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ガイラルの迷宮  作者: 光崎 総平
第一章 始まり
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第九話

 パタパタと蝶が飛ぶ。

 迷宮内に生息していた蝶だが、地上の花の蜜も口に合ったらしい。イーリスと戯れつつ、花に止まって蜜を吸う姿は普通の蝶にしか見えない。

 そんな蝶を見つつ、サラは嘆息する。どうしたものか、と。

 正直なところ、この蝶をどうするかの判断は上層部でも割れている。イーリスと同じく、まだたったの一個体しか発見されていない蝶のため、懐いているイーリスとその保護者のサラに預けるという意見。そして、所詮は蝶のため、研究のためにばらしてしまえという意見だ。

 今はブリジットの根回しで前者の意見が大勢のため、蝶はサラに預けられている。だが、問題はサラが迷宮に潜っているときだ。

 まだ迷宮に潜る時間は短く、行うのも本格的な探索のための前準備のような段階だが、それでも数時間は潜り続ける。そのときに蝶をどうするのかが問題なのだ。

 今は大きめの籠に入れて、司令部に詰めている女性が世話をしてくれているが、いつまでもそれに甘えるわけにはいかない。

 とりあえず攻略のめどが立ってきたので、ブリジットや長老と相談していることを実行に移すべき時が来たのかもしれない。

 魔術師協会がもうすぐやろうとしていることに、その実行はかなりの好影響を与える。あとはいつ実行に移すかだ。

 サラが蝶を連れ帰ってから一週間たった今、腕の立つ協会員に迷宮内の素材で作った武器を配布して、その性能の試験を行っている段階にある。迷宮内で採れる薬草や果実は魔術薬にされて、臨床試験を行っている。とりあえず重大な副作用は見られず効果も劇的なため、遠からず配布されて、この街に実地での研究を臨む錬金術師や魔術調薬師が派遣されるだろう。

 そうなってくると大きくなってくるのは魔術師協会以外で迷宮へ挑もうとしていた者達からの反感だ。まだ攻略が始まって一週間強のため、反感はさして大きくなっていないが、その内爆発するのは目に見えている。その対策も、魔術師協会の行おうとする策には含まれていた。

 あとは協会員以外でも生存できるだけの準備を整えるだけ、それほどの段階にまで達しているのだ。

 まぁ、今のサラにとってはそんな大きな問題よりも、身近な問題の方が重大だった。


「あの蝶にも、名前を付けないと駄目なんでしょうか……」


 サラは嘆息しつつ、イーリスと戯れる蝶を見やる。

 名前のない存在にとって、名前を得ることは力を得ると同時にそれ以前を失うことと同義だ。名はかたち、かたちは力。縛りのなかった存在が、その名前によって縛られることとなる。そう、イーリスと同じように。

 悪用されかねない事実のため、サラはこのことを協会長たるブリジットや信頼のおける『雷帝』ぐらいにしか話していない。そのため、イーリスと蝶については全責任をサラが負っている。仕方がないのだ。

 一応、他の迷宮内で発見されたものは神話や地名に基づいた種名が付けられている。しかも、現在だと魔術師協会の円卓会議で合議の上で名付けが行われるため、余計な心配がいらないのだ。

 嘆息する。イーリスや世話をする職員に名前を付けてほしい、と再三急かされているのも、サラの憂鬱に拍車をかける。

 とりあえず、サラはイーリスと戯れている蝶を見やる。

 今日は久しぶりの休みのため、昼間からこうして草原で遊べているのだ。無暗に速い蝶とそれを平気な顔で追いかけるイーリス。なんだか、最近イーリスの行動速度が上がってきている気がする。ちょっと前までは子供らしい動き方だったのに、今では狩人のような鋭い動きになっている。

 複雑な思いを抱えつつ、サラはそろそろ本格的に動き方の指導をした方がいいかと考えていた。

 今のように自由に遊ばせているのは、イーリスを戦力にしようとは思っていなかったからだ。しかし、やたらと身体能力の伸びが良いイーリスを見ていると、遊ばせておくのがもったいなくなってくる。何せ、十歳児程度の体でしかないのに、大型猛禽並の速度で飛翔する蝶と追いかけっこが出来るのだ。今から指導していけば、数年としないうちに素晴らしい戦力になるだろう。

 が、サラとしては率先して戦力に育て上げるつもりはない。サラ自身の戦闘能力が飛びぬけているため、周囲に更なる戦力を置けば必要以上に耳目を集めることになるからだ。しかし、サラも迷宮に潜る都合上、最も身近にいるイーリスが戦闘能力を持たないというのも不安ではある。何かよからぬことを考えた者が、イーリスを狙わないとも限らないからだ。

 しばらく悩んでいたサラだったが、やがて覚悟を決めたようにイーリス達に近づいていく。

 イーリスも蝶も、迷宮を故郷とする。ならば、自ずから迷宮へと潜るようになるだろう。そのときに必要な力がなければ、迷宮への挑戦さえできない。そんなことがあってはならない。

 だから、サラはイーリスを戦える者へと育て上げることを決めた。


「イーリスちゃん」


 ただし、選択はさせるべきだ。重要な分岐は、自分で選び取らなければならない。与えられるままに、享受するものではいけない。

 唐突に駆けられた声にも、イーリスは笑顔を浮かべる。しかし、サラの声に含まれた真剣さに、キョトンとした表情になってしまう。


「強く、なりたいですか?」


 イーリスにとっては不意の質問だ。答えられなくても仕方がない、そう思いつつ、サラは言う。

 僅かな時間、サラを見上げていたイーリスだったが、すぐに精一杯真剣な顔になってサラを見上げた。幼いためか、真剣な顔と言っても可愛らしいものだが。


「うん。強くなりたい」

「どうしてですか?」

「お姉ちゃんに並びたいの。それで、わたしも誰かを助けられたらいいなって、そう思う」

「そうですか。分かりました。では、もう一つ」


 言って、サラは蝶をキッと睨む。

 一週間、まがりなりにも観察してきたのだ。いくつか気付いたことはあるし、その中でもこれだけは確認しなければならない、ということがある。


「蝶の貴方、わたくし達の言葉が通じていますね?」


 強く、強く意志を込めてサラは蝶へと話しかける。

 一切の韜晦を許さぬ強い視線。サラほどの術者がこうして睨むのならば、邪眼として機能しかねないほどの。

 しばらくその場で飛び続けていた蝶だったが、やがて諦めたようにサラの手にとまった。


『何の用かなぁ。でも、よく分かったねぇ。あたしが言葉を理解してるってぇ』


 甘い、間延びした声がサラの脳内へと響く。

 念話だ。今では特化した専門の魔術師以外では習得が難しいされる高等魔術。サラの周囲には教えてくれる人がいなかったので使えないが、高位の魔術師であれば使えるようにはなるらしい。ただ、かなり習熟していないと不要な情報まで相手に伝えることとなるため、使用には注意が必要な魔術とされる。

 それを、こうも無造作に使えるのか、この蝶は。


「貴方に、名前はありますか? 貴方の種族、または貴方というこの名前が」

『んふ、この時代にもいるかなぁ。かつてあった終わりを生き抜いたもの。つまり、この時代で言うところの古代種、中でも上位種って呼ばれる魔物の仲間ぁ。あたしは魔界の魔物の一種で、フェルミエールっていう種だよ。

でも、あたし自身の名前はないかなぁ。あったかもしれないけど、もう忘れちゃった。けど、なぁに? もしかして、名前を付けてくれる気だったの~?』

「ええ。せっかく一緒にいるのです。名前がないと、不便でしょうから」

『んふー。優しいねぇ、お嬢ちゃんは』

「優しくなんて、ありませんよ。やってもらいたいことがあるだけですから」


 そう、サラはこの蝶に頼みごとをしたいだけだ。だから、優しいのではない。利用するだけだ。

 軽く胸を刺す罪悪感を覚えるが、サラはその感情を黙殺する。

 しかし。


『そういうところが、優しいんだよ』


 蝶の甘ったるい声に、苦笑するようなニュアンスが混じる。サラは胸の痛みを表情には出していないのだが、よく分かるものだ。もしかしたら、目で見ているのではないのかもしれない。

 ちょっと不意を突かれたので、サラは軽く目を背ける。が、すぐに思い直して蝶を見つめた。


「では、よろしいですか?」

『うん、いいよ~。ああ、それと、一応言っとくけど、あたしは別に名前を付けられたからって劇的な変化はないよ。一応、これでも古くから存在していて、種の名を地に刻んだ存在だからね』

「そうなんですか。少し安心しました」


 ほっと息をつくサラ。大きな変化がないのなら、そう緊張するほどの事でもない。

 あとはこの一週間、悩んで思いついた名前を口に出すだけだ。


「では、貴方の名前はオリオールです」

『オリオール。うん、じゃあ、あたしは今からオリオールだね。えへへ、名前かぁ。いいなぁ、どれくらい振りだろ』


 浸るように、蝶――オリオールは軽く羽ばたく。

 一体どれほどの年月をその身に刻んできたのか。小さな蝶の姿からは読み取れない。ただ、言葉に秘められた重みは感じられた。


『それで、あたしにしてほしいことってなぁに?』

「――あ、はい。この子、イーリスちゃんのお目付け役というか、そういうものをしていただきたく思っています。イーリスちゃんをこれから本格的に鍛えますが、しかし同時にわたくしは迷宮の奥へと潜らなければなりません。他の人がまだたどり着けない、奥へと。

恐らく、数日以上に渡る期間、迷宮へ潜り続けることになるでしょう。その間、イーリスちゃんが無事に過ごせるよう、見ていていただきたいのです」

『ああ、そっかぁ。この子、珍しいし、誰かに手を出されちゃ困っちゃうもんね。いいよ、これでも古より存在を保ち続ける魔の血脈の裔だし、今では伝わらない魔導の数々で守ってあげちゃう』


 えへへー、と甘ったるい声で言葉を伝え、オリオールはサラの指から飛び立つ。そして、話は終わりとばかりに再びイーリスの周りを飛び始めた。イーリスも応じて追いかけっこが再開する。

 それを見て、サラは正しい走り方を教えるために立ち上がった。オリオールもかなりの速度で飛べるようだし、遊びの中で敏捷性を養えるのならば、ありがたいことだ。あとでオリオールと相談して、追いかけっこを訓練に変えてしまおう。

 苦笑と共にサラはイーリスに走り方を指導する。


 穏やかな時間が、過ぎていった。

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