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氷堰3


<ドローン一機。上流の水位監視。もう一機。すぐ下流の氷塊の動き監視……下流や上空を何気なく通った敵機に見つからないように、樹林や稜線の角度を意識して>

<さて。崩壊は、目視で始まらない。“音”と“水位”で始まるよ。しっかり見ててね>


 鈴音は頷いた。


「ドローン。林間。位置バレしない高度で」


<はーい、了解だよ。飛行ルート、湿地帯の上空は避けるから多少状況把握に手間取るけど我慢してね。

 繰り返しになるけど、少しでも遮蔽をとって行こう。

 はい、予定ルート表示、っと>


 リーゼが淡々と返し、サブモニターに二本の細い線が走る。


 肩部マウントポイントからドローンが発進する。

 小さな機体が、樹間に溶けるみたいに消えた。

 エクステリアほどの排熱はないが、反射と音だけは残る。だから、風の音に紛れる速度で飛ばす。


 鈴音のHUDに、上流の水位が数値で出る。

 ……上昇 0.6cm/min。

 春の水は、じわじわと牙を研ぐ。



<次の工程。破壊の前段——「削る」ではなく「割れ目を決める」>


 氷堰の側面に近づく。

 目の前の氷は、透明ではない。白濁し、層になり、ところどころに黒い筋――土と枝が挟まっている。氷というより、冬の残骸。


 鈴音は、咄嗟に思う。

 これを“壊す”のは簡単だ。

 怖いのは、“壊れ方”だ。


<チェーンソーは使う。でも、氷に直で噛ませない>

 リーゼが言う。

<刃が死ぬ。跳ねる。あなたが怪我はしなくても、機体がバランス崩して水に落ちるからね>


「じゃあどうするればいいですか」


<まず“流木”を切る。流木は骨。そこに亀裂が通ってる>

 リーゼが画面上で、太い枝の絡みをマークする。

<骨の連結を切る。そのあと、氷に“切れ目”を入れる。深くじゃない。方向だけ>


 エクステリアの腕が伸びる。

 チェーンソーが起動する。

 音が、森の空気を裂いた。低く、腹に響く。耳の奥で鼓動が一段上がる。

 いや、冷静に考えてこれはさすがにバレるのでは?そんな考えが鈴音の頭を過ったが、案外林業だと思ってスルーしてくれるかもしれないという幻想に賭けた。


 チェンソーの音と破壊力を新近距離で見た鈴音は反射的に、機体の姿勢をさらに落とした。

 振動が足裏に伝わり、泥の層が微妙に揺れる。


 チェーンが流木を噛む。

 湿った木は、乾いた木より粘る。切断面が毛羽立ち、樹脂の匂いが一瞬立った。


<切り込み角度、十五度。倒れる方向を“水に向ける”>

 リーゼが言う。

<流木がこっちに倒れたら終わり。あなたも、機体も、水に引っ張られる>


「角度十五。了解」


 鈴音は息を止めた。

 チェーンソーの刃先が、狙った角度で食い込む。

 流木が、微かに鳴った。

 氷の中で、何かが擦れるような、嫌な音。


 ……きた。


<今。ワイヤーA、グラップルを流木の根元へ。締めるよ>

 リーゼの声が、きっぱり低くなる。


「ワイヤーA、射出」


 射出音。

 グラップルが飛び、流木の節に噛む。

 ウィンチが巻き始める。金属の呻きみたいな音が、短く続く。


<テンション、70%。止めて>

<テンション上げすぎると、氷が“意図と違う場所”で割れる>


 鈴音はスロットルを微調整した。

 テンションメーターが、70で止まる。


<崩壊のトリガー行くよ。——「最後の支え」を抜く工程だ>


<次。斧とスコップ出して>

 リーゼが指示する。

<斧で氷に“亀裂を誘導”。スコップで側面に水路。C案の軽い版だ>


「水路って……」


<氷堰の横を洗う。ほんの少しでいい。水は刃。春の水は、氷の側面を削るのが早い>

 リーゼは淡々と続ける。

<人間は壊す。水は“壊れ続ける”。こっちは水に仕事させる>


 エクステリアの腕が、斧に持ち替わる。

 刃は工事用。武器の刃ではない。角度がついていて、割るより削る。


 鈴音は、叩く位置を迷った。


<そこじゃない。層の境目。“白濁の線”に沿って>

 リーゼが即座に補正する。

<氷は均一じゃない。割れるのは弱い層だ。弱い層に割れ目を通せば、全体の割れ方が決まる>


 斧が、氷を叩く。

 シミュレーターからの鈍い衝撃が、操縦席の骨にまで伝わる。


 ……コン。

 ……コン。

 叩くたび、氷の表面が白くなる。粉が舞う。小さな欠片が水面に落ち、すぐ飲まれた。


 次に、スコップ。

 泥を掻き、氷堰の側面の“根元”を少しだけえぐる。そこへ、水が入り込むように。


 鈴音は、無意識に呟いた。


「……これ、地味だな」


<地味がいい。派手はみつかるリスクだからね>

 リーゼが短く言い切る。

<そして地味は“時間”を稼ぐ。痕跡を薄くしながら、崩壊のタイミングを選べる>


 鈴音のHUDに、上流水位がまた出る。

 ……上昇 0.8cm/min。

 増えてる。雪解けが、ちょうど今、強まっている。


<トリガーの準備。ワイヤーA、流木を“抜く”準備>

 リーゼが言う。

<抜く方向は下流。水に押させる。あなたは押さない。引く>


「引くだけで……?」


<引くだけで足りないなら、その時は爆薬。

 でも今は引くだけでいける。氷がもう“腹を決めかけてる”>


 リーゼの声が、少しだけ楽しそうに聞こえた。

 嫌なやつだ。けど、頼もしい。


<次の区切りは退避の開始——「崩す前に逃げる」よ>


<退避用ワイヤーB、アンカー確認。退避ルート上の倒木、処理>

 リーゼが言う。

<崩れてから避けるのは遅い。崩れる前に、通れる道を作る>


 エクステリアが、退避方向の倒木に斧を入れる。

 根元を完全に切る必要はない。引っかかる枝を落とすだけでいい。


 鈴音は、時計を見る。

 演習は進行中。敵の哨戒網も進行中。


<ドローン上流。水位が上がってる。今が“壊し時”>

 リーゼが淡々と報告する。


<よし。引くよ。でも――引いたら、もう戻れない>

<最終意思確認。やる?>


 鈴音は、一拍だけ迷った。

 目の前の氷堰は、自然そのものだ。

 触れれば、自然は自然のまま、牙になる。


 でも。

 ここで躊躇したら、P504の向こうから来る“人間の牙”に噛まれる。


「……やる。引きます」


<了解。工程、刻む。

 三、二、一――>


 ウィンチが唸った。

 ワイヤーAのテンションが上がる。70、75、80。


<止めて。80で固定>

 リーゼの声が、鋭い。


 その瞬間。


 ――ギ、と音がした。

 氷の鳴き声。

 生き物じゃないのに、生き物みたいに嫌な声。


 流木が、ほんの数センチだけ動いた。

 氷の中に埋まっていたはずの“骨”が、水に触れて、ぬるりと抜ける。


 次に。


 ……パキ。

 ……パキパキ。


 誘導した白濁の線に沿って、亀裂が走る。

 鈴音の視界で、亀裂が“筋”として可視化される。センサーが拾っているのは振動の分布。氷が破断する瞬間の微小振動が、地図みたいに浮かぶ。


<退避開始。今。ワイヤーB、巻き取り>

 リーゼが言った。

<“見た目で崩れるのを待つな”。音がした時点で始まってる>


 エクステリアが、後退を開始する。

 走らない。歩幅を伸ばす。根を跨ぐ。

 ワイヤーBが巻き取り、機体を“引っ張って逃がす”。人間がブレーキを踏むように、モーターが逃げを補助する。


 そのとき、視界の端で水面が盛り上がった。

 上流側の水が、氷堰にぶつかり、瞬間だけ“ため息”みたいに膨らむ。


 次の瞬間。


 ドン、と低い衝撃。

 氷堰の中央が落ちたわけじゃない。側面が抜けた。骨が抜けた側が、ずるりと沈んだ。


 沈んだところへ、水が噛みつく。

 水が、穴を広げる。

 氷が、さらに割れる。


 音が変わった。

 氷の割れる音ではなく、川の音になった。

 それまで抑え込まれていた水が、一気に“川”に戻る。


 黒い水が、牙を剥く。

 氷塊と流木が混ざり、白い泡が立ち、土の色が一瞬で濁る。


 鈴音の背筋に汗が走った。


「……来る」


<来る。だから、もう一段上へ>

 リーゼが言う。

<水は谷底を舐める。あなたは谷底にいない。そういう場所を選んだ>


 退避地点の高まりに滑り込む。

 根に絡むように、エクステリアが姿勢を落とす。排熱を絞る。装甲の反射を葉で切る。


 下を見ると、氷堰だった場所が“穴”になっていた。

 穴から、水が吐き出されている。

 吐き出されるたび、穴が広がる。


 洪水波。

 短いが鋭い一撃。

 これが、道路に届けば――P504は“春の事故”として止まる。


 下流担当のドローンから映像が返る。

 濁流が、曲がり角へ向かって走る。

 薄い土の岸が、削られていく。

 流木が、杭みたいに突き刺さる。


<いいね。濁りも流木も十分だよ。道路に“洗掘”が出る可能性が上がった>

 リーゼが淡々と評価する。

<ただし、これだけだと一回で終わるね。次の手を考えよっか。二〜三本、時間差で落とす案――やる?>


 鈴音は、歯を食いしばった。

 全身が興奮しているのに、頭だけが妙に冷たい。リーゼの“刻み”に乗せられている。


「……一回目で敵の動きが止まるなら、二回目は“復旧班”に刺さる。

やる価値はある。だけど、今はまず道路側の効果確認。ドローンで追って」


<残念。減点だよ。下流ドローン、道路交点まで濁流を観測しに追跡したら、敵対勢力に見つかっちゃうから。

 というわけで、下流ドローンは戻す。上流ドローンも、水位再評価終わり次第、戻って充電。飛行経路サブモニタに投影>


 リーゼは淡々としている。


 鈴音は息を吐いた。

 もし強行していたら取り返しのつかないミスだった。

 潜伏が最大の優位性なのだ。そのための迂遠な水攻めなのだ。

 

 

 氷堰は、もう元には戻らない。

 でも――元から戻る必要はない。目的は永続破壊じゃない。“通れない時間”を作ること。


 谷底で濁流が唸る。

 その唸りが、森の奥へ消えていく。


 リーゼが、鈴音を見た。


<爆薬、使ってない。これなら痕跡は薄い。まだ十分な効果が出るまで水量増加を狙って動ける。

 進行中の“春の事故”としては、結構上出来>


「……まだ終わってないです」


<終わってない。だからこそ、上出来>

 リーゼは、にっこり笑った。

 嫌なご褒美みたいな笑い方で。


<次の三十秒を、刻もうか>


 鈴音は操縦桿を握り直す。

 エクステリアの足裏が、もう一度、湿った地面を踏む。

 さっきより少しだけ、泥が柔らかい。


 春が進んでいる。

 敵も進んでいる。


 そして――自分も。

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