カディクチャン
カディクチャンは、町というより“抜け殻”だ。
谷沿いに並ぶ集合住宅の箱。割れた窓。風に擦れて鳴る建材。
かつてこの町が炭鉱で膨れたとき、ここには人がいて、店があり、学校があり、子供の声があったはずだ。
今は――空気だけが住んでいる。
守備隊の分隊長は、旧文化会館の影でヘルメットのバイザーを下げた。バイザー越しに見る町は、さらに色が抜ける。まるで過去の写真だ。
「……地下、まだ生きてるな」
彼が言う“地下”は比喩じゃない。
この町の下には、坑道が走っている。炭鉱のために掘られ、伸ばされ、枝分かれし、そして捨てられた“第二の地形”。
地上が壊れても地下は残る。地下は、戦争に向く。
カディクチャンは、1990年代に炭鉱事故で死んだ町だ――と、教科書的にはそう書かれる。
だが、現場の感覚は違う。
事故のあとに起きたのは、撤退という名の処刑だった。閉山、移住、補助金。生活は引っ剥がされ、町だけが残った。
だから、ここは“戦場の器”になる。
誰も文句を言いに来ない。来たとしても、文句を言う相手がいない。
分隊長は、通信兵から投げられたタブレットを受け取った。
表示されているのは、衛星写真に近い3D地形の重ね合わせ。瓦礫の影と、崩れた道路の線と、そして赤い扇――敵砲兵の射界が、薄く町を舐めている。
「まだ撃ってこないのが不気味だな」
「撃てるけど撃ってないんだろ。最悪だよ」
若い兵が言う。若いが、ここでは“若い”が強い。
共和国の市民は、武器を持つ。
武器が武器として機能するように、日常から訓練が織り込まれている。銃だけじゃない。工事機械も、エクステリアも。
この国は、民と兵の境界をわざと曖昧にしている。
分隊長は、背後の広場を見る。
エクステリアが二機、廃墟の骨組みを引きずり、路上に倒している。
地上の遮蔽物、対空の遮蔽物。ドローンと砲撃の視線を切るための、即席の“屋根”。
別の一機は、地面を掘り返している。雪解けで柔らかくなった土を盛って、ハルダウン(車体隠蔽)に近い姿勢を作る。
軍事というより、土木だ。だがこの国では、それが同じ意味を持つ。
「原子炉は?」
分隊長が聞く。
「地下。トレーラーごと坑道に突っ込んだ。入口は偽装済み」
小型原子炉――“超小型”と呼ばれるその電源は、ここでの命綱だ。
砲撃が来れば終わる。だから地上に置かない。
坑道は、電源にとっても“装甲”だ。
分隊長は一瞬だけ、背筋に汗が走るのを感じた。
電源があるから、この町は前線になる。
電源があるから、敵はこの町を焼きたい。
電源があるから、守備隊は撤退できない。
「……非戦闘員は?」
「今のところ、最後の車列が谷を抜けた。空港は死んでるが、ススマンまでは行ける。行ければ――そこで何とかなる」
“何とかなる”は便利な言葉だ。
言った瞬間、責任が未来に移る。
だが、それでも言わないと、今が崩れる。
分隊長は、カディクチャンの中心部――崩れたアパート群の向こうに、古い坑口の跡がある方角を見た。
坑口は、暗い。
暗いが、そこには道がある。地図にない道がある。
通信が短く鳴った。
ノイズ混じりの、だが明確な符号。
「……中継が上がった。どこだ」
「谷の外。ドローンが一瞬拾った。送信元は――前方。アルカガラ側だ」
分隊長は、喉の奥が乾くのを感じた。
「……誰だ?」
「識別はまだ。でも、味方の手口だ。うちの“判断補助”の匂いがする」
判断補助。
この国では、AIは“上官”ではない。
だが、上官よりも厄介な時がある。
AIは、恐怖を持たない。恐怖を持たないくせに、恐怖の形を知っている。
分隊長はタブレットを叩いた。
地図が更新される。P504沿いのどこかに、異常な水位と路肩の崩落を示すマーク。
そして、アルカガラ付近に砲兵装備の気配。
「……道が切られた」
彼は呟く。
「やりやがったな。誰かが、春を武器にした」
若い兵が笑った。笑いが短く、すぐ消える。
笑うと現実が来るからだ。
「これで第3波は止まる。止まれば、敵は焦る。焦れば――砲兵が動く」
「砲兵が動けば、こっちは死ぬ」
「だから――」
分隊長は、坑道入口の暗さを思い出した。
地上で死ぬなら、地下に潜る。
地下で生きるなら、地上に牙を出す。
「だから、撃たせる前に、砲兵の目を潰す」
彼は言った。
「アルカガラの“カチューシャ”を、こっちの都合で鳴かせる。鳴いた瞬間に、喉を切る」
町は廃墟のままだ。
風は冷たいままだ。
だが、守備隊の手は止まらない。
エクステリアが、廃材を引きずって“屋根”を作る。
人間がスコップで土を盛る。
坑道の入口が、さらに暗くなる。
カディクチャンは死んだ町だ。
――だからこそ、戦争に向いている。




