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敵味方識別信号

 地下シェルターの空気は、機械油と湿気と、焦げた断熱材の匂いが混ざっていた。

 コーヒーの香りがそれを上書きするには弱すぎて、むしろ「ここはまだ生きてる」という錯覚を与えるだけだった。


 鈴音の前で、奥で壁にもたれていた兵がウォッカを一口だけ喉に落とした。瓶の肩に、砲撃で欠けたコンクリ片が触れてカチ、と乾いた音がする。


「……開戦時には他にも囮が二棟、本命が一棟あったんだがね」

 彼は言った。目は笑っていない。

 それはさっき聞いた気がする。いや、彼でなくグロモフ中尉が言っていた。

「当てずっぽうでも当たれば死ぬ。その中にいた奴らと地上作業組は、運がなかった」

 それもさっき聞いた気がする。


 “負傷”という言葉が、砲撃の前にはあまり現実的ではないらしい。

 サーモバリック弾頭は、当たったらだいたい「いなくなる」。多少の回避では大気中の酸素が焼き尽くされて結局生き残れない。

 生き残るには気密構造と距離で、医療の出番があることは少ない。


 興味半分で隣の区画を覗いたが「寝てる」とか「座っている」というより“崩れている”。

 工具箱の上で目を閉じたままの男が三人。そこから少し離れてモニターに顔を寄せ、UGVの映像に釘付けの観測員が一人。

 起きていた時は皆、何かを拭いていたのだろう。周囲に落ちた作業布の類には泥、カーボン粉、血のどれかだ。


「市街地側の俺らは“土木と整備”。この街は看板だ。看板が燃えても、本店が残ればいい」

 説明役のグロモフが、先ほど地図を指で叩いていた。

 市街地の点線の下に、鉱山坑道に向けて絡み合っていく網が潜んでいる。北東の山腹――そこが本命。

「南西を始め主だった橋は落としてある。架橋されるたび、壊す。向こうが本気で砲撃の援護付きで工兵を出してきたら……」

 彼はそこで言葉を切り、目線だけで「その時は下がる」を示した。すでに覚悟している、という表情を思い出す。


 鈴音がエクステリアに戻ろうと振り返る、ウォッカを飲んでいた兵が幽鬼のような足取りで寄って紙コップを差し出した。

 温い、濃いコーヒー。砂糖はない。ミルクもない。


「飲め。口の中の鉄の味が消える」

 短く言って、その兵は背を向けた。

 労いはそれで十分だった。


 ――おそらく換気中なのだろう。シェルターの外から吹き込む夜気が、頬を殴るように冷たい。


 エクステリアは待機用区画で匍匐して待機している。

 歩行用サーボは停止。排熱は地面に逃がして、装甲表面は外気温に引っ張られて冷え切っている。地中でも容赦がない。


 鈴音がハッチを閉め、コクピットに収まる。

 椅子の背が、身体の疲労を正確に拾ってくる。肩甲骨の奥が痛む。噛み合わせがわずかにずれている気がした。


 <……合流後の処理、入るよ>

 リーゼの声が、すぐ近くで鳴った。

 モニターの中の“彼女”は、もう膝を抱えていない。姿勢が高い。教育担当士官ですが、という顔だ。


 <まずIFF。今から基地の“前線鍵”に切り替える。あなたのビーコンは低出力で、三十秒だけ点滅。――敵の受信機に拾われない強度に絞る>

 HUDの隅に、白い小さなアイコンが現れ、ゆっくり点滅し始める。


「……出しました」

 鈴音が言うと同時に、コクピットの空気が一段締まる。

 見られている。味方にも、敵にも。


 <次。チャレンジ応答。短いから噛まないでよ>

 リーゼが淡々と告げる。


 その瞬間、通信ラインが“固い”音を立てて接続した。

 カディクチャン前線指揮所。圧縮された声。短い。余計な情緒がない。


 『こちらカディクチャン前線。接触確認。――識別、ドミトリ。機体番号、呼称、復唱』


 鈴音は一瞬だけ、呼吸を整えた。

 演習だ。鈴音は鈴音だ。だが、ここでは“ドミトリ”の声を出す。


「こちらドミトリ。機体番号――(リーゼ、コードを)」

 <送る>

 リーゼが文字列をHUDに出す。

 鈴音が復唱する。機体番号、呼称、現在地のマスコード。 


 『チャレンジ。――“すす”に続く合言葉』


 リーゼが即座に割り込み、HUDに返答を提示する。


 <返しは“あかり”。短く>


あかり


 数拍の沈黙。電子音がひとつ。


 『応答一致。合流を認定。招集受領以降の行動は規定に基づき追認する。――よく生きて戻った。道路分断、ログを見た。助かったよ』


 “助かった”が、抑揚のない声の中に落ちた。

 その一言が、さっきのぬるいコーヒーより効いた。


 『本来はイワノフ准尉、君も鉱山側に入れてやりたかったが、今は危ない。市街地側に寄せることで欺瞞効果も期待できた。悪いが、……ここから先は、カディクチャン防衛隊の一員だ。オレの指揮下に入ってもらう。遅れたが、ボルコフ少佐だ』


「了解。」

 鈴音は短く返した。喉が乾いていた。


 『指示。中継機設置任務を付与。位置データは送る。併せて、貯水池水門の爆破は現場判断でよいが、退避ルートは潰すなよ。爆破の三分前に一報。復唱』


「中継機設置。爆破は退避ルートを潰さず、三分前に一報。復唱しました」


 『以上だ。合流処理完了とする。中継器だけ仕掛けたら少し休憩をとるといい』


 回線が切れる。

 あまりに短い。だが、戦場はいつもこうだ。


 鈴音が息を吐くと、リーゼが次の段階へ進めた。


 <よし。前線鍵、完全同期。――そうしたら、ようやく多少は撃ち合える“装備”がもらえるよ>

 HUDに、今まで灰色だったインベントリ枠が、いくつか“白”に変わる。

 開錠。解禁。軍用装備のストレージ。


 <追加装備の説明。弾数は最低限。贅沢はできない。けど、生き残るための心強い味方>

 リーゼは指を折りながら紹介を進める。


 <① 軍用装甲――関節保護パック>

 <民間仕様の関節は、泥と破片に弱い。小口径が“運悪く”当たる場所でもある。外装カバーと耐破片ライナーで、当たり負けを減らす。全然無敵じゃない。けど“即死”を“故障”に落とせるからね、民間機持ち込みなら確実につけておきたい>


 映像の中で、関節部のスキマがハイライトされる。鈴音はそこで初めて、自分の機体が“骨”を晒していたことを実感した。


 <② コクピット増加装甲>

 <正面だけじゃない。上面と斜め前。ドローンが落とす破片と、至近弾の圧を殺す。重量増は歩行で吸収。走らない運用なら問題ない>


 鈴音は思わず笑いそうになる。ここまで「走るな」と言われ続けると、逆に走りたくなる。


 <③ 20mm重機関銃・肩マウントキット>

 <対ドローン兼、歩兵抑止。口径のせいで弾が重い。連射は短く。基本は“点で撃つ”。射界を限定して、味方のドローンと喧嘩しないようにルールがある。今から射界テーブルも入れる>


「20mm……民間機に持たせるにはだいぶ」

 <ここは前線基地。民間はもう終わった>


 リーゼの言い方に、余計な温度がないのが逆に怖い。


 <④ 煙幕>

 <見えないことは正義。赤外でも見えにくい混合。万能じゃないけど、敵の射撃統制を一拍遅らせる。その一拍で生き残る>


 <⑤ 迫撃砲>

 リーゼが少しだけ間を置く。


 <これは“使い所”を選ぶ。弾数が少ないし、撃てば位置が割れる。でも、近距離で車両を止める、遮蔽物の裏を剥がす、追撃を遅らせるには強い。本当はエクステリアに最適化して構成済みだったらこの戦況を打開しうる装備なんだけどね。今準備を始めたら打つ前にドローンに取りつかれるか砲撃されるかだね。…とはいえ、あなたが“戦場の距離感”を学ぶのに役立つ。これを撃てる体制に持ち込みたいね>


 リーゼが最後に、さらりと言った。


 <あと――偽装バルーン。これは“撃たせるための道具”だ。弾を吸わせる。敵のドローンに誤認させる。鈴音は好きそうだよね>


 鈴音は、コーヒーをもう一口飲んだ。

 温さはもうない。苦いだけだ。


「……中継機、どこに置けばいい?」


 <送る。撤退ルートを潰さず、かつ谷の反射を拾える場所。――そして貯水池は、まだ切らない。切るのは、敵が“そこに居てほしい”時だけ>


 HUDに、地形図が展開される。

 夜のタイガ。廃墟の影。濁流の音。

 そして、林が始まる裾野のほんの小さな×印。そこが、次の一手の起点だった。


 鈴音は操縦桿を握り直す。指先は冷たい。

 だが、妙に冴えている。


「……了解。動きます」


 <よし。合流は終わり。ここからは“防衛”だよ>


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