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片や炎上

本話でも登場人物やエクステリアなどのイメージ画像が挿絵として後書きの前に入っています。


文字で浮かんだイメージを損ないたくない場合は、画像が見えてきたらストップしてページ上部の「次へ」で進むなどの自衛策をお願いします。

 体育館でのオホーツク共和国の紹介がひと通り終わると、防災訓練のため全員で校庭に移動するよう指示が出た。


 「じゃ、せっかくだから──まずは“いつものやつ”からいこっか」


 三崎凜玖が、マイクも使わずにさらりと言ったのに、校庭じゅうの空気がすっとそちらへ向いた。

 白いエクステリアは、さっきまでの“巨大な異物”から、ゆっくりと「ここにいていいもの」に変わり始めている。


 校庭の端、白線で囲われた一角に、銀色の金属トレーが三つ並べてあった。

 長辺一メートルほどの四角い箱。その中に、うっすらと油が張られている。


「これ、防災訓練で見たことある人ー?」


 ぱらぱらと手が挙がる。

 隣に立つ消防官は、黙ってうなずいた。


「そう、**天ぷら油火災のデモ用トレー**。

 オホーツクでも、日本でも、火の扱いをナメたら普通に人が死ぬ。だから、今日はロボの話の前に──**まず、人間の手でやるべきこと**から」


 凜玖がなんとなく得意げな笑みを浮かべつつ、一瞬の沈黙を挟む。


「消火器、やってみたい人、いるかな?」


 凜玖がそう言い終えると、何人かが恐る恐る手を挙げた。

 選ばれた二人が前に出て、消防官が全体向けに大きなアクションで手順を説明する。


「ピンを抜いて、ホースを持って、レバーを握る。

 **“天井じゃなくて、火元を狙う”**──これだけ覚えとけば、君たちももう誰かの役に立てるっ」


 消防官が火をつける。

 細い炎が、あっという間にオレンジ色の塊になって、トレーの縁まで立ち上がった。

 熱気がふっと押し寄せてきて、前列の生徒たちが思わず一歩引く。


 シューッという音とともに白い粉が噴き出し、炎はじわじわとしぼんでいく。

 完全に消えるまでに、意外と時間がかかる。

 消火器の中身が空になり、交代、もう一人。

 周囲から小さな拍手が起こった。


 明忠は、それをじっと見ていた。

 自分から一歩前に出て動かないと、事態は勝手に進む。自分でなんとかできる間に、できることをやらないといけない。

 僕のできる一歩はなんだろうか…

 それた思考を引き戻すように凛玖の声が響いた。


「で、ここからが今日の主役」


 エクステリアが、静かな足音だけを残して前へ出た。

 ギョインもガシャンも鳴らない。電動車が舗装路を走るときのような、かすかな振動音だけで静かに脚部が巨体を運んだ。


「この子の背中には、水と、火災用の高圧ポンプが積んである。

 オホーツクの辺境じゃ、消防車も消防団も“間に合わない場所”が多いからね。

 人型ロボが、そういうインフラの穴も埋められるんだ」


 拳の根元からやや下でパネルが開き、短いアームが伸びた。

 先端にはノズルがついている。

 エクステリアはトレーから三メートルほどの距離で止まり、ほんの少しだけ膝を落とした。

 ──人間だったら「腰を据える」姿勢。


「放水開始」


 凜玖の声に応じるように、細い水流が走り出す。

 最初は一本の筋だった水が、すぐに霧状にひろがり、炎を包み込む。

 火はぱち、と音を立ててしぼみ、数秒で跡形もなく消えた。


「今のは“油火災に直接ぶっかけてもはねないノズルね”。

 天ぷら油にもOK。試験、いちおう日本の基準も通してるから安心して」


 溜息交じりの歓声が上がる。

 「すげー」「はや」「へー」「そんなのもあるのか」とか、そんな声があちこちから飛ぶ。


 明忠は、喉の奥がひゅっと鳴るのを感じた。

 今まで動画でしか見たことのなかったものが、自分の学校の校庭で当たり前みたいに動いている。

 その事実のほうが、火が消えたことよりよほど衝撃だった。


 ──これを“持っている側”と、“持っていない側”で、世界は分かれる。


 以前オホーツク共和国の広報で読んだ言葉が、勝手に頭の中に浮かんだ。

 エクステリアがインフラで、資産で、使いこなせれば、自分の手で生活を切り開ける。

 だからエクステリアを買って自ら立ち上がれだとか、オホーツク開拓が熱いとか発破をかけていた。

 

 火の匂いが薄れていく中で、凜玖は手をパン、と叩いた。


「じゃ、次。

 火を消すのも大事だけど、火事は避難や救出も大切だよね」


 校庭の反対側で、説明会の間に別の構造物が目立っていた。

 足場パイプとコンテナで組んだ、四階建ての箱。

 窓には何も入っていないが、柵や非常梯子がしっかり付いている。


「仮設アパート型の救助訓練棟。

 オホーツクだと、地震や吹雪で家が倒壊したり道路が塞がったとき、住民ごと一時避難させるための“仮の家”を、この子達とその場で組む。

 今日は燃やさないけど──燃えてるつもりで、遊じゃお?」


 ざわ、と生徒たちが笑う。消防官は苦笑している。

 遊び、と言いながら、目は笑っていない。


「安全ハーネス、確認。

 ヘルメット、よし。

 ……よし、行ってくる」


 凜玖は、エクステリアの足元で方さっとハーネスを付けると、そのまま階段を駆け上がっていった。

 軽い足音が金属の段を叩くたび、校庭の視線が追いかける。


 四階の踊り場に出ると、凜玖は手すりに片手をかけ、生徒たちのほうを振り返った。

 ヘルメットの下の頬が、少しだけ紅潮している。


 その瞬間、訓練棟の窓に取り付けられたパネルが一斉に光った。

 ARゴーグルを付けた生徒たちの視界には、**炎のエフェクト**が重なって見える。

 黒い煙が仮想空間で噴き出し、画面の中でだけ、四階は「火事」になった。


「うわ……」里奈が小さく声を漏らす。

 その目には、炎を背にして立つ凜玖がはっきりと映っていた。よく見るとエクステリアの肩から伸びたワイヤとハーネスをつなげていた。

 笑って、手を振って、**その視線は一段高いところから、校庭の全員に向いている**。


 里奈は、自分の胸の奥がじんわり熱くなるのを、どう名付ければいいのかわからなかった。


 四階の風にあおられたのか、凜玖は一度襟元を直そうとして、

 ついでのようにグローブを外し、指先をさするように撫でた。


 見覚えのある仕草だった。明忠も記憶に残っている。

 極寒の作業員が、感覚の戻りを確かめるときに見せる“あの動き”。

 北極圏のドキュメンタリーで一度だけ見て、なぜか忘れられなかったやつだ。


 灼熱の夏にはありえない、熊本では絶対に生まれない癖。

 この人は本当に“あっち側”から来たのだと、腹の底で理解させられる。


「三崎教官、準備よし。

 ──救助、お願いしまーす」


 凜玖がヘルメットのマイクに向かってそう言うと、エクステリアがゆっくりと動き始めた。

 救助訓練棟のすぐ脇まで歩み寄り、上を見上げる。

 首の関節が、ごく自然な角度で傾く。その動きが、人間くさくて、少しだけ可笑しい。


「シミュレーション火災発生。構造安定残り時間、三分」

 どこからともなく、合成音声が流れた。


 エクステリアの胸部パネル上面が開き、折りたたまれていた昇降プラットフォームがせり出す。

 差出し腕をよく見ると、ハーネスから伸びた細いワイヤーが側面のガイドラインに沿って続いており、

 人間を迎え入れる経路が整っている。

 その腕が四階ベランダの手前までスルスルと伸びる。

 ギシ、とかゴウン、とか、そういう派手な音はしない。

 高トルクモーターが静かに回る、低い唸りだけ。


「はーい、お迎え入りました。

 足元、気をつけてねー。何かの拍子に落下物あるといけないから」


 凜玖は、炎のエフェクトを背にしたまま、ひょいと手すりを越え、エクステリアの手のひらへ飛び移った。

 着地点で付け替えたハーネスのフックが金具にカチャンと噛み合う。


 その瞬間、AR画面の中では、踊り場の床がゆっくりと崩れ落ちる演出が入った。

 現実には、何も崩れていない。ただの木材の床だ。それでも、何人かが思わず息を呑んだ。


 プラットフォームが静かに下降する。

 凜玖は手のひらからやや上方向に曲げたエクステリアの親指を片手でつかみ、もう片方の手で下の生徒たちに手を振り続けた。


 炎に照らされている“ように見える”笑顔。

 それを見上げながら、里奈は朧げに思う。


 ──この人は、こっち側に降りてきてくれてるだけで、本当はもっとずっと遠くに行ってる人なんだ。


 着地。

 凜玖がプラットフォームから降りると同時に、AR上の炎もすっと消えた。


「ね? 災害があってもただ逃げる側じゃなくて、“迎えに行く側”になれる。

 それが、エクステリアと共に歩む世界。君たちが選べる、世界だ」


 さらっと言う。

 ロボットは、ただのカッコいい機械でも血みどろの兵器でもない。

 “どっち側の人間でいるか”を変える道具だ、と言われた気がした。

挿絵(By みてみん)

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