極東ロシア狩猟口座
雪を踏みしめる音が、一定のリズムで続いている。
シミュレーターの視界は、マガダン州南部を模した針葉樹林帯。起伏は緩いが、視界は悪く、足元は深雪だ。
凛玖の声だけが、少し距離を置いて響いてくる。
ストリーミング配信で彼女が先行しながら話している体で講義が進む。
「じゃあ、ここからは“ハンティングツアー参加者向け解説”。
場所はマガダン州、時期は初冬想定。
今日は撃たない。歩いて、見る」
明忠が足元の雪を踏み固めながら言う。
「……本当に、人の気配ないですね」
「それが第一印象で合ってる」
凛玖は立ち止まり、前方の谷筋を指す。
「この辺りね、“自然が豊か”って言われがちだけど、
実態は広すぎるだけ」
里奈が顔を上げる。
「広すぎる?」
「うん。
人が少ない、道が少ない、観測点が少ない。
だから“動物が多そう”に見える」
エリナが周囲を見回す。
「確か、国の設定する保護区もあって、捕獲制限もあると聞いた気がするのですが、分からないんですか?」
「そう。分からない、が正解なんだ。予想はついても、確かめられないから」
凛玖は歩き出す。
「初心者、特にハンティングツアーなんかで一番やりがちな勘違いはね、
“人が少ない=どこでも狩り放題”って奴」
彼女は軽く首を振った。
「現実は逆。
人が少ない=
・観測が粗い
・救助が遠い
・管理は書類中心」
明忠が眉をひそめる。
「管理されてない、ってことではないんですね」
「されてる。
紙の上ではね。これはオホーツク共和国もまだ抜け出せてない宿題なんだ」
一同、少し苦笑する。
少し進んだところで、凛玖がしゃがみ込む。
雪の上に、かすかな跡。
「ここ。見て」
里奈が覗き込む。
「足跡……鹿?」
「たぶん。
で、ここから第二講」
凛玖は足跡の延びる方向を示す。
「動物の数、どうやって数えてると思う?」
エリナが即答する。
「衛星?」
「それが、できてたら楽なんだけどね」
凛玖は立ち上がる。
「全国センサーネットは、存在しない。資金や手間が許容される重要なところだけ、手を付けたところかな。
現実の主力は三つ」
彼女は指を折る。
「ひとつ。冬の足跡調査。
決められたルートを歩いて、足跡を数える」
明忠が足元を見る。
「これ、山だと……」
「過小評価されやすい。
深雪、森、斜面。
人が歩けない場所ほど、数字から消える。しかも、人が歩いて確認、場合によっては狩猟なんてするほど、そこは遠巻きにされる」
凛玖は続ける。
「ふたつ。航空調査。
ヘリや小型機で、大型獣を見る」
里奈が小さく頷く。
「高そう」
「高い。だから限定的」
「みっつ目は?」
「狩猟報告」
エリナが顔をしかめる。
「獲れた数?」
「そう。これも、“人が行けた場所”のデータになるね。
単に捕獲数でなく、捕獲努力量、平たく言えば出猟日数を捕獲数と比較することで、「同じ頭数に対して同じ日数狩猟をすれば次の年も同じ頭数が取れるはずだけど、実績とその予想どう違うか比較することで現在の生息頭数を計算するんだ」
凛玖は一拍置いた。
「覚えておいて。
推定個体数は、真実じゃない。
管理のための、近似値」
里奈がぽつりと言う。
「公式に多いって書いてあっても……」
「簡単に会えるとは限らない」
凛玖は即答した。
しばらく歩く。
谷筋に降り、風が弱まる。
「次、政策の話。
これは合法な”ハンティング”の枠組みを知るうえでが一番大事」
凛玖は振り返らずに言う。
「リミットとクォータ」
明忠が復唱、補足する。
「リミットが最大数、クォータが配分枠」
「正解」
凛玖は足を止める。
「例えば、書類上。
ヒグマ一七〇〇、ヘラジカ一〇〇〇」
エリナが目を細める。
「多いですね」
「でも実際に獲れるのは?」
凛玖は指を立てない。
「数百、時には数十」
里奈が首を傾げる。
「なんで?」
「人がいない。
道がない。
コストが合わない。
危険が大きい。
需要が弱い」
淡々と列挙される。
「つまりこの地域では、
枠より実行能力が低い」
一行は黙って歩き続ける。
「じゃあ初心者は何を狙うか」
凛玖が続ける。
「大型獣は知識だけでいい。
ヒグマ、ヘラジカ、トナカイ、ユキヒツジ。
本来は最初から手を出す対象じゃない」
エリナが小さく笑う。
「聞くだけで重装備ですね」
「で、現実的なのは――」
凛玖が足を止め、振り返る。
「水鳥。
カモ、ガン。
それから小型獣」
里奈が頷く。
「制度を覚える、ってことですね」
「そう。
許可、期間、報告。
身体で覚える。
でも、今回は持ち時間が足りないからね。さすがに水鳥の観察から始められないのと、これからやるエクステリアの対戦に役立つのは地上大型獣だから、一気に進めちゃうよ。今回の目標はトナカイとヘラジカだ。」
風が強まる。
木々がざわめく。
「最後」
凛玖の声が少し低くなる。
「人が少ない=安全、じゃない」
明忠が息を整えながら聞く。
「監視が弱い。
救助が遅い。
違法も見えにくい」
凛玖は空を見上げる。
「それに、環境圧。
鉱業の水質汚染。
サケ減少でクマの行動変化。
観光で人を避けなくなる個体」
エリナが呟く。
「数だけじゃなくて、行動……」
「そう」
凛玖ははっきり言った。
「減る増えるより先に、動きが変わる」
一同、足を止める。
「まとめ」
凛玖は振り返り、三人を見る。
「極東ロシアの狩猟はね――
動物を撃つ前に、
制度と距離感を理解すること」
雪原の静けさが、その言葉を吸い込んだ。




