夜襲
谷底の水音が、夜に溶け込んでいく。
昼間は耳についた濁流の唸りが、暗くなると逆に安心材料に変わった。人間の耳は、慣れに弱い。
エクステリアは岩陰に半身を預け、脚部サーボを完全に停止している。
電力は最低維持。排熱は地面に逃がし、装甲表面は外気温に引きずられて冷え切っていた。
HUDの照度が落ちる。
夜間モードに切り替えた地形表示が、緑と灰色のレイヤで再構成された。
「……夜襲、ですよね」
鈴音は、言ってから額に手を当てた。
自分で言っておいて、ため息が出る。
「いや、分かってる。正面から突っ込むって意味じゃないのも分かってるし、人数も足りない。火力も足りない。そもそも――」
頭の中で条件が並び、勝手に赤字で×が付いていく。
「……“夜襲”ってアイディアを持ち出す時点で、だいぶ負けてる気がする」
<うん>
リーゼが、即座に同意した。
<夜襲は本来夜戦で“勝てる側”の戦術なんだけどね。
多くの場合数が足りない時にやるのは奇襲か潜入。
実際には、それを破れかぶれで夜に飛び込むだけの例が多い。
そして今回は、まともに組み立てた奇襲や潜入ですらない>
鈴音は操縦桿から手を離し、膝の上で指を絡めた。
エクステリアの中、シミュレーターの空気が妙に重い。
「でも、選択肢がない。
アルカガラにあるカチューシャを“一度だけでも”使わせないと、奥の砲兵は止められない」
リーゼは、ゆっくりとモニター内で姿勢を変えた。
膝を抱え、顎を乗せる。授業の顔ではない。
<前提、整理しよっか>
HUDの端に、三つの条件が浮かぶ。
<一。
あなたは、敵を殲滅できない>
<二。
あなたは、カチューシャを回収できない>
<三。
あなたは、“敵に撃たせる”必要がある>
鈴音は苦笑した。
「最悪の三点セットですね」
<でも、逆に言うと>
リーゼが指を立てる。
<“撃たせる”だけでいい。
撃たせて、外させない。
そして二度と撃てない状態にする>
鈴音は、目を閉じた。
思考を止めるためじゃない。散らばる前提を、一度まとめるためだ。
カチューシャ。
多連装ロケット。
人が思っているほど、即応性は高くない。
展開。
仰角設定。
座標入力。
射撃統制。
そして、撃たせさえすれば、再装填。
全部、人かシステムが介在する。
「……“誤射”に見せる?」
<方向性は悪くないね>
リーゼは頷いた。
<夜間、濁流、通信の不安定。
条件は揃ってる。
問題は“誰が撃つか”>
鈴音は視線を落とし、装備一覧を呼び出した。
携行品。作業服のサイドポケット。
ウォッカ。
小瓶。中身は強い。ラベルは現地仕様。
帽子。
耳当て付き。フェイクじゃないファー。
「……これ、使います」
一瞬、リーゼが瞬きをした。
<……使う?>
「使う。
正確には――“使われる”」
鈴音は顔を覆った。
自分で言っておいて、頭が痛い。
「聞いてください。
敵の砲兵、今は待機状態ですよね。撃てば位置が割れるし、いろいろ拙くてまだ撃ってない」
<そうだね>
「でも、P504が濁流で分断された。
補給が止まった。
通信も不安定。
アルカガラの砲兵は孤立気味」
指の隙間から、リーゼを見る。
「……そういう状況で、
“酒が出てくる”のは、不自然ですか?」
<……>
リーゼは、少しだけ沈黙した。
<不自然ではないね。
むしろ、現実的だと言っていいよ>
鈴音は続ける。
「可愛い帽子は、囮です。
“誰かが居た”痕跡を残す。
しかも、民間人寄りの」
<それで?>
「混乱を作る。
夜間、濁流、通信不良。
判断を一段鈍らせる」
鈴音は、深く息を吸った。
「その上で――
リーゼ、あなたにやってほしいことがある」
<言って>
「カチューシャの射撃統制を“最短で正解に導く”誘導を、敵に与えてください」
リーゼの目が、細くなる。
<……つまり>
「敵が“自分で”座標を入れたと思わせる。
でも実際には、リーゼが作った“正解”をなぞらせる」
言い切ってから、鈴音は頭を抱えた。
「無茶なのは分かってます。
倫理も、危険性も。
でも、これしかない」
リーゼは、しばらく黙っていた。
モニターの中で、視線が地形図と装備一覧を行き来する。
<……成立条件、出すよ>
静かな声だった。
<・接触は最小限
・敵に“操作された”と思わせない
・発射は一斉ではなく、単発
・発射後、即座に無力化>
鈴音は、ゆっくりと顔を上げた。
「……いけますか」
<“完璧”にはならない>
リーゼは正直だった。
<でも、“詰み”は回避できる。
それが目的なら、十分>
夜風が、エクステリアの装甲を撫でる。
濁流の音が、遠くで続いている。
鈴音は、帽子のファーを指でつまんだ。
シミュレーター越しでも、その柔らかさが分かる。
「……じゃあ、破れかぶれの夜襲じゃないですね」
<うん>
リーゼは、少し笑った。
<“夜に起きる事故”だよ>
HUDの時刻が、静かに切り替わる。
夜間行動フェーズ。
鈴音は、操縦桿を握り直した。
指先は冷たい。だが、判断は冴えている。
「……やりましょう。
“撃たせて、逃げる”」
<了解>
リーゼの声が、低く締まる。
<ここから先は、ミスが物語を変える。
だから――一つずつ、詰めていこう>
闇の中、アルカガラの影が、ゆっくりと近づいていた。




