バレンタインチョコの価値は。
射撃フロアはちょうど利用者がいなかったらしく、訓練用シミュレーターの熱が嘘みたいに落ち着いていた。
壁面スクリーンには英国内ニュースのダイジェストが無音で流れている。
「女王、体調不良で公務一部延期」
そんな英国ニュースの見出しが、誰の注意も引かないまま端を滑っていく。
鈴音はドリンクバーの横、立ったまま個人端末を操作していた。
「……お邪魔だったかな」
声をかけたのは相馬だった。
黒川の少し後ろに立ち、空気を読むような距離感を保っている。
「全然」
鈴音は顔を上げずに答えた。
視線は端末のまま、でも声ははっきりしている。
黒川が腕を組む。
「それで、報酬は?」
話が早い。
鈴音はようやく端末を伏せて、黒川を見る。
「バレンタインチョコ」
一瞬、空気が止まった。
「……どうせコンビニチョコだろ」
黒川は即座に切り捨てる。
「ドローン操縦の技術は、そんなに安いもんじゃない」
「まず」
鈴音は指を一本立てた。
「私はドローン技術を馬鹿にしてない。むしろ尊敬してる」
黒川の眉が、わずかに動く。
「第二に。チョコは本気で手作りにする。
それから、渡してもおかしくない前振りもする。普段から話しかけるし、距離も詰める」
相馬が口を挟みかけたが、鈴音の視線に押し黙った。
「第三に」
鈴音は少し間を置いた。
「ここで言うチョコは、食べ物じゃない。ブランディング」
黒川が、露骨に顔をしかめる。
「黒川君が“それだけの価値がある”って証明するためのイベント。
恋愛市場でのブランド力向上のために必死になる気、ないでしょ?」
返事はない。
「でもね。
このバレンタインチョコと、そこに至る一連の動きなら、
普段通りの行動の延長で、一生モノの自信と振る舞いを手に入れられる」
鈴音は淡々と続ける。
「しかもそれは、
君の実力とは必ずしも関係ない“ブランド”」
相馬が、黒川の耳元に顔を寄せた。
「……これ、絶対すごいことになるやつだって。
受けた方がいいぞ」
黒川は小さく舌打ちした。
「そもそも俺は、中身のないブランディングなんてする気はない」
視線を鈴音に戻す。
「その話を持ってくる時点で、沢渡もそれが分かってるんだろ。
俺はそんなに暇じゃない」
「でも」
鈴音は一歩も引かない。
「シンプルに、楽してモテるのは悪くないでしょ?」
黒川が口を開きかけたのを見て、畳みかける。
「それ以上に。
気になってる女の子に“全く意識されてない状態”からアプローチするのって、ほぼ無理」
相馬が、思わず頷く。
「でも、この方法なら逆転できる。
一度意識してもらえれば、君の良さが伝わる可能性が生まれる」
鈴音は静かに言った。
「確率が上がる。
それ、嫌いじゃないでしょ?」
黒川が、言葉に詰まる。
相馬が、自然に流れを引き取った。
「やってみようぜ。俺も協力するからさ」
「……相馬」
黒川が呆れたように言う。
「お前、こういうドサクサで相乗りするの、ほんと多いよな」
「人生、ノリも大事だろ?」
二人のやり取りは、どうやら日常らしい。
(あと一押し)
鈴音は確信していた。
根拠はまだ薄いが、勝ち筋は見えている。
「オホーツク共和国共催、高校対抗エクステリア大会なんだって。で、優勝した高校には無料の短期留学と、さらに留学中の実績次第でオホーツク科技大の入学と4年間完全無料プランが付くって。二人ももちろん狙うよね」
黒川と相馬が慌てて個人端末の通知を確認する。
凛玖が全体に流していた案内と、同内容だ。
「前哨戦は三人一組でチームを組んで、リーグ戦。
評価と本人の意欲を見て、熊鷹高校チームのレギュラー七人、補欠二人を決める」
黒川と相馬を見る。
「二人とも、今さらあの既になんとなくチームになってるところに割って入る気なんてないでしょ?」
一拍。
「私と組もうよ」
沈黙。
そして、黒川が深く息を吐いた。
「あー……しゃーねえな、もう」
「付き合ってやるよ。
実力については、短期留学選抜後の開拓検討、先月同席して見てきたし」
ちらりと鈴音を見る。
「さっきの追跡も、筋は悪くなかった」
「ありがとう。
……あ、ごめん、でも恋人としてお付き合いっていうのは、ちょっと無理」
「そういう意味じゃねえよ!」
黒川の即ツッコミに、相馬が吹き出す。
英国ニュースだった壁掛けモニタが、静かに切り替わる。カムチャッカ半島エコツアーの宣伝が流れた。
世界はどこか不穏で、でもここでは、確かに一つのチームが生まれた。




