プロローグ
空に照る太陽と、青々と茂る緑の木々。
空気はどこまでも清涼で、生きる活力を与えてくれる気がする。
そんな場所が地下であることを誰が信じるだろうか。分厚い岩盤の下に構成された、巨大な迷宮の一部であることを。
益体もないことを考えながらも、サラ・セイファートは周囲への警戒を怠らない。
突如出現した巨大な構造物、これに王宮が付けた名は『ガイラルの迷宮』であった。かつて、神々が作ったという迷宮にちなんだ名前だ。
送り込まれた数々の調査隊を全て壊滅に追い込んだこの迷宮へ、サラと他数組の命知らずが潜りこんだのだ。
他の者たちはどうか分からないが、サラは一応公的な依頼として送り込まれた最精鋭の一人だ。魔術師協会の長の直接の命令により、内部の調査及び可能であれば有益そうな試料を持ち帰ることを任務としている。
若干十五歳で魔術師協会長の懐刀にまで上り詰めた少女は、今どんな危険があるのかさえ分からない死地で孤軍奮闘していた。
「……周囲に魔物の反応はありませんね。ここで休みましょうか」
ぽっかりと開けた場所に出たため一度立ち止まり、ひとりごちながらサラは自分の周囲十五フィートを覆う結界を構成してその場に座り込んだ。
既に迷宮へと潜って三日が経過している。持ち込んだ食料と水は大半を消費しており、一度外に出て補給を考える必要が出てきた。収集出来た試料も多く、一度協会に戻って成果を報告するべきかもしれない。
だが、今は休憩が必要だ。常に気を張り続けることを必要とされるため、迷宮内では体力の消耗が激しい。また、内部に生息する魔物たちは外に生息するものよりも遥かに強く、緊張を強いられる場面が多かったのも疲労に拍車をかける。
常人に比べて桁外れともいえる魔力を有するサラでさえ、このざまだ。情報なく突入せざるを得なかった調査隊が壊滅的被害を受け続けたのも頷けるというものだろう。
「まだ全てを踏破は出来ていませんが、どうしましょう。協会まで戻るべきか、補給だけしてまた挑むべきか。手持ちのリバース・スペースにはまだ試料を入れる余裕がありますが、十分な数は揃っていますし……」
悩む。
サラは自慢の長いブロンドの髪を手で梳き、べとつく感覚に眉をひそめた。そろそろ女としてまずいぐらいに汚れてきている気がする。汗とかそういうのはまだしも、魔物の血の臭いがこびりついているのは、女としてというより人としてまずくはないだろうか。
と、結界内のため、そんな風に気を抜いていた時だった。
そう離れていない場所から悲鳴が響き渡る。声の高さからして、女性だろうか。それもだいぶ若い女性……下手をすれば幼い子供の可能性もある。僅かに索敵魔術を破棄した隙のことだ。己の愚にサラは歯噛みした。
意識を一瞬で戦闘用に切り替えたサラは、結界を破棄してそちらへと急行する。
膨大な魔力を背景に強化された肉体は容易く人の限界を超える。また、範囲と精密さに優れる戦闘用索敵術式は発動と同時に悲鳴の元とそれを襲おうとしている魔物を感知していた。
術式構成に時間のかかる攻撃術を用意する時間はない。サラは肉体強化の度合いを上げ、目視と同時に魔物にドロップキックをかましていた。
高速かつ高威力の一撃は、魔物を数十ヤードも吹き飛ばして太い木に叩きつける。人間なら木端微塵になっている威力だったのだが、流石に迷宮の魔物の体は頑強だ。
とりあえず攻撃術と防御障壁を準備しつつ、サラは自分が吹き飛ばした魔物を観察する。
巨大なイノシシがところどころに鉱物による外殻を纏ったような姿の魔物。当然ながら耐久力は見た目相応だろう。下手な攻撃では動きを止められまい。
ならば。
「水よ、全てを切り裂きなさい」
ぽつりと呟き、サラは今にも突進してきそうな魔物の方に手を振り下ろす。
「圧水刃」
超高圧、超高速で発射された水が魔物の体を両断する。頭からしっぽまで縦に真っ二つになれば、流石にどんな生物でも生存は不可能だろう。
痙攣すらせず崩れ落ちた魔物を見送り、サラは肩を撫で下ろして襲われていたと思われる人物の方を向いた。
「…………え?」
そこにいたのは、少なくとも人間ではなかった。亜人や魔族、神族、精霊などを含めた、広い意味での人間でさえない。だが、数多の魔物との交戦経験を持つサラでさえ魔物とは断言できない存在だ。
ベール状の幅広の葉を頭に生やし、天辺にまだ開いていない花の蕾を乗せた幼い少女……大体十歳ぐらいだろうか。髪も植物の葉を思わせる緑色だ。
着ているものも長袖のロングワンピースで、草葉を意匠とした飾りがいくつかついている。
この少女は、なんだ?
魔力の流れが異質で、しかし調和がとれている。どちらかというと魔物に近い性質を持っているようだが、しかし人の形をとっているし、判断が付かない。しかも気絶しているせいで話をすることさえもできない。
「この子を連れて、帰還すべきですね。なら、長居は無用でしょう」
判断を下すと同時、サラは指を鳴らして少女の真下にリバース・スペースの入り口を展開する。
虚数空間であり、時の流れを否定するリバース・スペースはサラの魔力によって形成される亜空間だ。この中に入れておけば安全に協会まで運ぶことが出来る。
黒い影のような入り口に少女が飲み込まれるのを見届けたサラは、再び全身の強化を発動させて入口の方へと足を向け、高速で迷宮を走り抜けていった。