第96話 犬人 vs. 鳥人
フォルティア荒野の地下──
それは、かつて文明の残滓が埋もれ、今なお謎多き広大な金属トンネル群だった。
蛍光灯のような光源が等間隔に灯り、床は滑らかな合金製、壁には何らかのコードやパネルが埋め込まれている。
まるで未来と神話が混在する、異様な空間である。
そんな場所の一角。
先ほどまで土と雷をまとって暴れ回っていた、五メートル級のパグ型フェンリルが──突如として変化を遂げた。
ふいに輝いた魔力の奔流が収まったとき、そこに立っていたのは、明らかに“異様”な存在だった。
身の丈およそ二メートル。
首から上は丸っこいパグの顔。そのまま。
だが──その下は、見紛うことなきマッチョな人間の体。
むき出しの筋肉は油のように鈍く光り、肌の質感はそのまま犬。
そして何より、黒のビキニパンツ一丁という謎の戦闘スタイル。
──その姿に、場が一瞬凍りつく。
「「……キモッ!!」」
敵味方の区別なく、思わず飛び出した悲鳴のような感想が、トンネル内に木霊した。
パグ顔の“それ”──いや、グェルはズーンと肩を落とし、斜め下を見つめた。
その耳がわずかに垂れているのは、ショックの表れか。
「……頑張って編み出した新スキルなのに……みんなの第一声がそれって……ポルメレフ、お前まで……」
くぐもったような声が、妙に艶のある胸筋のあたりから発せられる。
ポルメレフが、五メートル級のフワモコな巨体を小刻みに震わせて駆け寄ってくる。
もともと陽気でお調子者な性格だが、さすがに空気を察したらしい。
「た、隊長〜……!い、今のはつい出ちゃったっていうか〜……その……隊長の変身した姿が、あまりにもアレだったから、って言うか〜……言葉のあやですって〜……!」
気まずそうに笑いながら、耳をぺたんと伏せて、しっぽを情けなく垂らす。
一方、その様子を、少し離れた位置から見ていたのは──鳩の顔にタキシード姿の魔人、ピッジョーネである。
その表情は、相変わらず冷静で整っていた。
だが、その双眸──白く縁取られた鳥類特有の目には、はっきりとした“違和感”が浮かんでいる。
(ホロッホー……サイズが五メートルから二メートルへ。加えて、この変身……驚きましたが……)
ピッジョーネは、自らの魔力感知に集中しながら、静かに思考を巡らせる。
(魔力総量そのものは変わっていない……私に比べれば遥かに小さい……)
けれども、なぜだ。
(……なのに、何なのですか……?この、得体の知れないプレッシャーは……?)
ただそこに立っているだけの“それ”から、確かな圧が伝わってくる。
まるで、魂そのものが牙を剥いて笑っているような──そう、“今まで感じた事の無い気配”がそこにあった。
人型の筋肉が唸るように隆起し、肩の稜線が妖しく光る。
それを支えるのは、見覚えのある無垢なパグの顔だ。
そのギャップこそが、常識という名の防壁を侵食していく。
ピッジョーネは、ごく自然に拳銃のグリップを握り直していた。
──この戦い、“笑えるだけ”では済まされない。
◇◆◇
静寂が、再びトンネルを支配していた。
油を塗ったかのように黒光りする筋肉。
ビキニパンツ一丁の巨躯を晒し、グェルは一瞬だけ目を閉じる。
──信頼してくれたアルド坊ちゃんの前で、カッコ悪いとこ、見せてられないッ!
目を見開いたその瞬間。
グェルは表情筋が限界まで引き上げられた、どう見ても「パグの顔のままでキリッとした顔」を作り──
右手、右足をスッと前に出した。
重心を落とし、体をわずかに斜めに。
構えはまるで近代武術、“截拳道”。
「さぁ……もう、これまでの様にはいかないぞッ!」
胸を張って啖呵を切ると、グェルは鼻の下を親指でクイッとぬぐった。
そのまま、右手の平を上に向け、指を二度クイクイッと動かす。
“かかってこい”──強者の余裕を感じさせる挑発。
先程、アルドが魔導機兵隊に向けてやった動作を真似て、カッコつけたのだ。
「ホッホッホロッホー……」
ピッジョーネは、すっと細めたハト目でその姿を見つめた。
「姿が変わったことには驚きましたが……魔力量は変化していない。我が魔力の奔流と比較すれば、その程度──雲泥の差でございます」
鳩の顔に、上品な笑みが浮かぶ。
二丁の拳銃が、音もなく構えられた。
──魔滅鉄砲。
魔力を“霧散”させる特異な武装。その銃口が、グェルに向けられる。
だが。
「……"魔力量の大きさ"なら、確かにその通りだ……」
グェルはフッと短く息を吐き、鼻の穴を広げる。
「だが……ボクは“量”じゃなく、“質”で戦うスタイルが合ってるらしくてね……ッ!」
言葉が終わると同時だった。
風が、裂けた。
「なっ……!?」
ピッジョーネの目が見開かれる。
鳩の目が、驚愕に染まった。
グェルの巨体が、一瞬にして目の前まで詰め寄っていたのだ。
速い。
ありえない。
この巨体で、こんな初動速度──
「ク……クルックー……ッ!?」
反応よりも速く、右の拳が中段から突き上げるように伸びる。
拳が、ピッジョーネの鳩尾を正確に穿った。
衝撃で背中が丸くなり、吐息のような鳴き声が漏れる。
ズガァアッ!!
そのまま後方へ弾かれるように吹き飛び、地面に靴が擦れる音を響かせながらズザーッと滑っていくピッジョーネ。
だが、なんとか両足を踏ん張って転倒は免れた。
──痛撃。だが、まだ倒れてはいない。
その光景を、後方から見ていたマコトは、目を見開き、眼鏡を持ち上げた指を震わせる。
「あ、あのパグ人間の戦闘スタイル……あれはッ……!往年のブルース・リーが築いた“ジークンドー”!?右利きながら右手を前に構えることで、最速の一撃を最短で叩き込む超実戦型格闘術ですぞ!!」
「いや、知らないし!」
早口で捲し立てるマコトを、隣でミサキがバッサリと切り捨てる。
「てかハトちゃん、大丈夫!?生きてる!?」
ピッジョーネは肩を軽く上下させ、スーツの襟を正すように身を整える。
「ご心配、痛み入ります、ミサキお嬢様。問題、ありません」
そう答えるその姿は、妙に優雅だったが──
その手の二丁拳銃には、確かに怒気が宿っていた。
一方、グェルの後方で、ポルメレフが尻尾をブンブン振って歓声を上げていた。
「た、隊長〜っ……!キモカッコいいです〜っ!!」
「“キモ”の部分、わざわざ言わなくてもよくない!?」
ガクッと肩を落とし、思わず振り返るグェル。
だが、次の瞬間には表情を切り替え、ピッジョーネへと視線を戻す。
パグ顔の奥。
そこには、確かな闘志が宿っていた。
◇◆◇
──風を、斬る。
グェルが地を蹴った瞬間、空気が爆ぜた。
「キャオラッッッ!!」
筋肉の塊と化した巨体が宙を舞う。
回転。回転。さらに回転。
その蹴りは、重さと速さを兼ね備えた一本の”獣人の刃”。
「胴回し回転蹴りッ!!」
宙から繰り出された、怒涛の一撃。
「ホッホッホロッホー!!」
応じたのは、燕尾服の鳩紳士。
二丁拳銃、"魔滅鉄砲"を素早く反転させ──
金属のグリップ部でクロスガード。
ガァンッ!!
重金属がぶつかり合ったような衝撃音が、トンネル内に響いた。
「ぬうッ……!なかなかの重量感ですな!」
「くッ!!ガードされたかッ!?」
グェルは空中で態勢を戻し、着地と同時に肘打ちを突き出す。
ピッジョーネは即座に拳銃をクロスして受け流し、そのまま零距離でグェルに向かって拳銃の引き金を引く。
──ダァァン!!
すぐ目の前で発射された弾丸が、グェルの頭をかすめる。
「格闘術に射撃を組み合わせただとッ!?」
「"ガン=グラップル"という格闘術でございますよ。弾丸の雨のみならず、接近戦でも相棒と共に優雅でありたいのが我が主義──!」
二丁拳銃が、ハトの両手の中で踊る。
打突。
撫で打ち。
ゼロ距離射撃。
まるで舞踏のような動きで、ピッジョーネは銃口を振りながらグェルの打撃を受け流し、時折逆襲を挟む。
一方のグェルは、構えを崩さない。
獣であることを捨てたかの様な、人の姿。
その肉体を精密にコントロールし──
「ワンッ!!」
拳を突き出し、膝を突き上げ、肘を叩き込む。
まるで打撃の全てを“最短距離”で組み立てているかのような合理性。
その一撃一撃に、重量と正確性がある。
「ホロッホー……やりますねッ!」
「まだまだッ!!ボクの新スキルは伊達じゃないぞッ!!」
拳が閃き、銃が鳴る。
弾丸と拳、金属と肉のぶつかり合いが、火花を散らす。
──どちらも、一歩も譲らない。
ガン=グラップルの回避と反撃。
ジークンドーの直線的打撃とスピード。
技と技。
美学と美学。
パグとハト。
それらすべてが、今この瞬間、交差している。
「クルルル……!」
小さく、ピッジョーネが鼻を鳴らした。
その瞳に、焦りが浮かぶ。
(……おかしい……)
接近戦の連続に、気付けば呼吸が乱れ始めていた。
防御に意識を割くことが多くなり、攻撃のリズムが崩れている。
(この魔力量の少ない犬頭の彼が……なぜ……!)
ピッジョーネのハトの額から、一筋の汗が伝う。
(私と……強欲魔王四天王たるこの私と……
互角に、肉弾で渡り合える……?)
それは誇り高き鳩魔人にとって、あり得ぬ現象だった。
魔力の大小が、すべてを決めるこの世界で──
この男は、“それ以外の何か”で、抗っている。
「貴方……一体……何者ですか?」
問いかけは、自然と漏れた。
だがグェルは、構えを崩さず、むしろニッと笑う。そのパグ顔に──妙な色気すら宿しながら。
「ボクは、隊長だ!"わんわん開拓団"の、な……!それ以上でも、それ以下でもないッ!」
「……妙にカッコよく聞こえるのが癪ですな」
二人は再び、構える。
肉体が軋み、息が荒れ、汗が流れる。
けれど──
その瞳は、どこまでも冴えていた。