恋に気がつける魔法
幼いときに家族を亡くした。きっとそれが、私の心のどこか大事なところを壊してしまったのだと思う。
私のことは師匠が拾ってくれた。師匠は師匠で、先生で、お母さんで、お姉ちゃんで、妹だった。人里離れた小さな小屋で、師匠と私の二人暮らしが始まった。
師匠は魔法の天才だったけれど、それ以外は何もできなかった。私を拾ったばかりの頃は特にひどくて、掃除をしようとして部屋を燃やしたり、洗濯をしようとして服を空の彼方にまで飛ばしたり、魔物も殺せそうな料理が出来上がったり、それはもう本当に酷いものだった。
おまけに師匠は間抜けで、一度師匠がキッチンに立っている時に魔法薬を作るのと一緒なのにと私が呟いたら、魔石を砕いて鍋に入れ出した。そういうところだと思う。
そんな師匠でも流石に一年も経てば食べられるくらいの料理は作れるようになり、洗濯も月に一度くらいしか洗濯物を飛ばさなくなった。部屋は今でもたまに燃える。
私は師匠に拾われてからずっと、魔法の勉強をして過ごしていた。特に何に使うわけでもないけれど、こんな森の中の家にそれ以外にすることもないのだから仕方ない。
だから今日も私は家のそばのベンチにぼーっと座って魔力を練っていた。
「ハク、ちょっといい?」
まだお昼には少し早いかという頃、師匠が家から出てきて私の隣に腰にやってきた。軽く頷いてから横にずれて場所を開けると、師匠が座って私の頭を撫でる。師匠は私の髪を触るのが大好きだ。
しばらくそうしていた師匠だったが、名残惜しそうに手を離して口を開いた。髪くらいならいつでも好きなだけ触らせてあげるのに。
「……ハクは、魔法学園って興味ある?」
突然そう言われて私は目を見開いた、と思う。自信はないけど。
魔法学園という名前は本で読んだことがある。この国の王都にある、魔法を使える人を育成するための機関だ。入学のための条件は試験に合格することだけ。身分もお金もいらない王国肝入りの教育施設らしい。
「……そこに、師匠より強い人はいる?」
そう聞くと、師匠は困った顔をした。
「うーん……師匠はこれでも大陸最強の魔法使いだからなぁ……」
「なら、いかない」
師匠はもっと、困った顔をした。
「ハク……」
「弱い人はみんな勝手に死んで、私のそばからいなくなる」
それだけ言うと、私は目を閉じて魔力の鍛錬を再開した。
「……ハク」
師匠はぎゅっと私を抱きしめて、その日はもう、学園の話はしなかった。
最近、師匠がしつこく魔法学園を勧めてくる。友達がいっぱいできるとか、師匠もここを卒業したとか。師匠が一緒に来てくれるなら考えるって言ったら、それじゃダメなのって返された。だったら諦めてほしい。
「ハク」
「や」
「はくぅ……」
涙目で追い縋ってくる師匠を無視して私はいつものベンチに座った。目を閉じようとすると、師匠が隣にやってくる。ぷいっと反対を向いて鍛錬を始めると、師匠が私の魔力を掻き回し始めた。そのせいでうまく制御ができない。自分以外の体内魔力を動かすなんて、私にはまだできない。
むっと師匠を睨むと苦笑いをしながらむにむにと頬をいじられた。
「ハクは、世界でいちばんかわいいね」
そんなことはないと思う。私は世界で師匠しか知らないけれど、それでも嘘だって分かる。
師匠は私を軽々と抱き上げると、そのまま自分の膝の上に乗せた。
「……ハクはどうして、魔法学園に行きたくないの?」
耳元で師匠の優しい声が聞こえた。師匠は私の腰に手を回してぎゅっと抱え込んでいる。柔らかくてあたたかくて、安心できる温もりだった。
「……私には、師匠がいればそれでいい。師匠は強いから、師匠なら勝手にいなくならないから、師匠はずっと、私と一緒にいてくれるから。師匠と一緒にいられたら、それだけでいい」
「……でも師匠はハクに、ハクの世界を広げてほしいな」
「いらない。師匠がいれば私は幸せで、それ以上世界を広げたら、いつか必ず不幸になる」
「…………ハクは、怖い?」
私はその言葉に身を強張らせて、しばらくしてからこくりと頷いた。師匠の抱きしめる力が強くなる。そんな師匠の腕に、私は両手で触れた。
「ハク。師匠はね、ハクが思っているよりもずっとこの世界は綺麗だってことを、私の大切なハクにも知ってほしいな」
「……でも」
俯いた私の右肩に、師匠が顎をのせる。
「大丈夫。離れていても、何があっても、師匠はハクの師匠で、ハクが大好きだよ」
「…………ん」
こうして私は、魔法学園に行くことになった。
「ハク、お洋服は持った? 財布の中にお金は入ってる? 学園までの道も覚えてる? お金が足りなくなったら適当に魔物を狩ってギルドってところに売るんだよ? 場所はきっと学園の先生が教えてくれるからね」
「……ん」
師匠は心配性だ。そもそも私の持ち物の全てを魔法袋に入れているのだから忘れようがない。今私の部屋はすっからかんで、魔法袋はパンパンだ。
「……別に、そんなに心配なら私はここに残っても——」
「それはダメ!」
……師匠は強情だ。
一通り私の体をペタペタと触って満足したのか、師匠は私の肩に両手を置いて膝をついた。
「ハク。学園での生活で、ハクにはきっと良い出会いがある。師匠が予言する。だから、楽しみにしてるんだよ?」
本当だろうか。いくら師匠の言葉とはいえ、どうにも信じられない。
そんな私の思いはもしかすると顔に出ていたのかもしれない。私はどうやら表情がほとんど動かないらしいのだけれど、師匠にはわかってしまうらしい。
「ふふ。その顔はハク、師匠のこと信じてないな?」
小さく頷くと、師匠は私の頭にぽんと手を置いた。
「……じゃあ、そんなハクに師匠は今から魔法をかけます」
首を傾げた私から手を離し、師匠が愛用している短杖で私の胸をコンと突いた。
「今師匠がハクにかけたのは、ハクがいつか初めての恋をしたとき、ハクが恋に気がつける魔法。ハクには絶対、大切な人が見つかる。いつか離れ離れになったとしても今一緒にいたいんだって、そう思える人が見つかるから。ハクを幸せにしてくれるその人にハクが気付けるようになる、そんな魔法だよ」
魔力は感じ取れなかった。本当はそんな魔法存在しないのか、隠し切れるくらい小規模なものなのか。
でも、そんな人はいないとは、何故か言えなかった。
私は主席だったらしい。入学式で挨拶をしてほしいとか言われたけれど面倒だから断った。師匠が聞いたらちょっとだけ怒りそうだ。
「……なあ、アンタ」
授業以外の時間、私はずっと図書館にこもっている。師匠の家は落ち着く場所だが、あまり本は多くなかった。その理由は全て師匠の頭の中に入っているからというものだったが、師匠のそういうところだけは早急に直すべきだと思う。あと部屋を燃やすところも。
「……おい、そこの主席」
私が主席ということは、今年入学した他の学生は皆私よりも弱いということだ。少しだけ話した学園長は私を今年最年少の入学者と言っていたのに、なんだか残念。師匠はおろか私より強い人もいないなんて、師匠はやっぱり嘘つきなのかもしれない。
「……おい、無視するな」
私の前の席に誰かが座った。この図書館は大きいのに使う人は少ないからわざわざこんなに近くに座る必要はないのに、何か用事でもあるのだろうか。
仕方がないので魔法書から顔を上げると、どことなく見覚えのある男の子が私を見ていた。
「————う、ん?」
私は彼をどこで見たのだろう。首を斜めにしてそれを考えていると、目の前の男の子が呆れたような視線に変わった。
「なんでアンタは無表情で首を傾げてんだ……」
「……どこかで、会った?」
「会ったことはないが、入学式に出たなら俺のことは見たことあるだろ。新入生代表の挨拶させられたし」
「……ああ」
特に何も考えず座っていただけだったから忘れていたけど、言われてみれば新入生代表の挨拶がこんな人だった気がする。
アンタのせいで、そう付け加えているということは私が断った結果この人にお鉢が回ってきたのだろう。かわいそうに。
謎が解けてスッキリした私は、何かを忘れている気がしながらも魔法書に視線を戻した。
……何故だろう、正面から視線が突き刺さっている気がする。
「……おい」
私は再び顔を上げた。
「俺はカイ。アンタに大差で負けた次席入学。アンタは?」
「……ハク」
最低限だけ話して魔法書を読もうと思ったけれど、カイはさらに私に話しかけてきた。
「ハクは、どうやってそんなに強くなったんだ?」
「私は別に強くない」
「強いだろ。少なくとも俺よりは」
「……それは、カイが弱いだけ」
「コイツ……」
私は強くなんてない。師匠と戦ったら一秒ももたずに気絶させられる。だからそんな私に勝てないのであれば、ただその人が弱いだけ。
「……俺は、生まれたその瞬間から魔力の鍛錬を始めた。だから魔力の量だけで言えば俺はハクよりも多いけど、実際には俺よりハクの方が圧倒的に強い」
カイは嘘つきなのかもしれない。生まれたその瞬間から鍛錬なんて人間にはできるはずがないのに。
そう思いながらも半信半疑でカイの魔力を覗いてみた瞬間に、私は目を見開いた。さっきも無表情だなんて言われたが、これに関しては自信がある。間違いなく私の目は太陽よりもまんまるになっていたと思う。
本当に、カイの魔力量は私より多かった。
「——本当に、私より多い」
「なんで分かるんだよ……」
「じっくりみれば分かる」
「普通はわからねぇよ……」
カイが呆れている気がするけれど、人の魔力量を見るなんて師匠から最初に習ったことなのに。そんなことよりも、本当に生まれた瞬間から魔力を鍛えていてもおかしくないくらいの魔力量をしているカイの方がおかしいと思う。
「だけど、カイでも師匠よりは少ない」
「——嘘だろ。俺、宮廷魔法師より多いって言われたんだが。ハクの師匠何者だよ……」
「大陸最強って言ってた」
「…………マジで?」
「ん」
よほど衝撃だったのか、カイは口をあんぐりと開けている。そんなに自分の魔力量に自信があったのだろうか。一度師匠と会えばそんなものすぐに消し飛ぶと思うけど。
「……それで、ハクもそんなに強いのか」
「私は別に強くない」
「強情だな。一応言っておくが、ハクは今でも魔法の腕だけなら国に仕えられるレベルだぞ」
「……ふーん」
「さては興味ないなアンタ」
「ん」
私は頷いた。だって学園から卒業したら師匠のところに帰るだけだし、宮廷魔法師なんてなりたいとも思わない。
はぁ、と。カイにこれみよがしの大きなため息をつかれてしまった。
「なんか、アイツに似てて調子狂う……」
ぼそりとカイが呟いたのが聞こえた。
「アイツ?」
「ん? ……あぁ、妹だよ」
「……妹がいるんだ」
「いや、いない」
……この人は何を言っているのだろう。頭の中がはてなマークでいっぱいだ。妹がいると言ったのにその数秒後にはいないと言って、本当に意味が分からない。
混乱する私の様子カイは、微笑ましいものを見るような目で見つめていた。納得がいかない。
「まあ、それは置いておいて。ハクは師匠に魔法を教えてもらってるのか?」
少しだけ憮然とした思いになりながら私が頷くと、カイの表情が苦笑いから真剣なものに切り替わった。そしてそのまま私に向かって頭を下げる。
「頼みがある。……ハクが、俺の師匠になってくれないか?」
師匠は師匠で私は私だけど、流石にそういうことを言いたいわけではないだろうことくらいは理解できる。私に魔法を教えてほしいということだろう。
「……なんで?」
最初に浮かんだのはそんな疑問だった。学校に学びに来ているのだから先生に聞けばいいのに、わざわざ図書室まで会いに来て私に頼む理由はなぜなのだろう。
「そのなんでっていうのは、どういう意味だ?」
「なんで、私なの?」
尋ね返すと、カイは顔を上げて少しの間押し黙った。
私は自分の気持ちを表情に出すのが苦手だけれど、それ以上に他人の表情から気持ちを読み取ることが苦手だ。悪意か善意かには鋭いけれど、それ以上のことはからっきし。だから、今カイが何を考えているのかは分からなかった。
「……ハクが、この学園で一番強いからだよ。多分だけど、ハクはこの学園のどの教師よりも、学園長よりも強いだろ。だから俺はハクに頼んでる」
「でも、学園長もカイよりは強い」
確かに私は、学園長よりも強いと思う。会って話した時に、戦って勝てない気はあまりしなかったし、学園長も同じ考えだったからこそ新入生代表の挨拶をサボるなんてことを認めたのだろう。
機嫌を損ねて私に暴れられては困る、そんな心の声は聞こえなかったけれど、その代わりに私が部屋を出る直前の安心したような大きなため息は聞こえた。
まあ、別にそれは良い。師匠以外にどう思われようと私には何の影響もない。
だけど目の前にいるカイは、実力をしっかり理解して、わざわざいつ爆発するか分からない爆弾みたいな私に教えを乞おうとしている。何がカイをそこまで駆り立てるのか、私には分からなかった。
「なんでカイは、そんなに強くなりたいの?」
「——死なないために」
カイは断言した。一つ前の時のような迷いもなく、力強い眼差しと言葉で言い切った。
「……死にたく、ないの?」
「死にたくないわけじゃない。でも、死なないために俺は強くなりたい」
よく、分からない。カイの言っていることはいつも矛盾している。でも、嘘ではない、そんな気がする。ただ今はまだ私には言えないことがあるだけ、そんな気がする。
「————二度と、あんな思いはしたくない」
カイの絞り出したような声が私の鼓膜を、そして心を震わせた。
ムズムズするこの感覚から今すぐに逃げ出したくて、私は魔法書を持って席を立った。
そこまで動揺した自分にびっくりして、私はそこで動けなくなった。
息を整えている私を、カイが見つめていた。
「…………明日の放課後、学園の前に来て」
ここで断ったせいで強くなれなくて、いつかカイが死んでしまったら。
カイを大切にしている人が、昔の私みたいに泣いてしまったら。
死なないためだなんて言われたら、断れるわけがなかった。
「なあハク。これ、どこに向かってるんだ?」
「……森」
私がカイと初めて話した次の日、授業を終えて私が校門まで向かうと既にそこにはカイが待っていた。そんな彼を連れて私はとりあえず、いつものように街の外に出て森へ向かっていた。
「……あの、ハク。頼むからもうちょっと詳しく教えてくれ。ハクなら何の問題もないんだろうが、一応街の外には魔物も出るんだからな」
「だからそれを狩りに行く」
「…………マジで?」
魔物、それは一般に戦ってはいけない相手とされている。もちろん街から街への移動中など避けられない戦闘はあるものの、基本は衛兵や騎士に任せるような相手である。
しかし戦うことが禁止されているわけではないし、狩れば素材は買い取ってくれる。それも高く。さらに付け加えると、魔物のお肉はどれも絶品である。
師匠と森に住んでいた時、師匠が突然上機嫌になったらそれは強い魔物が現れた証拠だった。……なんだか、もうその頃が懐かしい気がしてくる。
それはともかくとして簡単にまとめると、魔物というのは狩ることができるのなら狩ったほうがお得な敵なのだ。
「……ハク、危なくないか?」
「余裕」
私の師匠と違ってカイの師匠は別に強くないが、普通の魔物程度と比べれば圧倒的に強いのである。
私は一度立ち止まって、魔法を発動した。
足が地面から離れ、ふわりと髪が揺れる感覚。師匠なら毛先すらも揺らさないのに、やっぱり私はまだまだ未熟だ。
カイの方を振り返ると、餌を前にしたドラゴンよりも大きく口を開けていた。
「……カイ、どうしたの?」
「……ハク、お前、杖は?」
コテッと私は首を傾げた。
杖なんてなくても魔法は使える、そう言おうとしたところで私は思い出す。そういえば師匠が杖なしで魔法を使える人はほとんどいないと言っていたっけ。
「私は杖を使わないから。杖なんてなくても魔法は使えるし」
ちなみに師匠も杖なしで魔法を発動できるが、無手の私と違って基本的には短杖を使っている。普通の人は大きな長い杖を使うのだと、確か師匠が言っていた。そして師匠も、本気を出す時は長杖を持っていくと。
そんなことを言っておきながらブラックドラゴンを倒す時も短い杖のままだったから、師匠が長杖を使うのは神様と戦う時くらいなのだろう。その時は世界が滅びそうだ。
そして今になって気がついたが、カイも確かに自分の背丈くらいの杖を手に持っていた。邪魔ではないのだろうか。
「ついてきて。別に走ってもいいけど、魔法を使う方が良いと思う」
それだけ言い残すと、私は目だけでカイを促した。ここまで言えば、カイなら魔法でついてこようとするだろう。
そして私の予想通りカイは慌てて魔法を発動し、私のように浮かぼうとした。
魔法というのはイメージである。これは全世界の常識だ。
魔法を使うには魔力とその制御、そしてイメージの三つが必要。しかし、そもそも魔力は大前提、そして制御は軽視されがちであるが故に、魔法を使うためにはイメージが重要という印象が先行してしまっている。
カイは今、私が使う魔法を見た。これでその魔法がイメージできるという条件を満たしたため、カイがこの浮遊する魔法を使うことは可能なはずなのだ。一般常識だけで言えば、の話だけれど。
カイが杖に魔力を集めると、その先端につけられた宝珠が光り出す。鮮烈な光ではなくて、淡く優しい、暗闇を照らすような輝きだった。……綺麗だな。これが見られるのなら、杖を持つのもありかもしれない。
私が杖の光に見惚れている間に、カイがゆっくりと、だいたい拳一つ分くらい浮上した。今私が浮いている高さと同じくらいだから、やはり目の前の私の様子をイメージしたのだろう。
しかし数秒しかその状態は続かなかった。すぐに、カイの体がふらつき始める。それに伴って浮力が弱くなり、宝珠の光も点滅を始めた。
「……ぬおぉぉっ!」
まるで地割れの魔法を喰らっているかのように揺れる体を制御しようと、カイが必死に杖を握りしめ、魔力を制御する。
魔法はイメージ、それは間違っているわけではないものの正解とは言い難い、とは師匠の談である。
イメージができれば全ての魔法が使えるわけではない。どれだけ魔力の制御を正確に行えるか、それがその魔法の精度に、あるいは繊細な魔法を使えるか否かに強く影響を与えるのだ。
そして目の前のカイはというと、彼の制御力では浮遊の魔法を御し切ることはできないようで、とうとう地面に尻餅をついた。
「——どわっ!?」
どしん、と大きな音がするほど盛大にずっこけたカイ。痛そう。
すいっと浮いたままカイの近くに移動して、私は彼を見下ろした。
「カイ、大丈夫?」
「……大丈夫だが、大丈夫じゃない」
「……ふう、ん?」
「——めっちゃ悔しい」
両手を後ろについたまま、カイは不敵な笑みを浮かべた。目標が見つかった、ということなのかもしれない。
そのまま勢いよく立ち上がると、カイはもう一度魔力を練り、浮遊の魔法を使った。待っていてあげたいのだけれど、それをしてしまうと日が沈んで今日のご飯がお肉抜きになってしまう。
だから私は精一杯の気遣いでこう言った。
「……ゆっくり進んであげるね?」
カイの瞳に炎が宿った。解せない。
「ハクちゃん、おかえりなさい。今日はお友達と一緒なのね」
「……別に、友達じゃない」
狩りから帰ってきた後、カイの前で私はおばちゃんに撫でくりまわされていた。わしわしと小さな子供に接しているかのような扱いを受けているが、まあいつものことだ。
「あら? それならまさか、彼氏さん?」
「違う。ただの知り合い」
「彼氏じゃないのはその通りだが、そこはせめて弟子と言ってくれよ……」
……そういえばそうだった。でも、私にとっての師匠は師匠で弟子といえば師匠にとっての私のような感じだから、あまりカイが弟子というイメージが湧かない。
「……カイにはまだ早い」
「おい」
何やら抗議をするカイの声を聞き流し、私はおばちゃんの手の中から抜け出した。
魔法袋に手を突っ込み、今日狩った魔物のお肉を取り出す。
綺麗に捌かれているのは私が解体上手というわけではなく、師匠の作った解体の魔法が便利だというだけ。その魔法を見てカイが横でびっくりしている様子に私も鼻高々になったものだ。
「はいおばちゃん、今日の分のお肉。カイが遅かったからちょっと少なめだけど……」
「あら、ありがとう。本当にもらっちゃっていいの? 少ないけどお金も出してあげられるわよ?」
「いらない。私の分のご飯があればそれでいい。おばちゃんのご飯、おいしいから」
「——ハクちゃんっ!」
むぎゅっと力強く抱きしめられた。
おばちゃんのご飯は師匠のご飯よりもおいしい。私がこの学園に入ってきて唯一驚いたのがこの食堂というくらいには、極上の味である。
「おばちゃん、腕によりをかけて作ってあげるからね!」
「ん」
私を解放したおばちゃんがまっすぐに見つめて言った言葉に、私は信頼を込めて頷いた。
それから私はカイと一緒に食堂の席に座った。おばちゃんは魔法使いではないから、一瞬で料理が出てくることはない。非魔法使い最速くらいの速度はあると思うけれど、少しの待ち時間は必要なのだ。
「ハクはいつも食堂に狩った魔物の肉を持ってきてるのか?」
「ん。余ったお肉は使っていいって言ったら、特別に無料でご飯をくれることになった」
「……最近の気まぐれスペシャルメニューってそれかよ」
カイが呆れている。私の正面に座って苦笑を隠そうともしていない。
「あの幻のメニューのせいでどれだけの争いが生まれてるかも知らずに、呑気なもんだな……」
「……争いって?」
そう尋ねると、カイは神妙な顔を作って私を見た。
「魔物の肉って、美味いだろ?」
「ん」
「普通に買うと、高いだろ?」
「ん」
「全員分には、足りないだろ?」
「ん」
「争いがな、生まれるんだよ」
「なるほど。よく分かった」
みんなご飯が好き、そういうことだ。まあ、自分で狩ってこられない方に責任があるから好きに争えば良いと思う。
おばちゃんの絶品料理で満腹になった後、私とカイは寮まで歩いて帰っていた。
私たちが住んでいるのは普通とは違う成績優秀者専用の寮というやつで、他とは違って一人部屋になっている。少し広すぎる気もするから、小さい時に師匠がくれたぬいぐるみを持ってきていて良かったと最初に来た時には安堵したものだ。
「何でハクは肉を売らずに食堂に持ってきてるんだ? 金にすればどこの物でも食べれるのに」
「売る場所を知らないから」
「いや誰かに聞けよ……」
人に話しかけるのは面倒だ。特に、学園の大人には。おばちゃんやカイみたいに優しい人は珍しいのだ。
「めっちゃ嫌そうだな」
「……先生たちは、私が近づくと逃げるから」
「……あぁ」
絞り出したような声の後にゆっくりと手が伸びてきて、遠慮がちに私の頭を撫でた。師匠といいおばちゃんといい、私の頭は人を惹きつける魔法でも放っているのだろうか。
されるがままに見上げたカイの表情から何を考えてるのかは、やっぱり私には分からなかった。でも彼の瞳からは、先生たちのような私への悪意は、全く感じられなかった。
「嫌だったか?」
そんなカイの言葉に私はふるふると首を振る。ちょっとびっくりしたけれど、嫌というわけではない。
「……師匠よりごつごつ」
「悪かったな」
グリグリと強くなでつけられる感覚にどこかくすぐったさを感じた。頭だけじゃなくて心が、落ち着かなくなる。カイの死なないためという言葉を聞いた、あの時みたいだった。
師匠の時もおばちゃんの時も、こんな気持ちにはならなかったのに。
「明日はちょうど休みだし、一緒にギルドに行こうな。俺が場所も売り方も教えてやるよ。どうせ肉以外の素材も売ってないんだろ?」
私が頷いて素材がそのままになった魔法袋を持ち上げると、最後に優しく頭を叩いてカイはその手を離した。
「金もないのにこの髪って、ハクはどうやって維持してんだよ」
「師匠がやってくれてた」
「……今は?」
私が何かをしていると思っているのだろうか。そう思いながらカイを見ると、額にチョップが飛んできた。痛い。
「次会った時に傷んでたら師匠が泣くぞ……」
「それは困る。カイ、案内して」
「お前な……」
カイの呆れた視線が突き刺さるけれど、そんなことより師匠が大事なのだ。新米弟子には師匠の役に立ってもらうとしよう。
翌日、約束通り街に出かけた私とカイは、まずギルドに向かっていた。
この街の学園以外の場所に行くのは初めて、そう言うとカイに頭を小突かれる。
「引きこもり——ではねぇな。森まで狩りに行ってるし」
「ん。健康的」
「森でも体は浮いてるだけだろ……」
言われてみれば、確かにその通りだ。魔力は使っているけれど、肉体的に健康かはまた別かもしれない。
「ついたぞ、ハク」
「ん」
そんな話をしているうちにどうやらギルドに到着したらしい。カイが大きな建物の中に入っていくのに続いて、私もその建物の中に入った。
ギルドというのは魔物の素材を買取する場所と組織のことだ。魔物の素材の中には危険だからギルド以外での売買を禁止されているものもあり、売るならギルドというのが基本になっている。
お肉は精肉店も買ってくれるが、それ以外の素材ならギルド以外の買い手はまず見つからない。だからこそ私の魔法袋には、魔物の素材が溜まりに溜まっているのだ。
そしてギルドのもう一つの役割は、魔物から得た素材を使った武器や道具を売ること。こちらに関しても、物によってはギルド以外での売買を禁止されているから、普通の人はギルド以外から買うことはない。
「素材を売るときはあっちのカウンター、武器を買うときは向こうのカウンターだな」
「……ん」
魔物を倒す依頼は騎士団や衛兵隊にいくはずだから今ここにいるのはギルドの職員、あるいはギルドで売り買いをしに来た人ということなのだが……
「……見られてる、な」
「……ん」
カイの言う通り、見られている。そんなに人数がいるわけではないが、今この場にいる全員に見られている。悪意ではないが、善意も感じない。好奇心と言えば聞こえはいいけれど、それに晒される身にもなってほしいものだ。
キョロキョロと辺りを見回すと、私より年上だと思うカイですらこの中では私の次に若いのではないだろうか、そう感じる人たちばかりだった。言ってしまえば、ほとんどがおじさんだ。
思わずカイの服の裾を摘めば、彼は振り返って頭を撫でて、手を優しく引いてくれた。嬉しいし安心するけれど、カイが女の子の扱いに慣れている気がしてモヤモヤする。
……なんで私がモヤモヤしなければいけないんだろう。
なんとなくカイの手を強めに握って、私はその大きな背中についていった。
ギルドから出ると、今貰ったお金で私の髪を手入れするためのものを買いに行くことになった。
私がカウンターに魔物の素材を山盛りに出したら受付の人が目を見開いたり、それを疑問の目で見る私にカイが呆れたり、周りの視線の圧がさらに酷くなったりと色々あったけれど、結局は事件という事件もなく素材を売ることができた。
それでも一人で来ようとは思わないから、次もカイを連れてこようと思う。
「ほら、これとかどうだ?」
カイ曰く品揃えが豊富で有名らしい雑貨屋に入って物色していると、そのカイが何かを持って私に見せてきた。少しだけ色がついた透明な液体が入った瓶だ。
「……これ、何?」
「何って、髪を手入れするために使うヘアオイルってやつだよ。最近になってこの辺でも使われ始めてるらしいな」
「どうやって使うの?」
「風呂上がりに髪に馴染ませるんだが……」
「……なじ、ませる?」
カイの瞳が呆れたそれに変わっていくけれど、分からないものは仕方ない。
「それって、面倒?」
「……まあ、多少時間はかかるな」
そういえば、お風呂上がりに師匠が私の髪に何かをしていた気がする。ずいぶん長く髪をいじっていたけれど、逃げると魔法で捕まえられるからじっとするしかなかったのだ。
「……そんなに嫌か」
「一日でやらなくなる自信がある」
「そんなことを堂々と言うんじゃない。せめて三日もたせろ」
私にできるわけがない。それは確定しているけれど、師匠が泣いてしまうのも困る。我ながらわがままだが、事実なので仕方がない。
うんうんと唸っていた私はしばらくして、ある結論に辿り着いた。——ちょうど私には、弟子がいるではないか。
あろうことか師匠に向かってため息をついている弟子の方を見て、私はこう言った。
「カイはできるの? その、髪の手入れってやつ」
「ああ。結構やったことはあるからな」
「…………誰の?」
自分の喉から出た想像よりも冷たい声にびっくりするが、そんなことを気にしている場合ではない。——いや別に、気にするくらいの余裕はあるはずだ。
……私は一体、何に焦っているのだろう。
胸がムズムズして、何も悪いことをしていないはずのカイに少し怒っていて、なぜだか少し泣きそうだ。
まるで何かの魔法にかかっているみたい。師匠なのかな。師匠が私にかけた魔法が、私をこんなふうにしてしまったのかな。
「誰の髪を手入れしたことがあるの?」
続いた言葉もやっぱり冷たくて、カイに申し訳ない気持ちになる。こんな私を困ったように見るだけで怒ってくれないから、私を付け上がらせてしまうのだと思う。
「……まあ、そのうちな」
カイが苦笑いで私の頭を撫でる。誤魔化した。結局、どの女の子の髪を手入れしたことがあるのか、教えてくれなかった。
自分の機嫌か急降下していくのを感じる。ムッとその顔を見上げても、やっぱり答えは返してくれない。
心がゆらゆらして、カイに振り回されっぱなし。そんな理不尽な恨みも少し込めて、私はそっぽを向いた。
「……カイがやってくれないなら、手入れなんてしない」
カイは今どんな顔をしているのだろうか。怒っているのか、悲しんでいるのか。いろんな可能性があるけれど、きっとそのどれでもなくて、彼は困っているのだろう。こんな私を許してくれるくらい、優しい人だから。
頭に置かれた手は止まったままで、そこから彼の熱を感じられるのが少し嬉しい。でもそれが離れたらと思うと怖い。そう思っていたからだろうか、ふと、カイの手が私の頭から離れた。
はぁ、と小さくため息が聞こえて、私は体をピクリと震わせる。
「——仰せのままに、お姫様」
胸がキュッと痛いほど締め付けられて、口元はだらしなく緩む。
……まあ、悪い気はしなかった。
カイの手をしっかり握って、私は帰り道を歩いていた。
もうこの楽しい時間が終わってしまうのかと思うと、どこか寂しい。その気になれば毎日でも会うことはできるのに、我が事ながら不思議なものだ。
師匠になってほしい、最初カイにそう言われた時は正直気が進まなかった。
自分が人に何かを教えられるとは思えなかったし、人と関わるのも面倒以外の何者でもなかった。
後者に関しては今も同じで私は魔法を見せるくらいしかできていないが、前者は違う。カイと話せて、関わることができてよかったと、今になってはそう思う。
死なないため。カイがそう言った時、もしかすると私の過去を見られたのかとすら思った。そんな魔法は師匠ですら使えないのに、私が私の大切な人に一番大事にして欲しいことだったから。
カイと一緒にいると安心できて、温かい気持ちになる。師匠と一緒にいる時みたいだった。
でも、今日、その二つは似ているだけで少し違うのかもしれないと感じた。師匠と居る時は心が落ち着いて、カイといる時は心が満たされ幸せになる。どちらが良いとは言えないけれど、違うものだと思う。
カイは私を甘やかしてくれる。手を繋いで頭を撫でて、きっと髪の手入れまでしてくれる。そうやって彼に触れてもらうたびに、ふわりと気持ちが高揚して心臓に火花が散る。心が苦しいのに嫌じゃなくて、もっと触れて欲しいのに逃げたくなる。
今もそうだ。この繋いだ手は絶対に話したくないけれど、これ以上カイに近づけばきっと、音が聞こえてしまうくらい心臓が暴れ出して、顔もまともに見れなくなってしまうだろう。だからこっそり彼を見て、目が合う前に逸らすのだ。
何が私をこんなふうにしてしまったのか。カイと出会ってから、もっと言えばカイと話して頭を撫でてくれた時から、私は少しおかしい。
この跳ねる心臓と熱くなる頬は、もしかすると師匠が何かをしているのかもしれない。だって私は今まで十五年くらい生きてきて、こんなふうになったことはないのだから。
学園へ来る前に師匠が私に魔法をかけてくれた、恋に気がつける魔法。私が恋をしているから、それに気づかせるためにこうなっているのだろうか。
……このカイに対する甘くてつらい感情が、恋というものなのだろうか。
そんなことを考えていたからか、私はどこに向かっているのかをよく確認していなかった。立ち止まったカイに気が付かず先に進んで、繋いだ手が伸び切って、引っ張られる。
「——ひゃっ!」
よろめいた私をがっしりとした体が受け止めてくれて、頭が真っ白になった。今どんな顔をしているのかを自分でも分かっていなくて、顔を上げられない。
「ほら、ハク」
ポンと頭をたたかれて観念した私がようやく顔を上げると、カイがどこかを指さしていた。つられるように視線を向けると、そこには真っ赤な夕焼けが広がっていた。
「————きれい」
「だろ?」
城壁に囲まれた街の外、街道に沈んでいくように紅の太陽が煌めいている。小高い丘の上だからカイと一緒に魔物を狩った場所もちょうど見えて、昨日のことなのに懐かしい気持ちになった。
師匠は嘘つきじゃなかった。師匠が言ったように、世界は綺麗だった。だからもう一つの師匠の言葉も、嘘ではないという気がする。
見ているだけで笑みが溢れてくるほどの絶景だけれど、カイはなぜ私をここに連れてきたのだろう。彼を見上げると、静かにその疑問に答えてくれた。
「……ハク。信じられないかもしれないけど——」
「信じる」
間髪を容れず言うと、カイが目を見開いた。
「カイが信じてって言うなら、私は信じる」
丸くなっていた瞳。それが私に向けてふわりと花開いて、胸がときめいた。
……やっぱり私は生まれて初めて、恋というものをしているのかもしれない。きっとこのときめきで、師匠の魔法がそれを教えてくれているのだ。
嬉しそうに微笑んでいたカイが、再びその口を開く。
「これからハクに魔法を教えてもらうってなると、やっぱり俺が強くなりたい理由はちゃんと話しておきたくてな」
そう前置きして、彼はその想いを語り始めた。
「……死なないために強くなりたい、そう言った理由はちゃんとあるんだよ。死にたくないっていう思いももちろんあるけど、それとはまた違った思いもある」
そんな彼の瞳は、遠い遠い夕焼けを眺めていた。
「俺には、別の世界で生きていた記憶があるんだよ。今は一人っ子だが、その頃の俺には両親と兄と、妹もいた。……ああ、俺が髪の手入れをしていたのはその時の妹のだな。あいつもちょうどハクみたいに、最後まで甘えん坊なままだったよ。家族の仲は良かったんだが、前世の俺は体が弱くてな。二十歳を超えたくらいの時に病気で死んじまったんだ。父さんも母さんも兄さんも妹も、みんな残して」
体に雷が走ったような衝撃だった。その頃のことを懐かしんでいるのか、カイはかすかに目を潤ませている気がする。
思わず私はその手をぎゅっと握って、少しでも彼の心を安心させてあげようとした。その手を、カイは無言で握り返してくれた。
カイは、私と反対だったのだ。私が残された人で、彼は残した人。正反対だけれど私たちは二人とも、その身をもって知っている。誰かを残して命を落とした、その先のことを。
「……頭から離れないんだ。あの時のみんなの顔が。泣きながら俺に縋り付いてくる顔が。——二度とあんな顔、させたくないんだよ」
力強い決意が、彼の全身から滲み出ていた。
「だから俺は強くなりたい。誰も置いて行かないために、大切な人より先に死なないために、俺は強くなりたいんだ」
魔物なんている世界だから戦えないと話にならないからな、そう付け加えてカイは私を見据えた。
「ハク、頼む。俺を強くしてくれ」
真摯に、真剣に、カイは私に教えを乞うていた。
「……昔、師匠が言ってた。こことは別の世界があるかもしれない、そんな痕跡を見つけたかもしれないって。だからもし本当にあったら、いつか一緒に旅行に行こうねって」
そう言うと、カイの顔に呆れた笑みが浮かぶ。
「ハクの師匠、すげぇな……」
「ん。自慢の師匠」
「でも————俺の師匠もそれに負けないくらい凄い、だろ?」
「……それは、ちょっと、ハードルが高い」
一度頷こうとして、やっぱりやめてそう返すと彼はカラカラと笑った。
「なら、一緒に強くなってくれるか? 師匠」
「……ん」
今度はしっかりと頷いて、私はカイに一歩近づいた。
「私の教えを受けるなら、私から離れることも死ぬことも許さない。私を置いて、先にいくことは絶対に許さない。それでもいいの?」
「当然だな。そのために俺は強くなるんだ」
はっきりと言い切ってくれて、私の心が安堵に包まれる。
二度とあんな思いはしたくない、それは今でも当然変わらない。でもその恐怖に負けてカイと一緒にいられないのは、絶対にいや。師匠が言っていたのは、こういうことだったのだろう。
自然と浮かんだ笑みを彼に向けて、私はさらに注文をつけた。師匠の権限、そんな言い訳を心の中で考えながら。
「……あと、師匠はダメ。ハクって呼んで」
「別にいいが、何でだ?」
捕まえてあったカイの手を、私の存在を刻みつけるように、ぎゅっと握りしめる。
「……師匠がゴールだとは、思ってないから」
小さくしか言葉にできなくて、それでも小さく言葉にできたそれはしっかりとカイに届いたみたいで、彼の体は少し固まっていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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次はカイの視点で書きたい。




