カディクチャン合流1
アルカガラの影が背後に沈み、森の匂いが変わった。
タイガの湿った土と腐葉土に、煤と古い鉄の匂いが混じる。雪解けの冷気の中に、どこか“人がいた痕跡”がある。樹間の向こう、地形図の線が現実の谷に重なっていくにつれて、鈴音はそれを確信した。
カディクチャンだ。
HUDの地形レイヤが、夜間の灰緑から、うっすらと青みを帯びたモードに移る。自動で、目標地点の起伏データが強調される。
谷の向こうに、崩れた箱が積み重なっている。黒い煤けた壁面、剥がれ落ちた外壁、骨組みだけ残った集合住宅のフレーム。地面の凍結と解凍が何十年も繰り返されたせいで、建物は“倒れずに歪んだまま”沈み込んでいる。廃墟が、土に飲まれかけたまま息を止めていた。
地図上の“町”は、ただの点ではなかった。崩れた道路、半ば埋まった橋、撤去されずに残った線路跡。角度の悪い盛土と、雪解けで泥に変わった空き地。そこに、戦場の都合が重なる。
鈴音は、操縦桿の握りを浅くして、歩行サーボの出力を一段落とした。足音が変わる。湿った吸いつき音が、乾いた砂利混じりの軋みに寄っていく。
「……見える」
窓の代わりに広がる前方ビューの奥、樹冠の切れ目から、黒い骨組みが覗いた。
崩壊した集合住宅のフレーム。錆びた広告塔。雪を被ったまま傾いたクレーン。地面の窪みに溜まった水が、月の残りを鈍く反射している。
廃墟——という言葉だけでは足りない。
“町だったもの”が、今もそこに横たわっている。
<光学センサーにて現地を確認。カディクチャン市街、北西外縁。距離、3.6キロ>
リーゼの声が戻る。淡々としているのに、ほんの少しだけ“友軍”への合流に安堵する温度があるように鈴音は感じた。
<通信は、まだ不安定。中継ドローン出してくれてるわけじゃないからね。周波数も暗号も捕捉してるけど、見通しと包囲部隊による攪乱で条件が揺れる。谷を跨ぐと途切れる可能性があるからそのつもりでいて。とはいえ配置や合流の段取りは取り終わってる。落ち着いて進んで>
鈴音は頷いた。言葉を節約する。コクピットの防音性能が高いのが分かっていても、自然と潜む。呼吸に染みついてきた。
アルカガラの大立ち回りのあと、幹線道路から山一つ挟む形で遮蔽をとって北側からカディクチャンまで回り込んできた。
エクステリアは、山肌を斜めに横切るようにどうにか機体が通れるルートを切り取るようにして進む。
ほとんど直進させてもらえない。ドローンによる前方のルート確認も行っていたが、南側斜面に進行部隊の第二波がいるのは確定で、軽量ドローンを飛ばすにもイチイチ細心の注意が求められる。
カディクチャンへは南東からの一本道——P504に沿う導線が唯一の全うな整備された車両向けルートだが、そこを進行された以上、視線が通る範囲は最も見られている導線でもある。
鈴音が選んだのは、稜線を挟んで北側の外縁を回るルートだった。地形の陰に潜り、尾根の肩を使って、視線と電波の切れ目を繋いでいく。
HUDの隅に、リーゼが簡易の“見つかりやすさ”指標を浮かべ続ける。
熱。音。反射。足跡。
どれも、ゼロにはならない。ゼロにしようとした瞬間、動けなくなる。だから“薄くして動く”。
<注意。敵性ドローンの巡回パターン、二系統。>
繰り返される警告からの一連のやり取り。リーゼが地図に細い円弧を描く。上空の楕円。低空の細い往復線。
<一つは高高度の光学偵察。もう一つは低空の簡易赤外。後者はうるさくて位置補足できてるし、その気になれば撃ち落とせる距離だけど、居場所がバレるから潜んでやり過ごすしかない。視界に入れると確率が跳ねるから最警戒っていうか停止ね。頻度はそんなにないから我慢我慢でいくよ>
「撃てないんですよね?」
<撃たない。撃てば“ここにいる”って宣言になるから。この会話7回目?カディクチャンを目前にして集中力の限界かもしれないけどそういう演習だから自棄起こしてここまでの功績をフイにしたりしないでよ>
即答で長文が返って来た。
<昨日は、あなたが撃たなかったにせよ派手にドンパチしたよね。もう十分。これ以上の火の粉は要らない>
鈴音は、口の中で小さく笑う。乾いた笑いではない。やっと、呼吸が戻ってきた笑いだった。
アルカガラでやったことに、まだ頭が追いついていない。追いついていないのに、身体だけが前へ進む。進むしかないから。演習という形式が、その“追いつかなさ”を要所要所のスキップや早送りでさらに刈り取って行く。そのせいで少し現実感が薄れるのは、これだけ重い結果を前にすると少し助かった。
——考えるのは後。
いまは合流だ。
町の輪郭が少しずつ大きくなる。建物の影が、ただの黒ではなく、窓の抜けや梁の歪みとして分かれ始める。道路の亀裂、陥没、水溜まり。雪解けで崩れた斜面が、まだ生々しい土の色を見せている。
リーゼの説明を聞いたとき思い浮かべたのは中世の攻城戦のような包囲軍だったが、周囲に人影どころか車両や陣地も一切見当たらない。聞けば南西から西の林をかけて隠蔽しつつ歩兵を中心に配置されているのだという。
そこで、リーゼが声を落とした。
<……鈴音。いまから“軍の空気”に入る。切り替えて>
何を、と思う前に、HUDに別の表示が重なった。
瓦礫の隙間――倒れたコンクリート梁の影から、赤外線のレーザーが一度だけ揺れて、消えた。合図。敵の測距でも、罠の照準でもない。味方の“見てるぞ”という最低限の確認。
次の瞬間、耳の奥に細いノイズが走る。
<リンク、確立。短距離光。……カディクチャン防衛隊、近距離の中継器を起動してくれたね>
リーゼの声が、いつもの距離で戻ってきた。音量は抑えられているのに、背筋に届く。ようやく「戦場の内側」に入った感覚がした。
鈴音は息を吐き、操縦桿から指を一度だけ浮かせた。緊張で固まっていた関節が遅れて軋む。
識別コード。認証手順。短い暗号のチャレンジ文。返答用の定型。これまでの演習が“単独行動”だったことを思い出させる、組織の言葉。
<カディクチャン前線、短波は死んでる。光でいく。中継ドローン経由、短いパルスで認証だけ通すよ>
「……了解」
鈴音は、無意識に背筋を伸ばす。シミュレーター越しなのに、肩が硬くなる。見知らぬ組織の中に飛び込む時の緊張だ。
リーゼがカウントを刻む。
<三、二、一、送信>
ほんの一瞬、HUDの左端に“送信中”が灯り、消える。返事は遅れて来た。遅れたのは怖さではない。回線が細いからだ。
<——、——認証、通過。>
次に、聞き慣れない男の声が混じった。機械越しに荒れている。まともに寝ていないような声。
<こちらカディクチャン前進拠点。識別、確認した。……お前、外から来たのか?>
鈴音は、喉が一瞬詰まる。自分の声が“ここ”でどう聞こえるかを考えてしまった。だが、リーゼが先に噛み砕いた。
<こちら開拓・調査型予備役より臨時招集。原隊未復帰。判断補助装置、型番は詳細ログより照会願います。現地点、アルカガラより主要ルートを逸れて北側外縁から接近中。合流許可を要請>
男が短く笑った。笑いというより、息だ。
<許可だ。とにかく頭を下げて潜伏と偽装を徹底してくれ。音と温度も気をつけろ。そして、……よくやったな。こっちは、まだ生きてる。北から入るなら、旧採掘道路の手前に誘導灯を出す。目視できるか?>
鈴音は頷き、エクステリアの歩行を止める。不要不急のアイドリングはモジュール別に自動で順次停止。排熱を絞り、装甲表面温度を外気に寄せる。中の人間は人間が座ったままだが、“伏せ”を機体に任せる。
リーゼが小さく補足する。
<紹介は後回し。ここは全員、寝不足と神経痛と煤の匂いで自分の名前も忘れてる>
冗談の形をしているのに、笑えない。
ユーモアのつもりならどこかで聞いたプロイセン王並みに敵を作るタイプのユーモアだ。
AIに残してはいけない機能でしょ、誰の趣味よ、と鈴音の切れかけた集中は容易に横道に逸れてしまった。
気を取り直して鈴音は前方を凝視する。HUDに、短いルートが重ねられる。廃墟の通路を縫い、倒壊した建物の陰を渡り、最後に地下へ落ちる。
<市街地は囮の皮。人間は地面の下にいる。見た目どおりに信じないで>
言い終える前に、地面の一角が動いた。
瓦礫の山が“ずれる”。重たい岩の塊ではない。薄いコンクリート片が、内側から押し上げられて、静かにスライドした。そこに現れたのは、長方形の口。大型トラックも入る地下駐車場のようだ。周囲は煤け、縁には金属の補強材。入り口から奥へ直線が続かないよう工夫しているのが見えた。
穴の奥から、懐中電灯らしき光が一度だけ点る。
「見えます」
<よし。そこまで来い。都市側に寄るな。南東は丘のあたりから見られてる。特に注意深く車線を切れ>
声は低い。疲れているのに、張りが残っている。命令というより、生活の段取りの口調だった。
通信がすぐ切れる。切れ方は、乱暴じゃない。必要な言葉だけ抜いて切った、現場の事情に基づく切断だ。
鈴音は息を吐いた。
「……生きてる。待っててくれたんだ」
<生きてるよ。見捨てられてない。私たちも、町も、共和国だって。だから、次がある>
リーゼは淡々としていたが、その淡々が今は頼もしい。
演習の説明を覚えている方がいればお気づきになるかもしれませんが…
演習の課題は「ススマン」まで引き上げることなので、鈴音の課題はまだ終わりません。
むしろカディクチャンでの戦いが本番とも言えます。
投稿計画としてはカディクチャンでの鈴音の戦いが終わるまでは現在のペースを守りたいと思っています。
そのあとは画面が現代の熊鷹高校&凛玖教官のほうに戻りますので若干準備期間を挟むかもしれません。




