第六話 桶の少女
翌日――。
「はっ…はっ…はっ…」
ヤマメは約束の橋へと走っていた。息が上がっているのが端からでもよくわかる。ちらりと旧都の広場にある時計をみると九時二十分を少し過ぎたところだった。
(まさかあたしの方が緊張して寝坊するなんてね…。まだいるかな?)
いくつかの角を曲がって橋へと辿りつく。すると橋の上には誰もいない様に見えた。ただ、待ち合わせ相手はあのこいしなのだ。居ないと決めつけるにはまだ早い。そう思い、ヤマメは呼吸を整えつつ橋の真ん中へと歩を進める。そして少し声を張って呼び掛けた。
「…こいし、いるかい?」
「………」
「ごめんよ、寝坊しちゃってさ」
「………」
ヤマメの声がせせらぎの音に消えていく。ちゃぷん、と小魚が川で跳ねる音が響いた。
「…もしかして、帰っちゃった?」
「いる、よ?」
ヤマメが若干の焦りを覚えたと同時に横から小さな声が聞こえてきた。ふと、視線を向けるとふわふわとした、つかみどころのない笑みを浮かべたこいしがいた。
「なんだい、いるならもう少し早く返事してくれてもいいんじゃないかい?」
「だって、一人で喋って一人で勘違いして一人で焦って…はたから見てたら変な人だよ?」
そう言ってこいしはくすくすと笑みをこぼした。
「お前さんが姿を見せてくれないからじゃないか…」
「ヤマメって意外とうっかりさん?」
二人は苦笑しながら歩き始めた。メンストを真っ先に曲がって人気のない道を選んで進んでいく。そうして20分ほど進んだところに桶が落ちていた。ヤマメはそこで立ち止まる。
「ヤマメ…?どうしたの?」
「ここで待ち合わせなんだ、友達と」
「…なんの目印もないよ?」
そう言ってこいしは不思議そうに首をかしげた。それをみたヤマメはニヤリ、と笑うと足元の桶を拾ってこいしの前に差しだした。こいしは尚更不思議そうにしている。
「…なにこれ?」
「ん?これがさっき話したあたしの友達」
「…え?」
こいしが茫然として桶を見つめるとひょこり、とキスメが顔をだした。――と言っても口から下は桶の縁に隠れているのだが。当然こいしとしてはいきなり出てきた頭にびくりと身体を震わせ、目を丸くしていた。それを見たヤマメは一人大声をあげて笑っていた。
*****
「ヤマメ、吃驚させるなんてひどい…」
「ぷっ…いや、ごめんごめん…ぷくく…」
「むぅ、笑うなんてもっとひどいよ」
「こいしちゃん?」
「な、なに…?」
「今の考えたの、私なんだ」
「キスメ…。もう、二人ともひどいよ」
そう言ってこいしは頬を膨らませた。奇妙な邂逅から暫く経って、最初のうちこそヤマメの笑い声だけが響いていて、二人は怯える様子もなくじっと見つめ合っていたのだが、何やら同じ空気を感じ取ったのか割とすぐに溶け込み始めた。今でこそこいしは「ひどい」と言っているがその表情はどちらかと言うとちょっと拗ねつつも楽しんでいる様に見えた。
(なんだ、あっという間になじんでるじゃない。こいしもキスメも、ずっと友達だったみたいに)
ヤマメは心中一人ごちて二人を見やる。こいしはキスメの入っている桶の紐を掴んで桶を回して遊んでいた。
「こ、こ、こいしちゃん!?」
「むぅ~。さっきのびっくりしたお返しだよっ」
「そんなぁ~!?ちょっと、まっ、ホントに酔っちゃうから…っ!」
「そうなの?」
「だから止めてよぉ~」
「えー?どうしよっかなぁ~?」
「お願いだからぁ~…。あうあう、…きもちがわるいぃ」
「しょうがないなぁ」
桶を回す手を離すこいし。すると今度はねじれた紐が元に戻ろうと逆回転を始めた。
「い~や~ぁ~!?こいしちゃ…とめてぇ!?」
「あはははは!」
「笑ってないでぇ~ヤマメでいいから止めてぇ~」
ヤマメはこいしに持っている様に言うと桶をいきなりつかんだ。するとキスメは慣性に従って桶の中で一回転して止まった。それでもキスメは頭をくるくるとまわしている。そしてだんだんと焦点があってきた様で目がしらを押さえて呻いた。
「あう~目が回る~」
「さて、キスメ。…もう一回イっとこうか?」
「…ヤマメ?う、うそでしょ?…ねぇ?…ねぇ!?」
ヤマメはニヤリ、と笑うとキスメの叫び声など無視してもう一度勢いよく桶を回した。
(…ほんと、新しい遊びも見つけちゃうしね。いい友達になるよ、こいしは)
「そぉれ!」
「いぃ~やぁ~!?目が回るぅ~」
旧都の裏路地には夕方までキスメの叫び声と二人分の笑い声が響き続けた。しかし、その声を聞いたものはその場にいた二人以外にはいなかった。
「とぉ~めぇ~てぇ~~……!!」
あ、どうも。お久しぶりです。約4ヶ月ぶりですね。
もう一方の連載が一段落したんで、こっちを再開してみます。
と言っても本調子ではありませんが。
またちまちま更新していきたいと思うので「愛し、かなし、恋し。」の方をよろしくお願いします。