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アルカガラの亡霊1

 アルカガラの夜は、都市の夜じゃない。


 暗い、では足りない。闇が、地形の一部として「存在」している。森の黒、谷の黒、空の黒。それぞれが違う密度で折り重なって、視界の端から世界を削っていく。


 エクステリアは、谷筋の岩陰に膝を折ったまま動かない。脚部サーボを止め、余計な姿勢制御を切り、重心を岩に預ける。金属の身体を「地形」へ寄せる、という感覚がある。人間なら息を潜めるところを、機体は熱と音を潜める。


 HUDは夜間モード。地形図が緑と灰に分解され、輪郭だけが残る。赤外線は、雪解けの湿気でノイズが増える。濁流の水面が、熱源として時々ふっと浮く。冷たいはずの水が、空気よりは温かい。そういう誤差が、夜の戦場をややこしくする。


 鈴音は、操縦桿を握ったまま指先だけを動かし、手袋の中で血が巡る感覚を確かめた。シミュレーターの空調が冷えすぎているせいか、現実の座席で指先が冷たくなる。熊本の真夏に、ここだけ冬の神経が生える。


「……アルカガラの外周、哨戒の周期。もう一回」


 自分の声が、妙に低い。


 <三十分で一巡。車両が回るのは外周だけ。徒歩は近傍の施設群の間。発電所の構内と、燃料・資材のヤードに重点。砲兵車両――カチューシャは、ヤードの端。最短で出せる向きに頭を揃えてる>


 リーゼは淡々と答えた。淡々としすぎて、逆に不穏だ。


 左のサブモニターに投影されている少女は、膝を抱えていた。夜の照度に合わせて、肌の青白さが増している。映像だと分かっていても、目の動きだけは生々しく見えるから厄介だ。


「……こっちは、増援ゼロ。火力ゼロ。正面からは無理」


 <うん>


「だから、夜襲っていう言葉を使うと自分が負けてる気がして嫌だったんだけど」


 <その感覚は正しいよ>


 リーゼが顎を少しだけ上げた。


 <“夜襲”って言葉は、勝てる側が“安全に勝ちを積む”ときの手段として定義されがち。勝ち筋がある前提。勝ち筋がない側が夜に飛び込むのは、奇襲や潜入の形を借りた“賭け”になりやすい。言葉が同じでも、中身が別物>


 鈴音は短く息を吐いた。


「じゃあ今回は、賭けじゃない形にする。事故にする、っていうのが私たちの目指す形」


 言ってから、額に手を当てた。自分で言っておいて、頭が痛い。


 事故。夜に起きる事故。

 濁流。通信不良。警備の疲労。時代錯誤。酒。人間の油断。軍の油断。辺境の軽視。春季攻勢の愚痴。


 全部が揃えば、事故は起こる。

 ……起こるかもかもしれない。


 そしてそのとき“事故”で、ロケット弾の飛翔先を知っているのは、ここにいる二人だけだ。


 鈴音は装備一覧を開く。視線が「携行品」に止まる。


 小瓶のウォッカ。現地のラベル。瓶の口の金属が、光のないコクピットでもわずかに反射する。


 耳当て付きの帽子。フェイクじゃないファー。柔らかい。やけに柔らかい。こういう柔らかさは、戦争の外側に属するものだ。


「……帽子は囮。ウォッカは、接触の道具」


 <“接触”って言い方、君が言うと怖いね>


「自分でも怖い」


 鈴音は笑わなかった。笑える場所じゃない。


「最初に確認。私はドミトリさんのシミュレーターに乗ってる。招集命令あり、未合流。共和国規定で“自由裁量”がある。だから、インフラの一時使用不能――遅滞工作まではOK」


 <うん。線は引いたよね。不可逆のインフラ破壊はダメ。民間人致死の蓋然性が高いのもダメ。政治的メッセージ化もダメ。つまり自衛や遅滞まで、“戦術”の範囲に留めろ、ってこと>


「留める。だから、“奪う”じゃなくて“撃たせる”」


 <撃たせて、逃げる。撃たせることで逃げる先を確保する>


 リーゼが、短い結論を繰り返した。反芻するように。


 鈴音は地形図を拡大し、アルカガラ火力発電所の周辺をなぞる。発電所、変電設備、資材ヤード、道路、森の縁。そこに、黒い記号がいくつか――撃破された地元民エクステリアの残骸推定。


 昼のうちに、リーゼが拾っていた情報だ。ドローンは使えない状況で、衛星画像や遠距離のドローン光学系と通信傍受、断片ログから形を繋いだ“推定”。それでも、夜の戦術は推定で作るしかない。


「……亡霊を使う」


 <そう>


 リーゼが一度だけ、瞬きをした。映像なのに、瞬きがやけに人間らしい。


 <アルカガラの亡霊。撃破された機体を“動いているように見せる”か。それで警備の視線を一瞬だけずらす。一瞬でいい。君の仕事は一瞬で終わるから>


「そういうこと。一瞬で終わる仕事、最悪の種類のね」


 <でも、君はその最悪をやり遂げるために“型”を覚えたんだよね>


「やめて。ここで授業をぶり返さないでください」


 鈴音は操縦桿から手を離し、膝の上で指を組む。指が震える。怒りじゃない。冷えでもない。集中が過剰になったときの震えだ。

 いつもの指鳴らしでなんとか指の感覚を取り戻す。


 リーゼが、HUDの端に小さなタイムラインを出した。分単位、三十秒単位。


 <段取りを“時間”に落とす。ここからは、感情を小さくする。やることは五つ>


 リーゼの声が低い。教官ではなく、作戦参謀の音だ。


 <一、接近。残骸のエクステリアに触れる。

 二、触れたものから、使えるものだけを引き起こす。

 三、亡霊の“動作”を仕込む。

 四、混乱の影を使ってヤードに寄る。

 五、カチューシャを“撃たせる”>


 短い。短すぎる。現実はいつも短い言葉に収まらないくせに、命が絡んで途端に短くなる。


 鈴音は、深呼吸を一回だけした。


「……行きます」


 <了解。歩幅を小さく。音と熱を抑えたまま、外に出る>


 エクステリアの外装が、微かに軋んだ。内部の環境制御が、外気温に寄せる。排熱を地面へ流し、装甲を冷やし、存在感を削る。機械が“目立たない”を実行している。


 鈴音は、胸の奥が変な感じになった。自分の身体が何かをしているんじゃない。自分の判断で、巨大な身体が呼吸を止めるようなことをしている。その感覚が、怖い。



鈴音、すっかりシミュレーターから5感を受け取っていて、思い込みなのか2100年のテクノロジーなのか作者のミスなのか気になっている方もいるかもしれませんが、大丈夫です。わかっててやってます。

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