識は苦痛と同義だ。
一度目を閉じ、サラは魔術を解除する。これ以上発動を続けるのはまずいという判断だ。
しかし、良い目標が出来た。使いこなせばかなり探索がはかどることになるだろう。
「我々のように肉体への依存度が低い者にとっては容易い術だが、肉体が基盤となる君たちには辛い術だろうな。君の魔術の才能なら、もういくつか習得できそうだから、機会があれば教えよう。他に質問はあるかね?」
イャルは苦しむサラの方を見もせずに淡々と言う。
とりあえず深呼吸し、苦痛と視界の揺れを抑えたサラはちらりと質問状を見てから口を開いた。
「……そこに書かれている質問と被るかもしれませんが、よろしいでしょうか?」
「構わんよ。気にする必要などない」
「では、お言葉に甘えまして。願いを叶える、とお聞きしましたが、それは何故でしょうか。何か貴方に利点があるのですか?」
「ん? 利点などどうでもいいことだ。私は本当の意味で古い魔族でね、御伽噺に出てくるような悪魔なのだよ。すなわち、対価と引き換えに願いを叶える力を持っているわけだ。
悪魔は魂と引き換えに大きな願いを叶える。悪魔と契約したものは悲惨な末路を遂げる。分かるかね? 私はそういう意味での正しい悪魔なのだ」
「御伽噺に出てくる悪魔、ですか。それは強い、という意味でしょうか?」
「強くはないが、無敵ではある。強弱は私には関係ない。文字通り、敵が無い。願いを叶える、という性質を強く持つがゆえに、私は戦闘能力を持たず、ほとんどの攻撃を透過する。何にも縛られず、誰にも束縛されない。私を戦闘で滅ぼそうと思うなら、君の持つ神器『砕くもの』の秘める能力を用いるか、私より上位の存在を持ってきて殺させるぐらいしかないだろうな」
言って、イャルは悪魔らしい笑みを浮かべる。人を嘲るような、人の心を逆撫でするような、そんな笑み。
強者の顔ではない。弱者の顔ではない。枠から外れた者がする笑み。それは道化の顔であり、隠者の顔である。
知恵を与え、人を惑わす悪魔は言葉を続ける。紳士然とした内側に潜むものをにじませながら。
「それと、言っておくが、私は今の人間――人族ではないぞ、人間だ――と敵対する気は一切ない。
私は見たいのだ。己の命を、魂を賭けてまで願いを叶えようとする人間を。その願いを。そして、その願いが悪魔によって叶えられたと知った時の残された者の顔を。自分の命が他者の命で贖われたと知った時の助けられた者の慟哭を。
心ある者がふとした時に手にする身に余る願い。叶えられないはずの願いが叶うと知った時の喜びと、それと引き換えになるのが己の命だと知った時の絶望を! 全てを覚悟し、我が前に立った時のあの強き瞳を!
ああ、ああ、人とは斯くも素晴らしい生き物だと思い知るあの瞬間! 昔の魔族や神族はそういう意味では駄目だった。命を捨ててまで願うものがなかった。だが、今の、今を生きる者達は誰も彼もが素晴らしい願いを抱えている!
こんな、こんな素晴らしい時代に目覚めたのだ。敵対などするものか! 敵対などしたら、私の生きる楽しみが無くなってしまうではないか!」
陶然と、熱く語るイャル。その目は冷静で冷徹で、どう考えてもこんな語りをするようには見えない。
熱を持ちながら、同時に冷めている。狂っているようで、全てを俯瞰するだけの理性を持つ。
これが上級魔族。これが悪魔か。
サラは自らの心胆が冷えるのを自覚した。グレンデルの悪魔の言葉が正しいのなら、このイャルと同格の存在と近いうちに一戦交えなければならないだろう。
嘆息し、手を握り締める。絶望にはまだ遠い。今は自分のやることをやるべきだ。
「……質問を続けてもよろしかったでしょうか?」
「ああ、続けたまえ。ただし、言っておくが我らには回答出来ない問いがある。回答出来なくても、悪く思わないでほしい」
「分かりました。その質問状にも書いてあるかもしれませんが、迷宮深層への攻略を可能とするものを増やす方法はありませんか?
現状ではほとんどの者が第一階層さえ踏破出来ていません。地図があり、魔物の情報が公開されているのに、です。どう考えても、難易度が高すぎます。それを考えると、昔は自分または他者を強化する方法が存在したのではないでしょうか?」
「いい発想だ。強化とは少し違うが、それに類するわざは存在した。すなわち、『加護』と『覚醒』だ。どちらも私は専門ではないため詳しい説明は省く。第六階層で眠りについた友人の神族がその専門家だったはずだ。誰かに冷たく当たる存在ではないから、礼儀正しく迎えるといい。
だが、分かっているな、サラ・セイファート。第六階層に辿り着く前に越えねばならぬ存在がいることを。この迷宮が何を封ずるために作られたかを。心して進むがいい。魔獣の王が君を迎えるだろう」
「――分かりました。その存在を討ち、第六階層への道を開いたなら、またここへ伺います」
「頑張りたまえ。さて、君の連れも無事回復したようだし、私も質問状への回答が終わった。次に君が来るとき、その時を楽しみにしていよう」
言いながら、イャルは回答を書き終った書状を元のように折りたたんで封筒に戻し、それをサラに差し出す。
封筒を受け取ったサラは、立ち上がって一礼する。
「ありがとうございました。では、わたくしどもはこれで失礼いたします」
「気を付けて帰るように。夜の魔物の危険度は分かっているね?」
「はい。重々、警戒を強めて帰ります」
頷き、サラはイーリスを抱き上げて、家から出ていく。
家の外まで見送りに来てくれたイャルにもう一度頭を下げてから、サラは夜の迷宮を飛翔していくのだった。